奇襲
ミランドの街。その街のある酒場で男が喚き散らしていた。周囲にいる彼の部下や侍らした女たちは、自分にとばっちりが来ないか冷や汗をかきながらその様を見ている。
「糞が! ふざけやがって! おい、まだ見つかねぇのか!」
その男は五十を越えたあたりだろうか、顔に刻まれた皺は浅くなく肌もくすんで後ろに流した髪は白髪の方が多い。ただ、肉体に関して衰えはない。大柄の体は年齢を感じさせないほど肉が締まっており、着ている無地の黒いシャツはぴっちりと張り付いて中にある鍛えられた筋肉を強調させている。
そんな彼から怒鳴られた部下は怯えながらも弁解する。
「死ぬ気で探させてますが、カジノとそこを仕切ってたボリーさんのとこがやられてまだ一日ですし、さすがにまだ……」
作り笑いを浮かべてヘラヘラと言い訳する部下に《赤マムシ》の首領、ボルトは舌打ちをして、苛立たしげに指示を出す。
「良いか! 絶対に見つけて俺の前まで引きずってこい!」
「はっ、はいぃ! ボス!」
彼が、組織の幹部格に任せていたカジノと、その幹部格の一味がアジトごと潰されたと報告を聞いたのは日が昇る前のことだった。それからずっと日が沈んだ今の時間まで起きて、襲撃してきた人間を探すため指揮をとっている。手がかりが全くないことと、睡眠不足が合わさってかなり荒れていた。そのストレスを解消するために馴染みの酒場で上等な娼婦をともない酒を飲んでいるのだが効果は全くないようだ。今も苦虫顔で透明なグラスに注がれた琥珀色の液体を流し込むように飲んでいる。
「ん? 騒がしいな」
彼がいるのは酒場の二階であるが、外がなにやら騒がしいことに気がついた。
「バラン。お前ちょっと見てこい」
壁際に控えさせていた先程とは別の部下に様子を見てくるよう言いつける。その部下は階段を降りる途中で、上がってこようとしていた怪しい人間を見つけた。
「お前ジークじゃねぇか。そいつはなんだ」」
それは仮面をつけたヴァイスと大きな革袋を背負ったジークの二人だ。ジークが顔見知りであることに気付いて後ろ連れている不審者のことを訪ねたのだ。
「あーいやなんつうか」
「あ? はっきり言えや!」
そのバランはジークよりも十ほど若いが、地位が上であるため強気にでる。
そうして意識がジークに向けられた瞬間、ヴァイスはジークの陰に隠していた抜き身の赤く染まった剣を、バランの胸に突き立てた。
「て、めぇ、」
「やはりこの方が良いな」
ヴァイスは一言呟いてからバランの胸を蹴りつけて剣を引き向くと、返ってきた血を浴びながら二階に上がっていく。
二階では既に戦闘状態に入って各々武器を構えた《赤マムシ》の構成員たちが待っていた。数は二十二人。五人いる娼婦たちは部屋の隅で固まっている。その中で一人だけいまだに革張りの大きなソファに腰掛けているボルトの姿を見つけると、ヴァイスは赤色が付着した仮面を向けた。
「お前がボルトだな」
「お前がボリーとカジノをやった奴だな」
会話として成立していないがそれで十分だった。互を敵だと認識するには。
「お前ら手を出すな。俺がやる」
裏稼業においてメンツとは重要なものである。縄張りに手を出された上、たった二人で首領が襲撃される。これを多人数で袋にしたのでは話の転がり方次第ではメンツが潰れかねない。ボルトはそう判断して、己自身で片を付けると決めた。彼を首領たらしめているのは彼の武威なのだから。
ボルトがグラスの残りを一息に煽ってから立ち上がると、部下が革の鞘に収められた剣を持っていく。それは大きな剣だ。ボルトが柄を握ると部下が鞘を引いて刀身があらわになる。幅は二十センチ前後、刃渡りは百五十センチにも及び、握りやすいよう溝が刻まれただけの無骨な柄を合わせると全長は二百センチを超える。くすんだ鈍色の刀身は使い込みこそ伺えるがよく手入れされており刃毀れは見当たらない。長大で、見たものに暴力的な印象を与える大剣だ。
しかしその使い手はさらに巨大だ。それはもう大柄などという次元ではなかった。大剣を片手で軽々と担ぎ上げるその肉体は、明らかに大剣の全長を超えている。隆起した筋肉は並の刃物なら弾いてしまいそうだ。正しく巨躯といえよう。
「でけぇ」
シークはその巨躯を見上げて唖然とする。内心ではヴァイスに付いて来たことを後悔し始めていた。そこにヴァイスから声をかけられる。
「ジーク。あれ出せ」
慌ててジークは背負っていた革袋の中身を床に撒き散らす。出てきたのは包丁や短剣などの小型の刃物だ。ヴァイスの足元を埋め尽くすそれらの数は三百はあるだろうか。
その様子を伺っていたボルトは苦虫顔をする。
「やはりお前、魔法師か」
「お前もそうなんだろう? お前の部下が教えてくれたよ」
カジノの後に《赤マムシ》所有の屋敷を襲撃した際、ヴァイスはボルトの情報を得ていた。その時ボルトが魔法師であるため、これまでの様に心臓を潰すことができないと知ったのだが、これはある程度社会のことを知っている者たちの中では常識でもあった。ボルトが、ではなく、何らかの
組織の長たる者は、魔力持ちあるという事がだ。これは国王や領主なども同様である。射程が短いとはいえ念じられただけで死んでしまうものを頭にできないのは当然といえよう。その為、貴族は魔法師の囲い込み――魔力持ちは多少の遺伝性がある――に余念がない。
ボルトは表情こそ余裕を見せているが、内心では己の不利を悟っていた。大量の刃物をばら蒔いた目的に気がついたからだ。魔法師が近接戦闘を行う際、炎や土などを発現させたりはしない。どうしてもラグが発生するからだ。魔法発動時に対象や座標を設定するため、例えば火球を当てるなら発現時まで相手がそこで停止していなければいけない。己の干渉領域内であれば軌道の修正も可能だが、発現した現象を認識してから座標の再設定を行うのは事実上不可能であり、あくまでも理論上可能だというに過ぎない。故に魔法師が近接で使うのはラグの小さな魔法ばかりになる。その代表たるものが《動かす》の魔法陣だ。これを用いて脳や心臓――相手に魔力がなければだが――を潰したり周囲の物体を飛ばしたりするのが主な攻撃方法となる。つまりヴァイスの狙いは大量の刃物を飛ばすこととなる。
先手を取るためボルトは魔法を発現させる。使ったのは俗に強化魔法と呼ばれるものだ。そう呼ばれてはいるが実際に身体を強化するものではない。自身の身体を対象に《動かす》の魔法を発現させ、ベクトルを上乗することで回避や攻撃を強化するものだ。誰にでも使える反面、使いこなすことが難しい魔法とされている。
真っ直ぐに踏み込んでいくボルト。しかし、ヴァイスの魔法が既に発現しており、十を超える刃物がそれを迎え撃った。
だがボルトもそうなる可能性も考慮しており、あらかじめ次の魔法を発動させていた。その効果によって横向きの加重が加わり、刃物を回避したが、着地して素早く体勢を整えたところにまたも刃物の群れが襲いかかる。
(馬鹿な早すぎる! 俺がここに移動すると読んでいたとでも言うのか!)
反射的に大剣を盾にして顔と胸部を防御するが、脚や腕は守りきれず次々と刃が突き刺さっていく。ボルトには見えていなかったがヴァイスは最初に刃物を飛ばした直後、残りの全ての刃物を前方百八十度に向けて飛ばしていた。ボルトがどこに躱そうが追撃するために。そのせいで周りにいた部下たちは半数以上が血を流している。
咄嗟に致命傷を避けたのはボルトの反応は素晴らしいものだが、自ら視界を塞いでしまうのは悪手にほかならなかった。
防御のために視界を遮ったのを見て、好機と捉えたヴァイスはすぐさま強化魔法を発動させた。魔法の発現によって高速で移動したヴァイスはその勢いを、手にした刃に乗せてボルトの脇腹へと叩きつける。あり余る程の勢いで突き上げられた刃は、皮を裂き肉を切り筋を断ち骨を砕いて心臓を貫くが、同時に、鋳造で変哲のない剣は負荷に耐え切れず根元にヒビが入っていき、そのまま割れ折れた。
強化魔法を使った刺突攻撃の反作用を受けて、両の手首が負傷を訴えるが、ヴァイスはその痛みを無視して刀身のなくなった柄を放り捨てながら後ろに下がって反撃を警戒する。目線は片膝をついて蹲るボルトに固定したままに。
「ジーク。剣を渡せ」
「へ? 旦那、もう終わりなんじゃ」
疑問を口に出しながらも言われた通り、与えられていた剣を渡す。
「どうだかな、俺にはあの化物が心臓潰された程度で終わるようには見えないが」
「こんな老いぼれに、化物とは、言ってくれるなぁ、若造ぉ!」
膝をついた体勢で意識が朦朧とする中でも、まさしく死力を振り絞って魔法を発動したボルトは、いくつもの白刃が突き立った身体をヴァイスへ向けて走らせると、裂帛の気合とともに右手に握った大剣を左薙ぎにしようと振りかぶった。
「おおぉお!」
強化魔法による回避は間に合わないと反射的に判断したヴァイスは、顔の高さに迫る凶刃を躱そうと後方に飛び退るが、完全には躱せない。
大剣の切先はヴァイスへと届いた。しかと、ヴァイスの仮面に僅かな傷を刻んだ。
衝撃で仮面は剥がれ、音をたてて床へと落ちる。
「顔ぉ、覚えたぜ 地獄で 次こそ、殺す……」
剣を振り切った体勢のまま、ボルトは絶え絶えつつも最後の抵抗に、呪詛を贈る。眼が赤く染まり殺意に満ちていたが、不敵に笑っているようでもあった。
「じゃあまたな」
ヴァイスはそれだけ告げると、強化した突きをボルトの喉元へと放つ。既に心臓が止まっていた躯は、血が噴くこともなく、ぐらりと倒れていく。
止めを刺したヴァイスは周囲にいるボルトの部下たちを見回していく。彼らの半数と娼婦たちは魔法に巻き込まれ、既に息絶えていた。ボスが負けるとは露程にも思っていなかったのだろう、無事な者たちは驚愕した面持ちでヴァイスを見つめて固まっている。その無事であった者たちに宣言する。
「《赤マムシ》は俺が貰う。文句がある奴はいるか?」
宣言に異を唱えるものはいない。彼らはボルトに忠誠を誓っていた訳ではない。中にはそういった者もいるかもしれないが、大半は利があると見て従っていたに過ぎなかった。仮にヴァイスを退けたとしても彼らの中に魔力持ちはいないのだから、《赤マムシ》を存続させることはできない(実質はともかく魔力を持たない者が率いている、というだけでその組織は軽く見られる)。そうなれば彼らは今の生活を捨てることになる。ここに居るのは殆どが幹部クラス、甘い汁に味をしめている者ばかりだ。今の地位や生活を失うくらいなら、少なくともボルトよりも力のあるヴァイスを頭と仰ぐ方がマシだと考えた。叶わない報復よりも、実質の利を選べる、それくらいには彼らも強かであり、言ってしまえば現金な生き物であった。
その反応に満足気な顔で頷くと、腰を抜かして尻餅をついているジークに指示を出す。
「ジーク。シノギはお前に任せる。上手くやれよ。お前らも分かったな、今からジークがお前らの上司だ」
それから細かい指示や仕事内容の詳細な書類の提出などを伝える。
「取り敢えずはこんなもんだろ、解散だ。ジーク、寝床を用意させろ」
「旦那、この酒場はどうしますかい? 店のオヤジが下でくたばってますぜ」
「あーそうだな、燃やしとけ」
深く考えずおざなりに答えながらヴァイスは、剥がされた仮面を拾い上げる。その無表情だった仮面は、一筋の傷が刻まれたことで、笑っているように表情を変えていた。それを確かめたヴァイスは何を思ったのか、僅かに口角を吊り上げた。
傍にいたジークには二つの顔がまったく同じ顔であるような錯覚を覚え、言い知れぬ寒気に襲われた。




