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 宿の一室で、寝台に寝転がったまま目を閉じていた。

 もし誰かがその姿を見たとしたら不機嫌になようにしか思わないだろうが、内心は逆だ。昨夜、上機嫌で宿に帰ってきて眠ったのだが、起きてからもずっと上機嫌に考え事をしている。内容は大したものではない。今日これからやることを頭の中で思い描いてるだけだ。結局、そのまま日が暮れるまでそうしていた。


 そして太陽が沈んだことに気がつくと、いそいそと外出の準備を始める。その時になってやっと動き始める段取りの悪さは物臭な性格のせいだろう。帯剣はしていない。袋の中に入れて持ち運んでいる。これは街につく前からずっとそうしていた。剣を買った当初、腰に吊るそうとしていたが、周りには帯剣している人間など衛兵や騎士のような人間しかいないと気がついたためだ。法的には抜剣しなければ問題ないのだが、そんな事は知らないので空気を読んで袋にしまったのだ。そのくらいこの男にもできた。なにせ、ついこの間まで空気を読んで自分の本音を押し殺していたのだから。

 準備を終えて外へ出ると空は青紫色をしていた。その下に広がる人並みを掻い潜り目的の場所へ向かっていく。その顔は、やはり楽しそうであった。






 その日、街のゴロツキどもを取りまとめる組織、赤マムシの構成員ジークフリートは、いつものように割り振られた仕事をこなすため職場へ向かっていた。体が資本な仕事であるため肉体はそれなりに引き締まっているが、四十をすぎた男が紙巻の煙草を咥えてだらしなく歩く姿は、完全にロクデナシであった。

 彼の仕事はカジノの警備担当だ。有り金を全部すってイカサマだなんだとごねるお客様を裏にお連れして丁重に持てなすのが主な業務内容だが、そこそこに信用を得ているので売上を上の人間のもとまで運んだり、極々稀に訪れる同業他社の人間に真摯な対応でお帰り願ったりすることもある。といっても基本は平和であった。ミランドの街は王都から近いので、大きな騒ぎを起こすとたちまち官憲の手が入りお縄にされてしまう。それを弁えておとなしくしているので、この街のグレーな組織は黙認されている。この赤マムシもそんなカワイイ組織の一つだ。


 職場に着いたジークは着替えることもなく、同僚に軽い挨拶だけ済ませるといつもの配置についた。このカジノは平民を主な客にしているのでドレスコードなどはない。バーカウンターは設置されているが勿論有料である。


(今日もこいつらは熱心に負けてやがんなぁ~。ご苦労なこった)


 ホールの中を壁端から見渡しながらジークはそんな感想を浮かべていた。するとまた一人、出入口とホールを繋ぐ階段――入口は地上にあるがホールは地下に造られている――から新たなカモが降りてくるのに気がついた。


(はぁ!? 仮面だと? なんであんな怪しい人間が入ってくんだよ。入口の警備は何してんだ! )



 だが降りてきたのは到底客だとは思えない格好をした人間だった。薄汚れた、フード付きのマントだけでも怪しいというのに、さらに仮面まで付けているのだ。これが不審者でなくてなんであろうか。哀れなカモが訪れたのだと思っていたジークはそのあまりの怪しさに取り押さえる事よりも、外に配置されている人間の怠慢を脳内で罵倒することを優先した。半ば下っ端の管理を任されていた立場の彼は後できつく言っておかねば、と思ったのだ。自分が行かなくてももっと近くにいる誰かが対処するだろう、とも考えていたが。そして思惑通り、出入口近くに配置されていた同僚が仮面の男へ駆けつけていく。その同僚は威嚇のために元から悪い人相をさらに歪めて、不審者を怒鳴りつけた。


「てめえ! ふざけた格好しやがって何の用だ! あぁ!?」


 大声を響かせたせいでホール中の客達もそのやり取りに注目しだし、場内は静かな喧騒に包まれだす。

 そんな中返された言葉は、すぐ傍にいる人間にしか聞こえない程小さく、緊張感を欠片も含まず、なんとも状況にふさわしくない声音だった。


「なあ、脳と心臓どっちが良い」

「あ? てめぇ頭おかしいのか? 外に引きずり出してやる!」


 質問を意味のわからない質問で返された男は、とにかくまずは目の前の不審者を取り押さえようと決めて殴るために拳を振りかぶる。

 だが、その拳を突き出すことはできなかった。それよりも先に彼の意識が絶たれる。もっとも、絶たれたのは意識だけではなかったが。


「うぐっ!? 」

「俺はこっちの方が好きだ。見栄えが良い」


 その様子を見ていたジークに一連の会話は聞こえていなかったが、突然眼窩と鼻腔から血を流して同僚が倒れたことで事態の異常を悟る。そして同時に、触れもせずにそれを起こした目の前の男は魔法使いだと。躊躇いなく人を殺せる人間なのだと。そこまで理解してしまう。

 そしてざわざわとしながら横目で様子を伺っていた客達は、何が起きたのか理解できずただ息を飲んで静観している。

 それは警備の人間も似たようなもので、不審者の制圧にも向かわず呆気にとられた顔で棒立ちしていた。彼らは、不審者が場内から何かを探すように見回し初めて、ようやくと我に返り動き出す。


「てめぇ! 何しやがった!」

「お前らあの野郎やっちまうぞ!」

「裏の奴らぁ呼んで来い!」


 やっと硬直から解かれた彼らは、仲間がやられた怒りを怒号に変えて不審者へ詰めかけていく。待機していた者を合わせてその数八人。ジークはその数に含まれていない。不審者が魔法師だと気がついた彼は呆然としていた。ジークは以前若かりし頃、傭兵稼業を営んでいた時期があった。その中で、戦場で魔法が飛び交うのを何度も目にしていたが、彼の記憶に最も深く刻まれているのはそういった遠距離を攻撃する魔法ではない。一度だけ目撃した魔法師の近接戦闘こそが、彼に強く魔法師の恐ろしさを植え付けている。

 それは国境沿いの小規模な戦だった。その魔法師は最終的に討ち取られたはした。だが、それまでに五十人以上の犠牲を強いられた。敗走する部隊の殿としてただ一人残った人間にだ。まずその魔法師は追走するジークたち傭兵の部隊に単身で突撃を仕掛けると、その周囲の人間が突然倒れた。魔法師が近づくとそれだけで傭兵達が次々に倒れていく。

 普段彼が目にしていた魔法は、矢よりも威力はあったがそれほど連続で飛んでくる訳でもなく、降ってきたとしても殆どが火球や大岩などで、場合によっては防ぐこともできたため、それらは決して致命的なものではなかった。一般的に魔法と聞いて誰しもが思い浮かべるものはそういったものだ。勿論、それらも多大な脅威である。しかし魔法の真の恐ろしさはそれ(、、)ではないのだと、ジークはその時に思った。ただ近づくだけで人が死んでいく。それ(、、)こそがジークには何より恐ろしく思えた。


 不審者を三人の男が囲み、手にした長剣で斬りかかる。その動きはバラバラで洗練されているとは言い難い。しかし一対三。たとえ連携が取れていない攻撃であっても常人であればそれで終い。それが数の力。

 だがその不審者は常人ではない。

 三人の男は、魔法発現圏内――個人差はあるが仮面男の範囲は一メートル半程度――に踏み込んだ者から倒れ伏し、血を流す。それを見てようやく残りの五人と客達は不審者が只者ではないと気がついた。場内に悲鳴が響き渡る。


「まっ、魔法使い!」

「なんで!」

「ふざけんな! やってられるか!」

「俺は関係ねぇ! ただの客だ!」

「うわああぁぁ!」

「どけぇ!」


 ジークと仮面の男を除いた全ての人間が、出入口目指して我先にと押し寄せていく。だがそれは虎口に自ら飛び込む行為に等しかった。何故なら外へ逃げ出すには、その虎の傍を抜けなければいけないのだから。

 出入口へと至るための階段の下で、仮面の男は逃げ出そうとする者を待ち受ける。そして範囲内に入った者達を次々と処理していく。


「駄目だ……近づいたらやられる」

「やめてくれ、俺は何もしてない……」

「ひぃ!」


 たった一つの出入口にたどり着けないと知った者達が立ち止まり、自分のもとへ押し寄せる人の流れが止まると、仮面の男は自らが動いて獲物達へ近づいていった。

 決して逃さないようジワジワと距離を詰める。まるで羊の群れを追い詰める狼のように、恐怖に耐え切れなくなって群れを飛び出した者から狩っていく。そうして少しづつ数を減らしながら人の群れは後退していき、壁際へと追い詰められ、全員が仕留められた。場内に転がる死体は五十を超え、あたりに薄らと鉄の香りが漂う。


 最後に残ったジークはそれをずっと見ていた。逃げ出すこともできずに。

 そのジークのもとまで仮面の男は歩み寄ると、道を尋ねるような気軽さで話しかけた。


「売上はどこに置いてあるか知ってるか?」


 すぐさま殺されなかった事に僅かな安堵を覚えつつ、恐怖で硬くなった口をなんとか動かしてジークは肯定の言葉を答えた。


「じゃあ案内しろ」

「あぁ、分かった。あっちだ」


 言われた通りに仮面の男を金庫まで案内しながら、ジークは頭の中で必死に生きる道を探す。見かけは何とか取り繕っていたが内心は穏やかでなかった。


(やばいやばいやばい! 用済みになったら絶対やられる! なにか手を考えねぇと!)


 だが録に良い手が浮かぶこともなく金庫の場所へと着いてしまう。


「開けられるか?」


 ジークは上納金を運ぶ仕事も任されていたので、金庫の鍵と解除番号も知っている。そこで、咄嗟に金庫を開ける代わりに助命を願うことを思いついた。


「ああ、すぐ開ける。その代わり俺を見逃してくれ」


 その言葉に仮面の男は考えこむ素振りを見せる。しかし表情は伺えないため、ジークは冷や汗をかきながらその様子を見守った。


「駄目だな。それじゃ釣り合わない」


 たとえ嘘であっても一先ずは肯定されると思っていたジークは呆気にとられた。


(冗談だろ? 意味分かんねえよ!)


「ほら、さっさと開けろ」


 男はジークを急かす。だがどうせ助からないなら、と腹を括ったジークは反論する。


「待て待て待て! そう言われて開けるわけねぇだろ! それよりも、どうしたら見逃してくれるんだよ!」


 そこまで言ったところでジークの脳裏で閃きが起こる。


(待てよ? こいつは金が欲しんだよな? だから危険を犯してまでこんな事をしやがったんだよな? じゃあもっと稼げるとこを教えてやればいいんじゃねぇか? そうだよ! 情報を売れば助かるかもしれねえ)


 ジークの言う危険とは罪に問われる可能性のことだ。魔力持ちはその殆どが執行局に登録されている為、いくら魔法師といえど犯人を特定されて捕縛されることもありえる。物的証拠がなくとも限りなく黒であればいいのだ。

 通常は、市井の人間を一人二人殺害したところでその有用性――魔力持ちは大体が貴族や軍人である――から、簡単に罪に問われることもないが今回は規模が違う。間違いなく捜査される筈だとジークは思っている――実際には仮面の男は登録されていないのでまず特定されることはないのだが――。さらにこの件で看板に泥を塗られたことになる赤マムシは当然、街の役人に賄賂を送っており、そこを経由して情報を手に入れるはずだ。結果として仮面の男は赤マムシと官憲、二つの組織から追われることとなる――あくまでもジークの予想であり、目撃者は今のところジークだけな上、戸籍すらないので容疑者にも上がらず現行犯として以外捕まることはない――。


「いや、分かった。開ける。他にも情報をやる。それでなんとか頼む」


「情報?」


「ああ、お前金が欲しんだろ? ここみたいな場所をおし」


「そんなものはいらん。が、そうだな。このカジノを仕切ってる組織の情報なら聞こう。トップの居場所とかな」


 そんなものはジークも知らない。赤マムシはグレーな組織だ。いくら本格的なそれと比べておとなしい方であるとはいえ、ジーク程度の人間が本拠地など知っているわけがない。


「いくらなんでもそれは無茶だ。でも待ってくれ。それに繋がる情報なら知ってる。俺が上納金を持っていく屋敷がある。そこの奴らなら多分ボスの居場所を知ってるはずだ」


 この言葉の半分はデタラメだった。屋敷が赤マムシと関連しているのは間違いないが、そこの者がボスの居場所まで知ってるかなどジークには分からない。見逃してほしい一心で言ったに過ぎない言葉だ。これで助かる可能性は薄いと思ってはいても、それ以上の案は浮かばなかった。


(これで駄目ならもう終わりだ。好きにしてくれ……)


 またも仮面の男は考え込む。それは先程よりもずっと長く、その時間がジークの不安を煽りたてた。

 ふい、と表情のない仮面がジークに向けられる。


「分かった。それでいい」

「へ? 本当か?」


 自分で言い出したことながら期待していなかったジークは、意外な答えが返ってきたことで拍子抜けしてしまった。


「但し、条件を付け加える」


 それから語られた交換条件にジークは顔を青くしたが、詳しく聞くにつれ悪い話でもないように思え、最後には仮面の男が言う条件に従うことを決めた。


(このままじゃどうせやられるんだ。それに、この男がうまくやれば俺も良い目を見られるかもしれねぇ。そうだ、これはチャンスでもあるんだ。しょうもねぇチンピラやってるよりゃ夢がある話じゃねぇか。どうせ死ぬならでかい方に張ってやらぁ!)


「分かった。あん……いや、旦那に従う。別にあいつらに恩があるわけでもねぇ。ここで旦那に殺されるより、旦那についていった方がずっとマシだ」


 


 金品を回収しだいすぐにその屋敷に向かうことになり、その回収を命じられたジークはせかせかと作業に勤しんでいた。それを指示した人間は外した仮面を乗せている机に腰掛けて、そこらから適当に拝借した煙草をふかしている。


「これで顔を見られた訳だが、逃げるなよ? 追うのが面倒だ」

「そんな恐ろしいことしませんて」


 金庫の紙幣を袋に詰めながら苦笑する。そのついでにと、ジークはある疑問を、男にぶつけた。勿論、自分だけ働かせられてることの不満ではない。


「そういえば旦那の名前、まだ聞いてないんだが。俺はジークだ」

「ん? 名前? そういえばそうだな」


 そう聞かれて、男は少しだけ思案した。生まれた時から使っていた名前を名乗ろうと思えなかったのだ。その名前は彼にとって不自由の象徴、そんなものは二度と名乗りたくはなかったし、今の自分には似合わないと、そう思った彼は以前までの名前を捨てることにした。


(まあ深く考えることもないか。シンプルにいこう)


「ヴァイスでいい。性はビラン、とでもしておこう」


 かつての名前に対して若干の皮肉も込めてそう名乗った。


「しておこうって。……まあいいや。ヴァイスの旦那これで終わりですぜ」

「じゃあ行くか」


 ヴァイスは作業の終わりを告げられて立ち上がり、短くなった吸殻を床に落として、それを踏みつけようとしたがやめる。消す必要はないと気がついたからだ。


「ちょっと待ってろ」


 そう言って二枚の金属板を取り出した。それは《火を作る》と《風を操る》と描かれた魔法陣。発動させる魔法は可燃性の気体を一箇所に集めて燃やす魔法だ。

 魔力が消費され魔法の発現待ちになったことを確認してから、ヴァイスはジークを伴って外へと出た。


 すっかり暗くなった街を二人は歩く。辺りの人影はまばらだ。


「旦那、最後のは何してたんで?」

「すぐわかる」


 そう返されたジークが怪訝な表情を浮かべた時、カジノのがある辺りから轟音が起きる。


「な!? 爆発!? これ旦那が?」


 立ち上った黒い煙に目を奪われながら驚きをもらす。

 その言葉にヴァイスは薄い笑顔を見せることで答えた。


「手向けだよ。死者への、五月義人という死者へのな」

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