移動
柔らかい日差しの中、地平線まで伸びている石畳の街道を、かっぽかっぽと進んでいく二頭に引かれた荷馬車の中で気の抜けた声を響かせて欠伸をする男がいる。男は、艶のない髪で僅かに目元を隠し、背丈は一八〇には届かない程度、体付きは細身ではないが決して鍛え上げられたとは言えず、顔付きがこの国で見かけない様相である以外は印象に残らなそうな男であった。
その男のだらしなさに従者台に腰掛けた若い男が苦笑いを浮かべるが、それを向けられた当人はまったく気にしていない。相場以上に運賃を払っているのでこれくらいは問題ないと思っているのだ。若い男、マルクスもそれを分かっているので、やる気を削がれる行為を咎められないでいるのだった。彼が気弱な性格であるのも一因であったが。
しかしそんな彼に救いの手が――この場合は口であったが――差し伸べられる。
「ヨシトよ。マルクス殿の気勢を削ぐ行いは控えるべきだ」
それは芯の強そうな女性の声だった。
男を咎めたのは、質の良さそうな素材で織られた白いチェニックと、丈夫そうな黒いパンツを身につけた妙齢の女性だ。彼女は幌が貼られた荷車の後部に、足を外に出した形で腰掛けており、同じ姿勢で隣に腰掛けている男に対してそう言った。
しかし義人はまともに取り合わず、適当にあしらう。
「迷惑料込みで払ってる」
義人からすれば同じ馬車に乗り合わせているとはいえ、所詮は部外者の彼女に言われる筋合いではなかった。
そしてそうされると結局、義人と同じように、王都に商品を納入した帰りのマルクスに相場の料金を払って乗せてもらっただけの彼女に強く言えるはずもなく、溜息をつくしかない。王都を出て今日で二日目であるが、先程のやり取りは昨日から何度も繰り返しているのだ。その溜息も段々と深くなっていた。
馬を除けば、彼らは三人で短い旅をしていた。三日で終わる短い旅だ。
以前、民家に無断で侵入した義人は一夜の宿と、当面の路銀や金目の物に衣類やそれらを詰める荷袋などを手に入れた。換金できそうな店を探して金目の物を売り払うと、とりあえずの武器として鍛冶屋にて中古で売られていた小振りな両刃の剣を購入した義人は、次に街から出る方法を探した。
王都の外周は高さ十メートルの防壁で囲まれていて、四方にある門からしか出入りする頃はできない。この、一辺十五キロメートルもの長さで王都を守護する壁は三百年以上をかけて建造されたものだ。
その壁を突破するにあたって当然、義人も城壁に取り付けられた門から外にでなければならないのだが、自分に追っ手がかかっている万が一の可能性を考慮して単身で門を通ることは避けたのだった。
その結果、単純に移動手段という意味もあってマルクスの馬車に乗り込んだのだった。初め、交渉の際はマルクスも突然乗せてくれと行ってきた義人を訝しんでいたが運賃の相場を聞いて、その倍を払うと言えばその態度も軟化した。しかし、それでもやはり独りきりの旅に馬の骨を連れて行くのは躊躇われるのか、なかなか首を縦に振らず、義人がこれはもうもう諦めるかと思ったとき、二人の話に横入りしてきた女性がいた。その女性が、自分も乗せて欲しいマルクスに告げるとマルクスは、それなら知らない男と二人きりではなくなるので安心か、と思い義人と女性の同乗を許可した。
それからは義人の思惑通り何の疑いをもたれることなく悠々と門を突破し、近場にある中規模――シルク国での中規模であって、他国では大規模と言って差し支えない――の街へと向かっているのだった。
「私は構いませんよ、サラさん。退屈なのは平和である証ですし」
マルクスは従者台から顔だけを後ろに向けて、義人を咎めた女性に言った。その顔は頼りない笑みを浮かべている。
サラと呼ばれた女性は内心、情けない男だなと思いながらも空気を読んで話を合わせる。貴族として育った彼女にとってそれくらい朝飯前な処世術だった。
「左様ですな。このあたりは治安が非常によい。これも貴族様のおかげでしょう」
これは彼女が遠まわしに自分を褒めているのではない。自分は貴族だということを隠そうとしているのだ。そのため、自分は平民階級であると強調して伝えようとしている。
しかし悲しいかな。彼女のそれはあまりにもあざとすぎて、逆に疑問を持たせるほどだった。それにマルクスは彼女が貴い身分だと最初から察しはついていた。彼女の同乗を認めたのも、義人が何かを企んでいたとしても貴族が一緒にいれば諦めておとなしくするだろう、という打算があったからだ。マルクスは馬を任せる従者を雇えない程度だが腐っても商人である。サラの身なりや言葉遣いなどで察したのだ。というかサラは、はたから見ていて本当に隠す気があるのだろうか、と首を傾げたくなるほど分かりやすかった。
今着ているものも見た目は落ち着いているが、質が大変良いのだ。少し頭が回るものなら気付いて当然だ。しかしマルクスは内心、世間知らずなお嬢様なんだろうな、と思いながらも空気を読んで気がついていなフリをして話を合わせる。これも処世術だった。
「そうですね。おかげで盗賊などの心配もなく独りでもこうして行商ができます。ありがたいことです」
それから二人は雑談を続けるが、サラはあまりにも平民に相応しくない内容の話しをしたりするので、マルクスは気がついてないフリをするのに苦労した。
しばらくするとマルクスが、そろそろですねと前置きしてから口を開く。
「この先に小さな町があります。今日はそこで宿を取ります。サラさんはどうされますか?」
勿論宿に泊まるに決まっているが、マルクスにもそれは分かっている。ただの定例文だ。
「了承した。私も宿をとろう。できれば同じ宿がよろしかろうな」
そう返したサラは隣でさっきから黙りっぱなしの義人に顔を向ける。
「ヨシトもそうすると良いぞ。明日、出発前に呼びやすいからな」
「そうだな。分かった」
返ってきた返事は酷く愛想のないものだったが、サラは気にしていない様子だった。
そして王都を旅立って二日目の正午、義人たちはミランドという街に辿りついた。この街にも防壁はあったが流石に王都程の規模ではなく、街の中心部を囲っているだけだった 街道から街に入る際も門のようなものはなく、傍に衛兵の詰所が建てられておりそこで衛兵たちは立っているだけの簡単なお仕事をしているだけだった。
「平穏な旅でした。それでは私はこれで。貴方々にラトゥール様のご加護を」
街に入ってすぐに、マルクスはありきたりな別れの言葉を告げて去っていった。サラは似たような定例句で、義人は最低限の言葉でそれぞれ返した。
「では私も失礼する。縁があればまた」
サラもそう言って義人に別れを告げた。
「ああ」
やはり返事は無愛想であった。しかしサラはその態度に何故か気を良くして、微かな笑みを浮かべてから去っていった。
一人になった義人は早速、行動を開始する。義人は情報が欲しかった。この街の治安を。馬車に揺られているあいだどうやってそれを知るべきか計画を考えていた為、その行動は早い。
その、とりあえず酒場に行けばいんじゃね? という杜撰な計画に従って義人は酒場らしき建物を探しす。しかし見つけ出した酒場に入ると
「まだやってねえよ。日が暮れてから来い」
と酒場の主人らしき中年の男に言われてしまい
(そりゃそうだ)
と一人納得した。
義人はとりああえず宿を探して部屋を取ることにした。今度は宿屋を探す。
キョロキョロとしながら義人が歩く街の中は、何処も石畳が敷いてあり街に整った印象を与えている。またごみや汚物なども落ちておらず衛生的にも問題ない。
これはシルク国の施政の賜物だった。人神ラトゥールの加護によって他国と比べ物にならない生産力を持つシルクは、非常に豊かな国である。故に公共事業で下流市民を、街の状態を綺麗に保つ人員として雇っているのだ。
大通りから少し外れたところに、こじんまりとしているが落ち着いた雰囲気の宿屋を見つけた義人は、これ以上探すのは面倒くさいのでここでいいか、と決めてその木造建ての建物に入っていく。
「いらっしゃい。独りかい?」
中に入るとすぐに頭に布を巻いて頭巾にしている中年の女性が声を掛けた。
「独りだ」
女性は、入ってきた若い男の返事があまりにも無愛想なので少し不気味に思ったが、商売なのでそれをおくびにも出さず対応する。
「そうかい。一泊三十シルだよ。食事は別になってる」
「二泊」
義人は特になんの意味もなく二泊分の料金を担いでいる袋から取り出して渡す。渡したのは十シル紙幣六枚だ。この紙幣はシルク国内でしか流通していない。
案内された部屋は寝台と机しかない簡素な部屋だったが、置かれている寝台は質が良く掃除も行き届いていて、値段の割に上等な宿であった。義人にとってそんな事はどうでも良いため、それに気が付きもしなかったが。
部屋に入った義人は、鍵が閉まったのをしっかりと確認してから日が暮れるまでそこで休んだ。
「ん? おめえ昼間の小僧か。昼間からうちにくるたぁ、気に入った! 一杯奢ってやる!」
一度追い返された酒場に日が暮れてから訪れると、義人は入って早々主人に絡まれていた。
奢りで出てきたのは木のコップに入った小麦色の酒だ。義人はそれをウイスキーの類であるとあたりをつけた。口に含んでみるとその予想通り、それに似た味がした。味を確認して、それから一息に飲み干す。
「若いのにイケルじゃねえか。次はなに飲む」
義人は空になったコップを台に置いてから紙幣を取り出すと、不自然でない程度の大声で自分の希望を伝える。取り出したのは百シル紙幣十枚だ。
「これで買える一番高い酒をくれ」
「おめえさん羽振りがいいな。待ってな、とっておきを持ってきてやるよ!」
台に置かれた紙幣を受け取ると主人はスキップでもしそうな態度で、酒を取りに店の裏に下がっていった。店内の喧嘩で割られたりされないように、高い商品は表に出していないのだろう。義人が渡した金額は場末の酒場で一晩に使う額としては大金だ。それに見合う酒をおしゃかにされては、たまったものではないだろう。
それから二時間ばかり、義人は高い酒ばかりを楽しんで周囲にアピールしていた。自分はカモであると。
十分に酒を楽しんだ義人は酒場をあとにすると、フラフラとしながら人気のない方向へ向かっていく。
まるで泥酔者だが義人は程よい程度にしか酔っていない。しかし随分と飲んでおり傍からみれば、胸に手を当てて幽鬼のごとく彷徨う様は間違いなく泥酔しているとしか思われないだろう。たとえそう見せることが目的であっても。
「おい兄ちゃん、大丈夫かぁ? 俺達が荷物持ってやろうか?」
「財布だけな!」
細い裏路地に入ってから通行人の姿も見えなくなってきたあたりで、義人の背後からそんな声が掛けられる。
義人が反応してゆっくり振り返るとそこには三人の男がいた。顔が上気しているので、彼らも酒を飲んでいるのだろう。というか義人はさっきの酒場で彼が飲んでいたのを見かけていた。
「ってな訳で財布だけ置いていきな」
男たちは義人を囲みながら距離を詰めていく。
「あ? なに笑ってやがる。気色悪りぃ奴だな!」
義人がこの状況で笑みを浮かべていることに気がついた一人の男が、そう言って殴りかかった。
その時、その笑みはより深くなる。義人は胸に当てた手の中に隠していた金属板に魔力を流した。
発動させた魔法は《動かす》というだけの初歩的な魔法。どんな魔法教本にも載っている秘匿さえされない基本的な魔法だ。故に、規模にもよるが魔法の習熟に浅い――馬車での移動中に訓練してはいたが――義人でも迅速に発現させることができた。そしてこの魔法は魔力を持たない者に対してのみ、掛けた労力に見合わない効果を生み出す非常に効率の良い攻撃手段であった。
魔力を持つ者は己の周囲、ごく狭い範囲を魔力的な支配下においている。その為、その範囲内を対象に他者が魔法を発現させることはできない。但し、本人に許可する意志があれば可能である。これは魔法での治癒の際に重要なことだ。意識的に受け入れねばならないので、気絶などしていると怪我は癒せないのだ。何事にも例外はあるが。
義人が発現させた現象によって殴りかかった男は、その勢いのまま倒れ込んだ。目と鼻から血を流したその有様は残りの二人にある事実を悟らせる。
「ひぃや! ま、魔法使い!」
「あ、あああ……」
魔力による無意識防御ができない者にとって、魔法師は天敵と言ってもいい。魔法師同士のそれとは違い、魔法師がそうでない者を害する時、それに必要な労力はほんの僅か。ただ心臓なり脳なりに圧力を加えるよう念じるだけでいい。以前に王都で襲われた際にも、幸平の加護が発現する直前に使った魔法もこれだ。数の暴威が振るえれば別であろうが二人ぼっちではその絶対的な差を埋めることはできない。魔力消費は勿論あるが一般的な魔法師でもこの魔法を百回前後、使用可能なのだから。義人も、ただ向かってきた男の心臓を潰すよう念じただけだ。魔力も有り余っている。
余談だが、義人はこの魔法を知ったのではなく思いついていたが、この魔法は誰でも思いつくようなものに過ぎない。故に、魔法師が情報を秘匿する傾向の強い存在であっても、どの魔法師もこれと似たような魔法を使用するのでその存在は畏怖を込めて語られているのだ。
細かい理屈は把握していないが、魔法使いはヤバイ、という程度は男たちも知っている。なので、恐怖で身を竦ませ、腰を抜かしているのも仕方のないことだった。
自然な足取りで座り込んでしまった男たちへ近づいた義人は、男の顔を踏みつける。
そして、返ってきた小気味の良い感触と鈍い悲鳴を味わいながら、震えてそれを見ているもう一方に尋ねた。
「聞きたい事があるんだが、今時間大丈夫か?」
男は機嫌を損ねまいと、必死で首を縦に振る。
「それは良かった。この街でアコギな商売してる奴とかいないか? お前らみたいなゴロツキの頭みたいな奴でもいい。知ってたら教えてくれ」
問われた男は何故そんなことを聞くのかも考せず、脳裡に浮かんだ人間の情報を伝える。それはこの街で、ショバ代をせしめたり賭場を取り仕切ったりなどしている組織を纏めている男のことだ。ベラベラと饒舌に話しだした男もそこに末端として所属していたが、恐怖に染まった彼は咄嗟にそれしか浮かばなかったのだ。後から冷静に考えればそれが迂闊だったと気がつけただろう。後があればの話であるが。
生憎と纏め役の住処までは知らなかったようだが、義人は時折質問を投げながらできる限りの情報を聞き出した。勿論その間、足蹴にしている男を踏みつけるのは忘れずにやっていた。
「分かった。もういいぞ」
心待ちにしていた言葉を告げられた男は、それはもう嬉しそうな顔をする。命が助かったと思ったからだ。
「もう喋らなくていい」
義人がそう伝えると同時に、男は涙を流した。
知りたかった情報を得て、思いがけず楽しいものが見れた義人は満足してその場から去っていく。
残された死体の一つは一縷の希望を、掴んだと思った途端に横から奪われたような、そんな絶望の表情だった。




