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初戦

 葉月へ振り下ろされる木材を止める為、幸平は仮面の男、義人に体当たりを仕掛ける。だが義人にとってその行動は完全に想定内である。当然それに反応した。その時、幸平が見ることはできないかったが、仮面の下には不敵で野卑な笑みが隠れていた。


 振り下ろされる木材は義人の思惑通りな軌道を描いて、幸平の頭部へと叩き込まれた。

 頭部への強い衝撃でたたらを踏んだ隙に、顔の側面へ右手の木材を横薙ぎに振るう。幸平は眩暈を起こしながらも体勢を崩して何とか躱すが、追従して放たれた回し蹴りを浴びる。そこから義人は足を掬い上げつつ顔面を掴み、体重を載せて頭を床に叩き付けた。


 義人は押し倒した幸平に馬乗りになると、両手を首へと伸ばす。親指を血管と思われる個所に当てて全力で締め上げた。義人にはどの程度絞めれば良いのかな加減など分からない。だから渾身の力を込める。しかしそのせいで注意が疎かになっていた。もしそうでなかったとしても避ける事は出来なかったであろうから、一概に義人が不注意だったとも言えないが、とにかく不意を撃たれた形で攻撃を受けた。

 予兆を感じる暇などなしに側面から義人は空気の塊をぶつけられ、強制的に中断させられる。しかし先程までよりずいぶんと威力が抑えられており、吹き飛ぶことはなかった。せいぜいが肩を軽く殴られた程度の衝撃を感じただけだ。


 義人は何をされたのかすぐさま推測を立てると、原因がいるであろう方向を一瞥する。その先には立ち上がる事も出来ないまま、それでもしてやられた借りを返そうと痛みを堪えながらも義人に向けて残った右手を翳している石田がいた。着用していた寝間着の上衣は半ば燃えてしまっており、その下にある柔肌も多少爛れていた。


 石田は集中を欠いているせいで質量が少なく速度も出ていない弾を、不意打ちで仕留めきれなかった今これ以上打ち続けても、己を視認されていては効果が薄い事を分かっていた。さっきのですら必死に集中して放った一撃なのだ。次はもっと小さく遅い風弾しか撃てない筈だ。しかし、頭に血が上っているのか同級生の危機を救うためか、随分と衰えた不可視の弾丸を放ち続ける。


「やってくれた……ね」


 幾ら速度がなく小さな弾であったとしても目には見えないのだ。回避するのは容易いことではない。無論、義人にその視認できない弾を躱す事など出来ない。腕の向きから射出方向を判断して回避を試みるものの、連射されているのも手伝い十発二十発と受けてしまう。だがそれだけ当て続けても体勢を崩す程の威力はなく、ゴムボールをぶつけられる程度にしか感じられない。ならばと義人は回避を諦め、腕を顔の前に置いて頭部を守り、前傾姿勢で腹部を隠して、風弾に押されながらも石田のもとへ足を踏みだした。


 もはや意地だけで攻撃を続けている石田は近づかせまいと必死になるが、建物の残骸が散らばる床を義人が踏み締める度に恐れを増していく。今度は殺されると石田は思った。しかし目の前の脅威は一向に止まらず、着実と迫ってくる。そんな現実を直視できなくなり、攻撃こそやめないものの、とうとう迫りくる恐怖から目を逸らし、床を見詰めた。次に顔を上げる時にはそれが消えていて欲しいと、普段は論理的に物事を考える性質の彼女にしては珍しい事に、願いを込めて祈りながら。

 当然何の理由もなく、そんな儚い祈りが叶う訳もない。


「ひぅ! く、来るな……」


 義人は石田までたどり着くと、止まることなくそのまま踏み込んだ運動エネルギーを左足に載せて腹部を蹴り上げた。石田は苦悶の声を漏らし、体を浮かせる。蹴撃によって呼吸を乱され、苦しさで丸くなる。そこに追撃する為の足が、振りかぶられた。


 それを見た石田は怯えた声をあげて反射的に腕を振って風を放とうとする。義人も身構えたが、もはやそよ風すらも起きる事はなく、仮面に隠された笑みを深くした。

 

「あ、あ、そ、」


 自分が本当に無力になってしまった事実に絶望が押し寄せ、石田の目は涙を零し、口からは何の意味も持たない音が零れた。

 怯えた表情で石田は義人を見上げて、絶望が染み込んだ涙声でか細く懇願する。


「や、やめて……」


 だがここで止める人間なら最初からこんな事をする筈がない。当然、義人はやめない。躊躇すらしない。仮面の裏で口角を吊り上げると、涙が溢れる瞳自分を上目遣いに見やっている女へと、その顔面へと蹴りを放った。

 石田の頭が跳ね上がりそのまま仰向けに倒れる。


「おねが……ゆる、ひぎぃ!」


 石田の脇腹、熱で焼かれ裂かれた傷に義人の足が乗せられたせいで悲鳴を上げる。


(早くここを離れなきゃいかんのは分かってんだが、今の状況だとリスクと感情で、天秤は感情に傾くな。なら多少は良いか。俺は死体蹴りする派だしな)


 義人の考えるリスクとは、さらなる妨害が現れる事であり、感情とは自分の好みや欲求をどこまで叶えるか、である。その二つを考慮して出した結果は、僅かな時間だけなら自分の欲求に従ってリスクを無視しても構わないという、見ようによっては非常に浅はかな答えだった。しかし本人は自分は決して欲に目が眩んだ訳ではなく、危険と利益を冷静に計っての行動であり、仮に今すぐ新手が現れて戦闘が始まったとしてもそれはそれで、戦えるという利益を得られるのだからあまり問題はない筈だ。と思っていた。それが正しい言い分なのか只の言い訳なのか彼は自分でも解ってはいない。

 どちらなんだろうなと疑問が頭をよぎるが、途端にそんな事はどうでも良いか、と通りすがせた。

 そんな事を考えながらも、義人は乗せた足に体重をかけていた。


「ひぐぅ! やめ、やめ、で、ごろざない、で」


 石田は痛みと恐怖と涙で血で顔を悲惨にし、上げる呻きは擦れてもはや聞き取れる者はいないだろう。

 義人は何度も何度も傷口を甚振る。蹴る。踏む。擦る。押す。爪先で。踵で。

 焼けることで意図せずに免れていたが傷口が耐え切れず、熱傷部が崩れて血が染み出す。許容しきれない痛みに、このままでは精神に異常をきたすと判断した石田の体はあっさりと意識との接続を断った。


 ほんの五メートル程離れた位置から幸平は朦朧とする意識でそれを見ていた。止めなければと思って体を動かそうとするが、先程から体は脳からの命令を無視し続けている。意識を保つだけで精一杯だった。 しかし石田が気絶させられたさまを目にした時、幸平の中のどこかから湧いてきたものがあった。それは全身を巡り、幸平に力を与える。


「やめろ……その足をどけろ!」


 しかし義人は、先までの幸平の体と同じく、全く言う事を聞いていない。聞こえていない訳ではないのだが、意識までは届いていなかった。

 無視された幸平は怒りを募らせて、必死に意識を繋ぎ止めながら立ち上がって、再度通告する。無視することは絶対に許さないとの意志を込めて。


「やめろ、それ以上は、許さないぞ」


 その声音は怒鳴るものではなくむしろ、つい聞き逃してしまいそうな小さな声だ。しかし強い意志が込められたその声は確かに義人の意識まで響く。

(なんでやめろと言われただけでやめねばいかんのだ。俺を止めたいのならそれなりの条件を出すか、物理的に止めに来いよ)

 だがまたも義人は無視した。今度は意図して。しかしすぐに意識させられる。意識せざるを得ない音がしたからだ。


 パチリ、と空気が弾ける。背後で鳴ったその音を聞いた瞬間、義人は自分の失敗を悟った。背筋に嫌な予感が駆け抜ける。一度だけ加護の能力を使った後、宿舎に戻ってからあの時の再現を試みたのだが、極小さな静電気程度のものしか発現できなかった。義人はその場にいた為それを知っていた。だからタカをくくっていた。


 幸平や葉月には石田の様にはできないと。既に実戦レベルで使えてる石田が異常なのであり、優姫の場合は顔見知りが死にかけ――実際にはそうでもなかったが――ていた極限状態での火事場力の様なものであり、幸平にしても同く知り合いの危機――これも勘違い――における咄嗟の反応にすぎないと、あくまでも偶発現象にすぎないと。そのように決めつけており危険要素としては除外して考えていた。

 しかし義人はそれこそが失敗だったと、限定的な状況であっても確かに一度は能力を発動させたのだから、もっと慎重に考えて同じ状況を作り出さないよう留意すべきだったと、そして今こそがその極限状況だと、それらを唐突に理解した。

 現状を理解した義人は、刹那で石田の存在を頭から零れ落とし、背後を振り返る。


 幸平の心はいい加減グチャグチャだった。突然訳の分からない状況に晒され、化け物に襲われ、使徒なんてものに選ばれ、暴漢に襲撃され、仲間を切られ、間近で人を殺され、火事を起こされ、クラスメイトが殺されたと聞かされ、次々と降りかかる理不尽にまったく感情が追い付いてこない。であるにも関わらず今もまた目の前で圧倒的な理不尽が起きている。もうグチャグチャだった。


(あの時は何をどうすれば良いのか、なにも分からなかった)


 日常が音もなく消え去ったあの時、大半の者と同じく幸平も混乱した。それはごく自然な反応であった。そして怪物が現れた時も冷静に適切な行動を起こせなかった。それを幸平は悔いている。自分が生きているのはたまたま救いの手が差し伸べられただけであって、そうでなければ自分は死んでいたのだと。


(今日襲われた時も。さっきの火事の時も)


 火災から避難しようとして際は、葉月に落ち着かされなくとも死ぬ事はなかっただろう。しかし幸平が悔いているのは、冷静に行動できなかった点だった。自分が死んでしまうことよりも、自分が迂闊な行動を取ったせいで誰かが傷つくことをこそ恐れているから。

 幸平は襲撃された際に、そうなる可能性に思い至らずに無責任にもザックさんを助けたい等と身の程知らずなを言って、そのくせいざ気付いても代わりにやる覚悟もできなかった自分が原因で、義人に殺人を犯させてしまったと、義人の心に深い傷を付けてしまったのは自分のせいだ、と思っていた。何故なら、きっと自分だったら罪の意識に耐えられないだろうから、と。だから義人になんをしてでも償いたいと考えていたのだった。


 幸平は石田の言葉を思い出す。幸平にとって到底受け入れられるものではなかった。同級生達を殺されたなど。義人が殺されたなど。信じる訳もない。


(この世界に来てからは分からない事だらけだ。既に何度も間違えてしまってる。でも今は、一つだけ解ることがある。義人を捜さないといけない。お前をぶっ飛ばしてから!)


 幸平は周囲に電流をまき散らしながら、敵を睨み付ける。何の装飾もない、視界を確保する為の隙間が空いているだけの無表情な仮面から覗く、不気味な瞳を。


 義人は言いようのない感覚に襲われた。義人にとって幸平とは壁であった。決して越えられない、尊敬すらする、越える気など起きようはずもない大きな壁だ。当然、全ての点で劣っている訳ではないし、義人もそれは理解していた。しかし同時にそれは自分に一日の長があるだけであり、幸平がそこに専念すれば自分の優位などすぐに無くなってしまうとも考えていた。


 そのような事を言い出せばキリがなく、またそれは空論に過ぎないことも分かってはいたが、そう思わずにはいられなかった。だから幸平に勝つことはできないと受け入れていた。何かで勝ってもそれは幸平が重視していない分野だからであって、同じ労力を掛けていれば負けたのは自分であったとしか思えず、いつも勝利を喜べないでいた。

 仮にそれが思い込みではなく事実であったとしても、通常それを、努力が才能を凌駕した、才能に胡座をかいた結果、亀が兎に勝つ、などと言い、確かな勝利である筈なのだが、義人にはその考えは受け入れられなかった。揺るぎのない絶対的な勝利だけが、義人にとっての勝利の定義だった。そんなものは存在しないと思ってはいても。


 だが義人は見つけてしまった。いや、意識的にその選択肢を見つけないようにしていた事に気が付いてしまった。生物にとっての絶対的な敗北とは、他者によって齎される生命活動の停止であり、ならば他者の生命を意図的に停止させる事こそが、絶対的な勝利ではないのだろうか、と。あの日までの日常を続けていればそれに気付くことなく人生を歩み、そして終えていただろう。何故なら義人の生きていた場所でそれに気付いてしまうことは、義人にとって不利益でしかないからだ。それを為せば、非難され自由を奪われるだろう。人の身で抗う事は出来ない。それを為さないのであれば、己が強く為したいと思う事を我慢し続けることになる。だからその選択肢を見つけてしまわないように負けを受け入れ、勝ちを諦めて生きてきた。


 それがここにきて前提が覆ってしまった。だから義人は、自ら人の道を外れる。本音を隠して歩いてきた道に未練など無いのだから。


 義人と幸平は視線を交わした。幸平の眼はまぜこぜになった心の色が浮かび、行き場のなくなった感情を視線に込めて義人に叩き付けている。


 そんな視線を受けた義人は、初めてだな、と思った。幸平の本気を、それも敵意すらともなった幸平の本気を向けられるのは、初めての事だな、と。そして理解する。先程から懐かしさと合わせて湧き上がるものの正体を。

(ああ、そうか、この感情が何なのか分かった。今まで俺はお前に勝ったと思えた事は無かった。お前が本気で俺に勝とうとしなかったからだ。そんな奴を倒しても勝ったと思える訳がない。だから俺も諦めていた。だが、今のお前が相手なら、勝てるかもしれない。本気を出したお前を殺せば今度こそ、俺の勝ちだろ?)


 天井の大半がなくなってしまった建物の中でパチパチと、木材の焼ける炎に囲まれながら一足飛び出来るか出来ないかの距離で睨みあう二者の一方は、瞬く雷光を周囲に従えて、心底の敵意を相手にぶつける。もう一方は表情のない仮面で闘争の歓びを隠して、勝利が為の殺意を相手に返す。人を救おうとする者。人を害そうとする者。そのどちらをも、炎と星は対等に照らす。


 義人は考える。勝つための策を。義人の手札は三つの魔法陣だけだ。しかも一つは幸平に対して効果はない。だが残りの二つも敵に対峙した状態で発動させても、現象が発現するまでの時間、ずっと同じ位置で止まってでも居てくれなければ当たらない。魔法の発現内容や座標は、魔法陣を発動させる際に指定しなければならない。だが義人が魔法を発現させるには現時点で――規模や対象の数、発動座標への距離によって難易度は幾らでも上がるが、単純で小規模な魔法であっても――数分を要する。であれば発現するまでの間に相手に動かれれば魔法が当たる筈もない。義人の魔法習熟度は、到底実戦で使用できうる段階ではない。だから、もし幸平が石田のように魔法を射出してきた場合打つ手がないと考えていた。

 故に出した結論は、ごく簡単な策だ。


 一方幸平は、一度だけやったように自らが生み出した電撃を放って射撃する事は可能だと感じていた。なぜだかそれは確信していた。だが実際に実行するつもりはない。まともに訓練等していないのだから、万が一にも葉月や石田に当ててしまう可能性を忌避すると同時に、仮面の男が使った魔法に対して警戒したからだ。幸平に魔法に関しての知識はほとんどない。しかし魔法を発動させるにはかなりの集中が必要だと言う事は知っている。それなら集中する暇を与えてはいけないと考え、それに思い至った時、幸平は自分は冷静な判断が出来ていると安堵した。これなら今回は間違えない筈だ、と。

 冷静なつもりで、仮面の男と戦う。


結果として二人は同時に前へ飛び出す。それに対して僅差で幸平の方が早く反応し、飛び出すと同時に振りかぶっていた拳を、当初の想定よりも近い距離で突き出す。放った突きは義人の肩に当たって僅かに体勢を乱す。


 同じように突きを放とうとしていたが、反応が遅れたと悟った義人は狙われた箇所である、顔を逸らして何とか急所から外していた。それだけでなく経験から培った咄嗟の動きで自分から拳に当たりに行くことで拍子を外して、ダメージの軽減を狙うと共に反撃の隙を生み出した。互いに踏み込んで幸平は拳と腕、義人は肩を固めて体全体で衝突した。つまり殴られた衝撃を義人は体全体に分散したが、幸平は同じだけの衝撃を腕一本で受けてしまったという訳だ。


 結果として、義人は動作の途中で無理やり体を動かしたせいで体勢を乱し、幸平は予期せぬ衝撃に襲われ大きく体勢を崩した。


 生み出した隙を好機と捉え、幸平の腹へと左の拳を叩きつけると、相手の様子を確認する間も惜しんで逆の拳を顔面へと走らす。だが、義人が右の拳に手応えを感じた瞬間、幸平の右拳も義人の顔面を捉えた。幸平は腹部に打撃を受けても、なりふり構わず気合で痛みを無視して、怯むことなく反撃していたのだ。

 仮面越しの拳打であったが、無理やり持ち込んだ相打ちの形だが、幸平にはそれで十分だった。先程は突然体勢を崩されたせいで驚いてしまい、うまく集中ができなくて間に合わせられなかった攻撃を、今度こそ成功させるには。拳が相手に触れている事を確かめながら幸平は拳から電流を送り込む。


「あがあああ!」


 仮面の男は全身の筋肉を収縮させながら絶叫し、倒れ伏した。同時に幸平の周囲で踊っていた火花のような電光も収まっていく。


「ぜはぁっ!」


 戦いが終って緊張の糸が切れると、どっと疲労が押し寄せる。呼吸を整えることでそれを誤魔化して、倒れた男を一瞥だけすると、幸平は葉月――石田の存在を忘れた訳ではなく、碌に回っていない頭で反射的に葉月を優先しただけ――の安否を確かめに向かう。もしかして男を殺してしまったのではないかと、不安に思って確かめようとしたが、そんな事を確かめるよりも早く葉月と石田を治療するべきだろう、と思い直しての行動だった。

 幸平は目立った外傷こそ見られないものの、何度も頭部に衝撃を受けたために湧き上がる嘔吐感を堪えながらも、必死で鉛のような体を動かしていく。頼りなくふらつきながら葉月のもとへ向かっていると、幸平は風が吹き始めたのを感じた。風に煽られて、消えかかっていた炎の残骸が微かに勢いを取り戻す。


 それを見た幸平は倒れている葉月の傍で膝立ちになって、どうするべきかと疲れと痛みで回転の遅くなった頭で悩みだす。頭を強く打った人間を無闇に動かすのは危険だと聞き覚えがあった。しかしこのまま放置して人を呼びに行くのも不安があり、そもそも怪我人は二人いて両方運ぶこともできない。どうしようかと思考が堂々巡りを始めてしまう。

 幸平がそうしていると、葉月が俄かにくぐもった声を発して意識を取り戻した。


「んっ……」


 覚醒した途端に起き上がろうとする葉月に幸平は、立ち上がっても大丈夫なのかと戸惑いながらも慌てて手を貸そうとしたが、断られてしまう。


「大丈夫だ。それに」


 幸平の内心を読んだ、のではなく手助けがいらないという意味の言葉を告げながら軽々と立ち上がった葉月は、風に靡く髪をさっと整えながら幸平に続けて言う。


「命懸けで守ってくれた男の手を借りる訳にはいかないさ」


 そして、見ていた筈もないのに幸平の頑張りを認めるように微笑む。葉月は幸平の状態をみてその頑張りを読み取ったのだった。

 その様にこんな状況であるにも関わらず、幸平はおもわず見蕩れてしまった。


「私は不覚を取った。お前が守ってくれなければ死んでいたかもしれない。ありがとう」


 そう言って再び微笑む葉月に幸平は先程見蕩れてしまった照れから、あたふたと情けなく弁明する。


「いやそんな、でも、もともと僕のせいみたいなとこもあるし」


「その通りだ」


 そしてその弁明はあっさりと肯定されてしまう。予想外の展開に、自分が言ったことながら幸平は驚きの声を上げた。


「え?」


「え? ではない。自分で分かっている様ならまだ良いが、明らかにお前の行動は軽率だった」


 自分でも理解できている為、幸平に反論するなど不可能だった。既に反省位しているので反論する気もなかったが。なので素直に謝罪を述べた。


「そうだね……ごめん」


「まあ、そうしていなければ石田が危なかったかもしれないがな」


 そう言われた幸平は、自分が叱られているのか褒められているのかわからなくなってしまい、困惑の表情を浮かべる。しかし次の瞬間には石田の容態を思い出して再び慌てる。


「そうだよ! 石田さんは酷い怪我をしてるんだ! こんな事してる場合じゃない!」


 その石田の事を忘れてしまっていた幸平を薄情だと責めるのは酷だろう。身体的にも精神的にも疲弊し、普段から親しい人間がすぐ傍で気を失っている状態なのだ。あまり親しくもなかった人間の存在を僅かばかり忘れてしまっても、仕方ないのではなかろうか。これが石田が血まみれで、一目見て命の危険があると分かる様であれば話も違ったのであろうが、幸か不幸か石田は左手こそ――脇腹もだが、これは浅い傷ではないが幅が狭いため実に見えづらい――切断されているものの、多量の出血はしていなかった。

 

「そうだったな。石田はどこだ」


 これも、葉月が薄情な訳ではない。意識を取り戻したばかりで、そこまで気を回すことが出来る人間が果たしてどれほど居るだろうか。ましてや二人はまだ十代。むしろ取り乱さずによくやっている方だろう。

 幸平に目線で示されて石田の傍まで行った葉月は、血相を変えて幸平に告げる。


「急いで人を呼んでくる。お前はここにいてくれ」


 有無を言わせない剣幕に、幸平は咄嗟に頷きだけで返した。それを了承と取った葉月はすぐさま駆け出すが、数歩の内に立ち止まると幸平に振り返り、思い出したように問いかけた。


「そうだな。一応これだけは聞いておきべきだった。あの仮面の男は逃げ出したのだよな?」


 背筋に冷たいものが走る。問われた瞬間、幸平はそう感じた。

 記憶を探ってみると、幸平は葉月を起こしてから一度もあの男の姿を見ていないことに気がついた。男が倒れていた場所は何度か視界に入っているはずだった。なのに見ていない。それは男が何らかの手段で移動したということだ。それも、葉月が起きてから動いたのではない。そうであったなら自分か葉月のどちらかの目にとまった筈で、葉月が見かけていればこんな事聞いてくる訳がない。


 そこまで思考を巡らせた幸平は、自分の失態にも気付くと同時に幾度となく失敗を繰り返す己を叱咤した。

(またやってしまった! どうして僕はこうも失敗を繰り返すんだ! 逃がしたのならまだ良い。でもあいつはまだ近くに隠れているかもしれない)

 急に顔を凍らせた幸平に様子に、葉月も状況を理解する。


「あの男が逃げるのを見ていないんだな?」


「……あいつが倒れたところしか見てない。いつの間にかいなくなってた。ごめん僕がちゃんと確認してれば」


「反省するのは後にしろ。それより外に出よう。お前も一緒にだ。本当は動かさない方がいいんだが、今は仕方ない。お雨は無理だろうから石田は私が運ぶ。手伝え」


 幸平の懺悔を冷たくあしらうと、葉月は石田の傍でしゃがみこむ。


「背負っていくから載せてくれ」


 説明されて意図を悟った幸平は自分が運ぶ、と言いそうになったが自身の状態を鑑みて、葉月に従うことにした。失敗ばかりの自分より、葉月の言葉に従ったほうが間違えが少ない、と思ったからだ。

 石田を葉月に背負わせながら幸平は、先程よりも風が強くなっていると感じた。そのことになぜだか嫌な予感も感じる。

 石田をおぶさって立ち上がった葉月はその様子を見て怪訝そうにする。


「どうした? 早く行くぞ」


 風が一際強く吹いた。立ってられない程ではなかったが、目を開けていられない程度に吹きすさぶその強風に、幸平は根拠もなく危険を感じた。


「葉月。なんだか分からないけどこの風はおかしい。やばい。走っていこう」


 もたついていたのはお前じゃないか。

 走ると石田の体に障る。

 妙に真剣な顔をする幸平を見て、葉月はそれらの言葉を飲み込むと戸惑いながらも、短く了解の意を伝える。


「……分かった」


 そうして二人が走り出して僅かもしない内に、元いた場所から轟音が鳴り響いた。

 轟音と共に背後から押し寄せる灼熱と爆風に、二人は飲み込まれた。






 天井や扉が壊れて残骸とかした宿舎の一室から様子を伺っていた義人は、自らが起こした爆発をやり過ごすとすぐさま、宿舎から離れるべく走り出す。一階の窓から飛び出し、人目を避けて敷地内から抜け出した。そのまま身体が上げる悲鳴を無視して街中までたどり着くと、暗がりを探して細い路地裏に入る。そこで適当な物陰を見つけて座り込むと、仮面を外して二息ついた。


「あー、疲れた」


 情緒が感じられない平坦な喋り口とは裏腹に、その心情は悔しさと楽しさと嬉しさで彩られていた。義人は敗北と、幸平の甘さによって逃げ出せた事に対して屈辱を覚えた。それと同時にどうやって壁を越えるべきか、如何にして幸平に勝利しようか。それを考えるだけで悦楽を覚えた。そして幸平が自分に勝っていたこと。それに歓喜した。それでこそ超える価値があるのだと。

 しばらく息を整えながらこれからの事を考える。それからおもむろに立ち上がると静かに歩き出した。そして手頃な民家を見つけると、魔法で扉を壊して入っていく。

 その顔はやはり、楽しそうであった。

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