弱い肉と強い肉
俺はコション様の信任も厚き、第一の部下だ。今もコション様の留守にしている間、1つの町を任されているほどだ。
第13魔王の勝手な振る舞いを諌めるため、コション様が『魔王の血涙』に赴いたのが2ヶ月前。流石になんの連絡もないのはおかしいという話になり、ならばと俺が現状を調べるべく部隊を率いて例の城壁に赴いたわけだ。
だが、件の魔王のあまりに覇気の無い声には拍子抜けだ。こんな奴にコション様が手こずるわけもない。すぐにでもコション様に加勢して、この魔王の首と胴を泣き別れさせてやる。
城壁の上から見えた城は見事の一言に尽きた。いずれコション様があの城を手に入れたら、俺もあの城に登城することになるのだろう。今から楽しみだ。
門をくぐった先には、なぜか天井があった。それだけじゃない。目の前に聳える扉が、重苦しくこちらを圧迫してくる。まるで竜のあぎとを覗き込むような、致命的な危機感をこちらに感じさせるのだ。
扉にはこうあった。
『地下迷宮
弱き者は生き残れない。強き者も生き残れない。
群れる者よ、群れる強さに溺れるなかれ。その数は時として、見る者の食指を動かす。
あなたの生き残る術を探せ』
生意気な台詞だ。
そう思うのに、なぜかハルバートを握る手には汗が滲み、冷たい何かが背筋を伝った。
「臆するな!!コション様の加勢を果たし、彼の魔王を討ち取れば、我らは明日より英雄だ!!」
副官のボロスタが声を張り上げ、皆を叱咤する。
くっ………!こんな、武才しか取り柄の無い奴に、美味しい所を奪われるとは………っ!
きっとこ奴は、コション様と合流した暁には、この部隊をまるで自分が率いていたかのように喧伝するに違いない。事故に見せかけて殺してしまうか?
しかし、こ奴の武才は俺を越える。進軍に無くてはならない戦力だ。頭の出来が人並みならば、俺より重用されていたかもしれない人材なのだ。
むぅ。やはり腹が立ってきた。この迷宮とやらで腕の1本でも無くさぬものか。
そのボロスタが今、レッドキャップに殺された。
馬鹿なっ!!ボロスタがレッドキャップごときに殺されるわけがないっ!!
部隊のあちこちからは、断末魔と怒号と悲鳴が鳴り響き、次々と部隊が削られていく。
勇猛で鳴らしたアバドゥは、ただのスライムに飲み込まれた。
知力が高く、いつ何時もこ狡くうまく立ち回ってきたロデデは、策も通じぬままスモールボアに踏み潰された。
部隊で1番の弓の使い手だったサタムは、最も得意としていた鳥の魔物であるヤタガラスに屍肉を貪られている。
馬鹿な馬鹿な馬鹿な!!どれもこれも雑魚と呼ぶべき魔物だ!!
とても魔族の中でも精鋭である俺たちに傷の1つも付けることの叶わぬ、雑魚ばかりではないかっ!?
「皆まとまれぃ!!集団で相手をしろ!!」
俺の指示に、部隊がようやく集団として機能し始める。
本来なら1人でも充分に対処可能な魔物に、複数で襲いかかる。それでも少なくない犠牲が生じ、魔物は次々と増えてゆく。
「やむを得ん!後退するぞ!」
「退路がありません!」
我々が入ってきた扉は固く閉ざされ、1度中に入ってしまえば内側からは開けられなくなっていた。
「どこでも構わん!!魔物の少ない箇所を切り開き、そこを進め!!」
最早我々は、隠しようもなく窮地であった。こんな、なんの特異性も持たぬ魔物達に追い詰められ、撤退を余儀なくされるとは。この上ない屈辱である。
だが、部隊の損害が大きすぎる。このままここで抗戦を続ければ、全滅もあり得る。
「よし!あそこから………、何!?」
その時、俺の目の前であり得ない事が再び起きた。魔物が逃げ始めたのだ。
魔物は、生き物を襲う習性がある。しかも自らの命を省みたり、相手の強さをはかる知性などはないもののはずなのだ。
その魔物たちが一斉に退く。本当にあり得ない光景だった。
多くの者が、突然の事態の推移に付いて行けず、呆然と立ち尽くしていた。
だが、そんな静寂も長くは続かなかった。
「ぎゃぁぁぁあああ!!」
鋭い断末魔が、撤退をしようとしていた道の先から聞こえてきた。
我先に逃げた者があげた悲鳴だ。
俺がそこを見ればヒュドラがその数多ある鎌首を持ち上げ、こちらを見ていた。先の雑魚達の比ではない程強力な魔物である。
もしや、先程の魔物達はヒュドラを恐れてさがったのか?
しかし、魔物にそんな知性はない。
俺が考えを巡らせることが出来たのは、そこまでだった。
ヒュドラは我々に狙いを定め前進してきた。あんな雑魚ですらあれ程強力だったのだ。ヒュドラなど相手にしてはいられない。
こちらに迫ってくるヒュドラの首を、
ザンッ!
と切り落とし、すぐさま別の方向への撤退を指示すると、何人かでヒュドラを相手に防戦を始めた。
のだが、
あっさりとヒュドラは倒された。幾多の首を切り落とされピクリとも動かなくなった時、俺は本当にわけがわからなくなった。
なぜ他の魔物があれだけ強いのに、ヒュドラの強さは普通なのか?そしてなぜ、他の魔物達は撤退したのか?
混乱する必要はなかった。
ヒュドラが現れた通路の先では、多くの魔物達が殺し合いを繰り広げていたからだ。
つまり魔物達は撤退したのではない。
より多くのご馳走が現れたので、そちらへと向かっただけだったのだ。
スライムが、格上であるビッグスライムを食す。
レッドキャップが、精強なはずのマンティコアを貪る。
ヤタガラスが、襲いかかってきたロングキャタピラーを返り討ちにして食らう。
先程我々を苦しめた魔物も、そうでない魔物も、皆一様に食らい食らわれている。
そう、ご馳走だ。
我々はここではただのご馳走なのだ。数が多く、そして弱い、ご馳走。
扉の言葉を思い出す。
『弱き者は生き残れない。強き者も生き残れない。
群れる者よ、群れる強さに溺れるなかれ。その数は時として、見る者の食指を動かす』
我々は食指を動かすに足る数で群れていたのだ。だから狙われた。
この場所では強さが全てであり、強さなど何の役にも立たない。
なぜなら魔物も我々も、ただ狙われ、ただ殺され、ただ殺し、ただ食らい、ただ食らわれ、ただ狙う関係でしかない。強かろうが弱かろうが、皆一様に捕食者であり、獲物でもある。
実際、俺より強いはずの副官は既に死んだ。何十、何百と部下も死んだ。
生き残る術。それを俺は考える。
よく考えれば、本来群れで行動するレッドキャップが、単独で襲いかかってきたのもおかしい。
やはり群れれば群れるほど襲われ続けるという、それは証明なのではないだろうか。
まずは、群れないことを優先しよう。
部隊の者が呆然とその地獄絵図に見入っている内に、俺は部隊を離れた。こんな所にいつまでもとどまっていればたちまち俺も食われてしまう。
通路を曲がると、またヒュドラがいた。ヒュドラは先程も相手をしている。あの程度なら俺1人でもなんとでもできる。
俺はまだこちらに気付いていないヒュドラに襲いかかり、ハルバートを振り降ろした。
ザンッ!
と音が響き、
ヒュドラの首に浅く傷がついた。
「は?」
俺が最期に見たのは、無数の蛇の頭がこちらに迫ってくる光景だった。