無為な一日っ!?
翌日の空は、とてもではないがいいとはいえない天気だった。分厚く、灰色の雲に覆われた天井の下、薄暗い朝。
「こんな言葉がある」
夜とは違った薄闇に包まれる平原には、今、多くの魔族が集まっている。第九魔王軍、第十二魔王軍、そして第十三魔王軍の面々である。とはいえ、第十三魔王軍は中でも少数であるのだが……。
彼等が一様に見守る先にあるのは、僕等が今いる天幕だ。
「『智に働けば角が立つ。情に棹させば流される』という。つまり、四角四面に杓子定規な事ばかりいっていては堅苦しく、疎まれる。だが感情的になればなる程、論理性からかけ離れていく。また、相手の言葉に頷いてばかりいては、自分の意見からは離れていってしまう」
「……ふむ。なかなか、含蓄ある言葉であるな」
第九魔王サンジュ・アフアァ・ティグリが、もっともらしく頷いた。
あたり前だろ。これは、僕が考えたわけではなく、地球にいた天才が生み出した珠玉の一文なのだ。
ちなみにこの言葉、さらに『意地を通せば窮屈だ。兎角にこの世は住みにくい』と続くのだが、僕等魔王という生き物は、わりと我を通して好き勝手生きているので、たぶんこの二人の共感を得られないと考えて教えなかった。まぁ、魔大陸というお国柄だ。
「で、結局なにが言いたいんすか?」
第十二魔王プワソン・エルム・アッタンジーム・トゥリアが、僕の言葉を促す。
「うん、つまりはバランスが重要という事なんだ。レライエなんかは智に働き過ぎて、周りと軋轢を生んじゃうんだけど、僕だって人の事は言えない。往々にして僕等のような者には、論理的に正しいという事を笠に着て、正しいから罷り通ると思い、心情的な面を軽視する傾向がある。胸に刻んでおかなければいけない言葉だ。間違っていない事と、正しい事というのは、必ずしもイコールではないという事だな」
そこで僕は、二人の魔王を見る。
さほど大きくない円卓についた僕たちは、三角形を形作るように対面していた。そこにいる、二人の魔王。一人は猿の顔に、虎の胴体、蛇の尾という、妖怪の鵺のような姿の魔王。一人は、巻貝のような角のある、三つ目の魔王。
彼等は、僕の部下である。そして――――
「――――だからってお前等は、情に流されすぎだろ?」
「「…………」」
僕の言葉に、二人の魔王は目を逸らす。その顔からは、ダラダラと汗が垂れていた。
「感情的になって上手く回るなんて場合は、そうそうない。論理的に正しいという事は、少なくとも論理的には正しいのだ。感情的になり、冷静な判断を下せなくなっては、正しい答えを得るのは難しい。そういった理由で、僕等は智に働き過ぎてしまうわけだが……。
さて、昨日の事だ。つまりお前等は《スパイを見つけた→ムカついた→倒した》って流れでOKなんだよなぁ?」
「「…………」」
無言でそっぽを向き、肯定も否定もしない二人の魔王。
「はぁ……」
いや、昔の中国の暴君ぐらい好き勝手やってる魔王に、自分に敵対した者を生かして捕らえろってのが、無理難題だったのかねぇ……。
「敵の手がかりはナシ。士気そのものは回復したものの、不安の種は確実に植え付けられた。今後、なにかあれば、お前等の軍はすぐに浮足立つだろう。そして、もしかすればまだ敵のスパイが入り込んでいるかもしれないと……。え、なに? お前等ってもしかして、この戦争負けたいの?」
「いや、そういうわけでは……」
「……某に関しては、キアスさんの助言が遅かったんすよ? キアスさんからスパイ捕まえろって言われた直後くらいに、部下が獅子身中の虫はぶち殺しときましたって、報告が来たんすから!」
「なっ、貴様! 我輩にすべての責任を負わせるつもりかッ!?」
「だって、そうっすもん! ウチ、魔族ばっかじゃないから、そこそこ頭いい部下だって多いんす! だから、レライエの離反の噂で浮足立ったときも、扇動の可能性があるって部下が騒いで、先んじて調査しておいたんすよ! サンジュさんのトコとは違うっす!」
「我輩とて、敵があのような者でさえなければ、生かして捕らえるつもりはあったのだ!! だが! あの者の物言いは、寛恕するなど不可能であった!!」
「つまり、ムカつくやつだからぶっ殺したんすよね? やーい、単細胞バーカ!」
つっても、お前もスパイを捕まえずに殺してんじゃねーか。スパイに自殺されるんじゃなくて、スパイを殺すって、それできんのは情報戦に完全勝利している場合だけだ。このアホ。
醜い口論を繰り広げる二人を見やり、僕は再び大きくため息を吐く。
「はぁぁぁ……。いっそ、お前等も僕と敵対する? 無能な味方は、有能な敵より怖ろしいっていうし、その方が助かるんだけど?」
「い、いやッ! 次こそ! 次こそは、貴殿の期待に応えて見せるッ!!」
「某も、名誉挽回の機会を所望するっす!! キアスさんと違って、頭は回んないっすけど、戦闘なら大丈夫っす!!」
不安だ……。こいつ等ならマジで、このほぼ勝利確定状態から、この戦争を負け戦に導きかねない……。
「いっそ、損害だす前に……消すか……」
「おいおいおいおいッ!!」
「ちょ、冗談に聞こえないっすッ!! つーか、冗談すよね!? ねッ!?」
「ともあれ、その話は一旦棚上げしておいて――――戦局についての確認をしておこうか」
「棚に上げず、投げ捨ててはどうだろうか……」
「なんなら、某がパシるっすよ……?」
「確認だ」
「……うむ……」
「……うっす……」
二人が渋々頷いた事で、僕は話を続ける。とはいえ、別に目新しいなにかを伝えるわけじゃない。昨日レライエが起こした戦闘と、その成果。その後、敵の補給線を分断した事。それだけを伝えた。別に、デロベの事まで伝える必要はないだろう。
こいつ等の情報管理なんてザルだ。こんな事を言えば、ザルに名誉棄損で訴えられかねないくらいに、穴だらけなのである。そんなやつ等に、本当に重要な情報まで与えたやる必要なんてないだろう。
「――とまぁ、そんなわけで、ぼくたち対第八魔王軍との戦闘は、ほぼほぼこちらの勝利が決定づけられた。無論、敵が最後の足掻きをしてくる可能性はあるが、その状況でも僕等の勝利は動かない。なんとなれば、その乾坤一擲の反撃でこちらが敗れたところで、敵に略奪さえさせなければ、向こうは飢えて敗北する。だからお前等、絶対に前線付近に補給物資を置くなよ?」
敵の最後の希望は、こちらの持っている物資だ。だが、もし勝利してもそれがなければ、決死の戦闘も無駄である。士気の崩壊は、ときを待つまでもない。
といっても、こいつ等に物資の管理とかできないだろうから、補給の頻度を上げる代わりに、地上に置いておく量そのものは減らそうと思う。もし攻められて奪われても、それなら敵の得られる糧は最低限に抑えられる。
「……つまり……」
重々しく口を開いたのは、ヌエの魔王――サンジュだ。
「今回の戦は、貴殿の采配で既に勝利が決している……という事か……?」
まるで否定して欲しそうな声だが、しかしまぁ、その通りなので肯ずる他にない。
「そうだな。背後にダンジョンを造られた時点で、敵は退路を完全に断たれた。このまま時間を稼ぐだけで敵は干上がり、戦闘になろうとも防衛に徹すれば勝利は固い。敵の勝利条件は、短期決戦でこちらを制圧し、物資を略奪する事だ。だから、勝てなくていいから、奪われない事を徹底してくれ」
「え……。じゃあ某たちって、もう汚名返上の機会とかないんすか? これからは、小物じゃなく無能って呼ばれるんすか……?」
あー、それは呼ばれるかもしれないな。だってこいつら、僕の足しか引っ張ってないもん。敵に対して与えた損害、皆無だもん。
うわぁ……。言ってて、マジぶっ殺したくなってきた……。
「「…………」」
ずーんと落ち込む、二人の魔王。ただまぁ、このまま落ち込まれ続けても鬱陶しいので、フォローくらいはしてやろうと思う。まぁ、気休め程度だが。
「とはいえ、このあと戦闘が起こる可能性は、かなり高い。敵だって、このまま座して敗北を待つつもりは、ないはずだ。そのときに活躍すれば、活躍できる機会はあるんじゃないか?」
断言はできないけど……。
「そうだな!!」
しかし、その言葉に気勢を上げて頷くヌエ。その猿顔にやる気を漲らせ、蛇の尾をピンと立たせて意気込んでいる。
「それしか機会がないっつーなら、某も本気だすっす! ウチの怠け者の精鋭部隊も、尻叩いてでも前にだすっす!!」
「我輩の配下とて、小難しい事を考えさせなければ、皆一騎当千の強者揃いよ! 見ておれ、アムドゥスキアス殿! 必ずや、我輩の真価を御覧に入れよう!!」
あ、僕この後予定あるんで。
●○●
「さて、あんな事言ってたけど、あいつ等って本当に強いのか?」
天幕からでた僕は、傍らのレライエに問う。
「さて、どうでしょうか……」
「レライエでも知らないの?」
「はい。妾も、そして誰も、彼のお二人の実力など知りませぬ。彼等は戦の場に立つ事無く、敵に対しては死を以って遇してきました。ゆえに、生者でお二人の実力を知るのは、彼等の腹心のみでございましょう」
「……なるほど」
しかし、それはあいつ等二人にも、敵対者を殺せるだけの力はあるという事だ。まぁ、魔王がただの魔族より弱かったら、魔大陸的価値観では大問題なんだけど。そうなると、僕とか結構やばいんだよなぁ……。弱いってだけで、政治的弱点を抱えてる……。
「ですが、おそらくは、魔王様という肩書きに相応しいだけの実力は、お持ちなのでしょう。断言はできかねますが……」
「そっか……」
不安だなぁ、あいつ等残してクルーンと合流すんの……。別に、ここであいつ等が負けても、最終的な勝敗にはあまり影響がない。しかし、あいつ等が下手を打つと、僕の軍に損害が出る。この場合の損害は、死人という意味であり、こんな無為な人的資源の喪失は、僕の経営戦略上の美学に著しく反する。
「……はぁ。やっぱりレライエ、君はここに残していくしかない。勿論、多くの兵だって残していく」
「……キアス様、差し出がましくはございますが、もう少々身の回りを手練れで固められませ」
「パイモン、フルフル、マルコ、ミュル、ラウムは連れてくが?」
ちなみに、アリタとココも連れて行く。まぁ、飛行機の操縦士としての同行であり、護衛役じゃない。やっぱり、あの二人では手練れの魔族と比べると、力不足は否めない——というか、ゴブリンとオークの護衛では、種族的特性から軽んじられて、むしろ襲撃されかねないというのが、基本的な魔族の認識だろう。
「……バルム殿やアルル殿も連れていかれては?」
「完全にこっちの手が足りなくなるだろ。あいつ等いなかったら、誰が部隊の指揮をとるんだよ?」
いやまぁ、アルルはどうせ、指揮なんか取ってないだろうけどな。だが、アルルはアルルで有能なので、この戦場には必須だ。
「ではドドゼド殿やナジャ殿などを」
「あいつ等だって、親衛隊率いてるだろ?」
「ですから、その親衛隊を本来の任務に戻し、キアス様の親衛を務めさせてください」
「ったってなぁ……」
正直、ウチの軍でまともに戦える部隊って、その親衛隊くらいしかないんだよね。他はほとんど烏合の衆。第八魔王軍との戦闘が予見されている状況で、この軍から親衛隊を抜くというのは、いくらレライエでも厳しいはずだ。
「キアス様、例えこの戦場で敗北する事があろうとも、優先すべきは御身にございます。どうぞ、我等の主力部隊を御連れください」
恭しく頭を下げるレライエ。言葉こそ丁寧だが、頑として譲らないとでも言わんばかりの雰囲気である。こういう所がホント、智に働き過ぎてるというのだ。
「これから向かう先には、クルーンの軍もいる。デロベと戦闘になる可能性はあるが、向こうはほとんど手勢もいない。当人の力量は相当なものだろうが、だからといってクルーン、パイモン、フルフルの三人がかりでもどうにもならないような相手なら、何人いようと意味がない」
怪獣映画で蹂躙される軍隊のごとく、鎧袖一触に滅ぼされるだろう。僕がここで親衛隊を連れていく事と連れていかない事に、そう大きな違いなどないのである。大所帯であればいいというものでもない。
しかしレライエは、それでも譲らぬとばかりに強い目で僕を見ている。その瞳に宿る意思に炙られる事数十秒、僕は目を逸らして折れた。
「わかったよ……連れてく」
「我が儘を申し、誠に申し訳ございません」
慇懃に頭を下げたレライエ。僕はそのタイミングを逃さず、口を開く。
「でも、親衛隊は駄目だ。あれは、こっちの部隊に必要だ」
「では、バルム殿かアルル殿を――」
「それもダメだ。あの二人は、ウチの陣営でも古参の幹部だ。僕やパイモンたち、そしてバルムやアルルまで抜けたら、士気が落ちる。それは、親衛隊だって同じ事だ」
「……はい」
やはりレライエは、その点にも気付いていたようで、肯定の声に力がない。
「それ以外で選んでくれ。できるだけ士気に影響のない幹部以外の者なら、人選はレライエに任せる」
「……それは、任せていただいていると言えるのでしょうか……」
「さて、どうかな? たしかに難しいオーダーかも知れないけど、そこは君の腕の見せ所なんじゃない?」
僕が挑発的に言うと、レライエの目に活力が戻る。
「了解いたしました。出発までは、どの程度時間がございますか?」
「できるだけ早く動きたいが、レライエの都合を優先する。無論、限度はあるが」
「なるほど……。明日まで待っていただく事は、可能でしょうか?」
「明日の朝までに、絶対に人材を選出するというのなら、待とう」
「左様でございますか。承りました。このレライエ、全身全霊を以って人選をいたしまする」
なにやら全身からやる気を漲らせるレライエだが、僕としてはもう一回くらい天空迷宮の露天風呂を堪能したいという下心があったりする。まぁ、仕方ないよね。
そんなわけで、この日は無駄な話し合いと、レライエとの打ち合わせだけで終わった。
ちなみに、地上から見た曇り空も、天上から見れば壮大な雲海となり、とても幻想的だったと追記しておきたい。