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 仕事終わりのひとっ風呂って、もう最高っ!!

 満天の星空である。

 白い湯気が藍色の空へと溶けて、その湯気で朧となった月が、すぐにまたそのかんばせを覗かせる。空に瞬く星々は、まるでこの風呂を彩る為の装飾のように、キラキラと輝いている。電飾……では、やや情緒に欠けるか。しかし、宝石というのも陳腐だろう。

 だとすれば、この筆舌に尽くしがたい光景を言葉にするならば――――


「はぁぁぁあああ……。絶景かな絶景かな、ってね……」


 それ以外に、この光景を言葉にするのは難しい。文字通り、筆舌に尽くしがたい。

 そう、ここ天空都市の風呂って、基本的に雲の上を飛ぶのをいい事に、完全露天風呂だったんだ。おかげで、雲海の上を滑りながら全天の星空を堪能できる。深い闇を湛える夜空には、当然ながら雲一つない。また、ここ天空迷宮を覆っている結界によって、低温や低気圧といった、高空における生物の活動を阻害する要素も無視できる。

 湯船に浸かり、入浴を楽しみながら、下は雲、上は夜空という光景。これを拝めるのは、僕たちだけの特権だ。……ただ、文句があるとすれば……。


「マスタ、マスタっ! 目に! 目に泡がっ! マスタ! 目、痛い!」

「雲の上とは、このような光景が広がっていたのか……。我輩の翼では、この高空までは届かない……くッ! 我輩は、なんと無力なのだッ!!」


 頭をシャンプーの泡まみれにしながら騒いでいるマルコと、眼下の雲海を眺めて自虐してるラウム。僕の目の前にいるのは、この二人だけだ。つまり、男だけなのである……。

 そう、ここは天空都市の軍管区にある、普段は兵士たちが使っている大露天風呂だ。つまり、《魔王の血涙》にある神殿の浴場とは違い、元から男女混浴ではない……。

 ここにいるのは男子だけであり、隣の女子風呂に広がっているだろう、絶景と絶景のコラボレーションを拝む事はできない。忸怩たる思いである。

 とはいえ、嘆いていても仕方がないので、僕は湯船からあがり、転げ回っているマルコへと歩み寄る。


「ほらマルコ、今流してやるから動くな。ラウム、愚痴は湯船の中でもできるだろ。とっとと風呂に入れ」

「シャンプーハット……」

「あれは《魔王の血涙》に置いてきちゃったんだから諦めろ」

「あぁ……、主のお気遣い、誠に誠に痛み入ります。……思えば、そのような優しい言葉をいただいたのは、生まれてこの方……」

「いいから、とっとと風呂入れっての!」


 くそぅ! 普段世話を任せてるパイモンやウェパルがこの場にいないので、必然的に世話係のお鉢が僕に回ってくる。面倒極まる!

 なんとかマルコのモヒカン頭を流し、トサカ頭をペタンとさせ、風呂の床に土下座を始めようとしたラウムを、蹴り入れるように風呂へ押し込むと、僕もようやく入浴できた。

 もう一度湯船に浸かれば、疲れも溶け出ていくというものだ……。


「はぁぁぁあああ……。絶景かな、絶景かな……」


 肩までお湯に浸かり、僕は再び同じ台詞を口にした。

 星の海と雲の海が世界を包む。まさしく――絶景である。

 十分な光源を用意したこの湯殿は、しかし夜空でギラギラと自己主張するでなく、間接照明がつくりだす幽玄な空間となっている。全体的に石の黒に染まった湯殿が、照明の多さに反して、落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 その幽玄さと、天空の露天風呂という特徴もあいまって、さながら神々の憩いの場とでもいうべき静謐さである。

 光源のある浴場に対して、暗く、しかし広い雲の海。そして広い広い満天の星空。空の中、ただ一人ポツンと浮かんでいるような、そんな錯覚すら覚える景色。


「いやはや、この風呂は神ならぬ者の身には、過ぎた贅沢だな……」


 まるで、空を独り占めにしているような感覚は、まさしく地上に蠢く有象無象には、贅沢が過ぎるというものだろう。下手をすれば、神様がけしからんと火と硫黄の雨を降らせるかもしれないレベルの、贅沢三昧である。まぁ、ここは雲の上なので、雨が降らないんだけどね。


「……しかし、くそぅ……。この景色が見事であれば見事である程、女性陣と一緒に堪能できなかった事だけが悔やまれる……ッ!」


 これ程の絶景だ。彼女たちがいれば、この絶景は舞台装置として、彼女たちの肢体を存分に彩った事だろう。なんと勿体ないっ!

 ただ、だったら貸切にして混浴にすればいい、という簡単な話にはならない。僕はたしかに好色だが、だからといってオールのように、淫蕩に耽っているという噂を立てられて平然としていられる程、恥を知らないわけではない。普段は男女別浴の浴場に、女性を連れ込んで酒池肉林の限りを尽くした、などという風評は、僕の格を著しく毀損するだろう。

 僕にだって、体面というものがあるのだ。


「はぁ……。しかし、星空ってのは凄いな……」


 正直、ここまで見事な星空というものは、僕の記憶にないばかりか、知識にすらない。いかに地球という文明が進んでいようと、空に浮かぶ風呂なんてものはない。ここまで無防備に空を楽しめるのも、この世界ならではの事だ。

 明滅する星々が視界一杯に溢れ、澄んだ空気がその輝きを一層引き立てる。今にも星が降ってきそうな光景である。星が綺麗に見えすぎて、いっそ夜空が白く染まってしまいそうだ。


「マスタ、マルコ、いるよ?」

「我輩もおります。なにかしら御要望がございましたら、どうぞこのラウムめに御下命ください」

「そうだな……。まぁ、珍しいメンバーだしな」


 珍しいというか、ラウムとは今日会ったばかりである。


「そうだな。じゃあちょうどいいし、ラウムにいろいろと聞くとしようか」


 僕はそう言って、今一度ラウムを見る。

 ボサボサの長髪で、顔の半分が覆われている。その隙間から覗く瞳は、冴え冴えとしたサックスブルー。体はごくごく普通の人間そっくりだが、やや筋肉質なものの、どちらかといえば華奢な印象を受ける。身長は目測で百六十半ば。腰の付け根からは一本の尻尾が生え、その先は三叉に分かれていて、まるで第三の手のように自由に動かせるようだ。

 そして、ラウムといえばやはり翼。艶やかな漆黒の翼は、ラウムの体躯が華奢な事もあって、一層大きく見える。こうしてお湯で濡れたその羽毛は、比喩でなく烏の濡れ羽色であり、実に美しく光を反射している。黒い光という、自然界にはありえない光を放っているようにすら思える。

 マルコやミュルのような子供のものではなく、レライエやパイモンのような成熟したものでもない容姿。少年という言葉がぴったりのラウムの容姿は、ウチのメンバーではなかなか珍しいものだ。年代的には、僕が一番近いか。まぁ、年齢的にも近いんだが。


「なんなりと、我が主」


 そう言って、片膝をつき恭しく頭を下げるラウム。……浴槽の中で。


「いいから顔を上げろ。息できないだろ?」

「…………」

「おーい?」

「マスタ、聞こえてない」


 マルコにツッコまれてるし……。ラウムの知的なイメージも、出会ってからこっち右肩下がりだ。せっかく外見だけなら凛々しいのに、喋ると途端に残念になるな、ラウムは。


「ぶはっ! し、失礼を!! ぶくぶくぶく…………」

「はぁ……、なんか、もうどうでもよくなってきたな……」


 そんな事より、今は星空を眺めていよう。

 再び水没したラウムを後目に、僕はマルコのペタンとなったモヒカン頭を撫でつつ、星空を独占する。


「ああ、もう。ホント、絶景かな……」


 その、どんな状況でも感嘆してしまうような、卑怯なまでに暴力的な美しさに、僕は三度呟くのだった。


 ●○●


「じゃあ、今までラウムは、アンドレとレライエの使いっぱだったの?」

「そうなります……」


 むー……。まぁ別に、人材の有効活用には文句ないけど、ラウムの人格形成に、あの二人がかなりの悪影響を与えたんじゃなかろうか……。このメンド臭い性格も、あの二人のせいな気がヒシヒシとしてくる。


「まぁ、大変だったな……」

「はい……」

「ご苦労さん」

「お優しいお言葉を賜り、感謝に堪えません……っ!」


 本当に肩を震わせてむせび泣くラウム。どうやら、僕の想像以上に酷使されたらしい。主に精神を。


「それにしても……」

「……?」


 僕は顎に指をあて、思案する。対するラウムは不思議そうに首を傾げている。


「ラウムって、ホントに魔人?」

「はぁ……。お、おそらくは……」


 自信なさそうだ。まぁ、たしかに証明しづらいからな。


「にしたって、マルコとミュルとは全然違うからなぁ」

「それはたしかに……」


 僕等はそう言って、火照った顔でバシャバシャ泳ぎ始めたマルコを見る。この絶景の露天風呂も、お子様にとってはいつもの風呂と変わらないらしい。


「我輩、流石にあのように振る舞うのは……」

「まぁ、ハズいよねぇ」

「は……」


 ある程度育った者が、子供の真似をするというのは、実に恥ずかしい。大人は、欲しいものがあったところで、泣き喚いてねだったりできないのだ。

 とはいえ、僕もマルコもミュルもラウムも、全員ゼロ歳ではある。まぁ、僕はそろそろ一歳だけどね。


「じゃあ、ラウムって足し算できる?」

「足し算、ですか……?」

「概念すら知らなそうだね。まぁ、当然か」


 とはいえ、これだけちゃんと対話ができるなら、教える事は不可能じゃないだろう。地頭そのものは、そんなに悪くなさそうだし。


「流石に、しばらくは忙しいから無理だけど、いずれちゃんと教育しないとな」


 ただそれも、マルコとミュルと同じ教育をするのもな……。ラウムには、特別な教育を施す必要があるだろう。となると、その教師役が問題なわけだが……。


「適役なのはレライエなんだが……」

「…………」


 渋面を作るラウム。とても嫌そうだ。

 次点はフォルネゥスなのだが、彼女は彼女で忙しい。というか、戦時平時関係なく、基本的に彼女は忙しい。僕の分も忙しい。


「まぁ、だったら僕が教えるか」

「……っ!? あ、主御自あるじおんみずからの御教示ですか!?」

「嫌かい?」

「めめめめめめ滅相もございません!! 恐悦の至りにて!!」

「ただ、その翼はちょっと邪魔だな……」


 僕の活動範囲は、真大陸も含まれる。教育にかかりきりになるわけにはいかないので、ラウムにも真大陸に連れて行きたいところなのだが、その際ラウムの外見が足を引っ張る事となる。

 マルコやミュルは外見が人間と大差なかったから連れ歩けたが、ラウムは背に翼を持っているせいで、少々難しい。真大陸には、空を自由自在に飛べる種族というものは、龍や竜くらいのものだ。


「我が主のお望みとあらば、この翼、いでも構いませぬ!!」

「いや、そんな事望んでねーから」


 せっかくの飛行能力を、たかが真大陸での活動の為に失わせるなど論外だ。


「まぁ、翼を隠すくらいなら、どうとでもなる。気にするな」

「は。お手を煩わせてしまい、我が未熟を恥じるばかりにございます」

「たいした手間でもないさ。とりあえず、しばらくは僕の側について、いろいろと学んでくれ」

「おおっ、なんともありがたき御役目!! 御下命、賜りましてござります!!」

「それ、レライエの真似?」


 やっぱり、生まれて間もない彼をレライエの側に置いたのは、アンドレのミスじゃないかなぁ。いい影響もあったかもしれないけど、悪い影響ばかりが目につく気がする……。


「して主、今後のご予定などを、このラウムめにもお教えいただけませんか?」


 うーん……。やっぱり面倒臭い……。


「まぁ、予定を教えるくらいは構わないか。明日、部下の魔王と作戦を立てて、近日中に第七魔王軍とは決着がつく」

「既に勝敗は決していると、あの紫の龍からお聞きしましたが……」

「まぁ、補給路をダンジョンで完全に分断しちゃったからねぇ……」


 別ルートを模索する事も可能ではあるだろうけど、それには時間がかかる。


「そんなわけで、この戦場の勝敗は、既に決しているといっていい。まぁ、負ける可能性も僅かながら残ってるけど……」


 あのバカどもなら、そんな可能性を現実のものとしかねない危うさがある。


「でもまぁ、レライエに任せておけば、その心配もないだろう」


 僕ですらよくわかってない、アウステルリッツの戦いを再現できる彼女なら、そんな愚は犯さないだろう。僕が書いた歴史書には、他にもザマの戦いやモヒの戦いなど、地球史における名だたる名戦が記されていたはずだ。


「あの者に任せる……。では、主は別の場所へ赴かれるのですか?」

「そうなる」


 当初の予定では、ここでの戦局を見守りつつ、向こうで起こっている最強トーナメントの方も気にしていく方向だったのだが、残念ながらその予定は狂ってしまった。


「主自らとなりますと、敵の首魁の元へと?」

「お? すごい、明答だ。そう、敵の大ボスのところに行く」


 そう、今回の魔大陸大戦の元凶。第六魔王デロベの元へと。


「僕からパイモンを奪おうとしたあいつには、相応の報いを与えねばならないよね」


 相応の報い。つまり、死すら救いに思える地獄である。


「…………っ」


 慄くように息を詰まらせたラウムを見れば、青白い顔を一層蒼白にさせていた。


「ラウム、のぼせたんじゃないか? 顔色が悪いぞ?」

「い、いえ……——そ、そうであるのかもしれません……」

「ふぃぃぃいい……。マスタ、マルコも……」


 ああ、そういえば、体が小さい子供組は、すぐにのぼせちゃうんだったか。


「じゃあ上がるか」

「は……」

「うんっ!」


 僕としては、もう少しこの星空と雲海を楽しみたかったのだが、今は子守役でもあるので仕方がない。


「よし、じゃあ風呂上がりの牛乳を一緒に飲もうか!」


 やっぱり、風呂上がりといえば、冷えた瓶入りの牛乳に限る。


「わーい! マルコ、牛乳好きっ!」

「牛乳……。どのような飲み物なのですか?」


 喜ぶマルコと、首を傾げるラウム。

 ちなみに、この世界にはあまり乳業というものが根付いていない。魔大陸は勿論、真大陸でも、僕の知る限りではノーム連邦以外、どこも積極的に乳製品を口にしようとしない。つまり、とても希少価値が高いのである。

 僕等はその後、店頭小売価格で金貨一枚すうじゅうまんえんは降らないであろう、牛乳を並んで一気飲みしたのであった。

 まぁ、売らないけどね。




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