色欲と憤怒っ!?
土球からパイモンを救出した僕は、彼女の胸に顔を埋め、思う存分その香りを堪能する。どうして、女の子というものは、こうもいい匂いがするのだろう。
「あ、あの、キアス様……。ありがとうございました……」
「ん。無事でよかった……」
ちょっと申し訳なさそうに、おずおずとパイモンが謝ってくる。別に、今回の件は、パイモンはなにも悪くない。むしろ、僕を守ってくれたのだから、褒められてしかるべきだろう。
「でも、怒る」
「へ?」
思うさまパイモンの香りを堪能した僕は、少々未練を残しつつもその胸から顔を上げる。そして、パイモンに強い抗議の視線を向ける。
「どうして、あんな危ない事をしたんだ!」
「えっと……。私は、キアス様の護衛ですので……」
「そりゃそうだが! 僕ならなんとでもなったし!」
「それは結果論であって、なにが起こるかわからないあの状況では、身を呈してでも主君を守る事が、配下の務めであると……」
「それもそうだが! でも! ああ、もう!」
「キアス様、ここはパイモン殿に理があるかと」
わかってるよ。レライエに諭されるまでもなく、僕がただ駄々をこねて八つ当たりしてるって事は、重々承知してるんだ。でも、それでも、言わなきゃ気が収まらないのだ。
「とにかく! 今後、同様の事があっても、別に僕を守る必要なんかないから。自分の身を最優先で守る事。いいね?」
「嫌です」
「承服致しかねます」
パイモンの強い拒絶と、レライエの慇懃な命令拒否。そこには、断固とした意思が感じられた。
「なんで!?」
「私は、キアス様の第一の配下です。キアス様を守るのが、当然です!」
「妾も、パイモン殿に賛同いたします。妾やパイモン殿、その他誰の命よりも、キアス様の御身は尊いのでございます。御自覚遊ばしくださいますよう、重ねてお願い申し上げます」
「いや、そうかもしれないけど……」
「かも知れないじゃないです!」
「そうなのでございます!」
うう……。やばい、こんなに不利な舌戦は、生まれて初めてかも知れない……。
「あ、あのね……? 君たちが僕を守りたいように、僕だって君たちを——」
「それとこれとは話が別です!」
「左様にございます。キアス様が妾たちと守りたいと思う気持ちは、勿体なくもありがたく、恐悦至極でございます。妾たちも、当然それと同様の感情は持ってはおりますが——」
「——それと同時に、キアス様は魔王様なのです。魔王様には、魔王様の役目があります。その身と命は、私たち以上に、魔大陸にとって重要であり、必要なのです。だからこそ、私たち配下一同は、身命を賭してあなたをお守りするのです。それが私の役目であり、レライエの役目なのです。だから、今までのように、むやみに危険に身を晒すのは、やめてください!」
「…………」
どうしよう、完全に論破されてる。でも、そうじゃないんだよ。そうじゃなく、なんていうか!
「僕は——僕だって、君たちを守りたいよ……」
ポツリと溢れる声。
そう、僕は弱く、基本的に戦いとかに向いていない。パイモンやレライエなんかと比べるまでもなく、僕は誰かを守って戦える、ヒーローにはなれないのだ。
「それでも、僕は男なんだぞ……」
「「…………」」
僕に、竜種の攻撃をものともしないような、鉄壁の鱗は生えてない。僕に、巨大な竜を空にぶん投げるような、腕力はない。僕にとって、戦争なんてものは政治の一種であり、経済活動の一環である。
僕は、絶対にヒーローにはなれない。彼女たちを背に庇い、颯爽と戦いに身を投じ、強敵もものともせず圧倒するような、勇者にはなれないのだ。
「だけど、僕は魔王だ。どんな悪辣、悪虐、極悪な手法を用いてでも、なんなら一切合切を焦土に変えてでも、君たちを守れる存在なんだぜ? 少しはさ、頼ってくれよ……」
僕が、武人という人種に抱いているコンプレックスは、やはりこの点だ。彼等は、その肉体と戦闘技能でもって、直接誰かを守れる。それはとても格好良いし、僕にはできない事だ。
だが、僕は魔王として、陰謀を駆使し、暗躍し、間接的に仲間を守る事が出来る。政治的に真大陸や魔大陸に影響力を持ち、戦争だって起こせる。どのような卑怯な行いも、どのような卑劣な真似も、僕という悪役ならば可能なのだ。
僕はヒーローにはなれない。だからこそ、僕は魔王になった。自らを、魔王と定義したのだ。
世界を救うなんて事はできなくても、世界征服くらい、君たちの為ならやってみせる。世界の滅亡は、つまらなそうだからやらないけど……。
それもどうだろう……? もし、仲間たちが害されるような事があれば、とりあえずリセットボタン押す感じで、世界くらい滅亡させるかもしれない。
「だからどうか、僕が魔王である為に、僕に守られてはくれないかい?」
僕の懇願に、パイモンとレライエが揃って、顔を逸らす。え? ここで顔逸らすの?
「……ずるいです……」
「はい……。まさしく悪辣……」
えー……? 今僕、とってもいい事言ったともうんだけど?
やっぱり、僕に主人公っぽいセリフなんて、似合わないという事だろうか……?
●○●
「しかしキアス様。今はまず、この場より撤退するのが、先決かと存じますっ」
なぜか焦ったように、顔を赤くしたレライエがそう言い募った。
「それはそうだな。まごまごしてたら、またぞろデロベの罠に引っかかりかねない」
つーか、あいつはあいつで、主人公並みにチートすぎるんだよ。普通に考えて、あんな魔法ありえねーっての! 勇者の魔王なんつートンデモだから、あいつの魔法ってどこまでの事ができるのか、イマイチ想像がつかないんだよな。
「さっさと天空都市へ移動しよう。流石にあそこなら、デロベも手が出せないはずだ」
「はい。よろしいかと」
「はい」
レライエに続いて、パイモンも頷く。ようやく、僕の意思を肯定してくれた……。
「お前等も、それでいいな?」
今まで空気と化していた、マルコ、ミュル、フルフル、ラウム、アリタ、ココが、僕の問いに揃って頷く。構ってる暇がなかったとはいえ、パイモン救出以降、完全に蚊帳の外だったな……。ラウムなんて、仲間になったばかりだってのに。
「さて、じゃあ戻る事はいいとして、コレどうしようか?」
「はて? これとおっしゃられますと?」
僕が腕を組んで首を傾げるのに合わせるかのように、レライエも首を捻る。
「いや、ここら辺一帯さ、ダンジョンにしちゃったじゃん?」
「ええ、緊急時でしたから、それも仕方がなかったかと」
うん、まぁ、パイモンを助ける為だったし、造った事は別にいいんだ。ただ、このダンジョンは、僕がここにいるからこそ、維持できてるようなものだ。僕がここから離れれば、即座に消えてしまうような、即席のものでしかない。
まぁ、《魔王の血涙》にあるダンジョンと、転移陣でも使って繋げてしまえば維持できるのだが。だが、そうしたところで、ここにはただの壁があるだけだ。ダンジョンの名を冠すには、あまりにもチャチである。
だというのに、ダンジョンである以上、それなりに維持コストがかかる。かといって、消してしまうというのも、造った分の魔力が無駄だ。
「さて、どうするか……」
別に、消してしまっても、問題はないと思う。ただなぁ、勿体ないんだよなぁ……。
「あの、よろしければ、ここに簡易の迷路などを造ってはいただけませんか?」
そこで、レライエから提案が出される。迷路か……。
「造る分には問題ない。でも、さらに手を加えるとなると、余計にコストがかかる。できれば、理由を聞いてからにしたいんだけど?」
「無論でございます。此度、我々は敵の補給部隊を急襲し、潰走させました。敵前線への補給は滞り、幾分有利に戦を勧められるでしょう」
「うん、そうだね。腹が減っては戦はできぬ、なんて言葉は、僕でも知ってる戦の常識だ」
「左様でございます。しかし、敵もいつまでも混乱し続けてはくれぬもの……。一週間——早ければ四日もあれば、再び部隊を再編し、補給を再開させるでしょう」
「当然だな。そして、その際僕等の軍は、最大限警戒される。再び奇襲が成功するなんて、楽観的すぎるな」
「はい。ですがキアス様。ここにもし、大きなダンジョンがあればどうでしょう?」
「うん?」
どうなんだろう?
「誰が見ても、こんな場所にダンジョンがあるというのは、不自然極まりません。そして、ダンジョン内は迷路になっており、容易に全貌を知る事は不可能……。となれば……」
となれば……?
「ふふふ。これ以上は、キアス様には『釈迦に説法』というものにございますね。ところでこの言葉の『シャカ』とは、弁論家かなにかでございますか?」
「いや、そこは今どうでもいいから!そして、お釈迦様は神様仏様だから!って、それよりも、ちゃんと説明してくれ!」
レライエの、僕に対する評価が高すぎるんだよ……。僕はマジで、戦術とか軍隊運用とか、門外漢なんだっての!
「ふむ……。では、確認の意味を込めて、妾の拙い策を開陳させていただきとう存じます。まず、その奥を見通せない迷宮が、ここにあるとしましょう。さて、では第八魔王軍は、ここを素通りするでしょうか?」
ああ、そういう事か。
僕が納得したのを見て取ったのか、我が意を得たりとレライエが微笑む。
「左様でございます。もしここに、先の見通せぬダンジョンがあり、それを放置し先を急いだといたしましょう。もしここに、我々第十三魔王軍が伏せていれば、背後からの奇襲が容易に行えるのでございます。折しも、既に一度、敵は我が軍の奇襲によって、補給部隊を敗走させているのでございますから、無警戒という事はないでしょう」
余程の愚か者でもない限り、放置したりはしないだろう。ただ、あのヌエや三つ目なんかだと、あっさりと無視したりしそうだ。まぁ、第八魔王軍は歴戦の猛者もいるって話だし、さっきも殿を残してレライエを足止めするという、魔族にしては理性的な行動をしていた。
「しかし、敵軍は既に、前線に対する補給が滞って久しい頃合い。補給が遅れれば、主力部隊は早々に干上がってしまいます。では、どうするか……」
「僕なら、部隊を二つに分ける。ダンジョンの捜索部隊と、前線への補給部隊」
まぁ、ダンジョンマスターの権能を使わなければ、という縛りプレイの場合だけど。そもそもウチ、輸送は基本空路だから、ダンジョンがあろうがなかろうが、あんま関係ない。前線への補給が滞った場合は、転移を使ってものを運ぶし。
「一軍の将といたしましては、ダンジョンの入り口に待機する、伝令部隊も欲しいところですね。後方に、さらなる援軍を要請する為、また、実際にダンジョンに変化があった際に、素早く前線と後方に伝令を走らせる為の中継地を、ここに作りたいところでございます。とはいえ、これは余談。恐らくは、キアス様の予想通り、敵は部隊を二分する事を強いられます」
なるほど。まぁ、わからなくもない作戦だ。つまり、敵に対する囮として、この利用価値のないダンジョンを利用する、というわけか。罠のないような単純な迷路であれば、コストはそこまで大きくない。そんな低コストダンジョンをここに置いておくだけで、敵の戦力を大幅に減らせるなら、たしかにお得だな。
だが、レライエはなおも、言葉を続けた。
「さらに、ここに我が軍の拠点がある事は、戦局に大きな影響を与えます」
「え? 他にもあるの?」
「勿論です。キアス様の御手を煩わせるのに、この程度の事が目的なはずはございません」
マジで? 僕的には、もう結構納得してたんだけど……。
「ここに第十三魔王軍の拠点があれば、第八魔王軍は第九、第十二魔王軍に対し、軽々に攻め入れなくなります」
「そうなの?」
「はい。正面に注力すれば、背後を突かれる危険がございます。また、戦線を伸ばせば、やはり補給路を叩かれる危険が増します。かといって、ここの攻略にも人員を割く事はできません。前線はともかく、補給路は一時的に分断され、補給部隊も此度の戦闘で大打撃。おまけに、部隊を二つに分ける事を強いられてございます。むしろ、第八魔王軍がそこまで戦力を分散させるようならば、もはやこの戦、勝ったも同然なのでございますが……」
そこまで上手くいくはずがないと……。だけど、なるほど。ここにダミーの拠点としてダンジョンがある事で、敵に対しての大きな示威になるわけだ。ただの空の迷路なのにな。
「それと――」
「え? まだあるの!?」
「無論でございます」
いや、無論って……。正直、もう僕みたいな凡愚は、ついてけないレベルの話なんだけど。
「ただ、これはあくまでも保険でございます。もし、万が一第九魔王軍、第十二魔王軍が第八魔王軍に大敗し、戦線を押し込まれた際には、ダンジョンは本当に、敵の背後を突けるのではございませんか?」
「いや、まぁできる事はできるけど……」
そうなると、かかるコストが跳ね上がるけど、まぁ、負けてウチの軍に被害がでるよりはマシか。つまり万が一、負けたときの保険にも使えると。
えーっと、敵に対する囮で、敵を牽制する位置取りで、いざというときの保険? こんなに盛りだくさんの作戦を、咄嗟に考えたのか。すごいな、レライエは。
「いかがでございましょう?」
「うん、いいと思うよ。じゃあ、適当に造っちゃうから、そのあとで天空都市に戻ろうか」
「はい、かしこいまりました」
恭しく首を垂れるレライエが、いつもより深い笑みを湛えていた。
僕はスマホをいじり、適当な迷路を造っていく。この場合、多重連結迷路より、単連結迷路の方が時間稼ぎになるか。
そうだなぁ。トラップは使わないとしても、構造的な罠は用意しておこうか。単連結迷路なので、壁を伝って踏破を試みれば、全ての行き止まりを通過する事になる。さらに、奥に進むにつれて通路を狭くして、大軍の人海戦術を使うようなら、自滅を誘発する造りにしておこう。
まぁ、レライエの話じゃ、敵はここに大軍を使わないって話だけどさ。
「ねぇ、ところでレライエ?」
「はい、なんでございましょう?」
「いや、素人考えでアレなんだけどさ……」
迷路作成のついでに、ちょっと気になってた部分を質問しておく。
「そもそもさ、この平原を横断するような高い壁造っとけば、敵の補給路を完全に分断できると思うんだけど、それはダメなの?」
あ、やべ。壁がくっついた。壁の幅を狭くするのって、結構難しいな……。まぁ、ただの迷路を造るより、造り甲斐はあるが。
……って、あれ?
「レライエ?」
「…………」
なぜかレライエが、信じられないようなものを見るような目で僕を見てる。
「えっと、そんなに見当違いな意見だった?」
「……いえ、あの……、……それが可能なのでしたら、無論それが一番なのでございますが……」
え? そうなの? じゃあ、そうしようか。
ダンジョンの範囲を広げ、その中にちょちょいと壁を造っていく。……よし、完成。セーブっと。
「うぉおー! 大規模なダンジョン建造って久しぶりだから、なんかスゲー」
音もなく、十m近い壁が乱立していく様は、こうして離れて見ている分には壮観だ。近付くと、にゅるにゅる動いてキモいが。
「……はぁ……。やはり、キアス様は規格外でございますねぇ……」
ん? なんか言った?