レライエ、恐ろしい子っ!?
ヌエや三つ目の方を後回しにした僕たちは、先にレライエたちと合流する事になった。もう一度レライエと連絡を取ろうと試みたが、やはり忙しいのか繋がらない。まぁ、実際忙しそうにしていたので、これは仕方がない。
仕方がないので、僕も敵の主力の後ろに回って、レライエたちを探す事にした。といっても、詳しい場所は聞いていなかった。だから、ほとんど暗中模索になるんだけど、敵方は僕等のように空まで輸送路にできるわけでもない。わざわざ後方にある輸送路に、そこまで気を遣うとも思えない。普通に、一番使いやすい、一番近い道を使っているはずだ。
だからまぁ、探せばすぐに見つかるだろう。
「言ってるそばから」
敵の後方に回るまでもなく、かなり遠目からでも煙が立ち上っているのが視認できた。あれが、戦の痕跡だと気付けるのは、ある程度事前に情報を持っている僕たちか、実際にあそこから情報を持ち帰った者だけだろう。なぜなら、そこは敵中深くという言葉ですら浅い、もはや完全に敵の勢力圏下の領域だったからだ。
あんな場所で、敵が攻撃してくる事を想定していたやつが、どれだけいるやら……。いや、それよりも、よくもまぁ、敵に気付かれずにあそこまで潜り込めたもんだ。
「擾乱工作にしたって、限度があるだろ……」
これでは、もはや奇襲の類いだ。敵の視線を前面に引きつけつつ後方を叩くという、寡兵で以って敵を制すという、古き良き戦の定石だ。
「たぶんあそこだな……」
「マジッすか……」
「レライエさんなら、ある」
アリタとココの二人も、あまりにも深く敵の懐に飛び込んでいる自軍に、ドン引きの様子だ。少なくとも、この二人は今後、レライエの指揮下には入りたがらないだろう。概ね同意見である。
しかし、気持ち的には引いていても、飛行機は進む。進み続けなければ墜落してしまう地球の飛行機とは違い、ホバリングどころかバックすら可能なマジックアイテムとはいえ、アリタがバックさせなければ戻らない。空中という障害物がない状況と、元々の速度もあいまって、煙はどんどんと近付き、戦場の様子も俯瞰できるようになってきた。
「なんだ、案外優勢じゃないか」
「っすね。心配むよーって感じっす」
「よかった……」
見る限り、戦況はこちらに有利に進んでいるようだった。というか、ほぼ完勝に近いように見受けられる。
自軍から見て、右翼は敵と拮抗しているものの、決して劣勢ではない。左翼は、敵主力を半分包囲しており、見る限りにおいてはほぼ掃討戦の様相だ。気になるのは、レライエの言っていた中央にいるはずの敵軍が、どこにも見受けられない点だが、しかし戦況は確実にこちらの優勢だった。
『キアス様? レライエでございます、先程は失礼いたしました。状況が落ち着きましたので、ご用件を伺いたく』
と、見計らったかのようなタイミングで、レライエから連絡が届く。
「やぁレライエ。実は、近くまで来てるんだけど」
『なんと! では、早々に残敵を消し去り、お出迎えの用意をしませぬと!!』
「いや、そういうのはいいよ。それに、もう君の頭上までは来てるんだ。今からじゃ、たぶん間に合わない」
『そうですか……。では、上空のあの飛行機は、キアス様のものでございますね。居場所も教えておらなんだ我が軍の補給が、どうして届いたのであろうと、少々驚いておりました』
僕の乗っている飛行機って、ウチの軍が補給用に使っているものと同じだからね。ふむ、専用機とか作ろうかな?
『キアス様から軍を預かっておきながら、いまだ敵を殲滅できておらず、お恥ずかしい限りです。もう少し、手際よく勝利を収めていれば、先のご連絡にも応えられたのでございますが……』
恥じ入るレライエが、まるで素っ頓狂な反省の弁を述べる。
「いやいや、戦争してるんだから、そこまでの気遣いは無用だよ。今回は、きちんと勝利を収めたんだから、褒めこそすれ、怒ったりなんかしないしない。それよりさ、随分と優勢じゃないか? なんか、前の連絡では危なそうだったのに、どうやったの?」
話題を逸らす意味も込めて、レライエに問う僕は、改めて戦場を見下ろす。どう見ても、既に状況は決している。ここから敵勢が逆転するには、一旦退却してから態勢を立て直し、援軍を待って、逆襲するしかないだろう。しかし、彼等は補給を主目的とした輜重隊のはずだ。だとすれば、そうして前線への補給を遅らせるだけでも、こちらの目的は達したといえる。
というか、こっちも輜重隊のはずなんだけどね。どうしてレライエは、こんな場所で戦っているのやら……。
『どうやったと仰られましても、キアス様ならば既にお気付きではないですか?』
「ん? いや、わからないけど……」
僕に、戦場跡を俯瞰しただけで、使われた戦法が読めるような知識はない。何度もいうが、僕は戦争なんか門外漢なんだ。
「って、あれ……?」
思わず声が漏れた。
前言を翻すようでアレだが、この光景に、どこか見覚えがある気がするのだ。いや、違う。見覚えではなく、単なる知識だ。知識として、この状況に覚えがある、気がする。
なんだっけ……。本当に、僕に戦に関する知識なんてないのに。あるとすれば、地球の歴史の————あ。
「ああっ!! アウステルリッツの三帝会戦かっ!!」
世界史においても、有名すぎる程に有名な戦。世界史という舞台の上で、この時代以上にフランスが主役だった事は他にないだろう。否。フランスがというよりも、当時の皇帝がというべきか。きっと、フランス革命以後のグダグダの中、荒波に揉まれて優秀な人間が傑出したのだと思う。これもきっと、武人のせいだ。そうに違いない。
とにかく、この時代のフランス陸軍は最強で、陸上であれば無敵とまでいっても過言ではなかった。フィニステレとトラファルガーの海戦は、この際見ないふりをしてあげよう。それが優しさってものだ。フランスは、陸上では最強だったのだ。
周囲に危険視されたフランスが、一七九七年、第一次対仏大同盟、一八〇一年、第二次対仏大同盟を結ばれるも、それ等を軒並み崩壊させる。しかし、なおも結成された第三次対仏大同盟。それまでのフランス革命戦争の区切りとされ、一八〇三年のイギリスによるアミアン和約の破棄から始まる、ナポレオン戦争。
そのアミアン和約の破棄から結成されたのが、イギリス《グレートブリテンおよびアイルランド連合王国》、ロシア帝国、オーストリア帝国《神聖ローマ帝国》、ナポリ王国、スウェーデン王国の結んだ、第三次対仏大同盟である。おまけに、プロイセン帝国は中立であったものの、いつ敵対してもおかしくない状況だった。
これ以降、フランスがワーテルローの戦いで敗北するまでの戦争を、ナポレオン戦争と呼ぶのだが、なぜそう呼ぶのかは知らない。
ただ、この全方位敵だらけだった第三次対仏大同盟を打ち破った三帝会戦は、数ある歴史に残る戦術の中でも、一際有名といっていいだろう。それは、戦術なんてものに無頓着な僕が覚えている程なので、地球では一般教養の部類の知識だろう。
その有名な戦況の推移を記した図に、目の前の戦況は酷似しているのだ。といっても、僕としてはどうしてこの戦争が、歴史に残っているのかはあまりピンとこない事なんだけど。フランスの偉い人たちが、スゲー強かったって事でおk?
『はい。キアス様がご執筆なさった太古の戦術史に、このような戦法が記載されておりましたので、真似てみましてございます』
いや、別にあれ、僕オリジナルの戦術書とかじゃないから……。
アカディメイアの大図書館にある歴史書は、大部分が地球の歴史だったりする。それは、真大陸の歴史書が少ない事もあるが、僕の知識があちこち虫食い状態で、いろいろと注釈だったり、補足だったりが必要になってくるせいでもある。魔大陸に歴史書がない事は、別に不思議でもないので割愛する。
年号表にしたって、僕の知識元が日本なせいで、世界史と日本史の二つの年号表が基本で、その他、(恐らくは趣味で調べていたと思われる)ヨーロッパ史やデザイン史などの年号表もあって、本当に面倒な書物になっている。しかも、詳しい歴史的経緯を説明しているのは、別の書物だ。むしろ、あんなものをレライエが読んで、ちゃんと理解している事の方が驚きだ。書いた張本人である僕ですら、読み返すと頭こんがらがってくるってのに……。
それとは別に、有名な戦争とかも記述した書物もあったかもしれないけど、それは基本的につまらない歴史の教科書だったはずだ。三帝会戦の話も、さわりくらいしか書かれていなかったはずだが……。
『地形が似ておりましたので、三帝会戦を参考にさせていただきましたが、いやはやこうも上首尾に事が運ぶとは……。流石でございます、キアス様』
「いやいやいやいやいや!! レライエ、あれは別に、僕が考えた事じゃないんだよ! 過去の、人間の、偉人たちが考えた戦法だから! 僕には戦争の知識とか、欠片もないから!」
なんか知らないけど、フランス皇帝の功績まで擦り付けられそうだったので、そこは強く否定しておく。これまでも、諺なんかを呟いて、レライエに尊敬の視線を送られた事はあったが、いくらなんでも戦術の才能があると勘違いされる事を看過はできない。
いざ困ったときに頼られても、僕にはどうしようもないのだ。せいぜい、その状況全部をぶっ壊すくらいの事しかできない。
僕は、三帝会戦とかカンネーとか、あとはペルシア戦争とかも、基本的には地球の歴史知識で知っているだけであり、戦争の経緯を歴史の教科書通りなぞって記述いるだけでしかない。しかも、『どうしてそうなるのか』という知識はなく、歴史的に『そうなったからそうなった』という程度の認識なのだ。
本当の戦術家ってのは、そういった知識を持ちつつ、臨機応変に、状況に応じて戦術を考え出す人の事を言うのだ。地形に合わせて、過去の戦争で用いられた戦術を使った、今回のレライエのようにね。
というか、これは別に、歴史だけにとどまらない。僕は、理科的な知識も、教科書に載っている事はわかっても、応用が利かない。酸素がなくなれば苦しいという知識はあっても、無酸素回廊は自分で思い付いて作ったのがいい例だ。 数学知識も、その利用価値は領地経営を始めて、初めて理解した部分も多い。やはり、応用方法は自分で思い付くしかなく、僕にそこまでの臨機応変さはないのである。結局、僕の知識なんてのは、テスト前の一夜漬けのごとく、意味なく貯えているだけにすぎない。
その点、その知識をこうして応用するレライエや、きちんと理解して政策に生かしているフォルネゥスなんかは、本当にすごいと思う。
僕なんて、ダンジョンで人を殺す事にしか応用できないもんなぁ……。
「でも、あれ?」
と、僕はそこで、アウステルリッツとこの戦場の、一番の違いに気付く。
中央にプッラツェン高地のような、小高い丘があるのはアウステルリッツによく似ているのだが、左翼後方に湖などの水場がない。
本来のアウステルリッツなら、わざと左翼を手薄にし、敵中央軍を左翼側に誘い出し、手薄になった敵中央を撃滅、敵の右翼と左翼を分断してから、中央と左翼でもって敵を圧殺。その際、連合軍の背後にはザッチャン池があり、そこに敵を追い詰めて退路を断った。追い詰められたロシア軍は、凍結したそのザッチャン池を渡って退却を試みたが、フランス軍はそれを砲撃。湖面が割れ、多くの兵士や大砲が極寒の水中へと沈んだそうだ。
なのに、敵後方には森が広がっているだけで、敵の後退を遮るものがない。
「左翼後方に逃げ場があるように見えるんだけど、なんで敵はその森に逃げ込まないんだ?」
『ああ、あれはでございますね————』
レライエがそこまで言いかけたとき、森の中から轟音が響き渡り、巨大な竜巻が森の中から姿を現わす。その内部に見える、無数の木々と魔物と——魔族。悲鳴すら聞こえぬ、自然と言う名の暴力が、一切合切を呑み込んで絶叫している。
『————あの森は、シルフの住処なのでございます。どうやら、たまらず退却した者が、シルフの勘気に触れたようですね』
なるほど……。上位精霊の住処ともなれば、それは湖以上に退路を断つ地形だろう。ある意味、包囲されている前面以上に、背後の方が危険なのだから撤退もできない。ホント、レライエはよくもまぁ、こんなところで戦争をおっぱじめたものだ。
「あ、でも背水の陣って、敵の戦意を否応なくあげちゃう場合もあるから、気をつけてね?」
『なるほど。そうでございますね。自らの敗北も悟れぬ愚か者が、退路がない事を言い訳に、無闇矢鱈と吶喊してくる可能性は、なきにしもあらずでございます。やはり、キアス様のご見識は、妾などには及びもつかないものでございます』
しまった……。背水の陣って、もう慣用句の一つだから油断してた。
「あのね、レライエ……? 今のは、レトリックとしての背水の陣なわけで、戦術的な視点は僕には……」
『ええ、ええ、わかっておりますとも。キアス様のご謙遜は』
「違う! 違うよ!? 僕、マジで軍の指揮とかムリだから!!」
そういうのは、アイ〇ズ様の専売特許で、こっちの魔王は普通の魔王なんだ! ヘタレでいいの! 侮られるくらいでちょうどいいの!
だというのに、言い募ろうとした僕の思いを裏切る事態が発生する。まぁ、なんの事はない。レライエに戦況報告が届いただけだ。僕だって、戦争の指揮を執っているレライエが重責を担っている事は知っているので、それを遮ってまで訂正を求める程に空気が読めなくはない。
『おや……——ふむ、敵もなかなかやりますね……。申し訳ありません、キアス様。どうも、敵右翼に動きがあるようにございます。なにやら策ありと見受けられまする。そちらに注力する為、妾は指揮をとりに参りたく存じます。左翼にはパイモン、フルフル、マルコ、ミュルがおりますので、戦闘が落ち着きましたら、お会いください————貴方たちッ! キアス様が、この戦を御照覧くだささるそうです。間違っても、無様など晒さないでくださいまし?』
底冷えするようなレライエの声音を最後に、通信は途絶えた。どうも、勘違いを放置してしまった気がするのだが、戦の邪魔をしてまで撤回するのは憚れる……。いや、否定したくはあるんだけど……。今は、放置するしかないだろう。
戦が終わってから、懇切丁寧に、僕の無能ぶりを教授しようと思う。
「……降りるか……」
「あ、キアス様、なんか来るっす」
「んー……、魔物……?」
アリタとココが指差す先には、例のシルフの森があった。