えーっと、サンジュ・アフロ……なんだっけっ!?
「もっしもーし、ヌエ君、元気?」
とりあえず、合流にあたって、連絡を取っておこうという僕の目論みは、初手から外れる事となる。
『アムドゥスキアスッ!? 貴様、よくもぬけぬけとッ!!』
は?
『どこから我輩を謀っていたッ!? よもや、あのデロベとの決戦の夜からではあるまいなッ!?』
「えーっと、間違いました?」
『なにが間違いだッ!? その寒気のするようなあどけない声! 貴様意外にあり得ぬッ!! そもそも、これは貴様と我輩とでしかつながらぬであろうッ!?』
いや、だって……。なんか、いきなりよくわからない事で責めたてられてんだもん。
「はぁ……。まぁ、落ち着け。順を追って説明しろ。じゃないと意味わかんねーから」
『説明だとッ!? 貴様が一番よくわかっているだろうがッ!!』
「だーらぁ、そのヒステリーを抑えて説明しろっつってんだ。えーっと、謀ったって言った? つまり、僕がお前等を騙したと? お前ごときを、僕が直々に?」
そんなの、あの夜に召喚陣で〝仲間〟に縛り付けたときだけだ。だってこいつ等三バカを騙すくらい、僕でなくても簡単だもん。誰かに騙される危険が大きすぎて、騙してなにかに利用するような価値がない。
こんなやつ等と付き合ってたなら、以前のクルーンが自分は賢いと勘違いしてしまったのも、仕方のない話だろう。ヌエと三つ目、本気で頭悪いからな。良くも悪くも、魔大陸らしいやつ等だよ。
「…………」
どうやら僕の言葉で、ヌエのやつも少し冷静さを取り戻してくれたらしい。絶句しているようにも思えるが、沈黙だけなのでどちらか判断付かない。
「さて、じゃあ詳しい話を聞かせてくれ」
『…………。……レライエが、敵軍に寝返った……。事実、既にこちら側の陣営にその姿はなく、向こうの陣営へと向かう姿を、多くの者が目にしている。また、今朝よりそのような噂が、まことしやかに全軍に流れている…………』
はぁ…………。
僕はため息を吐くと、やりきれない思いで天を仰ぐ。きっと、使えない部下を持った上司というものは、僕と同じような思いを抱くのだろう。
「いいか、ヌエ。そんな小さな事で、魔王が狼狽するな」
『小さいだとッ!? 貴様、言うに事欠いて、我等を裏切る事を小さいと宣うかッ!?』
「だからさぁ……——はぁ……。お前さ、もし仮に、本当に僕がお前を裏切って利用していたとしたら、どうすんの? そうやって、ただただ怒鳴り散らして、狼狽えて、泣きごと言って、最期は文句言いながら僕に殺されんの?」
『……なに?』
「お前は魔王だ。お前の器がどうであろうと、お前の頭がどうであろうと、お前は一軍の長であり、一群の長だろう?」
『…………』
「もし僕が、お前を裏切ったとしよう。あるいは、レライエが裏切ったとしよう。もしくは、クルーンが裏切ったとしよう。最悪、その三人がお前を裏切ったとしよう。
お前はそのとき、自軍を率いて、僕等裏切り者と対峙しなければならない。お前に僕等を敵に回せる度胸はないし、武力だってたかが知れてるし、知恵なんて論を待つまでもない。だが、そんな事は関係なく、有無を言わせず、生き残る為には戦わねばならない。
そんなときに、今みたいに状況判断もできず、無様に泣き喚いていて、なにかが好転するか? よしんば、すぐさまなにかがなかったところで、自分の戴く魔王がそんな醜態を晒していて、お前の部下はどう思う?」
ホント、レライエの言う通りだ。こいつは、戦争経験というものが浅すぎだ。僕ですら知っている事を、どうやらこいつは知らないらしい。
戦場において、指揮官は絶対の存在だ。その命令は強い強制力をもち、命令に逆らう事は死を意味する。統制というのは、そういうものだ。逆に、命令系統すら確立されていないような軍は、どれだけ数がいようと烏合の衆以下の、群衆以上民兵以下の存在だ。
そんな命令系統の頂点である最高司令官であり、自らの縄張りの長である魔王が、大事が起きたからと慌て、狼狽え、オロオロと右往左往していたら、その配下はどう思うだろう。
自明である。そんな者の命令になど、従いたくないと思うのだ。
そして、脱走や反逆といった危険が頭を擡げるようになる。だからこそ、総大将っていうのはどっしり構え、負け戦でだって泰然自若としていなければならない。
こんな当たり前の事を、わざわざ僕が説明してやらなきゃならないのかと思うと、本当に気が滅入る。
「はぁ……。いいか? 一度しか言わないからよく聞いておけよ?
お前は、お前の配下たちの王なんだ。無様で、みっともない姿なんて、死ぬまで見せちゃいけないんだよ。死んで首だけになったとしても、それを見た配下たちが『ああ、自分の仰いだ王は、なんと立派な最期を遂げたのだ』と、感動させるような死に様を心がけなければならない。勿論、そんな最期を遂げるのが難しいのは百も承知だ。だが、それでも心構えとして、僕らは魔王はそうであらねばならない。それが、魔王としての最低限の矜持であり、覚悟だ」
と、偉そうな事を言ったところで、『それはあくまで建前上では』という言葉を呑み込む。この心構えはともすると、最悪の状況であっさりと生存を諦めてしまったりするので、結局は心構えであり、建前であり、綺麗事である。
なんなら僕は、舌の根も乾かぬ内に、王は、どんな状況でも生き残る事こそが仕事であり、例え堪え難い犠牲を払い、国土を追われようとも、捲土重来を誓って落ち延びる覚悟も必要であるというダブルスタンダードを宣ってみせよう。
『な、なるほど……。って、我輩より貴殿の方が年下であるよな?』
「それだけ、お前の帝王学が未熟だという事だ。僕のような、ド新参に諭される程にな」
今は、このイヤリングの向こうにいるヌエに、王のもう一つの在り方を伝える必要はない。この王様のど素人には、今は綺麗事を信じさせておいた方が扱いやすい。丁度いい手駒に育てる必要はあるだろうが、手間をかければクルーンくらいには使えるようになるかも知れない。
はぁ、こんな偉そうな説教、する方が恥ずかしくなるッつーの。
「それに、レライエが独断専行するのなんて、いつもの事だろうが。例え、本当に裏切ってたところで、そこまで驚くような事でもない」
『おいッ!! 魔王として、それはどうなんだッ!?』
「フフン。レライエが僕の意思に反して行動したときの為に、わざわざ軍権を譲渡してあるんだ。彼女が総司令官である以上、彼女の行動こそが軍事的指針である。僕の意思の方が、この場合は余計な横やりでしかない。まったく、ちょっとレライエが僕の意に反しただけで、裏切りだ、謀反だ、反乱だって、厳罰を求めるやつが多いから」
『いや、それが普通であろうッ!? それこそ、命令系統の確立に必要不可欠ではないかッ!!』
「ああ。だが、今まではレライエの挙げた功績と打ち消し合わせる事で、なんとか軽い罰にとどめてたんだ。じゃないと、本気でどこかで処刑しないといけなくなってた……」
『そういえば、我々のところに潜り込んだときも、独断専行だったのだな……』
ああ、あのときは尻拭いが本当に大変だったよ……。
ロロイ、バルム、アルルの三人衆は勿論、オールのところから引き抜いた連中、僕の『神殿』に住んでる連中、全員がレライエに厳罰を求めてたからね。
思えば、あれからだよな、レライエの独断専行癖。ホント、峰◯二子みたいな自由さだ。
余談だが、彼の傾国の美女は、他者の懐に入る技能においては僕も遠く及ばない程に卓越している。だが、お金に執着するからイメージとズレるかもしれないけど、金儲けが下手すぎるんだよな。商人になったら、絶対に失敗する。って、たしかそんなエピソードもあったね。
もし僕に、彼女程のコミュニケーション能力があれば、世界の半分の財産を手に入れられると思う。なにせ、直前まで命を狙っていた敵ですら、取り入って手玉に取るんだから、あの魔性は。
かくありたいものだ。
閑話休題。
「レライエの方は心配するな。なにをしてるかは教えないが、レライエはレライエで仕事をしているだけだ。それよりも、お前は自陣に潜り込んでいる獅子身中の虫をなんとかしろ」
『なに?』
『なに?』じゃねーよ、まったく。
「だから、『レライエが敵に寝返った』なんて噂を流し、お前の軍を混乱させたやつを、とっとと炙りだせっつってんだよ。お前が予想以上に狼狽えた事で、向こうは今頃ホクホク顔で油断してるはずだ」
目的だった士気の低下を成し遂げ、どころか普通はそれを抑えるべき魔王からして混乱しているのだから、上首尾の上にも上首尾の出来栄えだ。僕がスパイだったら、新築の家を見上げる大工の棟梁のように、その混乱を腕組みしながら眺め、自らの仕事に大満足しながら頷いているところだ。
スパイ冥利に尽きる、見事な仕事の完成だろう。
『か、間諜だとっ!? 我輩の軍にかッ!?』
「……むしろ、今の今までその可能性を考えていなかったお前にドン引きだわ……。なぁ、お前さ、もうちょっと誰かに、戦争のやり方とか教わらなかったの? 第九って、一応僕たちの中では一番古い魔王なんだからさ……」
『……い、いや……、教わった事はあったのだが……』
あ、勉強サボりやがったな、コイツ。
バツの悪そうなヌエの声音に、僕は呆れ返る。よくもまぁ、それで『小物と呼ばれたくない』とか言えたもんだよ。努力もせず、『ビッグになりたい』とか言ってるロクデナシと同じじゃねーか。
勤勉さにおいて、クルーンはもうちょいマシだったぞ?
「まぁいいや。この分じゃ、三つ目の方も混乱してそうだなぁ……。いやだなぁ、同じ説教すんの……。なんだって、僕が先達に説教してんだよ。もうちょっと、後輩に楽させてくれよ、先輩よぉ?」
『む……。す、すまん……』
意外と素直に謝るヌエに、毒気を抜かれた僕は、一つため息を吐いてこれ以上の苦情を引っ込める。
仕方がない。なんの因果か、こうして部下にしてしまった以上は、一端の魔王になれるよう、きちんと教育してやらねばなるまい。犬を拾ったら、最後まで面倒を見なければいけない。もしできないのであれば、最初から拾ってはいけないのだ。
……まぁ、この犬、猿の頭に虎の胴体、猛禽の脚に蛇の尾がついてるんですけどね……。
「とにかく、この魔大陸で脳筋のまま許されるのは、支配者になる事を選ばなかった者か、選べなかった者だけだ。お前は望むと望まざるとにかかわらず、魔王になったんだから少しは勉強しておけ」
『わかった。すまなかったな、アムドゥスキアス殿……』
「僕、これからそっち行くつもりだったんだけど、その様子だと、配下を落ち着けるのに時間かかりそう?」
『む……、い、いや……。……そうであるな……。少々、時間をもらいたい……』
決まり悪そうに口籠もってから、おずおずと言うヌエ。まぁ、自らの不手際を露呈した直後に、その不始末を見られるのは嫌だろう。
それに、裏切り者だと思われていた僕が、いきなり空から乗り付けるのも憚られる。なにより、ヌエの陣営にスパイがいる以上は、もう少し手練れの護衛を連れてきたいところだ。
「じゃあ、僕はレライエの方から先に回ってくるよ。戻ってくるまでに、混乱を鎮めておけよ? あと、スパイの特定もしておけ。少なくとも、一人くらいは捕まえておけ。あ、見つけても絶対に殺すなよ? つーか、死なせるな。なんとしても生け捕りにして、情報を吐かせろ。じゃないと、本当にやられっぱなしだからな。あと、物資の管理も怠るな。絶対に横流しとか、横領とかさせんなよ? いざというとき、足りませんって泣きつかれたら、本気で殺意湧くから」
『う……む……? ちょ、ちょっと待ってくれ。えーっと……』
ブツブツと、タスクを復唱しながら覚えるヌエ。この程度の事、一発で暗記しろよと思うのだが、それでなにかど忘れされても困るので、ここはよしとしよう。最上はメモを取る事だが、この場合機密までメモに残してしまう事にもなるので、良し悪しである。
「じゃあ切るぞー」
『うん? う、うむ。では、到着を待っている』
「待ってねーで仕事しろ」
僕は、部下の教育には実践あるのみだと思っている。クルーンのときもそうしたので、こいつも忙殺してやろう。成長しなければ、どんどん仕事が溜まっていくようにしむければ、嫌でも成長するだろう。
いやぁ、過労死のない魔王って素晴らしい。サービス残業万歳。ああ勿論、人間は過労死する事があるので、オーバーワークは程々に。コンプライアンス、コンプライアンス。
『……ところで……』
「うん?」
『アムドゥスキアス殿? ヌエだの三つ目だとの我等の事を称すが、ちゃんと名前を覚えておるか?』
えーっと……。なんだっけ? いや、お前等の名前って憶えづらいんだよね……。春の七草も全部言えるし、円周率も十桁諳んじられる僕にだって、ついついど忘れしちゃうものってあるんだよ?
十二支が一つ足りなかったりとか、バルト三国の位置とかね?
つまり、ヌエと三つ目の名前も、そういうモノって事で……。