戦争を台無しにする者
「おわぁぁぁあああっ!?」
背中から感じた軽い衝撃に、バランスを崩し思わず声をあげた。翼の端で周囲を、主に下方の戦場を注視していた俺の体は、その軽い衝撃にも傾ぎ、なにもない空中へとその身を投げ出そうとしている。咄嗟に身を翻し、そのマジックアイテムの翼の縁に掴まる。見上げた先にいたのは、ニタニタと嫌な笑みを浮かべるキアスだった。
「なにしやがるっ!?」
「チッ、一度で落ちろよな。これだから、運動神経のいいやつは……」
俺の質問にも、キアスのやつは平然とそんな事をのたまう始末だ。ホント、どうなってんだコレ!?
「おい、キアスっ!? マジでなんのつもりだっ!?」
「あ、ロロイ?そろそろいいタイミングだから、第四、第五魔王軍が進軍し始めたら、予定通りやっちゃって。そのあとの指揮はお前に任せる。好きなだけ暴れろ」
『了解いたしました』
「あ、あと、今から僕の代わりの的落とすから、そっちもよろしくね?」
『委細承知』
「おい、答えろキアスッ!?」
俺の再三に渡る詰問が功を奏したのか、ようやくキアスが俺を見る。
「まぁ、元々僕としては、別に気にしてなかったんだけどさ――――」
そう前置きしたキアスが、片足を上げる。
おい、まさか……――――
「やっぱり魔王同士の戦いに水差して、自分はトンズラっていうのは外聞悪いからね。最低限、僕の身代わりが必要だったんだ。そんなのなくても、オールやアベイユさんは楽しんでくれる趣向だとは思うんだけど、一般兵士や、それを伝え聞いた一般大衆に反感を持たれても厄介だしね」
そう言ったキアスの靴底が、勢いよく振り下ろされる。その下――――翼の縁に捕まっていた、俺の指へと。
指先に感じる痛みに顔を顰め、思わず下ろしてしまった顔を再びキアスへ向けると、やつはなおも要領を得ないような事を語る。
「だから、お前を連れてきたんだ。戦闘狂の脳筋たちにとって、お前は最高の囮になる。ああ、なんて心強いんだ。安心だ。お前がいてよかった。じゃ、今がそのときだから、存分にその力を振るってくれ。魔王の為にな」
「――――いづッ」
ジリリと踏み躙られた指先から痛烈な痛みが伝わり、思考を苛む。思わず意識の逸れてしまった指先は、踏み躙られるままに、翼の縁から離れてしまう。空中に身を躍らせた俺は、ゆっくりと小さくなっていくマジックアイテムと、その上で悠然と笑うキアスに向かって叫んだ。
「おぼえてやがれぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええ!!」
◯●◯
無事着地した俺は、周囲を見回す。
ここはどこで、今はどういう状況だ?
キアスの野郎がなにも説明しないから、全く状況が分からねえし、なんの意味があってこんな事をしたのかも見当がつかねえ。着地の際、派手に魔法を使ったせいで周囲の魔族からは注目されてるし、すげー居心地も悪い。つーかこいつ等、第四魔王軍? 第五魔王軍? あ、あっちに壁あるし、割と近場にさっきの金ピカ兵団いるから、第四魔王軍だろうな。よかった、友軍で。……いや、ホントに友軍か?
あー……、考えんの面倒クセェ……。たぶんキアスに、俺を殺したり、なにかしらの危害を加えるような目的はない。それが目的なら、他にいくらでもやりようはある。それこそ、俺の背中にケリくれる暇あるなら、剣でもブッ刺せばいい。そうしなかったって事は、キアスが敵に回ったって事じゃねえと思う。
……最低だとは思うが。
じゃあ、いったいなにがどうして、キアスは俺を落とした? キアスの目的はなんなんだ? そもそも、なんの説明もなしに自分の為に働けって、俺がそんなに察しのいい人間だとは思ってねーだろうに……。
グルグルと回る思考は、しかし使い慣れないせいで、一向に成果を見せない。そんな混乱の渦中にあってなお、俺はキアスが本当に俺を裏切った可能性なんて考えなかった。
まぁ、あいつにはいくつも借りがあるし、その最たるものが、アドルヴェルドで囚われたときに助けられた借りだ。だったら、ここらでその借りを返しておくのも、悪くねーだろ。
結局、俺がそんな結論に至った頃、戦場には大音量の音楽が響き渡った。えっと、これはなんていったっけ……? たしかキアスが『ワルキューレの騎行』っていってたやつじゃなかったか?
遥か上空に遊弋する、小さな飛行機を見上げる俺は、どうする事もできずに音楽に聞き入る。しっかし、スゲー曲だよな、これ……。まさしく、戦場にピッタリじゃねーか。
『皆さん、戦争ご苦労っ!!』
そんな声が響き渡る。勿論、キアスの声だ。
『さて、アベイユさん。まずはお見事と申し上げましょう。実に素晴らしい戦略でした。最後まで見れない事は残念ですが、歴戦の魔王の策謀、その一端は堪能させてもらいました。ですが、ここからは全部僕の手番です。あなたも、オールも、その配下たちも、勿論僕の配下も、僕の手の上で存分に踊ってください。それじゃあ――――ロロイ!!』
『脳筋共が夢のアート!!』
途端、地響きが周囲を包む。
激しい振動に、腰を落としてバランスを保つ俺と、両軍の魔族たち。いったいなにが起こるのかと注意を払っていた俺たちの前に、先程、第五魔王軍が建てた壁など比べ物にもならない巨大な壁が、周囲を囲むように天へと伸びる。数十――――下手をすれば数百メートルまで隆起したその壁は、唐突にその成長を止める。
その、あまりにも非現実的な光景に唖然としていた俺たちに、さらに不可解な事態が襲いかかる。
ほんの僅かに落ち着きを見せた壁から、横向きに壁が生える。しかも、次々と。まるで上段からできあがる階段のように。
その階段の最後の一段が、一際分厚くせり出す事で、戦場は再び沈黙に呑まれた。かに思われた。
よく見ると、まるで植物が生えるかのように、するすると細部に装飾が施され、旗が掲揚され、できあがった階段は、いっぱしの観客席へとその姿を変える。そう、これはアレだ。
「……闘技場……?」
誰かが呆然と、呟くようにこぼした声。俺たちを丸く囲んだ壁、階段状の観客席、ついでに屋外ともなれば、まず第一に連想できるのは闘技場だ。もしかしたら、魔大陸なら別の見解もあるのかもしれねーが、俺からしたらそれしか思いつかねー。
しかし、だったらもう一つ、一番重要なものが足りないだろう。闘技場の主役ともいうべき装置が。
そこには例の、第五魔王軍が壁を建てた場所だった。その壁がーー苦難の末、文字通り血を流しながら建てたその壁が、無情にも地面へと呑み込まれる。そして、逆に地面から生み出される、ソレ。あまりに大きなソレは、戦場のど真ん中に落とされた俺をも乗せたまま、地面からせり上がり、傷ひとつない状態で出来上がる。第五魔王軍が作った壁よりも、さらに高度な魔法の結晶であり、しかし本来なら戦場には無用の代物であるソレ――――舞台。
正真正銘、大舞台を擁する大闘技場の完成だった。




