無月革命・1
たった一日のクーデター。後の世に、無月革命と呼ばれる事になるこの革命は、とある教会関係者の処刑日に行われた。
アドルヴェルド聖教国滅亡の切っ掛けとも呼ばれる『新通貨発行』の責任者であり、その失敗の責を問われた者。別に何かを狙ってこの日に起こったわけじゃない。たまたま、別行動だった聖騎士たちとか、僕の諸事情とか、色々重なった結果、たまたまこの日になったというだけだった。
だがこの日は、確実に真大陸の歴史を動かした一日となった。
真大陸中の信仰を一手に集めていたアヴィ教、その総本山たるアドルヴェルド聖教国が滅んだ日であり、歴史上、勇者に滅ぼされた初めての国として、歴史に名を残す事となった。
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「――以上の事から、ここにいるポウル・ライルバー・レンメル元上級司祭長は、教皇聖下の信頼を裏切り、民からの税金、寄付金を私的投資に流用し、なによりも光の神の教えを蔑にした事は明白である!!」
民衆の怒号、それが向く先は公開処刑の壇上だ。そこにいるのは罪人の罪状を読み上げる司教と、他数人の聖職者。処刑用の大きな斧を携えた執行人と、周囲を警戒する聖騎士たち。
しかし、普段は信仰厚く、司教の言葉を厳粛に聞き入る民衆も、今このときに限っては、その例外にあった。レンメル元上級司祭長の罪状を読み上げる声も、ほとんどが怒号にかき消されて聞こえない。それほどまでに、民衆は怒っているのだ。
教会の新通貨発行。
既に誰の目にも失敗が明らかなこの計画の最高責任者、それがこのレンメルだった。そして、その計画の最大の被害者は、この国の者ほぼ全てである。怒りの矛先が向かわないわけがなかった。今や教会貨幣の価値は、贋金の横行もあって暴落の一途をたどっている。そして、それはつまり教会の提示した額面通りに、天帝国貨幣を教会貨幣に換金した結果、教会貨幣の暴落に伴い、その資産も急激に減ってしまったという事に他ならない。庶民、貴族、聖職者、全ての者から恨まれ、憎まれ、嫌悪され、壇上で真っ青な顔をして震えているレンメル。元々ガリガリだった体は、骨と皮しか残っていないのではないかという程やせ衰え、いやらしい目付きは、衰弱と絶望で落ち窪んでいるようにすら見える。
今や完全に神の敵となったレンメル。民衆からの罵声に震え、このまま死んでいく彼。
しかし、俺はこの元上級司祭長なんて者に興味はない。
あからさまな蜥蜴の尻尾切りである、こんなガス抜き程度で、俺達はもう騙されない。
新貨幣発行は、司教にもなれない上級司祭長ごときが進められる話でも、動かせる金でもなかったのだ。少なくとも、司教や大司教。あるいは教皇聖下までもが関わっていた可能性が高い。それを有耶無耶に、ただ適当な者を罪人に仕立て上げて処刑するなんて解決は、認められない。それでは、このまま腐敗する教会を誰も止められなくなる。
レンメルの首が落ちると同時に、俺は――俺たちは蜂起する。民衆の為、真大陸の為、そして何より、教会の為に、革命を起こす。
光の神の御為、今の乱れた教会は正さねばならない。
俺達全員が命を捨ててかかったって、教会の聖騎士に全部押さえ込まれる事は目に見えている。だが、それでもいいんだ。俺達の意思を、教会の連中に示す為なら。
北方三国発行の新聞を見る限り、俺たちみたいな集団が少なくともあと一つはいるはずである。そちらの組織と連携はできなかったが、教会に嗅ぎつけられる訳にもいかないのだから足跡が追えないのはむしろ褒めるべきだろう。出来れば歩調を合わせたくもあったが、準備さえ整っていれば俺たちに合わせて向こうも動いてくれるはずだ。そうでなかったとしても、決して恨まない。
むしろ喜ぼうじゃないか。
もし志半ばで俺たちが潰えても、その意志は彼らが受け継いでくれる。近い将来、きっと俺たちの望みを果たしてくれる。
だから俺たちは、安心して死ねる。
「罪人は、何か申し開きはあるか?」
「違うんだ!」
司教の問いかけに、縋りつくように叫んだレンメル。
「私は教皇聖下に言われた通り動いただけだ! それに計画を練ったのは死んだ枢機卿達だし――そうだ! 一人生きてる! ロードメルヴィン枢機卿に聞いてくれればわかる! 悪いのは私じゃないんだ! 貨幣発行当初に贋金騒動を起こした金髪の女と獣人の商人のせいなんだ!!」
あまりに見苦しく言い募ったレンメルに、民衆の怒号は一層増していく。
今、聖都アイールは未曽有の物資不足に陥っていた。資金不足もさる事ながら、今回の貨幣発行の失敗を見て取った商人たちは、こぞってこの国から手を退いていった。以前から少なくなっていた商人。それがここにきてとどめとなったわけだ。今残っているのは、国外に逃亡する資金すら捻出できなかった弱小商人か、あるいは信仰の篤い信徒のみだった。物資の不足という目に見える形での危機に、普段は政治的な物事に無関心な民衆ですら、危機感を募らせ、詳細を知りたがり、そしてレンメルへと罵詈雑言を投げかけているのである。
今までは信仰と尊敬の対象であったレンメルにとって、石を投げんばかりに怒り狂った民衆が自分を見る事など、想像すらできなかっただろう。それが今、ここにいるすべての人間が自分の死を願い、悪罵を投げかけられる。その事にショックを受けたのか、茫然自失としたレンメルは執行人に両脇を掴まれて、壇上にある一際高い処刑台へと跪かされた。そこで手枷を外され、床に固定された首枷を付けられる。
司教や執行人がその場を離れ、石の満載された荷車を聖騎士が引いてくる。そこで司教が口上を述べ、許可をだし、民衆はレンメルへと石を投げるのだ。ただ、どうやら教会も馬鹿じゃないらしい。
司教のそばには、あからさまに聖騎士が多く配置され、これ見よがしにローブ姿の魔法使いまでいる。ここで司教たちに石を投げれば、すぐに結界や魔法で防いで鎮圧するつもりなのだろう。
やはりどうやら、処刑がつつがなく行われてから蜂起する事になりそうだ。そう思っていたのだが――
「――このような罪人には、その報いを与えなければならない。光の神は、不正と不浄と罪過を許しはしない。この罪人が光の神の御元へと迎えられる為にも、処刑の前に罰を受けさせてやるのがせめてもの情けであろう!! 皆の者、この罪人の為にも石を投げよ!!」
司教の言葉が、民衆の怒号を押しのけ響き渡り、そして民衆もまたその言葉通りに荷車へと手を伸ばしたその時――
「あれ?」
唐突に荷車の前に現れた、数名の男女。その中の一人が、自分たちに向かってきた民衆に首を傾げた。
「どうやら、タイミングが悪かったみたいだな」
黒い服に黒髪、さらには黒い瞳の子供は、背後の壇上を見上げてから、もう一度民衆を見つめてため息を吐いた。
「おいおい、一人で納得してないで説明してくれ。状況がさっぱりだぜ?」
赤髪の青年が黒髪の少年に話しかけると、別の方向から萌黄色の髪をした少女がそれに答える。
「アホ。んなもん一目瞭然やろ。ウチ等、公開処刑の真っただ中に飛んでまったんや」
そして、それに付け加えたのが、少年と同じく黒い髪と黒い瞳の妙齢の女性。
「いくらなんでも、罪人が哀れだ。最期は誇り高く、厳粛に死なせてやりたい。例えそれが打ち首だろうと」
民衆は水を打ったかのように静まり返り、誰一人として微動だにしない。それは、警備をしていた聖騎士すらも同様で、数分前には怒号であふれていたこの広場には、奇妙な静寂が生まれていた。
黒髪黒目の二人はともかく、赤髪と萌黄髪の二人を、誰もが知っていた。
それは光の勇者シュタール様と、風の勇者サージュ様だった。




