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 麗しき青

 さて、どうしましょうか……。

 私は考える。どうするべきかを。

 全てを詳らかにしてあげるのは、まだあの子には時期尚早だ。こうして、私が前面に出てきてしまったのでさえ、本来ならば避けるべき事態だった。しかし、事態は私の、あるいは神の期待に反し、動き出してしまった。

 本当なら、一年はあの子がこの世界に馴染む為に費やせるはずだった。だが、良くも悪くもあの子は優秀すぎた。ダンジョン、通貨、ソドムとゴモラの街。この三つは既に並々ならぬ影響力を有し、雑多な有象無象を寄せ付けないまでに、あの子は魔王として成長した。しかし、そんな有象無象ではない、確かな敵の目につくまでに成長してしまった事で、私と神の目論見が外されたのも事実。

 しかも、偽勇者のせいでいらない言葉まで聞いてしまう始末……。これならば、この姿を見られてでもあの場に介入するべきだった。

 ステータス、そして恋愛面で、神はあの子に瑕疵を残しすぎた。これ以上、あの子に不信感を抱かせるのは、どんな場合においても良くない。


 あの子の力は本来、魔王などと呼べるようなちゃちな代物ではないのだから。


 「あぁあぁあああああぁぁぁ……」


 嬌声とも、悲鳴ともつかない声に顔を上げる。

 「うるさいですよ。早く殺してもらいたかったら、さっさと歩きなさい」

 私が言うと、彼女ははぁはぁと艶めかしい息を吐きながらも、従順に歩く。偽勇者、たしかドゥーという名前の少女は、既にいたるところから血を流し、極寒の雪原に血のしるべを残しながら進む。いつ死んでもおかしくないような深手でありながら、それでも彼女の足取りはしっかりとしたものだった。しかし、そんな彼女の表情は恍惚に染まっており、ときおりぶるりと体を痙攣させては、さっきのような喘ぎ声を上げる。

 人間からしたら、この光景は異常極まるものだろう。しかしそれもそのはず、これは悪魔の所業だ。

 彼女は今、どれだけ傷を負おうと死ねない。四肢をなくそうが、五臓六腑を引きずり出そうが、頭を潰してしまっても死なない。彼女たちが声高に主張していたスキル、『覚醒』を超える不死性。それを今、彼女は持っている。

 しかし、果たしてそれが、彼女にとって自慢できるものかはわからない。

 「あぁっ……、あっ、……くっ……、殺してぇ……、もう、殺してよぉ……」

 「だから、とっとと歩けば殺してあげますよ。私はあなたのように悪趣味ではありませんので」

 「はぁ……、はぁ……。んぐぅ……うっ……あ、あ、ああああぁあぁあぁっぁ」

 「はぁ……。本当に、余計な事しかしないくせに、使えない連中ですねあなた方は……。私に、あなたのような汚らわしい下等生物の死体を負ぶって歩かせるつもりですか? いえ、あなたがそのつもりであるなら、あなたの死はまだまだ先の事になりそうですね」

 「んっぐ……、はぁ……はぁ……んっ」

 途端に足早に歩きだすドゥー。

 「いいですね。従順なペットにはご褒美をあげたくなるものです。さぁ、頑張りなさい」

 そう言って、懸命に快楽に抗い歩みを進めるドゥーに私も続く。その後ろには、カラスの魔人。だが彼は、どうやらまだ地下迷宮の世界と外の世界とのギャップに戸惑っているようだ。なまじ理性があるだけに、色々と面倒である。

 「……アンドレ様、その者、もう殺してやってはいかがでしょう?」

 何度目かになる彼の言葉に、そろそろ少しうんざりしてくる。ドゥーはといえば、一縷の望みに縋るように情欲に浮かされた瞳でこちらに振り返っている。最初など、まるで最愛の恋人から愛を囁かれた乙女のように彼の言葉に希望を見出し、私が却下すると絶望の淵に落とされたかのように落胆したのだが、彼女ももう慣れてきたのだろう。

 「死体ならば我輩が背負いますゆえ、お慈悲を与えられても……」

 彼は今、生まれて初めて死よりも恐ろしいものを目にして戸惑っている。だからこそ今まで大目に見てきたのだが、それもいい加減面倒くさくなってきた。何より、これから私への直言を安易に許されると勘違いされても困る。私は、できる事ならあの子とだけ話していたいのだ。

 「黙りなさい。あなたに指図を許した覚えはありません。あなたも悪魔の名を冠すつもりなら、この程度の事でいちいち狼狽えるものではありません。あなたの先輩二人であれば、この光景を見て食欲を刺激される事はあっても、間違っても敵に同情などしません」

 「は……」

 理性ゆえに、不承不承といった体で頷く彼に、私はなおも言葉を紡ぐ。決定的な言葉を。

 「マスターにただ庇護されるだけの俗物に成り果てたいのなら、今すぐ出奔しなさい。目溢してあげます。なんの力も無い獣人や、人間の少女でさえ、マスターの力となり、支えとなろうと奮起しているのです。やる気のない者など不要です」

 「い、いえ! 決してそのような!」

 「ならばさっさとその下等生物を切りなさい。死なない程度に、歩ける程度に」

 私が言うが早いか、彼は少女の体に、なんの躊躇も無くナイフを突き立てる。ドゥーの顔には失望や落胆はない。最早、そんなものを感じていられる余裕すらないのだ。

 「あああああああぁぁああぁあぁぁぁぁああああ!」

 一際大きな嬌声が響き、少女の絶叫が雪原に吸い込まれていった。真っ赤な滴とともに。

 全く……。これではまるで、私が悪役みたいな構図ではないですか。それは、あの子の立ち位置だというのに……。






 「これは……」

 目の前に居並ぶ聖騎士と、枢機卿と、火の勇者。皆一様にこちらを凝視し、そして戸惑っていた。

 「さあ、この方たちがあなたを殺してくれます。自らの罪を告白し、嬲り殺されなさい」

 「あぁあっ、殺して! 殺して!」

 私が言うまでも無く、彼女は彼らに縋りついた。

 彼女にとって、痛みと快感は既に表裏一体。痛みが精神を痛めつけ、しかし死ねない。快感が神経を焼き、しかし死ね(逝け)ない。そんな状況において、彼女にとって自らを殺してくれる彼らが、神の差し出した救いの御手に思えただろう。

 「罪の告白が先だと言ったでしょう? 物覚えが悪いようなので、もう少し躾に時間を取りましょうか。すみません、今しばらくお待ちください」

 後半の台詞は聖騎士たちに向けたものだったが、『今しばらく』という言葉は、死というご褒美を前にした彼女にとって、絶望でしかない。

 「言う! 言います! わ、私は、ドゥーは、いっぱい人を殺しま――ああっ――殺しました! その死体を辱めるのが好きでした!」

 これでもかと言葉を尽くして懺悔を始めたドゥーを無視し、私は聖騎士たちに向き直る。

 「この通り、あなた方にも復讐の機会を与えるのはマスター――アムドゥスキアス様のお慈悲です。のちの処遇はそちらに任せますが、あと三時間もすれば、私の権能も時間切れで消失します。そうなれば、この傷ですから助からないでしょうね。だから、彼女の言う通り、さっさと殺してあげてください」

 そう言って一礼し、私とカラスの魔人はその場を辞す。あの子の事も心配ですし。

 あまりの状況に一言も発せずにそれを見送る聖騎士たちと、のべつまくなしに自らの醜悪な性癖を暴露するドゥーを後目に、私たちは帰る。

 彼女が、あとしばらく死ねない事など、今の私たちには関係のない事だ。




 アンドレアルフスは、ギリシャの河神がそのルーツだと言われている。好色で、実に三枚目な男神、アルペイオス。悪魔としてのアンドレアルフスも、幾何学、天文学、測量の知識と、逃走を補助する程度の権能しか持たない。


 因みに、悪魔が代償として体の一部や生き血を求めるのは、受肉するためである。受肉し、現世へと出て面白おかしく暮らす為。受肉した悪魔と、普通の悪魔の違うところは、名前に縛られない事。名前に縛られた悪魔は、受肉する機会を得る代わりに力を制限され、姿までも縛られる。無論、受肉ののちにも力の行使には制限があるのだが、それでも悪魔として持っていた力は変わらないし、何より自由を得る。


 さて、では関係ない悪魔の話でもしましょう。


 ソロモンの七十二柱の悪魔の中で最も危険な悪魔と呼ばれ、一時はソロモン王自身をも追放して成り変わった悪魔。聖書で七つの大罪にも数えられ、色欲を司るとされる悪魔。聖女に不貞を働かせ、夫婦の性交を拒み、少女に憑りついて初夜に夫を殺戮し続けた悪魔。宝物を守り、算術、天文学、幾何学、あらゆる手芸技術を授け、人を無敵にするとされる悪魔。アマイモンの配下であり、召喚の際にはアマイモンの監視や干渉を避けるため、様々手順が必要となる、第三十二の序列と王の位階を持つ悪魔。


 アスモデウス。


 ああ、本当に怖い悪魔がいたものですね。ふふふ……。




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