侯爵と将軍の密談
どうやら上手くいったらしい。
年若い王女と騎士団長が楽しそうに話している姿を見やり、儂は深く安堵する。
この会合は、貴族のしがらみを排したものだが、それを受け入れて参加する貴族であるなら、こういった付き合いもいいものだ。何より、遠くアルバン諸王国の跳ねっ返り王女の噂には、我が国の姫様を想起させるものがあり、少々心配していたのだ。
「侯爵閣下、あの王女とガナッシュの騎士団長を会わせたのは、あなたの采配ですか?」
リューン将軍が武人らしい朴訥な言葉で聞いてくる。
「いや、贔屓にしている商人が王女の話を持ってきてな。どうにかあの二人を引き合わせられないかと相談された。絶対気は合うだろうから、とな」
「そうですか。あの商人、パイモン商会の会頭代理は、やり手ですからね。あなたもやり込められたクチですかな?」
「ふぉふぉふぉ。まぁ、確かに見所はあるがな、しかしどうして、まだまだ若い。それに、あれは国に縛られるような器ではなかろうて。でなくば、養子にしてでも儂の後釜に据えたものを」
「それは末恐ろしい」
苦笑するリューン将軍だが、彼とて大国リュシュカ・バルドラで将軍職を務める男だ。あれにただ貪られたわけではなかろうて。
「それより――」
儂は何気ない世間話の体を取りながらも、リューン将軍に話を振る。
「――昨今、天帝国に動きがあったようですな。将軍も、忙しかったのではないですかな? 此度の会合、無理を言って参加させてしまったのではないかと少々憂慮しておるところです」
「なに、たいしたものではありませんよ。幸い、拙者の出番もなく終息いたしました」
終息。それはつまり、そういう事だろう……。リューン将軍が関わっていないであろう事態の進展も聞いておきたいが、それは世間話としてここで聞ける範疇を逸脱しているだろう。
それに、『魔王コレクション』を手に入れられるのは、それなりの成功者に限られる。そんな商人や冒険者でも名を馳せた面々が揃っている中、これ以上の会話は避けるべきだ。彼らは情報に貪欲だ。
「まぁ、前座はこのくらいで、将軍の剣の話を聞かせてくれ。儂のスクラマサクスは既に見せたが、将軍の剣はまだ見ていない。貴殿ほどの剣豪が選んだ剣だ、武に疎い儂だって気にはなる」
「はっはっはっは。拙者もこの愛刀を自慢する機会を待っていたのです。拙者の愛刀はこれ、突くに良し、斬るに良し、直剣でありながら斬撃も重視した刀剣。
その名も『フリッサ』」
将軍が抜いたのは、百二十㎝ほどの長剣。全体的にかなり細身であれど、先端はさらに細く鋭利であり、中程で刀身が膨らんでいるため刃が緩く波打つ直剣だった。鍔は無く、柄も刀身と一体となった金属に何かの革を巻いたもの。
確かに機能美に優れた直剣だ。我が国の姫が魔王から直接譲り受けたファルシオンと似た色を感じる。
あれも直剣でありながら斬撃を重視した刀剣であり、あえて差別化するならファルシオンは片手で扱うのに長けた剣だが、先端が重く取り回しには難があった。切っ先が広くなっていた為、直剣本来の特性である刺突にも、それなりに瑕疵が残っていた。しかし、姫の女性ゆえの非力さをも補う威力を重視した造りであり、そもそも戦争を主眼とする我が国の剣術では刺突はあまり重視されない。剣の扱いに天性の才を持つ姫にとっては利点しかない剣とも言える。
対して将軍のフリッサは、直剣の刺突という特性を最大限残しつつ、斬撃という特性をその緩く波打った刃に持たせた刀剣である。威力はその細くも長い刀身で補い、刺突においては比類なき威力となるだろう。こういった細い剣は、使い手の技量次第で脆くも強くもなる。
そもそも直剣は刀身にかかる負担が大きく、斬撃の線がブレればあっさりと折れる。細い刀身ともなればなおの事だ。刺突も同じである。いや、むしろ刺突のほうが事は厄介である。実戦では体内に入った刀身が色々な物に引っかかり、下手に抜こうとすれば曲がり、折れ、一回で剣が使い物にならなくなる場合が多い。相手が鎧など着ていれば、それこそ刺突に特化した剣でも刺突は必殺の威力を発揮できない。
しかし、それも使い手がリューン将軍ともなれば、そして得物がこのフリッサともなれば、話は全くの別物である。
万が一下手な場所に刀身が入ったとて、このフリッサならばむしろ押し込み、波打つ刀身で傷口を広げ、あるいは切り裂き、そして剣に負担をかける事無く戦い続けるだろう。
リューン将軍の腕があってこその剣。成程、ただでさえ一騎当千の将軍に、余計な業物を持たせてくれたものよ。
「良い剣ですな」
「それはもう! この剣との出会いから、拙者が新たな剣の境地にたどり着くまでの逸話をお聞かせしたくもありますが、それでは恐らく明日までかかる事でしょうから、今は我慢します。しかし、これを見た瞬間、惚れ込むとはこの事かと、いい歳をして実感しました。あ、因みに只今執筆中ですので、いずれは北方三国に頼んで書籍化しようと思っております。閣下も興味がございましたらお手に取ってください」
それは……、随分と景気の良い話だな。リューン将軍程の達人の書いた本であれば、買い手には事欠かないだろう。三国で取り合いにならねば良いが……。そういえば、我が王の本も売れ行きが好調だとか。どちらがより売れるか、はてさて……。
「閣下のスクラマサクスも、なかなかの一品かと見受けます。まぁ、あの『魔王コレクション』にナマクラはあり得ないので、全てが逸品なのですが」
「はっはっはっは! そうだろう? 儂のように武に疎い者でも、このスクラマサクスがあれば、ある程度身は守れる。無論、将軍程の相手では木の棒と変わらないであろうがな」
「いえ、使い易さ、威力、強度、どれを取っても完成の域にある刀剣かと。これを軍刀として配備すれば、軍の力はそれだけである程度増大するでしょう。誰でも使える、というわけではありませんが、誰でも高威力の一撃を放てるというのは脅威です」
片刃の片手用直剣、スクラマサクス。
特徴的な非常に鋭利な先端はフリッサに似通うものの、その刀身は幅広であり、十分な強度を保っている。刺突における一撃の威力は言わずもがなであり、斬撃にも耐久できる強度を持った刀剣。鍔はなく、一切の無駄を省いた効率的な造りであり、戦闘における合理性を追求したような姿だ。儂のような、本来剣を振るえない者でも、一撃だけは必殺の威力を持たせられる武器である。
「スクラマサクスですか……。見る限りの利便性を思えば、市場に出回る中から探すのは骨ですね……。業腹ですが、またあの商人の世話になる事になるでしょうね……」
「なんじゃ、将軍もこのスクラマサクスに惚れ込んでしまったかの? 浮気させてしまったのなら、フリッサに少々悪いの」
「いえ、あくまで予備として持つには最適かと思っただけでありますよ。拙者はやはりフリッサ一筋ですから」
「ふぁふぁふぁ。まぁ確かに、儂にも将軍程の実力さえあれば、フリッサは何が何でも欲しくなるのかもしれませんな」
あの機能美は、見る者が見れば惚れ込む事だろう。そしてそれは、スクラマサクスも同じ。となると、ただ漫然とあの街から流れてくるのを待っていても手には入らないだろう。
なれば、商人の伝手を使うしかなく、その中でより確実に商品を手に入れられる凄腕の知己ともなれば、奴しかいない。
そろそろ周囲の耳目も我々から離れ、雑談からなる喧噪の音量も増した頃合い。丁度いい頃合いだろう。
儂は――ついに本題をリューン将軍に聞いてみる事にした。
「して、将軍。貴殿も調べておるのだろう、かの商人の事を。何か分かったかの?」
壮年の将軍は、その精悍な顔にしばしの逡巡を乗せ、しかしその後にきっぱりと言い切った。
「いえ、全く。住民も冒険者も、そして商人も、彼に関しては皆口が固い。諜報員を住まわせようともしたのですが、なぜかどんな凄腕もすぐに露見して村八分扱いです。それはアムハムラ王国も同じでは?」
「まぁの……」
魔王アムドゥスキアスはどんな手段を使っているのか、諜報員として潜り込ませた冒険者、商人、一般人をすぐに見分けるのだ。しかも、それとなく住民にそれを知らせるので、諜報員としては昨日まで友好的だった住人に監視され、諜報活動どころではなくなってしまう。誠にやり辛い……。
「それでも、憶測で良いならもののついでに伝えておきます」
「ああ、儂も憶測じゃが、仮説はある」
そう、あの商人が何者であるか。それの憶測くらいならば儂にもあるのだ。この世間話も、いわばただのカマかけ。リューン将軍の反応から、あるいは奴の一端が見えるのではないかという淡い期待の表れである。
暗褐色の短髪を軽く掻いて苦笑する将軍と、すっかり白くなってしまった髪と髭の儂。どちらともなく告げたのである。
「「奴隷解放の為遣わされた、魔王の先兵……」」
謎の商人、キアスの正体。やはりそこは意見を一にする所であったか。であれば、今急激に活発に動き出したあの商人の動きには、注意しておかねばなるまい。着々と真大陸全土に根を張り、商業組合に及ぼうかという超巨大商業組織の片鱗は既に見え隠れしている。
これから世界は動く。
恐らく、教会の崩壊はその呼び水でしかないはずだ。激動の渦の中心には、あの商人がいる。
「お互い、難儀な事じゃの……」
「ええ、彼とは剣の事だけ語っていたかったのですが、拙者の立場ではそうもいきますまい」
儂と将軍は、せっかくできた知己を疑わねばならぬ事にため息を吐きつつ、楽しげに笑っている姫と騎士団長を再び見やる。そろそろこの会合も、閉会の頃合いか。