麗しき悪罵
『お待ちしていました』
そう言って頭を下げる女性。瑠璃色の髪は、まるで濡らしているかのようなストレートで、女の私ですら見惚れてしまいそうだ。
金の縁取りをされた眼鏡の奥、まるで惹き込まれるような群青の瞳。ブルーを基調に、鮮やかな色で飾り付けられたドレスを纏う女性。青い女性。
ミノタウロスを打倒し、奥の部屋へと足を踏み入れた我々を待っていたのは、見たこともない女性だった。
『勇者シュタールと、その仲間達。私はマスターより、あなた方を連れてくるよう依頼をされております。
さぁ、お早く』
冷利な眼差しと無表情。まるでこちらを見下すようにすら見え、しかしそれですら、いや、だからこそ美しいとすら思える美貌。
「ちょっと待ってくれよ」
引き留めたのはシュタールだった。この場合、こちらに何の説明もなく我々を連れていこうとするこの女性を、こうして引き留めることはむしろ当たり前だった。シュタールが声をかけなければ、私がそうしていたかもしれない。
だからこそ感謝する。運命の悪戯に。私をしばし呆然とさせた、彼女の美貌に。
『誰が貴方に会話の自由を与えましたか?』
心胆が凍えるような、冷たい声。背筋に氷柱でも入れられたかと錯覚するような冷たい声音に、我々は全員二の句を飲み込む。
『今は火急の時です。あなた方に選択肢等ありません。私が与えません。
黙って私に付いてきてください。停止も停滞も許可しません。いいですか?わかりましたね』
そう言って私達を見回す絶世の美女。私達が黙って頷くと、彼女は少し安心したように息を吐いた。やや憂いの浮かんだその仕草でさえ、気を抜けば見蕩れてしまいそうになる。
『ああもう。こんな事、いつもの姿ならもっと簡単に出来るのに。
それでは行きますよ?ああ、あなた達も、こちらに来なさい。一緒に送ります』
美女の視線の先を追えば、てっきりもうとっくに地下迷宮を後にしていると思われたアリス殿達が整列していた。皆直立不動であり、ドヴェルグ殿とキキ殿が、それぞれ鞘に納められたコピスとコピシュと思われる剣を腰に携えていた。
「あ、あのさ………」
やや決まり悪そうに、おずおずと片手を挙げて口を開いたシュタールに、またもや美女の冷たい視線が、その眼鏡越しに浴びせかけられる。
「せめて、宝箱の中身だけでも持っていきたいんだが。じゃねぇと俺達、何の為に長い間地下迷宮に籠っていたか、わからなくなっちまう………です。
あの、時間は取らせねぇから―――」
『―――却下します』
あまりに横暴な美女の物言いに、流石に少しカチンとくる。自分の言う事を聞け、お前らの言う事は聞かないでは、いくらなんでも横柄に過ぎる。我々は、短くない時間を費やして、ようやくここまで来たのだ。彼女が何であろうと、我々からその成果を奪う事は許されない。
私が一言い返してやろうとする機先を制し、美女は続ける。
『それに、この中にあなた方の求める物はない。そうでしょう?』
そう言って自らの背後にある、大きな箱をちらりと振り向く。
『大丈夫ですよ。マスターは、きちんとあなた方の所望する物を与えるつもりです。全く、誑し込まれたものですね、魔王ともあろう者が』
そこでようやく、私は彼女がここにいるという異常さに思い至る。
彼女は1人だ。こんな地下迷宮の奥深く、最奥の地下迷宮の主の間のさらに奥の間。こんな場所にたった1人でいるなんて、普通に考えたら異常なんて簡単な台詞で片付けて良いものではない。
そして彼女が繰り返す『マスター』という存在と、先程の『魔王』という発言。それら全てを考慮すれば、自ずと答えには辿り着く。
「あなたは、キアス殿の関係者か?」
『いかにも。アニー、あなたは今の状況に言いたい事もあるでしょうが、ここはマスターの為、黙って私に付いてきてください』
シュタールに向ける冷利な声音とは違う、彼女のやや親しげな声に、私は拍子抜けしてしまう。だが、これ程までに彼女が急かす程の大事。キアス殿に、一体何が?
『では行きますよ?』
アリス殿達がこちらに集まり、私達が全員一塊になったのを見計らい、彼女は手に持っていたボールをこちらに投げた。
光に包まれ、眩い輝きに咄嗟に瞑った目を開けば、そこは既に地下迷宮ではなかった。
そこは久しぶりに見る、キアス殿の神殿のリビング。高度な生活水準が一目でわかる、調度や内装の数々。アリス殿達は見た事もない光景に、完全に呑まれてしまい、視線を右往左往させるばかりで言葉を発する余裕すら無さそうだ。
リビングには誰もいない。連れてこられた我々と、目の前の美女だけだ。
キアス殿も、いない。
『この中に時空間魔法を使える者が、アニーしかいないのは確認済みです。ですが、転移の指輪を使おうとすれば、寸毫の酌量も釈明も認めず、断固たる処断をする事、肝に銘じておきなさい』
彼女の言葉は、恐らくアリス殿達に向けたものだろう。私達は、既にここに何度も足を運び、ここで暮らしてすらいたのだ。今さらである。
何度も頷くアリス殿達を視界の端で確認した私は、今一度彼女を真っ直ぐ見つめる。
「ここに我々を連れてこれた時点で、あなたがキアス殿の仲間だという事はわかった」
『そういえば、この姿で会うのは初めてですね。と言うより、この姿になるのが初めてなのですが。
では、あえて初めましてと言っておきましょう。
私の名はアンドレアルフスです。
あえて、以後よろしくお願いします、と言っておきましょう』
そう言って、先程までいた部屋で最初にそうしたように、再び頭を下げる美女―――いや、アンドレ。
「「「えっ!?」」」