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 地下迷宮走破・番外

 我輩は烏である。


 屍肉喰らいの三本足。人は我輩をヤタガラスと呼ぶ。




 地下迷宮。

 ここを訪れる者は、この場所をそう呼ぶ。しかし、ここで生まれ、ここしか知らぬ我輩にとって、ここは世界の全てである。


 しかし我輩は知っている。この世界を造りたもうた、我が主がいることを。感覚しかなく、遠く離れた場所にいても、そうとわかる我が主よ。いつか御元に馳せ参じるため、我輩は今日も狭い世界に翼をはためかす。







 我輩の力は弱い。それを知ったのは、無闇矢鱈と敵に挑み、何度も敗走するに至っての事。それから我輩は学んだのである。


 無闇に姿を見せず、ただ隠れて強者を観測した。強い者は強い。しかしながら、必ずしも常に強さばかりが重要ではないとわかったのは、激戦を重ねた傷付いた強者を、不意討ちで喰らっている時だった。それからは、同じ方法で強者を打倒し続けた。


 その戦い方に甘んじ、依存していた自らを律したのは、はて、いつの事だっただろうか。



 そうそう、外から来た者だ。あ奴等に打倒されてからである。

 奴等は強く、そして油断せず、また、傷を負ってもすぐに癒してしまう技を使った。それ以外にも、離れた場所へと攻撃を加えたり、何やら道具を使って我輩を打ち倒した。


 我輩はヤタガラス。

 地に伏し、地を這う者共の屍に紛れ機会を待ち、奴等の気が我輩から逸れたのを好機と、尾羽に隠した2つの脚で走って逃げた。


 この2本脚は、宙を飛ぶ時は隠している。我々ヤタガラスが、この脚を出すのは2つの場合のみだ。


 即ち、確実に敵を仕留める時か、逃げる時である。


 地を這う者共のごとき速さで疾駆し、空も舞うヤタガラス。口さがない者は、我等を指して言う。『ずる賢い』と。

 何故脚を隠すのかは知らぬ。生まれた時からそうであったとしか、我輩には答えられぬ。しかし、この脚を隠す事によって、狩りの成功率が増すのも事実。

 あと、飛ぶとき邪魔。


 それから、我輩は外から来る者を良く観察するようになった。そしてわかった事は、外から来る者を襲うのは、割に合わないという事。


 奴等は、喰えないのだ。


 外の者は皆強く、強者もあっさりと打ち倒される。さらに我々の追跡を阻む扉の向こうへと姿を隠し、追跡を阻む。また、倒そうとしても仕留める寸前に消えるのだ。これ程割に合わない狩りもない。


 その代わり、奴等は多くの恩恵を残す。


 まずは屍肉だ。


 奴等は打ち倒した肉を喰らわん。いや、次々と襲い来る者共に急き立てられ、やむを得ず喰わずに去るのだろうと思っていた。


 外の者を追いかける、無知な強者。そして、屍肉に群がる有象無象。どちらが与し易いか、わかろうものだろうに。

 有象無象を一掃し、有象無象ごと屍肉を喰らう。


 次に、戦い方と言葉である。


 我輩は、姿を隠す事において、他の追随を許さぬ自負がある。頭上を飛んでいても、奴等は気付かず言葉を交わす。戦闘中であればなおの事、隠れるのは容易い。それは、地を這う者等も同じである。獲物を喰らい、舌鼓を打つ輩など、こちらに気付く間もなく死ぬ。死んでなお咀嚼を続けている程だ。


 何人も、我輩を見つける事など出来ぬ。


 奴等は道具を頼り、使いこなす。時に虚空へと消え、時に火を起こし、時にどこからともなく餌を出す。成る程、狩った肉を一度に喰らわず、貯めておくのだな。これならば、獲物が狩れずとも、しばらくは飢えぬ。利口な事よ。

 そして道具を使って戦うのだ。牙も爪も小さな外の者は、道具をそれに見立てて戦うのだ。

 しかし、それは爪と嘴を持つ我輩には不要に思えた。


 それに比べて言葉という概念は、なんとも便利な物か。奴等が何をしていて、何をしたく、何をしてきたか、明確にわかる。

 外の者等は、どうやら『箱』を探すのが目的だと、この時になって知った。殺すのも、喰らうのも目的ではない。戦闘はそのついでだと知ったとき、我輩はひどく驚いたものだ。


 それ程までに、外の者等が求める『箱』に、我輩は興味をそそられた。


 しかし、それを求めるは容易ではない。あれは、近付けば死ぬものだ。無知なる輩は、何も知らずにあれに近付き死んで行く。 はて、どうしたものか………。




 奪った。

 外の者等が開いた『箱』から、我輩はそれを奪った。一気呵成に攻め立てられたが、攻撃を少しかわしてやれば、奴等は地を這う者等に阻まれて我輩を追えぬ。我輩は怒りもあらわに怒声をあげる間抜け共を後目に、悠々とその場を去った。


 しかし良くわからぬ。こんな物がなんだというのか………。


 我輩は、何かの革と何かの石で出来たそれを普段は隠している脚で、しっかと掴んで宙を舞った。恐らく、これは『爪』を模したものだ。外の者等がよく使う物よりやや短いが、我輩の体躯とて奴等に比べれば小さい。これより大きな物など、むしろ邪魔であろう。


 運の悪い事に、無知なる宙を飛ぶ者と出会う。


 少々数が多く、余計な物を持っているため隠れられぬ。絶体絶命かと思ったが、外の者等を真似て革を剥いだ『それ』を使うと、あっさりと勝てた。


 成る程、大した物だ。これは力の弱い者がそれを補う為の物。どんな牙よりも簡単に、どんな爪よりも鋭利に、獲物を裂く道具。我輩は、それから尾羽にその爪も隠す事にした。

 尾羽がズタズタになってしまった。成る程、革は尾羽の為に付いていたのか。



 しばらくすると、その新しき爪の使い心地にも慣れ、遥か強者をもあっさりと打倒できるようになった。自らに無い力を、道具を使って補う。成る程。面白い発想である。


 最近、少々体が大きくなってきた。体が大きくなると、敵に狙われた時に避ける労力が増えて大変だ。しかし、体が大きくなって良かった事もある。再び間抜けな者共から奪った、石で出来た小さな輪が連なる袋。これを尾羽に隠せるようになったのだ。

 喰いきれない屍肉も、これで大量に保存できる。さらに『箱』から奪った物も、この中にならいくらでも貯めておける。


 いつしか我輩は、自らを強者だと思うようになった。

 地を這う者は圧倒できる。外から来た者からも、好き放題に奪える。

 我輩は強い。

 我輩は奪い、喰らい、まだ見ぬ主に相応しき従僕足り得た。

 そう思い上がった。




 その驕りを砕いたのは、またも外から来た者であった。







 いつものように奪おうとした。


 否。確かに奪った。

 2本の脚で獲物を掴み、そのまま逃げるはずだった。

 我輩は、最近切れ味の落ちた爪を新しくできると、この時浮かれてすらいた。




 「………おもしろいね………」




 全身の羽が逆立ったかと錯覚した。

 頭のすぐ隣、外の者の大きな青い瞳が、我輩に向けられていた。


 くっ………!!


 完全に我輩を凌駕する速さ。しかしここは中空。我輩の領域!


 我輩は逃げ回った。縦横無尽に宙を駆け、時に地を這う者の側を、時に宙を飛ぶ無知なる者の側を飛び、『それ』を振り切ろうとした。


 「………戦いよりも………そのナイフが欲しいの………?」


 しかし無理だった。我輩がけしかけた有象無象は、しかし『それ』の足止めに、毛ほども役立ちはしなかった。


 我輩は覚悟を決め、今回の獲物と、使い古した獲物で『それ』と爪を交える事にした。三本目の脚で袋を掴み、2本の脚で爪を操った。


 結果は完敗だった。


 いや、それは敗北と言う事すら出来ぬ、一方的なそれだった。交える事もほとんど出来ずに、あっさりと2つとも爪を取り落とす。いとも簡単に爪を弾いたその技量たるや、圧巻であった。我輩の命もとうとう潰えるかと覚悟し、遂にお目見え叶わなかった主を思う。『それ』は鮮やかな光を放つ、2つで4つの爪を下げて言ったのだ。


 「………おもしろい………。………あの人の所にこれたら………、………また遊ぼ………」


 『それ』はあっさりと去っていった。我輩が奪った爪になど、まるで興味も示さず、そう言って去っていったのだ。


 2本の爪を袋にしまい。我輩は逃げた。地を這う者を置き去りに、速く、速く疾駆した。久しく忘れていた逃走も、しかし以前より速くなっていた。これならば、地上ですら地を這う者共にひけはとらぬであろう。


 しかし、この胸に飛来する思いは何なのか。


 ぎゅうと魔石を締め付けられる痛みは何なのか。


 目から溢れる、これは何なのか。


 周囲に何もない場所まで逃げてきて、どうやらもう追っ手は無いとわかった時、安堵よりも先に―――




 「ああぁあぁあああぁあぁあ゛あぁぁぁあぁあぁあぁああぁあ゛あ゛ぁぁアアァアァアアァア゛ア゛ア゛ア゛!!!」




 我輩は叫んだ。




 そうか、我輩は悔しかったのだ。

 いつの間にか慢心し、なけなしの矜持を持ち、主に温かく迎え入れられると盲信していた幻想を、完膚なきまでに踏みにじられた。

 敗北し、絶望的なまでの力の差を痛感し、そんな相手に見逃してもらってなお逃げた。


 悔しい。悔しい。悔しい………っ!!


 何よりも、こんな体たらくで主に認めてもらえると思っていた自分が情けないっ!!

 何が強者だ!何が誰も見つけられぬだ!!

 自らの得意分野、得意な戦場において、何の言い訳の余地なく不様に敗残したのだ。この命が、もし主のものでなく自分のものであるなら、今すぐ爪で胸を刺し貫きたいと思った。


 我輩は!弱いっ………!!




 どれだけの時が過ぎたのか、地を這う者の遠吠えで我に返った。


 些末な感傷にも浸れぬのかと苦笑し、立ち上がって驚いた。気付けば、我輩は外の者等と同じような姿になっていたのである。


 我輩の尾羽のような、ボサボサの長髪。白き肌。体躯は『あれ』のようにやや白く、小さい。背から伸びた漆黒の翼と、尻から伸びた尾。その尾の先は、三又の先が袋を握りしめていた。

 袋から爪を取り出せば、そこに写った顔も、外の者等によく似ている。瞳だけは蒼く、まるで『あれ』のようだと自嘲した。


 我輩は両手に爪を握りしめると、失った誇りを取り戻すように疾駆した。




 相変わらず、世界は狭い。しかしその狭い世界の中でも、我輩の翼は頂点を飛べぬ。

 ならば、羽ばたくしかないのだ。強く、強く、ただ必死に。高く、高く、主の元を夢見て。




 そうやって、今日も我輩は狭い世界で翼をはためかす。地下の迷宮で空を飛ぶため。





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