地下迷宮走破・5
「………待っ………て………」
先頭を進んでいたミレが、背後の私たちにその小さな手のひらを向けて制止を促した。
「どうした?」
後ろからの魔物を殲滅し、丁度前方からも魔物が来ていなかったので、我々はようやく一息吐いていたところだった。
「………ここ………ヤバい………」
だからそんな深刻なミレの台詞に、一気に気を引き締めることとなった。
「どういう事だ?」
「まさかまた、滅茶苦茶罠の多い場所かよ?」
シュタールとレイラが声を揃えて疑問をぶつけるが、ミレは首を振ってこちらを振り返る。
「………全員………、………僕の後ろについてきて………。………絶対、僕の通った所以外を通っちゃ………ダメ………」
これはそうとう危険な罠があると、私とアルトリアは頷きあった。
「シュタールさん、いつものように勝手な振る舞いは厳禁ですよ!」
「レイラもだ。そうだな、ミレ?」
「………ん………。………転んでも、ダメだから………」
どうやら本当にシビアな罠抜けになりそうだ………。
地面から唐突に突き出した槍が、魔物を串刺しにする。それが、私たちのすぐ隣で起きたのだ。
槍に阻まれた魔物が、『順路』の方へと流れ、そこから私たちに迫るも、さらに槍が突き出して魔物の命を刈る。
当然だ。私たちがこの通路を進むのに、どれだけ蛇行を強いられたことか。
ここは、定められた『順路』を守らなければ、鼠の這い出る隙間もないような槍衾を、足元から受けてしまう道。しかしその『順路』すら、進んでは戻り、折れては進み、また進んでは戻るような複雑なもの。ミレがいなければ、進みたくなくなるような、そんな罠の道だった。
「………ここ………、………小さいけど落とし穴ある………から気を付けて………」
「こんな場所にも落とし穴かよ!性格わりーな、相変わらず!」
シュタールの愚痴にも頷きたくなる。ついつい、地面から突き出す槍に気を取られがちになった所で、今度は落とし穴か。人1人分くらいの幅を飛び越えながら、私はため息を吐く。
「キアス様の与えたもうた試練です」
アムドゥスキアス教の信者がうるさい。これでは、アヴィ教の狂信者を笑えないぞ。いや、そういえばアルトリアは、元々聖職者だったか。アヴィ教ではなく、星球院のだが。
私たちに向かってくる魔物が、次々餌食となっていくなか、我々はゆっくりと進んでいく。
「………ッ!………次は上………」
見れば、丁度ミレの頭の上辺りの高さに、ワイヤーではないが細い糸が張られていた。触れればどんな事になるか、考えたくもない。それを全員が、四つん這いになって避けて進む。
まさか槍や落とし穴で、意識を下に向けさせてから、こんな罠を張るとは。いやはや、全く持って生きた心地がしない。
「………あと………ちょっと………」
ミレの言葉に、我々は深い安堵の息を吐く。
ようやく終わりか。長かったようで、ほんの30分程の道程。たった100m程度を進むのに、30分………。早かったと見るか、遅かったと見るかは、各々に任せるとしよう。
「ッ!?おいおいおい!マジかよッ!?」
レイラの焦ったような声にそちらを見れば、進行方向を指差しながら冷や汗を流していた。釣られてそちらを見れば、成る程、レイラが焦るのも頷ける。
向こうから魔物の群れが、こちらに押し寄せてきていた。
「………なんとか………する………」
ミレは落ち着いているが、我々は連なって『順路』を進んでいる。ここを外れれば、すぐさま罠の餌食となるからだ。そんな、自由な身動きを封じられた中、先頭を進むのは当然ミレ。縦横無尽な動きを得意とするミレにとって、この動きを制限される場はかなり不利な戦場となるだろう。
魔物の先頭集団が罠に突っ込み、壊滅的被害を被るも、いくらかは『順路』に迷いこむ。先頭集団の8割以上が死んだからとて、そんな理由で怯むような知性は、魔物にはない。
そこからさらに『順路』を外れて槍を生やす魔物も、怯える素振りすらなく死地へと飛び込んでゆく。その数が多ければ多い程、槍衾で造り上げられる道が、我々の方へと延びてくる。
「………じゃ………ちょっと殺ってくる………」
両腿のレッグホルダーから、くるくるとカランビット・ナイフを取り出したミレ。そう言うと声をかける間もなく、彼女は我々の目の前から消えた。
そして飛び出す槍衾。
その槍衾を置いてきぼりに、ミレは魔物の群れへと飛び込んで行く。
縦横無尽。
まさに縦横無尽。時に槍を、時に魔物を、時に天井までもを足場とし、ミレのナイフは死神の鎌よりも正確に命を刈り取る。
誰も追い付くことなど出来ない。魔物も、罠も、私達の視線すらも。
結局、ミレがわざわざ罠を回避しなければならなかったのは、我々というお荷物がいたからだ。ミレ1人ならば、こんな罠は直進できたという事か。
ミレがいなくなった事で、一歩も進めなくなった私達に出来るのは、そんな事を思うくらいだった。
「見ぃつけたぁぁああっ!!」
シュタールの嬉しそうな声が響き、ついでに魔物たちの雄叫びが通路にこだました。
「うっせーンだよ!!いいから、まずは敵を掃討しやがれ!!」
「シュタールさん、今の声で何匹魔物を呼んだか、わかってますか?」
シュタールのせいで後続の魔物が、通路の奥から顔を出した。まぁ、ようやく最後のミノタウロスの部屋を見つけたのだ。その感慨くらいはわかる。
「『アエラス・ディリティリオ』!!」
仕方なく、私は周囲の空気を操作して、魔物を広域殲滅する。大気中の特定の空気を集めると、それは猛毒となり、生物を簡単に死に至らしめる。
今まで広域殲滅には、多くの魔力を籠めた、強い風が必要だと思っていたが、この魔法ならそこまで魔力は必要ない。風の魔法にあって、他の魔法に無い性質が、この毒による広域殲滅能力だと言っても過言ではないな。
いや、周囲一体を焼き払ったり、大水で押し流したり、大規模な崩落を起こしたりと、他の魔法でだって大規模な破壊は起こせるが、そのどれもが多くの魔力を必要とする。その点、同時に2つ―――毒の精製と毒がこちらに来ないようにする為の風の魔法という、2つの魔法―――を使わなければならないとはいえ、中級規模の魔力で、これほどの結果を出すとは。流石だ。
「なんか、やり口がえげつなくなってきてねぇか、アニーの奴?」
「キアスさんの影響だろ?」
「いえ、そもそもこの魔法は、無酸素回廊を叩き台に、キアス様がアニーに伝授したとか………。やはりアニー、油断なりません」
「………あの人のやり口………」
キアス殿は、いやはや優秀な魔術師でもあるようだ。その知識の一端、しかと見せてもらった。
「ほら、早く入らないと後続が来るぞ!!」
「来た端から、泡吹いて倒れてっけどな」
「風を送り込む関係上、長時間の維持は不可能だ。魔法が切れれば、元の空気と混ざり合って無害になってしまう」
「ある意味安心だわ………」
「地下で毒使うとか、何考えてんだと思ったぜ」
気のせいか、冷や汗を流しながら近場にいた魔物を殲滅し、シュタールがミノタウロスの間の扉を開く。続けて、トンファーに付いた肉片や返り血を振り落としながらレイラ悠々と後を追う。
「………待って………、………ボスの部屋だからって………罠がないとは限らない………」
くるくるとカランビット・ナイフを回しながら、慌ててミレが後を追うと、私と一緒にアルトリアが悠然と扉の奥へと進む。
「これが済めば、もうこの地下迷宮ともお別れですか。なんだか感慨深いですね」
閉まっていく扉の隙間からは、死山血河、死屍累々の地獄絵図が遠ざかっていく。
ここの魔物に知性があれば、我々が去ると聞いて、喜びこそすれ、名残を惜しんではくれないだろうがな。
「まぁ、資金稼ぎにまた来る事もあるだろう」
扉が閉まる。