閑話・9
これは、とある交わってはいけない者達の運命が交わってしまった時の、仮定の物語である。
「はぁ………、はぁ………」
荒い息を吐き、僕は額の汗を拭う。くそっ、なんだってこんな事に。
僕は逃げている。取るものもとりあえず、這う這うの体で方々を逃げ回っている。
こんな事になるくらいならっ―――!!
「キアス様、どうかお覚悟を!」
「はぁ、はぁ、キアス様………」
「キアスー、我と契りを交わそうぞ」
『押し倒されなさい。屈辱に歪んだ表情で、屈辱に満ちた目で睨み返しなさい。
この者らの次は、勇者の群れにあなたを放り込むので手早く済まされなさい』
なッ!?もう追い付いてきやがったっ!!
僕は駆け出す。少しでも、少しでもっ、奴等の魔の手から逃げるために。
くそっ、こんな事なら!こんな事ならっ!!
―――こんな事になるくらいならっ、おっぱいくらい揉んでおくんだったぁぁぁーーー―――!!
朝、それは静かに始まった。
「キアス様、こちらの九節鞭が―――」
「キアス様、今日は領地管理の報告書を―――」
アルトリア、トリシャがキアスの寝室に駆け込んだのは同時だった。
アルトリアとトリシャは初対面ではない。そして、アルトリアはトリシャの素性まで知っていて、それに気付かれればアムハムラ王国とキアスの繋がりにまで感づかれてしまいかねない危険な状況に、しかし2人は気付かなかった。
それどころではなかった。
今まさに、キアスの寝所へと忍び込もうとする金髪の美少女を同時に目撃してしまったのである。
「何をなさっているのですかっ!?」
「そもそも貴様は誰だっ!?ここは神聖なるキアス様のご寝所!キアス様の許した者以外、侵入することは罷りならん!!」
2人があげた大声に、金髪の美少女、オールは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、キアスの目も開く。
「チッ、邪魔が入ったわ!」
「うわぁぁぁああ!?」
キアスは布団を跳ね上げ、直ぐ様ベッドから転げ落ちて距離をとる。
「オール!!何でお前がここにいるっ!?」
「キアス様、お下がり下さい!」
「っていうか何でトリシャまで居んのっ!?」
「ささキアス様、こちらへお越しください。お怪我はございませんか?貞操はご無事ですかっ!?」
「アルトリアさんまでっ!?なんだここはっ!?さては夢かっ!?」
寝込みを襲われ、寝起きになぜかオール、トリシャ、アルトリアに囲まれるということは、キアスにとって悪夢を見た時よりも恐ろしい寝覚めである。
「キアス様、この無礼者はいかように手打ちいたしましょう!?」
「ふん、やれるものならやってみろ小娘。我はこれより続きを行う」
「許しません!例えこの身が千々に裂かれようとも、キアス様の御身は私が守ります!!」
一触即発、3人の間に流れる雰囲気はまさしくそのような危険なもの。しかし、それを鎧袖一触に吹き飛ばす声が、その小さな部屋に響き渡りました。
『あー、ウッザいですねぇ!
もういい加減、そういう鈍感系ラブコメみたいな雰囲気、胸焼けがしてくるんですよ!
オール、トリシャ、アルトリア!!そのチキン魔王の童貞、今日この時奪ってやりなさい!』
14番目の魔王の声、それは3人にとって天啓にも等しい、お達しだった。
「わ、我は………」
一番最初に口を開いたのは、オールだった。
「我は裸身を見せ、押し倒した事もあるが、………キアスとは口を吸い合った事もない………」
その声音には、隠しようもなく悲しみが滲み出ていた。キアスが傷付けてきた、女性としてのプライド。ずっと耐えてきた傷口、その痛みを訴えるような悲痛さが籠っていた。
「わ、私は………」
それは、残りの2人の傷口にも改めて痛みを伝え始めた。
「………キアス様の配下となった時期こそ早かったものの、ほとんど一緒には居られない。何度自分の身分を呪ったことか………」
「私など、今現在も配下ではありませんわ………。アニーは配下にしていただいているのに………」
キアスは3人の背後から立ち上る、黒い陽炎を幻視した。
「我は、それほど魅力がないのであろうか………?」
「アムハムラにいる内に、誰かと契りを交わしているのではないか?誰かが無理やり唇を奪っているのではないか?
そんな思いに、何度眠れぬ夜を過ごしたことかっ………!」
「私は、私はっ………!!
お二方のように甘い体験など皆無なのです………。裸になれば良いのでしょうか?私は、そう命令していただけるなら、そこが例え往来のど真ん中であろうと、例え父母の目の前であろうと、キアス様のご命令なら一瞬の躊躇もなくそれに従いますわっ………!!」
マズい………。
キアスは寝起きだというのに、額には冷や汗を浮かべ、背中も冷たい汗でビッチョリと湿っている。
「お、落ち着け………、話せばわかる!」
「キアス!」
「キアス様!」
「キアス様っ!」
3人の声が重なり、そしてその影も重なって襲いかかってくる。
「うわぁぁぁああ!!!!」
一も二もなくキアスは駆け出し、勢いよく寝室を飛び出した。3人は『ゆらぁり』と擬音が聞こえてきそうな動作で出口を見ると、幽鬼のような足取りで後を追いかけようとした。それを引き留める鋭い声。
『待ちなさい!私を連れていけば、あの男がどこへ行こうと追いかけられます!』
3人がそのスマートフォンに手を伸ばすのは必然だった。4人は、キアスを追うため手を取り合ったのだった。
「はぁ、はぁ」
くそっ、まさか指輪でアドルヴェルドに跳んでも追ってくるなんてっ!
アムハムラ王国やズヴェーリ帝国、ガナッシュ大公国という選択肢もありながら、一番魔王が現れないであろうアドルヴェルド聖教国を選んだというのに、キアスは追っ手を巻くことができなかった。
アンドレかっ!
キアスはその状況だけで、信頼していたスマートフォンが敵側に回った事を悟る。さながら敵陣から楚の歌が聞こえてきたときの項羽のような心境である。
実は項羽はその四面楚歌の状況を突破していたりするのだが、キアスの心境としては絶体絶命である。
「欲求不満でもこじらせたのか、あいつら?頼むから1人で処理してくれ!」
愚痴をこぼし、それでも足は止めない。走って、走って、走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って、
そしてどこだかわからない、ピンク色の部屋でキアスはついに追い詰められた。
「お、落ち着けお前ら!!」
「「「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」」」
3人の息が上がっているのは、果たして疲れからか。
「わ、分かった!僕もお前らの言い分を聞く準備がある!一先ずは落ち着け!」
キアスの唯一の武器、『言葉』。それが彼女たちには全く通じない。ただ、光を失った瞳に欲望だけを浮かべて一歩、また一歩とキアスを追い詰める。
「キアス、口を吸うてたもれ………」
「キアス様………、どうかこの身を………」
「あなた様に捧げとうございます………」
迫る3人。後ずさる場所すらもなくなったキアスにとって、それはある意味で死刑宣告のような、ある意味で天国への片道切符を渡す手が迫ってくるような、そんな不思議な心境だった。
キアスにとって好意というのはよくわからない感情だ。
両親もなく、血の繋がった家族もなく、生まれてからずっと『他者』と関わり続けてきたキアスにとって、好意というものはどこからが恋であり、愛であるかの物差しがない。
3人から、いや、他の者から寄せられる好意がどこまでの好意か、自分の好意はどこまでの好意か、キアスにはわからない。
その呪縛が、今この時答えが出ようとしている。
本当に?
こんな、理性をなくした彼女達に襲われて、本当にその物差しを得られるのか?よしんば得られた物差しは、本当に正しいのか?
結局、こんなのは大事な部分を全部他人任せにして、他人の価値基準を頼りにして、安易な道に逃げて逃げ口上を用意しているだけじゃないのか?
『だってこの物差しを渡したのはお前らじゃないか!』
と。
駄目だ!!
やっぱり答えは僕の責任で、僕が出さないといけない!!
僕はもがくように体を返し、無かったはずの退路に身を投げ出す。
もっと走れ!もっと逃げろ!
僕が僕として答えを出せる、その時まで!
ただ、現実は非情なもの。オールの手が学ランの裾を掴み、トリシャの手がスラックスを引っ張る。アルトリアさんがワイシャツのボタンを引きちぎり、コーロンさんがベルトを引き抜き、レイラがズボンを脱がす。学ランを剥ぎ取ったのはパイモン。パンツに手をかけたのはウェパル。破れたシャツをさらに剥ごうとするミュル。
女の子達が、全裸の僕に迫ってくる。
僕は―――
「うわぁぁぁああ!!?」
体を起こした僕は、荒く息を吐きながら辺りを見回す。
場所は僕の寝室。
ビッショリと汗をかき、全身がとても気持ち悪い。
ゆ、夢か………。
随分とハッキリとした夢だった………。今思えば、視点が僕のものだけじゃなかったし、冷静に考えればあり得ない事の連続だった。最後に追い詰められた場所なんて、記憶にないけどラブホだろ、あれ。だいたい、寝間着で逃げていたはずがいつの間にか学ラン着てたし、ツッコミ所は満載だった。
目が冴えてしまったので、スッキリするために風呂に入ろう。それと洗濯もしなきゃ………。
なんだって、あんな夢を見たんだ………。やっぱり僕の―――
『むにゃむにゃ………。もう食べられません………』
「へぇ、いつの間にお前は睡眠を身に付けたんだ?」
僕の枕元、そこには畳んだ学ランとスラックス、その上にスマホが置かれていた。
『ZZZ………』
「おい、おいコラ!」
『うーん………、あと5分………』
「お前か!?お前が原因かっ!?」
『あと1万光年………』
「天文学的だなぁ!!そして1万光年は時間じゃなく、距離だ!!」
朝。それは騒がしく始まったのだった。




