神様、精霊様、フルフル様。本当にありがとうっ!?
扉を開いたのはフルフルだった。
いつもはボンヤリとしたそのタレ目は、今はまるで獲物を狙う肉食獣のようにギラギラと輝いていた。
「ど、どうしたんだよフルフル?」
咄嗟に、ついさっきの挫折も忘れてそう聞いてしまうほど、フルフルの雰囲気はいつもと違った。
「パイモンの匂いじゃないの………。じゃあ、やっぱりキアスの匂いなの?」
何を言ってるんだこいつは?僕もパイモンも毎日風呂に入ってるっつの。今日の山賊みたいに、近付いただけで鼻が曲がるような臭いがしたりはしない。どちらかといえば、なぜか同じボディーソープを使っているのに、いい香りのするパイモンの匂いの方が気になるだろ。
本当に、何で女の子ってこんなにいい香りがするんだろ?
「キアスっ!!今の匂いはキアスなのっ!?すごくいい匂いがしたのっ!!」
「何だよいい匂いって。また勇者パーティーの誰かが、オークのおばさん達に無理言って夜食でも作らせたのか?」
だとしたら、そろそろビシッと言っとかないとな。いつもは夕食後すぐに頼むのに、今日はこんな時間に呼びつけるなんて。
「ちがうの!ご飯の匂いじゃないの!!」
「はぁ?」
ホント、こいつとの会話は要領を得ないな。頼むから、いい加減言葉の頭に主語を置くという事を憶えてくれ。
「いい匂いなのっ!!もっかい出してなの!!」
「だから、いったいなんの事を言ってるんだお前は?」
焦れたのか、フルフルは僕の目の前まで駆けてくると叫んだのだ。
「魔力の匂いなのっ!!さっきの匂いは、すごくいい匂いだったのっ!!」
精霊魔法。
以前フルフルと話した事のある魔法だ。だから詳しい説明は省くが、この魔法についてその時の僕は確か、あまり利用価値のない魔法だと思ったものだった。
とんでもないっ!!
もし可能なら、僕はあの時の僕を全身全霊で殴り飛ばそう。
精霊魔法は最高だ!!
今僕の指先には、拳大の水の塊が浮遊している。
そう、『ネロ・ピド』と同じ魔法を発動させたのだ。僕が、僕の意思で、僕の魔力で発動させた魔法。それが精霊魔法『プネブマ・ダクリ』。
『ネロ・ピド』よりコストが高く、詠唱にも時間がかかる魔法で、使い勝手は確かに良くはない。しかし、水魔法として発動させられなかった魔法が、精霊魔法なら発動できるのだ。
フルフルに問い詰められて、渋々僕は事の顛末を話した。恥をさらすようで情けなかったが、パイモンとフルフル相手ならいいかと思ったのだ。この2人とは、生まれてすぐに知り合った仲なのだ。今さら恥の上塗りくらい、どうってこと無いくらいの情けない姿を見せてきたことは自負している。
全てを話し終え、パイモンは僕に同情的な視線を送ってくる。まぁ、あれだけ喜んでた姿も見られてるしね。ただフルフルは、そんな僕にあきれたような声音で言ったのだ。
「キアス、キアスはやっぱりバカなの」
懐かしいな、それはアムハムラで精霊魔法について聞いた時も言われた台詞だ。
「精霊魔法は精霊に魔力をあげて、精霊の力を借りて使う魔法なの」
「それは知ってる。いつかも聞いた」
「だったら何でわかんないの?精霊は魔力をもらえば力を貸すの。キアスが少ししか魔力を外に出せなくても、精霊は怒らないの。きちんと必要な量の魔力さえもらえたら、精霊は力を貸してくれるの」
「は?」
どういう意味だ?その必要な量を供給できないから、僕は魔法を使えないんだろ?だから精霊に渡す魔力だって足りないし、ただでさえ精霊魔法は属性魔法より少しコストが高いんだ。
ん?
いや………、ちがう、のか?精霊に魔力をあげるってのは、魔力を集中させるのとは違う。
そうかっ!つまり精霊に魔力をプールすればいいのか!!
僕の出力では、魔法にできないような小さな魔力しか放出できない。だけど1しか放出できなくても、それを精霊に与える事で消費し、さらに放出して次を与える。これを繰り返していけば、時間はかかるがいずれ必要量に達する。それから精霊の力を借りて行使すれば、僕にも魔法が使える。いや、時間さえかければ、僕の魔力量ならどんな強力な魔法も使えるということだ。
でも、本当に?
本当に出来んの?僕もうぬか喜びとか嫌だよ?
「それに、キアスの魔力はとってもいい匂いなの!精霊魔法が使える人は皆いい匂いだけど、キアスの魔力は格別なのっ!!
だから精霊がいっぱい集まってきてるの!」
「そうなのか?」
僕にはお風呂の精霊しか見えないが、どうやらフルフルにはこの部屋にいる精霊が見えるようだ。どのレベルで集まっているのかわからないが、なんだか微妙に居心地が悪いな。
そのいい匂いってのはたぶん、神様から貰った『魔力の泉』で作られた魔力だからじゃないかと思う。僕の魔力って、ほとんどが魔力の泉の恩恵でもって増えてるからな。
「キアス、精霊魔法を使うの!フルフルがお手伝いしてあげるの!」
まぁ、こうまで言われてなお尻込みするのは、格好悪すぎるか………。
「ああ………」
じゃあ、精霊魔法を使おう。とはいえ、別に普通の魔法と手順が大きく違うわけではない。
魔力を集中させ、イメージを思い浮かべる。このイメージの際に、魔力を精霊に与えるイメージを加えるだけだ。
僕は片手を上げ、手のひらを上へ向ける。そこに放出した魔力をフルフルにあげるイメージを加える。フルフルも手を伸ばし、僕の手の上にその手をかざす。とたんに僕の魔力は消失し、フルフルが満面の笑みを浮かべる。まだ足りない。次の魔力を放出すると、すぐさまそれも消える。ほんの30秒ほどで必要量に達したのか、フルフルは嬉しそうに手を引っ込めた。僕の手のひらの上には、フルフルの残した魔力の塊が残っている。
ここに詠唱で色をつければ、魔法は完成する。慎重に、慌てて噛まないようにゆっくりと魔法の詠唱を始めた。
「『プネブマ・ダクリ(精霊の涙)』」
魔力は揺らぎ、集中し、集約し、収斂され、今度こそ、
僕の手の平のほんの少し高い場所に、拳大の水の塊が現れた。
「お、おっ、お?お!」
「やりましたよキアス様!!魔法です!魔法が発動しましたっ!!」
僕の手の平に現れた水の塊に、動揺してしまった僕より遥かに嬉しそうにパイモンが喜んでいる。
その笑顔に、僕はようやく本当に魔法が使えた事実を確信する。
やった………………。やった。やった!やった!!
「やったぁぁぁあああ!!」
まるで子供みたいな歓声を上げて、跳び跳ねて喜ぶ。魔法だ。すごい。すごいすごい。
僕が魔法を使えたっ!!
「キアスの魔力は、絶品なの!」
フルフルも一緒に跳び跳ねてるけど、こいつはパイモンと違って僕の喜びを分かち合っているわけではないらしい。
でもいい、構わない!!今日は最高だ!!最高の1日だ!!
やがて、浮いていた水の塊は維持のための魔力を使いきって床に落ち、服が濡れてしまったが問題ない。今日買ったばかりの新品だけど、今はそれどころじゃないんだ。
こうして僕は、魔法が使えるようになった。
「なぁフルフル、バハムートの時お前が使ってた魔法を使うためには、どれくらい魔力を貯める時間がかかる?」
「ずーと魔力をくれるなら、8ヶ月で使えるの!」
「………………」
ただ、相変わらず僕の『最弱』の称号だけは消えてくれないらしい。




