ガナッシュ大公爵
「少しよろしいだろうか?」
一時的に、紛糾していた会議は静まり、水を打ったような沈黙と、穴が開くほどの視線が儂に集中する。
本来であれば、儂程度の地位ではこの声すらかき消され、黙殺されても文句は言えないのだが、今回に限って言えば我が国は当事者であり、聞けるものなら詳細に、微に入り細を穿ち根掘り葉掘り聞きたい事もあるだろう。
故にこそ許された発言。故にこそ得た機会である。
「先程も述べたように、確かに第13魔王アムドゥスキアスの巨大飛行円盤は驚異です。無数にある飛行型マジックアイテムもまた、恐るべき戦力でしょう。
しかし、奴の一番注意せねばならない部分は、そういった軍備よりも、陣営ではないかと」
一応、皆の注目を集めるには充分な話題だったようで議場は相変わらず静まり返っている。水を打ったようにと言うより、嵐の前の静けさといったところか。
「アムドゥスキアスには忠誠を誓うオーガがいて、そのオーガの強さは勇者に匹敵します。また、その他の配下においても我が国の騎士でアムドゥスキアスの直属の配下に勝てた者はおりません。
因みに、今回は一万人規模の戦でしたが、聖騎士も合わせて死者は百余名。明らかに被害が少なすぎますし、アムドゥスキアス本人が降伏した者と民間人に手を出さぬように指示している言葉もこの耳で聞きました。町への被害は0です。物的、人的被害が全くありませんでした。
つまりは、かなり手加減をされていた事が推察できます。
そして―――これが一番の問題なのですが、今回の戦にはもう1人魔王が参戦していました」
嵐の前の静けさが過ぎ去れば、当然嵐がやって来る。大嵐が。
「ば―――馬鹿なッ!?」
「魔王が共闘だとっ!?」
「ガナッシュ大公!!それは本当に魔王だったのですかっ!?適当な魔族が魔王を騙っていただけではっ!?」
「第10魔王クルーンと名乗っておりました。道化のような出で立ちで、勇者エヘクトルを倒したのもこの者だとか。まぁ、我々はその時は城内で戦闘の真っ最中でしたし、その戦いは町中で行われたらしいので魔王の言を信じるならば、という注釈がつきます。
ああ、姿は見ました。降伏を申し出た後の謁見の間でですが」
魔王がどちらも子供だったので、驚いたのをよく覚えている。
「アドルヴェルド教皇聖下、報告は登ってきておいででしょうか………?」
誰かが、恐る恐るといった調子で教皇聖下に窺う。真っ白な長髪を総髪に纏め、長い髭を湛えるアドルヴェルド教皇聖下。
最高位を表す純白の法衣と金糸の裃。冠はなく、サークレットが額に光る。見た目は老人だが、その表情や相貌はまるで若者のような活力が見てとれる。
「………はい。第10魔王、クルーン・モハッレジュ・パリャツォスがその場にいた、という報告は勇者エヘクトル・フエゴ・デプレダドルから受けています。文献に残る特徴もあっていますが、いくらか齟齬もありました。まぁ、古い資料なので情報としては弱いですね。
ところで、ガナッシュ大公爵殿、第13魔王は確かに『勇者を打倒したのは魔王だ』と言ったのですね?」
「?は、はい………」
確認するようにこちらを見る目は、猜疑心の塊のように見えた。他者を疑う事を当然のように考えているような目だ。
まぁ、儂はこれから教会を裏切るのだからその疑い自体はあながち的はずれでもないのだが。
「今回の敗戦にて、魔王と我が国はいくつかの契約を結びました。
1つは二度と自分達に敵対しないこと。
1つは隣国との交流を絶ち、教会の傘下からも抜ける事。
1つは奴隷の待遇改善。
これを破れば、魔王は即座に再び攻めてくると。今度こそ、ガナッシュ公国を滅ぼすという条件です」
「1つめはともかく、2つめはどうしようもないでしょう?国境を接している以上、最低限の交流は絶てないでしょう?」
「うむ、端から守らせる気など無いのか?」
「なんと卑劣なっ!!」
いや、そんな迂遠な事をする必要はないだろう。
「落ち着いてください。守らせる気がないのであれば、そもそもそんな条件を出す意味が無いでしょう?」
「むしろ、それだけで国を守れたのであれば重畳であろう。魔王に征服されていないのであれば、喫緊の脅威は避けられたという事じゃ」
「甘い!!魔王はまずは甘い顔を見せて、契約を守らなかった事を口実に攻める事で非難を避けるつもりですぞ!!」
「非難?アホか。そもそも魔王が真大陸の国を占領して、他の国がもろ手をあげて歓迎する状況が出来上がるとでも?
非難つーなら、現状で既に非難轟々だろうがよ」
「相手は真大陸の国家ではなく、魔王なんですよ?本当に落ち着いてくださいよ」
「しかし、やはり他はともかく、外交断絶だけは問題だな。ガナッシュが潰れかねん」
まぁ、それに関してはアムドゥスキアスによって、悪あがきすらできない程、完膚なきまでに対処されてしまっているのでどうしようもない。
「それなのですが、我が国は既に隣国と完全に断絶され、断交を余儀なくされております。
隣国の方々には早晩報告が上がってくるでしょうが、今現在我が国は国境を境に、
10m程隆起しているのです。
交通はともかく、流通は完全に止めざるを得ません。ただ、魔王が言ったのは隣国との断交であり、離れていればその限りではありません。故に、私はこの会議の後、アムハムラ王に正式に国交を強める会議を申し入れるつもりです」
今度はザワザワと、時化の海のようなざわつきを見せる議場。
これはつまり、ガナッシュ公国が教会勢力から抜け、アムハムラ王国の勢力につくという宣言に他ならない。
そもそも、提示された条件から最適な行動を選べばこうならざるを得ないのだから、ある意味仕方の無いことだ。教会勢力の国々だって、文句は言えないだろう。それは我が国に『滅べ』と言うに等しい。
さらに、ガナッシュ公国がアムハムラ王国と深い繋がりを持つ事は、どちらの国にとっても損にならない。流通が空に限定される以上、アムハムラ王国以外の選択肢はない。そして、アムハムラ王国は穀倉地帯を持たぬ国。我が国は小さいながらも農業国である。あまり多くはないが、輸出のほとんどもやはり農作物である。
ガナッシュ公国は後ろ楯と強い販路を得る。アムハムラ王国は食料自給の問題が大きく改善され、強い立場で我が国と国交を結ぶことができ、半ば対立している教会勢力から我が国を離反させることができる。
損をしたのは教会だけであり、一国を困窮に追いやったことで非難も集まるだろう。
ある意味、あの魔王の一番恐ろしい部分は軍備でも軍勢でもなく、敵対者だけを除外して我々に飴を与え、魔大陸侵攻反対派の勢力を強めるという策を思い付いたその頭脳であると思うが、この場でそんな事を言うつもりはない。
せっかくリスクなく国益に繋がる道があるのだ。国家元首としては、その道を選ばないという選択肢はないだろう。