力
妾は、偉大なる魔王の母上と、父上の間に生まれ落ちました。
父上は、妾が生まれて程なく、確かたった80年程で落命しました。それも、魔王や勇者ではなく、ただの魔族の手によって。その事について、妾には特に思うところはございません。例え父が、腹心に寝首をかかれるような惨めな最期を迎えたとしても。
魔族は力を尊び、力を信奉し、力を絶対の理として生きているのですから。死したのならば、それは父上が弱かったというだけの事。弱き者は力ある者に淘汰されるか、その者に恭順するべきであると、妾はそう思っておりました。
この時の妾は、まだ幼かったのです。物事を、ただ単純にしか見れず、魔王たる母上と父上の元に生まれたというのに、ただの普通の魔族のような事しか考えられませんでした。
全く持ってお恥ずかしい。キアス様の言うところの『黒歴史』という物でございます。
歴史に秘された暗部を指す言葉も、個人で使うとどうしてこうもコミカルになるのでしょう。キアス様のセンスが光ります。
とはいえ、妾の世界が力を真理として回っていられたのも、それからほんの200年ほどでした。
母上の気まぐれで、父上を暗殺した魔族の治める支配地域を攻めた折りにございました。
その者の支配地域は見る影もなく荒れ果て、弱き魔族はその命を強き魔族のために搾取され、強き魔族は飽食と享楽の限りを尽くしておりました。
民衆は母上の侵攻を快哉で受け入れ、父上という旗頭を失い、奸計にてその座を簒奪せしめし頭目に信奉が集まるわけもなく、統制のとれていない脆弱で脆い軍はろくに戦にもならずに蹴散らされました。
その領を支配していた魔族、父を騙し討ったその魔族は、母上の元に引き連れられてくると、言葉の限りを尽くして命乞いを始め、恭順を誓いました。
母上は、至極つまらなそうにその者を処刑しました。
『力』とは一体何なのでしょうか。
その時初めて、妾はそんな事を思いました。
父上は、少々思慮の足りないところもありましたが、魔王として何ら恥ずべき必要など無い程の実力を有しておりました。妾はてっきり、その魔族も比類なき実力者であると思っていたのでございます。
処刑され、民衆に石を投げられる骸を前に、妾は思いました。
あの程度の実力では、母上の配下でも中の下といったところ。父上は勿論、妾にも及びもつかない弱者です。ならばなぜ、妾より遥かに強い父上は、あんな者に弑されたのか。
力こそが真理であり、摂理であるならば、現状はその理から大きく外れているのではないか。
『力』とは一体何なのでしょうか?
騙し討つ、という行為も強さでしょうか?骸が民衆に石を投げられても、彼は強者だったのでしょうか?強い軍を育てられなかった彼は弱者でしょうか?恭順の言葉に信憑性を感じられなかったのは弱さ故なのでしょうか?その原因となった騙し討ちは、では強さなのでしょうか?弱さなのでしょうか?
それまで標だと思っていた『強さ』という概念が、その時の妾には芒洋として掴めぬものに感じられました。
母上に尋ねたことがあります。
『母上、『強さ』というものは一体何なのでしょうか?』
『『強さ』、じゃと?
相変わらず貴様は小難しい事を考えるな』
母上は、少し面白そうに妾に聞き返しました。
『母上と父上の子である妾は、他の魔族より遥かに恵まれた『強さ』を持っております。戦闘の技能は最近は三大魔王などと称される母上やエレファン殿、タイル殿でなくば、他の魔王様にも匹敵すると自負しております』
『どうかの。
アベイユやエキドナ、あとあれの伴侶は、これからが伸び盛りであるからの。アベイユは少々やんちゃじゃが、ああいった向こう見ずな若さというのは、見ていて微笑ましくもある』
『第6魔王様については、母上はどう思ってらっしゃいますか?』
『よくわからん。
実力は、そこまで低くはないと思うがの。こそこそ刺客を放ってきたり、然りとて戦もせず領地に籠っておる奴じゃからの。よくわからんというのが本音じゃ』
『そうですか………。
話が逸れましたね。『強さ』についてなのですが、他の魔王様と比した話はともかく、妾は他の魔族とは一線を画する実力がございます。つまり、普通の魔族から見れば妾は『強者』であると言えます。しかし、母上から見れば妾は『弱者』。『強さ』と『弱さ』、それは一体どういったものなのでしょうか?』
その時母上は、そんな些末な事に悩む妾を見て、若いと思ったのでしょうか。諭すように答えた言葉は、妾の人生を大きく変えるものでございました。
『わからん。
が、我は我より『強い』と思った者を強者とする。我はそれでよいと思うておる。『強さ』などというものは、人が決めるものではなく自らが定めるものぞ。いや、見定めるものぞ。
貴様が言う『強さ』とは何を指すのか、まずはそれを知れ。貴様はあまりにも無知じゃ。そして、我から見れば無知は『弱さ』じゃ。己の欲する強さ、それを知り、そこで初めて貴様は『力』が何であるのか、どういった物なのかの一端に触れることができよう』
それから妾は『力』というものの本質を追い求めました。一層鍛練に心血を注いで武を磨き、無知は弱さだと断じられたので勉学にも精力的に取り組みました。
幾星霜の年月を経ても、妾は『強さ』の本質が何であるのか、『力』とはどういうものなのかを、掴めないでおりました。
『妾が欲する強さ』
母上の言葉が、妾の頭を何度も何度も駆け巡りました。妾が知る強者。
三大魔王は言わずもがな。今やアベイユ様やエキドナ様も、立派な強者でございます。残念な事に第7魔王様は人間の英雄の手によって討たれ、この世を去りました。しかし彼もまた紛う事なき立派な強者と呼べましょう。ではその英雄はといえば、第7魔王様から受けた深い傷により二度と戦士には戻れず、しかし英雄として真大陸で華々しく人生を過ごしたそうでございます。彼もまた死せる強者であるのでしょう。
妾が自ら定めた強者。
しかし、その実力も、半生も、終生も、全てがバラバラで、共通項を探すことが難しくございました。
自ら定めた強者ですら、その根底となる『強さ』がわからずに、妾の心は千々に乱れておりました。
堂々巡りを繰り返す自らの思考に辟易とした頃、妾は初めてその答えの一端に触れる事ができました。
グリフォンの背に寝そべる、あの方に出会ったのです。