信頼の迷宮
大きいっ!!
シュタールに続いて門をくぐると、私たちの頭上にはあの透明な浮遊城と、それを取り巻く蛇のような意匠の、細長い石材がうねっていた。
とはいえ、浮遊城はかなり進まないと辿り着けそうにない。というより、一体どうやって行くのだ?
「でっけー………」
呆けたように空を見上げるレイラ。全く、そんな場合ではなかろうに。
「レイラ、ここは既に魔王のダンジョンの中だ。上ばかり見ていては命取りだぞ?」
「おっと、ヤベ。そうだったな」
とはいえ、今すぐの危険はなさそうだ。辺りは静かで、魔物の姿もない。
我々が通ってきた転移陣は、どうやら一方通行らしく、ミレやアルトリアが出てくるときもこちらからの干渉はできそうになかった。これでこの腕輪が使えなかったら、普通の冒険者は一貫の終わりだな。
「あらぁ、見てみてミレちゃん。この扉の向こうに、さっきまで私たちがいた城壁が見えますよ」
「………ん………。………窓がいっぱい並んでる………」
「あの中の1つから、さっき私たちもこちらを見ていたんですねぇ〜」
壁が高いのでわずかにではあるが、あの城壁も見える。
というか、ミレやアルトリアまで観光気分では困るぞ。
「うふふふ。アニーが睨んでますわ。ミレちゃん」
「………怒られる前にちゃんとしよう………」
はぁ。まぁ、この2人はまだいい。問題はシュタールとレイラだ。この2人は下手をすれば勝手に突っ走って行ってしまって、迷子にでもなられかねん。
「シュタール、レイラ!くれぐれも単独行動は避けるように!あと、少しでも違和感を感じたら言え。危険なようなら即時撤退。何も今回だけで踏破する必要はない!」
まぁ、ここまで言い含めても安心とは言い難いが、危なくなったら逃げるくらいはしてくれるだろう。
「たく、心配性だなアニーは」
「シュタールの言う通りだぜ。アタシだって、これでも一端の冒険者なんだぜ?」
甚だ疑わしいものだ。
「では勿論、腕輪を発動させるキーワードは憶えているのだな?」
「「………………」」
これだ………。
本当にこの2人には手を焼かされる。さっき説明したばかりだと言うのに、もう忘れたのか?
しかもダンジョン内で不用意にキーワードを口にすれば、勝手に腕輪が発動してしまう。確認の作業も大変だから、ちゃんと憶えておけと言ったのに。
「あ、思い出した!」
レイラがポンと手を叩き、満面の笑みで口を開く。
「『ランアウェイ』だろ―――」
淡い光に包まれて、レイラが消えた。
はぁ………。
先が思いやられる。
あの後、決まりの悪そうな顔で合流したレイラと私たちは、ダンジョンを進んだ。
因みに、腕輪は使い捨てなのでレイラはもう1個腕輪を買うはめになった。自業自得である。
時おり散発的に魔物と遭遇するが、別段苦もなく倒せた。ウェパルはここ『信頼の迷宮』は初心者向けのダンジョンだと言っていたが、これなら確かに駆け出しのひよっ子でもなんとか対処できるだろう。
ルーキーの育成にはいいアスレチックかもしれないが、こんな場所で高価なマジックアイテムが手に入るなら、たちまち取り尽くされてしまうだろう。
「んだよ、また食いもんじゃねえか!」
レイラが荒々しくぼやいた。
そうは問屋が卸さないらしい。
ダンジョンを進むといくつかのトラップがあった。危険度は低いものの、解除しなければ面倒くさい事態になりかねない物の無力化が大変だった。とはいえ、遺跡探索等の依頼もある冒険者には、少々ぬるいと言わざるを得ないものばかりだ。まぁ、魔王もこの迷宮で人を死なせるつもりはないようなので、当然か。
因みに、レイラはたまに嵌まっていた。これで一端の冒険者とはよく言えたものだ。
そしてここまでに3つの宝箱を見つけたが、その内2つは食料と水だった。だいたい1人が1日で消費する分だな。分ければ5人でもなんとか、といったところか。ダンジョンを訪れた冒険者の中に、食料を忘れるような大間抜けがいても、これならなんとかなりそうだ。
しかし、流石に気遣いすぎではなかろうか?このダンジョンに限らず、探索には食料を持ち歩くのは常識中の常識だろうに。
残りの1つに入っていたのは金属の板と、ガラスと黒曜石のような物でできた小さな駒。宝箱に同封されていた説明書によると、これの名は、
『チェスボード』
ただの玩具のようだ。
ルールは中々凝っていて遊ぶ分には面白そうだが、今はただの荷物にしかならない。まぁ、珍しい物なのでそこそこの値段はするのだろうが、恐らく腕輪1つ分を賄えるかどうか。これだけでは、どうにもならないな。
そんな簡単に荒稼ぎできるような話でもないらしい。まぁ、当然か。
この程度なら、キアス殿もわざわざ我々にこの話を伝えたりはしないだろう。マジックアイテムを独占して、自分だけで売りさばけば一代で国が買える。
そうできない事情、我々に情報を流さざるを得なかった事情があると考えるべきだ。
「レイラー!!この先にこの穴から出るための装置があるそうだ!それまで待ってろよ!」
落とし穴の中に向かって、シュタールが大声で叫ぶ。
レイラの名誉のために言っておくが、今回はレイラがトラップに嵌まったわけではない。
大きな落とし穴を回避した我々5人は、完全に退路も進路もなくしてしまった。後ろの扉は開かないし、前方は大きな落とし穴が広がっている。最早これは落とし穴と言うより巨大な窪地だ。床が傾いた急な坂と、20m近い絶壁。足場となるような窪みもなければ、直接登れるような高さでもない。絶壁の上部にはかなり細いスリットがあるが、あれが何のための物かはわからない。進むに進めず、戻るに戻れない状況だった。
だが、
「………あそこに何かある………」
ミレの指差す先には、レバーのようなものがあった。あれを操作するのか?
しかし、この坂を登るのは私やアルトリアにはきつい。一度下りれば戻れなくなるぞ。
「アタシが行くぜ!アタシならこの坂も上れるし、万一力がねえと動かせねえなら、ミレには厳しい」
案外まともな意見だが、それはつまりレイラだけを危険に晒すということだ。そんな案をのむわけにはいかない。なので私も付いて行くことにした。
非効率的だが、風魔法を使えば戻ってこれない事もない。流石にあの絶壁を登ることはできないが、この坂ならなんとかなるはずだ。かなりの魔力を消耗する事になるが、レイラ1人を行かせるわけにはいかない。
散々私など不要だと捲し立てたレイラだが、更なるトラップの可能性を説いて説得したら、渋々頷いた。
こんな所で仲間を見捨てるような選択など、出来よう筈もないだろうが。
2人で坂を滑り降り、レバーに到達する。念入りに調べたが、トラップの痕跡はない。レバーを動かすと発動するトラップなのかもしれないが、そればかりは実際にやってみないとわからない。紐を利用して、離れた場所でレバーを引こうとしたがビクともしない。
やはりレバーの先端のあの突起を押しながらでないと動かないようだ。
仕方がないので、レイラがレバーを引き、私が周囲を警戒する役だ。まさか、ここでいきなり、致死性の高いトラップを用意しているとは思わないが、楽観してはいけない。
緊張に唾を飲み込みながら、レイラがレバーを引くのを見る。
レイラがレバーを引くと、後ろにあった坂がせり上がり元の高さまで戻っていく。
レイラは慌ててレバーを離し坂へ向かおうとしたが、レバーは勢いよく元に戻り坂は再び傾斜し始めた。
成る程。どうあっても誰かが残らないといけないのか。
そんなわけで私とレイラは今、幅2mほどの谷底のようになった落とし穴の下にいた。
断じてレイラの名誉のために言うが、我々はトラップに嵌まったのではない。
『信頼の迷宮』。成る程、仲間との信頼関係を試されるダンジョンなのだな。
仲間を信じ、こうして落とし穴の下に残った我々は、つまりはその試練に打ち克ったという事だ。
断じて嵌まっていないのだ。