閑話・3
「ふぃ〜、やっぱ生き返るなぁ」
たゆたうお湯に浸かり、僕は大きく息を吐く。
風呂、それは命の洗濯だ。
さっぱりとして気持ちがよくなれば、鬱々とした気持ちも吹き飛んでしまう。
しかしあれだね、エコーがかかると歌とか歌いたくなっちゃうよね。
きっとカラオケを発明した人は、お風呂でそのアイディアを思いついたに違いない。いや、知らんけど。
「アーヴェマリーア♪」
僕が気分よく歌っていると、突然お腹にヒヤリとした感触があり、音程がずれてしまった。見ればスライム形態のフルフルが密かに近付いて、くっついたようだ。全く、これで何度目だよ。結構ビックリするんだぞ?
「キアス、もう一回歌ってなの」
「あ?」
「今の歌好きなの。もう一回歌ってなの」
なんだ歌につられてきたのか。
「別にいいけどさ」
僕はそう言って、再びアヴェマリアを歌い始めた。うぅ………。なんか、いざ聞かれてると思うと恥ずかしいな。銭湯で鼻唄、くらいのつもりだったのに。
歌い終わると、ぺちぺちと拍手が聞こえてきた。
「マスタ、お歌、上手」
「ました、すごい」
マルコとミュルか。まぁ、幼稚園で歌を歌う保母さんみたいなものだな。と思っていたら、コーロンさんとパイモンまで拍手しながらこちらに歩いてきた。
「素晴らしい歌声でした。思わず聞き入ってしまって、しゃんぷーが目に入ってしまいました」
「いやー、中々の歌声だったぜ。そこらの吟遊詩人なんてメじゃねえな。まぁ、歌詞はよくわかんなかったけどよ」
そんなに絶賛されるようなものじゃないっての。言っておくけど、これは僕の歌じゃなく、曲がいいんだよ。その賛辞は作曲者に送ってあげなよ。まぁ、僕は憶えてないんだけど。
「キアス、別のお歌あるの?」
別のかぁ。
「じゃあクラシックで」
なんかさっきより注目されて恥ずかしいけど、まぁ、楽しんでくれるならいっか。
「アメイジンググレイス」
まずは彼の名曲のタイトルを告げてから、僕は歌いだす。
「どうしてこうなった………」
今僕の目の前にはマイクが設置され、室内には誰もいない。
どうしてこうなったのだろう………。
なぜか、あの時先に上がってしまっていたウェパルからも、歌が聞きたいと要望を受け、どこから漏れたのか城壁都市の住民からも歌を聞かせてほしいという嘆願が集められた。それだけじゃない、迷宮荘やアムハムラにいるトリシャからも、是非にと頼まれている。
なんだコレ?
結局、あまりにも嘆願が多すぎて、実現せざるを得なかった。
『城壁都市は緊急時の連絡用スピーカーを流用したからいいとして、ズヴェーリのゴーロト・ラビリーントにまでスピーカーを設置するとは………』
仕方ないじゃん。城壁都市だけってわけにもいかないんだからさ。
『歌は私の専売特許だと思っていたのですが』
「黙れジャイ〇ン」
『あの時のはわざとにすぎません。私の実力をあの程度だと思われては心外です』
「ほぉ、じゃあ歌ってみな」
『いいでしょう。私の超絶技巧にチビっても知りませんよ?』
そう言って歌い出したアンドレ。確かにうまい。だが、これは………。
『いかがでしたか?』
「まさか本当に超絶技巧を見せつけられるとは思わなかったよっ!!」
オペラ『魔笛』の『夜の女王』のアリアを歌いきったアンドレは、どこか自慢気だ。あ、2番目の方ね。いきなりあの出だしはビビるし、佳境のあの部分を歌いきったあたり、もう独壇場でしたね。
『あ、汚いので近付かないで下さい』
「チビってねぇよ!!」
ビビったけど!
ここで僕に名案が浮かぶ。
「なぁ、デュエットにしない?」
『そんなに恥ずかしいんですか?』
「いや………、まぁ………」
だって身内でカラオケ行くのと、CDをリリースするのとじゃ大違いだろ?
不特定多数に向けて歌うって、かなり緊張するんだよ。
『はぁ………。小心者の謗りは免れませんね。このチキン。で、曲目は?』
甘んじて受けよう。
「ア・ホールニューワールド」
○●○
いつものように八百屋仕事に精を出していたら、突然歌声が聞こえ始めた。
皆の騒いでいた、魔王の歌声ってやつか。なんとまぁ、これをあの魔王さんが歌ってんのかい。
可愛らしいのは姿だけかと思えば、こんな天使のような歌声もあんのかい。
全く。この街に来てからというもの、全然飽きないねぇ。
○●○
おっ、いきなり女の声になった。
さっきまで歌ってたのは魔王さんだよな。じゃあ今歌ってんのは誰だ?
ウェパルちゃんからは、魔王さんに特定のイイ人はいねぇって聞いてたが………。
なんだかまるで恋人同士みてえな歌い方じゃねえか。魔族の仲間の、えーと、パイモンさん、って人か?
ウェパルちゃん、前途多難だな。
○●○
「姉ちゃん、聞こえてきた!」
お、ホントだ。全く。キアスの奴はお人好しすぎんだよな。わざわざ苦労してまで、この迷宮荘にも歌が聞こえるようにするなんて。
「コーロン姉ちゃん、これ魔王が歌ってんの?」
「ああ」
「綺麗だねー」
「そうだな」
アイツのおかげで、アタシはまた子供達と暮らせるようになった。
アイツはきっと、アタシがどれだけ感謝してるか、わかってないんだろうな。
この借りは、アタシの人生全部をかけても到底返せるものじゃねえけど、でもいつか、アイツが困った時は力になってやりてえな。
「あ、女の人の声になった!」
「これは誰ー?この前遊びに来たウェパルちゃん?」
「いや………」
って多分アンドレじゃねぇか!?
アイツ、こんなに歌上手かったのか。っていうかなんだこの歌!?まるで恋人同士の歌う歌じゃねえか!?
「なぁ、コーロン姉ちゃんどうしたんだ?」
「そっとしてあげなよー。そういうお年頃なんだよー」
「ふーん」
○●○
な、なんだこれは………っ!!
最初はキアス様の歌声に聞き惚れていたのに、いきなりアンドレの歌声がイヤリングから聞こえ始めた!!
歌詞はよくわからないが、なんで恋人同士みたいな歌い方なのだ!?
くそっ!なぜ私はあそこに居ないっ!!私があそこに居れば、居れば、居れば………。
軍務一筋だった私に、あそこまで見事にキアス様の相手をつとめられるわけがない………。
くっ………、歌のパートナーの座だけはアンドレに譲ろう!だが、キアス様の真のパートナーの座だけは誰にも譲らん!!
しかし今は、この歌を堪能しよう。
あぁ、キアス様の歌声………。
○●○
「どうしてこうなった………」
僕の目の前には、城壁都市と、ゴーロト・ラビリーントからの嘆願が、うず高く積み上がっていた。
署名は全員男性。
なんでも、ア・ホールニューワールドの歌を教えてほしいんだとか。一回聞いただけで耳コピした男性が、あの歌を使って恋人を作ったらしい。
いや、わかるけどさ。
もっとオリジナリティを出そうよ。
「あ、ご主人様」
「おう、ウェパル」
「あの、城壁都市の皆が、また歌が聞きたいって」
もう勘弁してくれ………。