私の見た世界
私にとって、世界というものは、とても生き辛い場所だった。
この人に出会うまでは。
幼い頃、親は1本しか角のない私に、3日に一度しか食事をさせなかった。
2本の角がある弟は、1日に2回も食事をとっているというのに。
一族の集落では、私は常につま弾きにされた。子供は挙って私を殴り、時には大人にも『お前を殴ったせいで、子供が怪我をした』という理由で殴られた。
常にお腹を空かせていた私は、いつもされるがままだった。
よく死ななかったものだと、今では感心するほど、当時の私は殴られ続けた。
成長するにつれ、私は自分が虐げられる理由を知った。
そして、それを解決する術がないことも知った。
貧弱な、やせっぽちの1本角のオーガ。強さこそを信奉するオーガにとって、確かに私は除け者にされるだけの理由があった。そう思ってしまう私も、やっぱりオーガだということだろう。
私はしばらくして、一族の里を出た。
誰も見送りはいなかった。
私も、もうここに戻るつもりはなかった。親にも弟にも、もう二度と会うつもりはない。だから丁度良かった。
でもなぜか、目からは涙が出た。
それから私は、魔大陸の各地を旅した。
旅を始めて良かったことは、好きなだけ食事ができることだった。
森に入れば、魔物がそこかしこにいて、果実や野菜など、自生している食べ物も見つけることができた。
私の体は、ようやく普通のオーガと同じくらいには大きくなった。
各地の魔族の中には、私に温かく接してくれる者もいた。だがやはり、1本角は蔑みの対象となることが多かった。
ある時、私は滞在していた街に魔王が居ることを知り、会いに行くことにした。
私は、オーガとしては貧弱でも、他の魔族よりは力も強く、役に立てると思ったからだった。
魔王は、私を見るなりこう言った。
「オーガが配下に加わりたがっている、というからわざわざ出向いてやったのに、よりによって1本角か。
我輩の配下には、オーガよりも上位の魔族もいる。わざわざ1本角を、配下に加えてやる程、我輩は困っていない」
そう言って、私を嘲笑した。それくらいの罵倒は、私にとっては日常茶飯事だった。だから私は、すぐさまそこを後にした。
でもやっぱり、涙は出た。
私は、この世界に不要な存在なのだろうか。
幼い頃から、幾度となく考えた。その度、その事を考えないようにしてきた。
でも………。
私にとって、世界はとても生き辛い場所だった。
私は次の目的地を『魔王の血涙』に決めた。
ここは、海に面した土地に、ゴブリンやオークなどが細々と生活しているくらいで、他には特に生き物はいない。
寒い土地のせいか、あまり植物も育たず、赤い土に覆われた大地だ。
私はなぜ、こんな場所に来たのだろうか。
恐らく自暴自棄になっていたのだろう。食料は、数日は飢えないだけの量を持ち込んでいたが、ここに居ればすぐに底も尽くだろう。
いっそ、ゴブリンかオークに頭を下げて住まわせてもらおうか。だが、日々の食にも事欠く彼らの元にお邪魔して、いい顔をされるわけもない。
ましてや私は1本角。蔑みこそすれ、歓迎してくれるわけもない。
ふと、目の前にレッドキャップの群れが現れた。レッドキャップは真っ赤な鬣を持つ魔物だ。
人間の中には、魔族と魔物を混同している輩がいるが、それは大きな間違いだ。魔族は親から生まれ、子を成すが、魔物は魔力溜まりと呼ばれる、魔力が沈澱しやすい場所から自然発生する。理性もなく、目につく生き物を襲う習性があり、とても厄介な生き物なのだ。
レッドキャップは、2本の足で歩くも、知性はなく狂暴にして残忍。ただ、個体としての強さは大したものではない。が、大きな群れに襲われれば、村1つが全滅することもある。
そのレッドキャップが、二十数匹。
私は、自分で作った木のこん棒を構える。
目の前のレッドキャップの群れは、そこまで大きなものではない。だが、ゴブリンやオークの村がこいつ等に襲われれば、少なくない被害が出るだろう。
彼らのため、私は戦うことを決めた。
もしかしたら、この事を知った彼らが、私を温かく迎えてくれるのではないか。そんな打算もあった。
オークの村は壊滅していた。
あそこにいたレッドキャップは、どうやら群れの一部に過ぎなかったようで、多くのレッドキャップが村を蹂躙していた。
逃げ惑うオーク達。それを見て私は、彼らを助けに行くことが出来なかった。
レッドキャップの量が、あまりに多すぎた。
明らかに『魔王の血涙』に自然発生する数ではない。近くの森や山で生存競争に敗れ、この地に追いやられたのだろう。
私は、呆然とそれを眺めることしか出来なかった。
その時、神の助けか、天の恵みか、普通ではあり得ないほどの魔力嵐が発生した。
魔力嵐は、多くの魔力が暴風のように吹き乱れる魔力災害の一種だ。発生中は、魔力が上手く扱えなくなり、魔法も行使できなくなる。おまけに、魔力災害の後は多くの魔物が生まれるので、普通は忌避されるものだ。
だが今回は、それが幸いした。
魔力災害で1番の被害を被るのは、生き物でも大地でもなく、実は魔物自身なのだ。
魔力災害は、魔力が吹き荒れる。
自然に生まれた魔族であれば、風の圧力を感じる程度でも、魔物にとっては致命的な一撃となる。魔力から生まれた奴等は、魔力災害に、その存在そのものを揺るがされてしまうそうだ。
数十分にも及ぶ、激しい魔力嵐の後、その場に残ったのは、レッドキャップとオークの死体ばかりだった。
私は、ただただ呆然と立っていただけだ。
いや、私は多くのオークを見殺しにした。
これからゴブリン達を訪ねるにも、どの面を下げて会いに行けばいいというのだろう。
ここに来て、本当に行く宛がなくなってしまった。
魔大陸には、戻りたくない。真大陸に行けば、命はないだろう。よくて奴隷だ。どうしようか。
あぁ…………………………………………………………………………辛い………。
何故だろう。やっぱり涙が出る。
本当に私は、誰にも必要とされて居ないんだろうか。誰も私を、好きじゃないんだろうか。
寂しい。
世界中回ったなんて言うつもりはないが、世界なんて小さくて、窮屈で、そして、辛いものでしかなかった。
寂しい。
だからだろうか。だから私は、ここに死にに来たのだろうか。
寂しい。
寂しい。寂しい。
寂しい。寂しい。寂しい。
寂しい。寂しい。寂しい。寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい。
溢れ出してしまった。
あぁ………………………………………。だめだ………。
もう押さえ込めなかった。目からは涙が溢れ、口からは嗚咽が漏れる。
誰かに必要とされたい。誰かに友達になってほしい。誰かに好きになってほしい。誰かに誉めてほしい。よく頑張ったねって。えらいよって。ありがとうって。
誰か、
私に、
笑いかけてほしい。
次から次に溢れ出して、次から次に消えていく。
無理だってわかってる。
私にとって―――
「―――っ!?」
突然、世界が一変した。肌を刺すような寒気が、急になくなった。
まるで誰かに包まれているような、暑くもなく、寒くもない、そんな感覚に心地良ささえ感じた。
どうしたのだろう。まさか、幻覚作用のある植物でも近くにあったのだろうか。それとも、また魔物の襲撃だろうか。 辺りを警戒していた私は、突然足元から発生した光の渦に飲み込まれた。
光が止めば、私は真っ白い部屋にいた。
目の前には、顔を手で隠した不思議な男がいた。
今まで見たどの魔族より貧弱そうで、今まで見たどんな生き物より脆そうな、そんな男が。
「やぁ、突然呼び立ててしまってすまない。僕は魔王。名をアムドゥスキアスと言う」
翳した手を下げたとき、
男は、
私に笑いかけた。
この時から、世界は優しく、温かく、楽しい場所になった。