【第2話 無知なルーキー】
天井が開き切ると、エクサは目の前の光景にギョッとした。
そこには人の群れ。遊び人っぽい風体の男。ハリセン。光彩を放つオレンジ色の髪の少女。老け顔。その他。
実際はそんなに多くはなかったが、エクサの胸裏はこれだった。
確実にやられる。圧倒的だ。何もかも……。
銘々に何かを主張しているが、囂しいだけで内容が把握できない。
「うわああああっ!」
エクサは恐慌し、筺体から飛び出した。正面の人間を突き飛ばしドアまで走る。廊下に転び出て逃走。
「待ってくれ! エクサ君!」
ブラスが呼び止める。しかしその声も、今のエクサの耳朶にはトンネルを抜けるジェットコースター。入ったら反対側に出る。
エクサは走る。自分が走らなければ、身代わりとなったやけに名前の長い無二の親友が国王に処刑される、という訳ではないが走る。それは防衛本能だ。
筺体から生身を晒したエクサは、盾を失った〈フラウジル〉も同然。然るが故に、残った方法は回避――逃亡である。
〈フラウジル〉がブーストを蒸かすように、全速で駆ける。バックモニターを確認する。
この場合は肩越しの『チラ見』だ。
追撃部隊は遥か後方。この時ばかりは、楽な場面で廻ってきたリレーのアンカーに同感できた。
安堵の表情で前方に視線を戻した。
その砌――
前から高速で接近する機影――いや、人影があった。影の正体は少女。長い黒髪を揺らし、凄い形相で向ってくる。
まるで悪魔の化身。この表現は前にどこかで。
少女は、思わず立ち止まったエクサの胸倉を掴み、〈アルケイン〉の如く素早く位置を反転させた。
「この、馬鹿ルーキィィィーッ!」
そこから見事な一本背負い。エクサは背中から地面に倒れた。
「うあ……、っ……。痛い……」
上体を僅かに起こし、腰に手を添えながら上を見る。視界には天井ではなく柔道少女の顔が映った。
濃艶な顔つきだった。小説のヒロインは決まって綺麗だが、この少女はその中でも秀でている。
どこまでも整った目と鼻立ち。潤い豊かな桜色の口唇。漆黒の瞳の中には、無類の意志による鋭さが感じられる。
エクサは尻餅を着いたまま身体を反転させ、少女を見た。
少女の髪は予想通りに長く、腰の下まである。滑らかな髪質は背中を優しく撫でる仕草をしているようだ。服が覆っていない部分から覗かせる玉潤の肌。
全身も抜群のプロポーションであり、つい目を引かれてしまう。
見とれて固まっている内に後続が追い付いてきた。
「待ってよー! エクサ君!」
気が抜ける程の癒し声の少女がエクサの両肩を掴んだ。
右側を少し長くして切り揃えられたオレンジ髪が特徴の娘だ。こちらも美人だが、どこかで会った気がしていた。
思案顔のエクサに気付いた少女が先に口を開く。
「もう忘れたのかな? ほら、イリアだよ。イ・リ・ア! 顔も名前もプリティーな女の子ッス」
「あっ!」
人の顔を覚えるのが苦手なエクサだったが、さすがに思い出した。
「でも髪が……」
「あれは営業用。うわ〜、少しショック〜!」
イリアは目の辺り擦るフリをする。『しくしく』と形容するに相応しい動作だ。困って視点を背けたエクサに更に、
「こらっ! ルーキー! いきなり逃げ出すんじゃねぇよ!」
「そやで。ごっつ焦ったわー」
遊び人とハリセンの登場。囲まれたエクサは観念して首を垂らした。地面に両手を着き、
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい! 俺……、そんなつもりじゃ……。本当にすみませんでした!」
平身低頭。しかし何の反応もない。恐る恐る顔を上げるエクサ。
まずは座っているために目線の高さが一番低いイリアの微笑が見える。
「君がエクサ君だったんだね。試合、観てたッスよ。凄いぞ! ルーキー!」
弾ける声調。
「前半の言葉、最初に言うべきじゃないの?」
まだ厳しさの余韻の残る口調で柔道少女。
残りの二人に目をやると、愉しげに語りだした。
「うちは蘭。蘭蘭や。燃える試合やったで。エクサはん……でええか? 対戦する日が待ち遠しいわ」
とハリセン関西人の蘭。
「こいつはすげぇルーキーが来たもんだな。あ、俺はギフト・シュライクだ。……そんで対戦者の目からとしては、どうだったよ? シュナ」
エクサから見て遊び人ことギフトは、柔道少女――シュナ・アスリードに話を振った。
「別に普通よ」
予想と全く違う反応に、エクサは『ポカーン』と口を開けて惚ける。
四人はいつの間にか、エクサを中心に歓談を始めていた。
(怒ってるわけじゃないのか?)
エクサは座りながら思案顔。
そんな状態になっていると、後ろからブラスがやって来た。しょんぼりと肩を落として。
「エクサ君……。社長からお呼びが掛かってる。行こう……」
周りを暗い雰囲気で包み込むブラスのテンションに、エクサは処刑宣告を受けた気分になった。
ブラスはすでに一段と老け込んでいる。
「だ、大丈夫ッスよ。あたし達からも庇って上げるから」
「せや。ここでクビなんて、エクサはんの腕が勿体ないわ」
「ま、このメンバーで頼べば何とかなるだろ」
イリア、蘭、ギフトの順番での寛厚な言葉に、エクサは心温まる感覚に浸った。立ち上がって歩きだす。
「このメンバーって、私も含んでるの?」
嫌そうに言うシュナだが、すでに列の中に入っている。
「みんな、ありがとう! 〈AMF〉の作業員で良かったー! 思えばこれほど嬉しいことは今までなかった……」
何やら述懐し、感涙するブラス。誰か一人は彼の心配もしていたと思いたい。
長い廊下の中間辺りまでくると、イリアが壁ぎわにある装置に手を触れた。
すると廊下自体が自動で動きだし、一瞬にして入り口まで運んでくれた。感嘆する暇もなかった。
エクサは誰に気付かれないように苦笑した。
来た道を戻り、少し歩いて大型エレベータの体内に侵入する。口を閉じ終えると、ゆったりとした浮遊感を地面が与えてきた。
「〈AMF〉の本部は一番上なんだよ」
イリアの言葉に、最上階のボタンが重々しく見え始めた。しかしイリアは軽々と押す。
不安。それしかないだろう。
周りに黒いオーラがどよどよと漂うブラスを見て、エクサは溜息を吐いた。
最上階まで後少し。
腕を組んで壁に保たれ掛かっていたシュナは、先程の一戦を脳内でリプレイしていた。
頭部への最後の一撃。それ以前の接戦。
油断からきた相手の過小評価が主な原因だが……。このエクサという男の実力も侮れない。ESL(exceptional-spirit-linkの略)を使用したとはいえ、〈フラウジル〉であそこまでやるとは。
意外にトップランカー級の実力を持っているのかもしれない。
漫画みたいな波型の涙を流すブラスの隣――がっくりと肩をうなだれるエクサを見る。何度も溜息を吐き、見るに堪えない面相だ。
シュナは腕を解き、背中を壁から放した。
エレベーターが停止し、その大きな口を開く。
最上階は豪勢な作りとなっていた。赤い絨毯や白銀の騎士の鎧などがあり、西洋の城を彷彿とさせる。
イリアに背中を『バン、バン!』と叩かれ移動するエクサ。ギフトと蘭も横から明るく鼓吹する。
頭を抱えたブラスの背を見送り、シュナも足を進めた。
本部までの距離はそんなにない。状況に合わせた対応が取り易いように入り組まない構造となっている。
数メートル歩くと、今時は珍しい木製の扉に突き当たった。
高い天井まで伸びる扉の上下は薄暗い影に包まれ、森厳とした雰囲気が漂う。
戸惑いが一挙手一投足に表れだしたエクサ。構いもせず、さっさと扉を開く準備をするイリア。
シュナはその様子を見て、自嘲気味に笑う。
(考えすぎか……)
同時に扉が開いた。まるでシュナの心事が魔法の合い言葉だったかのように。
扉の向こうは廊下よりも明るい光で溢れていた。




