【第8話 飛魚!・その4】
目覚めたのには理由があった。
聞こえたのだ。AT同士の博闘が。それも、最も熾烈に互いを削り合う生々しい瞬間のものを。
いや、もしかしたらそれ以前から起きていたのかもしれない。戦っているのが自分なら、身体と意識がフル稼動する場面だ。観戦だけとはいえ、触発されていても、別段おかしな事ではない。
ランシェの瞳が、まず写した光景。それは隣に座っていたギフトだった。彼は喫驚し、大袈裟に身を引く動作のまま固まっている。 次に正面。ハンバーガーを食べていたイリアも、また固まっていた。机上に山のように積んであったハンバーガーだが、今は半分以下まで減少している。
グルマンは机に突っ伏し、大きな鼾。隅っこでいじけてる変な物体は無視。
それからモニターに目をやった。覚醒を促した原因に、だ。
『今だぁああああ!』
エクサの裂帛の叫びと地面を刔る轟音は同時。
〈デザートカロル〉は無駄のない動作で地面からナイフを拾い、〈カレント〉へと切り込んだ。〈カレント〉は左手で切り掛かってくる手首を押さえ、右拳を突き出す。顔面に迫る拳への対処は、左肩を内側に入れ、自らの肩部を即席の楯とする動き。
この一連の動作は、機体と地面を水平にし、前――頭上へと突き進む加速を得ながら行っていること。現状では〈デザートカロル〉が〈カレント〉を組み敷く形で。
瞬間的な爆発力を伴う速度での争いは、建物を瓦礫と変え、煙を巻き起こす。吹き荒れる煙の拡がりの中心にいる両者は、そんなことは気にも留めない。
「お前も、そんな眼とか出来るんだな……」
ランシェは冴えた瞳をギフトに戻す。ギフトは、その凜とした面立ちに戸惑っているように思える。
「状況の報告を」
「は……?」
「解りやすく」
「い、いや……」
「簡潔に頼むわ」
相手の心情などは全てすっ飛ばした会話。もはや歯牙にも掛けない。
ギフトは有り得ない量の冷汗を顔にびっしりと浮かべて、
「じょ、状況って……いま見た通りだけど……?」
球となって落ちた汗が地面を打つ。
ランシェは、ひたすらギフトの瞳だけに目標を定めている。顔の様子や訥々な口調など、今は興味の対象から除外される。
モニターを指差すと、淡々とした口調は続く。
「左腕の肘から下が無い」
「あ、ああ……それは〈カレント〉のミサイルから直撃を避けようとして盾にしたんだよ」
「そう」
満足したのか、再びモニターを注視する。
……五分五分、ね……。 一見すると〈デザートカロル〉が不利となる。人型同士での戦闘で四肢のどこかを失うのは致命的なことだ。腕なら武装の操作に不備が生じたり、格闘に置いての有効性は半減してしまう。脚だと機動性や、機体のバランスに乱れが生じたりもする。
しかし蘭の戦闘スタイルは火力重視の力押しであるため、武装の大半を失った〈カレント〉の戦況も厳しい。片手だけの相手とはいえ、格闘で〈デザートカロル〉と相対するのは、はっきり言って分が悪い。
然るに現在は互角。双方の状態を確認してからの結論がこれだった。
……あと、は……。
モニターが思考を遮る動きを見せた。
背中で白煙を突き破って現れたのは〈デザートカロル〉だ。空中での停止が急を要したように見えたのは間違いではない。それは外部からの衝撃を受けた所為である。
その執行者たる〈カレント〉も白煙を突き抜ける。背部に青い炎を巻いて。
機体の間に挟まれた青空の風景が消えると、一瞬にして火花が飛び散った。次の瞬間には距離が開き、また接近。小さな閃光だけが接触した証となり、会場の歓声と共鳴する。
今度は〈デザートカロル〉が反撃。体勢の悪いまま降下していった〈カレント〉が、白煙に飲み込まれるように消える。それを追い掛けた〈デザートカロル〉の機影も、もはや見えなくなった。 ランシェにはこれからの両者の展開は手に取るように解っていた。
蘭は上手く粘りながら隙を窺い、唯一、残った火力である大型ミサイルで勝負するだろう。経験なら蘭のが上だ。チャンスは必ず訪れる。
エクサは意地でも離れず、格闘重視。とにかく相手にミサイルを撃たせる時間を稼がせない。
しかし、それでもやはり蘭が粘り勝つ。最後の一撃は慎重に決めてくる。
……でも、あの子はもしかしたら見付けられるかもしれない。蘭が絶大な信頼を置いている武装の、致命的な弱点を。
所詮は魚。そこまで利口ではないのだ。
再び白煙を突き抜けた先はに見えたのは地面だった。エクサは機体に空中でブレーキを掛けさせつつ、同様の体勢で後退している〈カレント〉に追随する。反撃を始めたのと同じ体勢で格闘戦を繰り返し、高層ビルの合間を縫って進む。
その終点の先には光が待っていた。
今まで届かないでいた太陽光ともう一つ。周囲の明るさをも寄せ付けない、テーマパークの様々な照明だ。ジェットコースターや巨大観覧車とその他にも沢山ある。
刹那、複雑に入り組んだパイプが眼前に迫る。〈デザートカロル〉はこのまま通行できるが、〈カレント〉には直撃コースである。そう判断が終わったと同時に、機体が下方へと引き寄せられた。〈カレント〉に右の手首と胸部装甲を掴まれたためだ。
〈カレント〉は背中をパイプに打ち付けながらも、それをブレーキとして強引に推力を消すと、右脚でこちらの腹部を蹴り、そのまま前方へと投げ飛ばした。 巴投げで勢いの付き過ぎた機体は、背中からパイプに打ち付けられる。
徐々に落下し、背中から地面に当たる直前でエクサは行動に出た。残った右腕で地面を殴り付け、同時に前方への軽微なブーストで浮き上がる。直後に反対方向にブースト全開。立ち上がる〈カレント〉に間髪入れずに切り掛かる。
それも機体を反転させつつ、左から外側へと軌跡を描くもの。右腕だけでも広い範囲を攻撃できる一撃だ。これで左側へと回避することが容易ではなくなった。
だが蘭の対応も実戦慣れしたものだった。機体を背後に反らし、右斜め後ろに下がる。たったそれだけでいい。速度差を考慮し軌跡の範囲を読み取れば、どうという攻撃でもない。ただ瞬時に見極めるのが難しいのだ。
だからこそ彼女たちはプロと呼ばれる。しかしエクサもルーキーとはいえプロだ。意匠を凝らした一撃程度で慢心はしない。
反転を終えても回転は止めず、一周した所で右脚を側面に広げる。脚は〈カレント〉の頭部に命中。不格好だが、蹴足となった。
蹴られた反動で後退していく〈カレント〉。慣性に逆らえず、両の腕をぶらんと前に上げている。予想外の攻撃で完全に無防備となっているのだ。一見すると、そう思えるが、
……あのままブースト併用で後退されると、ミサイルが撃てる距離になるんじゃ……?
直感に頼り、大勢を直し、更に距離を詰めようとする。すると思った通り、〈カレント〉が急にブーストを吹かせて後退した。
こんな緊迫した状態で狸寝入りをする辺りが、やはり正常な神経の持ち主でないと痛感させる。
〈カレント〉はテーマパークの外周に沿うよう飛んでから、内側に急転回し引き離そうと試みている。しかしエクサは離れない。彼我差は広がるどころか詰まっていく。
前進と後退の速度差。機体の総重量を考えると、もはや当然のことだ。
今回で何度目かとなる有利な近接戦に持ち込める。その瞬間だった。
『ええ加減に……しつこいでぇ!』
〈カレント〉の腰部のパーツの先端部分が、乾いた音を立て外れると、中から緑色に光る物体が射出された。それは一瞬で格子状に広がり、〈デザートカロル〉の行く手を阻んだ。
「あ、ぐっ……!」
停止が間に合わず、それに僅かに触れると身体が痺れる感覚に襲われる。
〈カレント〉が正面から見て右側に進路を取っていく。全速力でなのだが、悠々としているようにも感じられる。
追いたいが、右側も遮るようなVの字型なので、すぐには不可能だ。
巨大観覧車を背にした〈カレント〉が肩の武装を展開する。一刻の猶予もない。撃たせる前に、接近する。
ネットを迂回し終えると、〈カレント〉から声が飛ぶ。
『往生しぃや! 必殺っ! 飛魚っ!』
重量感のある音が響く。二発のミサイルは巻いた煙りを振り切り、高度を最大まで下げて迫る。獲物を見定め、今にも食いつかんばかりの勢いで。
今再び、水面に鮮魚が解き放たれた。
エクサは渋面するが、ぐっと腕に力を入れる。
「撃たれたって、まだ……!」
すでに対策は講じてある。初見の時は読みが浅く、虚を突かれたが、二回目なら性質ぐらいは見抜ける。一直線と上方への熱量探知と加速に優れたミサイル。 それならば引き付けといて大きく左右に逃げる。多少は反応されるだろうが、まさか急反転してまで追っては来ないはずだ。
身構えた直後、〈カレント〉が動きを見せた。腰部の筒を手にし、先端から出たレーザー光を背後のネットまで伸ばす。すると空中に浮かんでいたネットが〈デザートカロル〉の左右を囲む形へと変化した。
……や、やられた!
完全に蘭の術中に嵌まっていた。寸前で避けることしか頭に無かったため、ネットを迂回する時間もない。ミサイルは跳び上がる体勢に入っている。
……ここまでなのかよ……?
ミサイルは水面を突き抜ける。着弾するまでの間がスローモーションのように瞳に投影された。
ただの瞳ではない。諦めない意志の強さがある瞳。思考は瞳と同調していた。 ……諦めたくない。諦めたくない。諦めちゃいけない。諦めない。まだ……諦めない!
何かが弾けた気がした。 強い意志と心は身体を突き動かす。望むことを適えるために。
辺りの様子が鮮明に映される。
何をしたいのかも実は忘れていた。ただ正面から来る物体を見て、
……そうだ。ミサイルを避けたかったんだ。なら避けよう。
エクサは本能のままにミサイルに近付き、上方へと身を躱す。当然、それではこのミサイルは躱せない。 だからエクサは選択した。
ミサイルが急浮上すると同時に、機体を下げ、急降下する。
ミサイルの弾頭が反応して高度を下げた。だが〈デザートカロル〉は更に降下する。限界まで機体の上半身を前に傾けながら。
やがて直進する力の強いミサイルは〈デザートカロル〉の頭上を掠れるように過ぎ去り、背後のネットにより捕鯨された。
『お…? お? お!? お! おぉ〜!』
イリアとギフトはモニターを食い入るように見て同時に声を上げていた。二人の頭はモニターを半分ずつ埋める位置取りだ。
「すげえぜ、エクサ! おっしゃ! やっちまえー!」
両腕を振り回して熱くなるギフト。
「そこだよ、エクサ君! ゴー、ゴー、ゴー!」
右手を何度も突き上げて盛り上がり最高潮のイリア。
……見えない。
ランシェは楽しみを奪われ憂いの溜息を吐いた。
視線をテーブルに。そこにあったハンバーガーは既に食べ尽くされていた。
視線を地面に。打ちひしがれて隅っこでふて寝している変な物体を、よったグルマンが添い寝してるが、それは無視。
もう一度、視線を戻す。アイネが散らかった包み紙を綺麗に折り畳んでいた。 目が合うと、急いで手と視線をノートパソコンへと移した。そんなアイネの頭を身を乗り出して撫でてやってから、
ま、いっか……。
興味がなくなったので、また眠るとしよう。
それにしても、
……エクサ・ミューロウか。面白いルーキーが現れたものね。後でちゃんと挨拶しておかない……と。
眠るランシェの唇は綻んでいた。まるで何かを期待するような、不適な唇。
ネットは爆発により霧散した。
激しく吹き続ける青い炎を背負い、〈デザートカロル〉は瞬く間に〈カレント〉との距離を半分に縮めていた。
『な、なんやて……? まさか……』
蘭の口調には、今までの豪気は消えている。後退はしているが、意志が伴っていない。反射的に行っているのだろう。
相手が怯んでいる間に、もう眼前にいた。ハンドガンで攻撃しくにい間合い――つまりは近接戦が最良の選択とされる場面だ。
相手にもそれが解っている。その証拠に〈カレント〉は既に身構えていた。
しかし彼女が選んだのは接近戦ではなく、
『ウチを甘く見とったら……後悔するでぇえええ!』
大型ミサイルの発射口を展開させていた。この至近距離で放てば、自らも爆発に巻き込まれるというのに。おそらく自身が最も信頼している武器だからこそ出来る行為である。そんな潔さは、とても気持ちがいい。また、とても熱い。
エクサは思う。
こういう人がいるから此処は面白いのだと。
此処は熱いのだと。
自分は此処で闘っているのだと。
エクサは阻止するためにナイフを投擲した。
一直線に飛んだナイフは〈カレント〉の左肩のミサイル発射管を捉え、突き刺さる。
それでも蘭が怯むことなど、もう無かった。
肩の付近に手をやり、ECウェポンを展開する。
『どりぃやぁあああああああ!』
こちらに合わせハリセンを振り下ろす。
エクサは腰のハンドガンを引き抜く。そして、それを空中に放った。正確には〈カレント〉のハリセンと衝突するように。
ハンドガンはハリセンと衝突し、目標に届く前に破砕の力を使い切った。
「うぁああああーーーーーーっ!」
腕だけを振り下ろし、空中を薙いだ〈カレント〉の内側に入り、榴弾砲を向けほぼ零距離から砲弾を放った。
〈カレント〉の左腕が吹き飛ぶ。
『まだまだぁーーー!』
振り上げた脚が榴弾砲の下っ腹を蹴り上げ、ひしゃげて、上空に舞っていく。
「――ぁああああっ!」
腰からナイフを抜き様に切り上げ、〈カレント〉の右肩に刃を入れ切断した。 両腕を失った〈カレント〉に殆ど戦闘能力は残されていない。ただ、右肩の発射管には一発だけ残弾が存在した。
蘭がその一発がある限り降参しないことは容易に想像できた。
だから、あのような状態でも向かって来る。前進するだけの単調なタックルと、追い撃ちの蹴撃。上方からの攻撃なので、重量も加算され威力は高い。
来た方向に押し戻されるが、なんとか踏ん張り高度を維持する。
そこで〈カレント〉が残していた反対の腰部にある筒の封を解いた。今度も〈デザートカロル〉の左右を取り囲む。
正面に浮いている〈カレント〉からは蘭の乱れた息遣いが聞こえてくる。エクサも同様だった。
ミサイルの発射菅は開いている。敢えて撃つ前にこちらに確認させようという魂胆だ。
避けれるものなら避けてみろ。
荒い息遣いの中に、そんな台詞が読み取れた気がした。やってやる、と答えたが聞き取って貰えただろうか?
時が止まったような静寂を突き破り、ミサイルが発射された。
来る。あとは先程みたいに避ければいい。それで勝利だ。
極限まで集中力を高め、前に出る。高速のミサイルにも決して臆さない。避けれるという確信を持って。 だが、
……え?
そこで突如として暗闇が訪れ、視界から何もかも取り除いていった。
これは機能ダウン。度重なるダメージにより、ついて〈デザートカロル〉に異常を着たしたのだ。
どうやら、そこまで重症ではなく、一瞬の内に機能は復旧する。
しかし、もう遅い。
ミサイルは地面から離れていて、着弾まで僅かだ。 今から切れてしまったブーストにエネルギーを送る時間はない。あったとしても、エクサの集中力は途切れてしまっていた。
もう、手遅れだった。
敗北の寸前でエクサは瞳を閉じた。ついに意志の光は鎖されてしまう。
耳をつんざく爆音に意識の大半を傾けつつ、エクサは静かに敗北を悟った。
そのはずだが。
何かが、おかしい。
『あの』感覚がない。
ギフトに負けた時には、機体から意識が離れていく感覚に陥ったが、今はそれがない。正常だ。
明らかに、おかしい。
エクサは少しずつ目を開けていく。
正面モニターには、はっきりと周囲の風景が映っていた。機能は生きている。 なぜ?
疑問に思うエクサが次に見たのは対戦相手である〈カレント〉。
〈カレント〉は変わらずミサイルを発射した位置にいる。動こうともしない。勝ち誇っているようにも思える。
いや、よく見ると、ただ呆けて固まっているだけとの印象もあった。
それが確信に変わったのは蘭の言葉で、
『……嘘……やろ? んなアホな……』
信じられないと言った語調だ。声は震えている。
エクサもやっと周囲にも目が行き、蘭が何に唖然としていたかを理解した。そしてエクサすらも、驚愕だった。
〈デザートカロル〉のすぐ近くには巨大な鉄筋があり、その一部は欠け、残った部分は焦げ目が着いていた。やがて崩壊を始める鉄筋には、いくつか人が乗れるほどの丸い物体も含まれている。
エクサの身を守ったのは、テーマパークのシンボル的な存在である巨大な観覧車だったのだ。
〈カレント〉はふらっと揺れ、力を失い地面に墜落した。はは、と蘭の乾いた笑い声がした後、
「降参や……」
こうして両者の激闘は意外な形で幕を降ろした。