【第8話 飛魚!】
程よい広さの空間がある。
内装は長いテーブルに、光で形成された椅子。正面には投影装置が置いてあるだけの簡素な部屋。
プロランカーの控室だ。 エクサはそこで昼食を摂っていた。
席の対面にはランシェがおり、その隣にはギフトが座っている。右の側面にはセルヴォラン。右隣りにはイリアといった構図だ。
今日はそのイリアの提案で、集まれるだけ集まったのであった。
メニューは袋に包まれたハンバーガーと、各自が用意した飲みもの。ハンバーガーはテーブルに山積みとなっている。
イリアが用意してくれたのだが、量が異常だ。仮に全員が集まったとしても、食べ切れるかどうか。
ギフトが噛んだ物を飲み込み、
「しっかし、まあ……量が多くないか?」
全員が思っていることを代表で吐露した。
「そう? これくらいなら楽勝ッスよ」
ケロっと断言したイリアは次に口元を押さえて、あ、と声を出し、
「そりゃイリアなら――」
「あー、ほら! エクサ君は育ち盛りだし……パクパク、ペロペロのパクペロだよ、きっと!」
「何その擬音名詞!? それに、こんなに食べられないよ……」
慌てて否定するエクサ。イリアの安堵するような溜息を見逃す。
強引に台詞を間断されたギフトは、少頃、呆然としてから横に目を向けた。
横ではランシェが頭をウトウトとさせている。口にハンバーガーを運びながら。
「こいつ、マジで寝てるからな。有り得るのか?」
『…………』
誰も解答を持たない。決まって無言だ。
ただエクサだけは、ランシェの長閑な様子を見て微笑んだ。
……なんだか、落ち着くな。
旧アース出身であり、その中でも更に田舎暮しをしてきた自分と気質が合っている。エクサは、そう感じていた。
全員が食事に戻ると、不意に入口のドアがスライドした。そこから来たのは、中年の男。
「お? なんだ? 珍しく団体で飯なんて食ってらぁ」
浅黒い肌に髭面の男は、来るなりハンバーガーを掴み取る。
エクサがプロランカーの中で唯一、会ったことのない人物だ。
だからエクサは立ち上がった。前に出て、会釈すると、
「初めまして。エクサ・ミューロウです。よろしくお願いします」
「おめぇさんがルーキーか。なかなか礼儀のいい奴だぁな。俺ぁグルマン・リカーだ」
グルマンは、大口を開けハンバーガーに噛り付く。二口で食べ終えると、左手に持っていた酒を流し込んだ。
「ここのランカーでは、俺が最後に出会ったのか? そうだろーなぁ、最後に会う奴は大物と相場は決まってらぁな。がーはっはっは!」
エクサは、大笑するグルマンを見て、
……豪快な人だなぁ。
などと率直な感想を思い浮かべる。
そんな彼の言葉に返答したのは、なぜかセルだった。ここぞとばかりに、赤いセンサーを強く光らせ、
「これは、これは……素晴らしいジョークですね。グルマンさんが大物だなんて、すでに周知の事実かと……なんでやねん、ははは」
あまり意味の通らない言語。
ギフトが、また始まったよ、というように冷たく眇している。
グルマンも腹の奥から飛び出した笑い声を解放する。セルの隣に腰掛け、肩部と思しき場所に手を乗せると、
「俺の嫌ぇなものを、特別に一つ教えてやらぁ。――毒舌を吐くAIだ」
「そのようなAIがいるのですか。同種として悲しい限りです……」
「自己分析できねぇAIはもっと嫌ぇだ」
「その点なら問題はありません。ワタシ、セルヴォランは、自己のスペック等を完璧に把握しておりますので」
「皮肉の通じねぇAIはもっともっと嫌ぇだ」
半ば投げ遣りに言ったグルマンは、肩から手を離し視線を背けた。
エクサの方に。
「よぉし、エクサ。いっちょ大先輩からの教訓を聞かせてや……あ?」
どのような言葉だろうが、今のエクサは耳を傾けられる状態ではなかった。
右隣りに座っていたイリアが、強引に腕を組み、ハンバーガーを眼前に移動させている。
明らかにグルマンから隔離するのが狙いだ。
「こっちのも美味しいッスよ。食べて、食べて」
「でもグルマンさんが何か喋ってる……」
「あーダメダメ。真面目に聞いてると変な習慣が移っちゃうからね」
酷い言われようである。 エクサは、包みを丁寧に捲られたハンバーガーをイリアから受け取る。
一口食べてから、さっきのと同じ種類だと気付く。
「美味しいよね?」
そんな事情を知るわけもないイリアは、首を傾げ無邪気に訊いてくる。
悟られない程度の間を思考してから答えを選択した。 肯定の笑顔。
送ると、彼女も同系の笑みで答えた。
……美味しいのは嘘じゃないから、これで良いんだよね?
自問するエクサ。それは、胸に残る微かな罪悪感を打ち消すためだ。己に非はないと解っていながらも、そう感じる。
それが、どんなに些細なことでも。
……うん。これで良いんだよ。
結果的に自分の行いを膳と決めた。
強制的なイチャ付き空間が展開に、一つの視線が突き刺さる。
グルマンが真剣な表情でこちらを見据えている。彼はおもむろに口を開く。
「イリア……。おめぇさん、まさか……」
「え……? な、なに……?」
イリアがグルマンの方に向き直る。動揺した声調だ。真正面では、ギフトも顔に緊の一字を走らせていた。
どうしたんだろ、とエクサが思っていると、グルマンがすぐに言葉を繋げた。
「この前、俺に負けたことを根に持ってやがんな?」
「へ……!?」
周りに、あっけらかんとした空気が染み入っていく。イリアは素っ頓狂な声を上げてから、固まっている。
すると次に発言したのは、ギフトだった。先程とは打って変わり、笑みを浮かべ。
「そういや、俺にも負けたからなぁ。だが気にするな。大丈夫だって……いつものことだろ?」
その言葉で我に返ったイリアは、
「全然、慰めにも励ましにもなってないッスよー! 二人してあたしを負け犬扱いしてぇ……悔しいッス……」
一連の成り行きを、エクサは苦笑で見送った。
紫羽との一戦から六日。 エクサは、三回戦を三日目――今日の第一試合に控えていた。だから、これまでの戦績の大部分を把握していた。
まずは、紫羽戦の翌日。 定例通り〈AMF〉では二回の戦闘が行われた。
一試合目はシュナとセル。これはシュナの快勝。
そして次が、先程のグルマンの発言に出てきたイリアとの試合である。序盤から中盤に掛けてイリアが優勢だったのだが、最後に押し返され、結果は負け。加えて共通の修理期間の二日を挟んだ翌日、ギフトにも敗北を喫した。
後の対戦と勝敗は、こうだ。
アイネと紫羽。シュナとランシェ。セルとグルマン。どれも前者が勝利を収めた。
特にシュナとランシェの一戦は、〈AMF〉の関係者すら絶大な期待を寄せる大一番だった。
互いの一撃ごとに観客から歓声を巻き上げ、誰もが手に汗握る接戦となった。近々、〈AMF〉の名鑑リストに、この一戦を載せるか協議するらしい。
以上がこれまでの途中経過だ。
残ったアインスとブラスの試合は、三回戦の第二試合に組まれている。
そのブラスだが、エクサは一つの懸念を抱いていた。
試合のことではない。それ以前に、ブラスの消息について。
ゲームセンターに行った六日前。あの日からブラスの姿を見ていない。〈AMF〉の会場に戻って来た時にも居なかった。
実はカードを持ち帰ってしまい、現在、労働中だという説が濃厚なのだ。しかしその線を指摘すると、皆揃って空々しく笑い、『そのうち帰ってくるだろ』と言うだけだった。
それはさておき。
エクサの今回の相手は、まだ三回戦で名前の挙がっていない人物である。
つまり――
「パクペロは、このあと試合か?」
「なんでそれが俺の固有名詞になってるんですか!? こっち見てください、ギフトさん!」
「まあ、気にすんな。……確か相手は蘭だったか?」
「はい。今から楽しみです。紫羽さんとの戦いの勢いも利用して、勝ちにいきます」
包み紙をぐしゃぐしゃに丸めたギフトに、エクサが意気込みを語る。
「勝とうとするのは、当たり前だな。蘭はな……とにかく暑苦しい奴だが、腕は悪くねえ。まあ、頑張れよ」
「ありがとうございます」
食べかけのハンバーガーをわざわざ机に置き、深々と頭を下げる。
そんな様子を見たギフトは、止せよ、と手を軽く振る。
食事を始めてから十分が経過しようとしていた。だというのに、山積みハンバーガーは衰えを知らない。 グルマンも四つ目に入り奮戦しているが、焼石に水。
男性陣から嘆息が漏れ出す。それを言語にすれば、やはり多過ぎる、といったところか。
だが場の空気を変える快活な声が響いた。
「皆さん苦戦していますね? ハンバーガーの量が多い? ……そこで登場するのが超高性能ロボット、セルヴォランです」
通信販売のCMよろしくな口調のセルに、ほぼ全員が訝る視線を送った。寝ているランシェ以外だ。
「……といっても、お前は機械だから食えないだろ?」
ギフトが正鵠を射るが、セルは意に介さず説明を始める。自らの頭部を背面にスライドさせ、中にある空洞を見せびらかした。
「ここが食道なのです! どうですか、皆さん? ワタシの素晴らしさは正しくシャンバラを行く!」
無駄に饒舌なAIへの対応は二つ。
グルマンがセルの身体を押さえ込み、ギフトが乱雑にハンバーガーを詰め込んでいく。
セルは腕をジタバタさせながら、
「包み……せめて包み紙を取ってください! プリーズ温度!」
「うるせぇ、アル……じゃなくて、セル! 今すぐジャンク・ランドに送ってやる!」
「ぎ、ギフトさん! アルとかジャンクとか、間違いがわざとらしいですー!」
「てめぇのギャグのが、わざとらしいんだよ!」
五個目のハンバーガーを突っ込みながら叫ぶギフト。
エクサはその凄絶な光景を、唖然とした面持ちで眺めた。
八個目が投入されたのと同時、風の流れが生まれた。
ドアが開いたのだ。則ち来客だ。
足を踏み入れた人影を見て、全員が一斉に動作を止めた。来た人物は〈AMF〉の関係者なのだが、意外過ぎた。
長身痩躯。黒の単髪。切れ長の目に、黒いの瞳。東洋系の肌色をしている。怜悧な風貌を、黒い高級スーツが余計に際立たせる。
レークス・エーデルシュタインだ。
彼は入室するなり、机に目をやり、
「ほう……、複数で昼食とは良い考えだね。私も一つ貰っても良いかね?」
イリアが驚きながらも無言で頷く。
そんなレークスに、ギフトが真横から、
「お前もファーストフードとか食べたりするのか? 俺はてっきり紙の辞書でも仕入れて食ってんのかと思ったぜ山羊さんメーメー」
「ははは……面白い冗談だ。次は第三アース辺りで漫才の仕事でもするかね?」
「思いっ切り権力乱用だな……」
ギフトは引き攣った笑みから続けて、
「そんで――」
「しゃ、社長ーーー!」
言おうとすると、セルの叫びに間断された。
セルは自分の体を、腕部を使い必死にアピールする。
「ひ、ひどいですよね、これは?」
レークスは数秒の間、セルを注視する。その上で、ふむ、と唸り、
「どこにも異常は見られないが? どうしたのかね? セルヴォラン君」
「社長まで虐めるーーーっ!」
全力で泣き出しそうな声を出すと、セルは部屋の端っこに行き、いじけた。
ギフトはそんなセルに苦笑と流し目を送る。それから途切れた会話の修復に入った。
「そんで何の用だ? 珍しくこんな所に来るなんて……急用なのか?」
「いや、大した用事ではないさ。遅れてしまったが、エクサ君の初勝利を祝おうと思ってね」
レークスは、え、と声を出したエクサの方を向く。
「おめでとう、エクサ君。これからも期待しているよ」
いつにも増して柔和な口調。エクサの顔から、一瞬にして笑みが零れた。
立ち上がり、頭と腰を一直線にしてお辞儀する。
「ありがとうございます!」
「そう畏まらないでほしいな。これは私の個人的なエールなのだからね」
エクサが頭を上げると、レークスは手首の腕時計に視線を落とした。〈アルメ〉が普及した現在では、存在自体がアンティークな品である。
「そろそろ一試合目が始まる時間だと記憶しているが……」
言ったと同時、エクサの〈アルメ〉が音を立てた。戦いの合図を告げるものだ。
エクサは急いでハンバーガーの残りの口に入れる。 その隣。イリアが飲み物を差し出してから、
「頑張ってね! エクサ君!」
「うん! ありがとう!」
それを一気に飲み干すと、エクサは部屋から飛び出した。
ギフトは数瞬だけ確認できた、エクサの背中を見送った。 同様にしていたレークスは、ハンバーガーを肩まで上げ、
「私も自室で食事としようか。……失礼する」
特に名残惜しさも見せずに、去っていく。
エクサが居ないなら止まっても仕方がない、と歩速が雄弁に語っていた。少なくとも、ギフトにはそう思えた。
……レークスがねぇ。
経験上、彼が個人に肩入れするのは希代なことだった。
ビジネスならば、金と世辞を山ほど使う男であるのは知っている。だが、そんな男がエールときたものだ。
次世代を背負って立つ程の実力を持つシュナにさえ、言ったことがない。
エクサは特別だというのか? 或いは『特別な何か』を持っている?
ATを動かす技術などではなく、計りしれない何かを。
それを、あの少年が……。
当惑するギフトの中に、一つの『心当たり』が浮かんで来た。
しかし、
……それは有り得ねぇ話だな。
溜息を吐くと、そこで思考を切り捨てた。
投影装置を作動させ、試合を観戦することに専念する。
正面では、イリアが着実にハンバーガーの数を減らしに掛かっていた。
同じ頃。
アララギ・蘭は自室に閉じ篭っていた。
部屋にはCMDと呼ばれる模型の専門誌や、それ専用の工具が散乱している。模型の箱は致る所で山積みにされ、周りが見渡せない。
中央は不自然にも和風な作りだ。五畳ほどの畳みに、ちゃぶ台が置かれ、その上には厚めのマットが敷かれ、CMDのパーツが棒状の機器に吊されている。
蘭はそのパーツ類をじぃーっと見つめていた。
恰好はタンクトップにカーゴパンツ。首からタオルを提げている。ハリセンの髪留めは付けていない。
昨夜はCMDの組立に忙しかったため、今は風呂上がりの状態だ。
蘭は部屋の様子は気にもせず、パーツの細部を確認する。一通り見ると、腕を組み、うんうんと首を縦に振った。
……いい出来や。
自らの行いに感嘆すらした。
重要な色付け作業も順調。あとは乾いた瞬間の色のりがベスト時に上塗りを行えば、着色は完成となる。 ただ油断することは許されない。少しでもタイミングが狂えば、質が落ちてしまうからだ。
組み上げたパーツは、人間に例えれば身体である。そして色は精神。魂なのだ。
この作業は、言わば崇高な儀式に等しい。新たな生命の誕生させる為の。
然るに〈アルメ〉のアラーム機能もセットしてある。
待ち時間は決まって専門誌に目を通す。新作や限定賞品の発売日などは要チェック。
この行動は、何も待ち時間だけではない。起床時や就寝時。自室にいる場合は常時だ。外出中は〈アルメ〉で。
つまりは、いつ何時でもだ。
CMDは蘭の生活の一部。欲求としては、最高位に属する。彼女に取って、その存在は家族の部類にまで入るのだ。
静かな空間に、〈アルメ〉の着信音が鳴り響く。ロボットアニメ風のインパクトを重視した音楽である。 しかし蘭は首を傾げ、
「まだ乾く時間とちゃうし……なんやろ?」
蘭は〈アルメ〉に届いた内容を確認する。
その直後。
「う、嘘やろ!? もうこないな時間やったなんて……どわあああああ!」
焦りの余り、空間の把握能力がゼロとなっていた。素早く駆け出したのはいいが、眼前にあったCMDの箱に激突。あえなく生き埋めに。
蘭は箱を丁寧に退かしてから、髪留めのある場所まで辿り着く。
ハリセン型の髪留めを手に取り、
「どりゃあああああ!」
気合いとハリセンを虚空に一閃。すると既にハリセンは蘭の髪に装着されていた。
どういう原理だなどと、知った事か。
次に自分の服装を見た蘭は、瞬時に結論を出した。 ……ま、ええやろ。
遠出する訳でも無し、これで充分。異性の目があったとしても、格納庫にいる気心しれた仲間だけだ。
〈アルメ〉をポケットに仕舞うと、直通エレベーターへと向かった。