【第7話 勝者と敗者の同調・その3】
込み上げる歓喜の遺響。不思議な浮遊感。温かみが胸の中で膨らむ。
エクサはベッドに仰臥し、天井を見ていた。白一色だが、エクサにはそうは視えない。
そこには〈ラファル〉との激戦が鮮明に映っていた。同時に〈デザートカロル〉の雄姿も。
繰り返し、繰り返し。
勝ったんだよな?
ふとした疑問。胴上げされ、〈アルメ〉にも結果が書いてある。しかし一人でいると、すぐに実感が沸かなくなる。
また、その内にでも消えてしまいそうで不安だ。いつかは消えるだろうが、それは何年後であって欲しい。そう。これは思い出だから。簡単に消えて貰っては困るのだ。
初めて勝ったんだよな、俺……。
目を閉じる。
暗さを得て思うことは一つ。
あの出撃する場所。暗澹な視界。
最初は不安に思うところもあったが、二回目からはそうではない。一度でも先に待っている絶景を瞳に収めれば、病み付きとなる。
それがあるんだ。あの奥に。
扉が開く重低音は中に光を呼び込む合図。溢れた光を浴びて、飛び出た先の景色。波打つ心臓の鼓動。無疆の解放感。
それが一体となる瞬間こそ、〈AMF〉だ。もう解っている事だが、つい反芻してしまう。
その思考と、先程の余韻を重ね合わせる。
最高だ。それしか言葉はない。
あとは次の試合。また心を熱くさせる戦いが待っているのだ。
「エクサ・ミューロウ……。行きます」
自然と呟いた。
目を開け、右手の人差し指で軽く頬を掻く。勢いとは言え、意外と気恥ずかしい独白である。
可笑しな自分だ。
そう思い、唇を弓なりに変える。
そこで来客を報せる電子音が響く。
起き上がり、痛む腰を擦りつつも、ドア横のモニターを見る。
そこにはブラスの姿があった。元気そうに、明るい表情で手を振っている。
壮年の男がするには気味の悪い行動ではあるが、エクサは気にしない。
ブラスが元気になった。それだけ判断すれば充分なことだ。
ドアのロックを解除。迎える為に、正面へ移動。開く。
歓心を含んだ笑みで確認したドアの向う。
人が居た。ブラスではない。仮面男だ。
仮面男――アインスは両腕を胸の高さまで上げ、軽く広げて言った。
「さあ、行くぞ。運命ツー!」
「行きません」
言下に答えるエクサ。
アインスは顎に指を当て、一頻り唸った後、口を開いた。
「何故かね?」
「理由は特にありません」
「敬語である必要はないと断ったが?」
「あ、そうだったね」
「そうだったのだ。予約も済んでいたしね。……では、行こう」
「どこで会話が繋がったのっ!?」
思わず、声を荒げる。
すると餌の役割を果たしたブラスが、エクサの肩に手を乗せ、
「エクサ君。アインス卿には、何かお考えがあるんだよ。ここは俺の顔に免じて付いて来てくれ」
なんか、洗脳されてる。
そして二人で強引に説得してくる。
いよいよ腰部の不調を訴える必要性を感じ始めた。
「あぁーーーっ!」
そこで登場したのが、元気娘な戦うアイドルのイリアである。
状況を見るなり、弾丸の如く機動性を発揮。間に飛び込むなり、エクサの身体を丁重にドアの横へと隠す。エクサは、アインス達からは死角となった。
「何をするのかね」
「え? エクサ君なら居ないッスよ。あ……、そういえば、さっき廊下で擦れ違ったかなぁ?」
「見ろ、ブラス! 隠蔽しようとしているぞ!」
「実はエクサ君のダミー人形があるんだよね。これがそう。本物と見分けが付きにくいんッスよー。困った、困った」
「事実の捏造まで……。この悪党めっ!」
白々しく口笛を吹き、全く意に介しないイリア。一笑して誤魔化そうともしている。
エクサは苦笑を押して、全ての視線を集める場所に戻った。
イリアは慌てて、腕をあたふたと振る。
「今出て来ちゃ駄目ッスよ」
「誤魔化し方に無理があるって……」
でも、と呟き、イリアは心配そうな面差しで言葉を続けた。
「ランカーの男の子って、みんな変な人だから移らないか心配ッス」
「失敬なっ!」
叫ぶ、アインス。
ブラスは自分の顔を指差し『え? 俺も?』と、誰に問うたのかは知らず。
「だって、そうじゃないッスか」
この台詞、紫羽が聞いたらどう嘆くだろうか。
イリアは縋るようにエクサの間近に身を寄せる。
「聞いてよ〜。ずっと前ね、女の子たちが臨時更衣室で着替えてたの。それで、まあ……」
言葉を濁し、口を頻りに開閉する。どうやら、言葉を選んでいる様子だ。
「そう! 同性の馴れ合いってやつだね。楽しく着替えたッスよ。そしたらアインスが『悪のシンジケート壊滅!』とか言って、突っ込んで来たんだよ! おかしいッスよね?」
それは確かに変だ、とエクサも同意をする他は無し。
「だから今日はあたしと遊ぶッス」
何故だか話が変則ワープし掛けた時、アインスは首を左右に振ってから言葉を作る。
「あれは事故だった。私はその部屋が臨時で更衣室になっているなど知らなかったのだ。運悪くドアの前を通り掛かると、嬌声が聞こえてきた。そして私は一瞬で判断した……」
一息。大きく空気を吸い込み、
「……密売人の偽装工作だとっ!」
大声で言明する。廊下の反響を知るまでに、暫らく沈黙。
エクサは確信した。おかしいのはこの人だ、と。
イリアは半目でアインスを一瞥してから、再度、エクサを見る。
無言だが、解る。最後の判定を下すエクサに訴える言葉が。
双方が返答待ちなのに気付き、エクサは急いで答えた。
「誰が変って言う以前にさ、腰を痛めたから外出は控えたいんだ」
その言葉に、イリアは憂慮の念を込めた面持ちとなった。
「そうだったの……。大丈夫?」
「うん。そんなに酷くはないから。――だからアインスもイリアさんも、ごめん」
目一杯の誠意で言うエクサ。しかし次の瞬間には、イリアがコロッと表情を変えたのに気付く。
「さん付けはいいって、前にも言ったのにー」
唇を尖らせて言う。
「そうだったね」
「そうだったよ。さあ、許可も降りたし出発ッス!」
「えぇ! 何これ、パターン? パターンなの!?」
イリアに腕を引かれながら、理不尽さを嘆くエクサ。連行寸前の形となると、アインスが背後から声を掛けてきた。
「待ち賜え。……解った。百歩譲って私が変だったと認めよう。そして、それとは別とし、君たちと同行を求めたい」
『え?』
エクサとイリアは同時に声を発した。
「ちょっと、ま――」
「――ってよ。それは駄目ッス」
即座に出たエクサの言葉は間断された。
「何故かね?」
アインスは首を傾げ、怪訝な声調で訊く。
「それは、その……。あ、あたしとエクサ君の時間だから……」
「加えて私とブラスの時間もだ。これで問題は無くなったね?」
「問題だらけだよー!」
「ははは……では行こうか」
「ちょ……、人の話、聞いてるッスか!?」
イリアの抗議が続く中、四人は歩き始めた。エクサは歩くと言うより、流されていく。
「あのー、俺の意見を聞いてくれないかな?」
エクサの提案は無視された。
〈AMF〉会場の正面から見て、東側の都市。そこは主に娯楽街とされている。高いビルが並び建つ間が往来となり、そこは人で溢れ返っていた。
上空には雲が群れを成して渋滞中。それでも太陽は、隙間から温顔を覗かせる。エクサ達はその中央を歩いていた。
行き交う人は奇異な視線を送る。おそらくアインスにだ。
当然だろう。黄色と黒の宇宙服姿は、嫌でも目に付く。当の本人は気にしていない様子だが。
暫らく進むと、先頭のイリアが踵を返して右側を指差した。
「ここだよ。簡単なルールのゲームで、豪華景品が貰えるッス」
向いた視線の先には、簡易な雨よけと、カウンターで造られた粗末な露天だった。
中には怪しい風付きの中年男が立っている。
上の電光掲示板には『一ゲーム、千ルース。商品はAR』と書いてある。
それを見たブラスは怪訝顔で呟いた。
「こういった商法でARを売るのは違法だったような……」
イリアは構わず、千ルースを支払う。代わりに、人の拳ぐらいの大きさはあるゴムボールを受け取る。
「このボールを投げて、あの穴に通せばいいんだよ」
エクサにボールを手渡し、ルールを説明する。
それから両手を胸の前で組み、甘える仕草で言った。
「何回やっても取れないんだよねぇ。おねがーい、エクサ君。景品を取って欲しいなぁー?」
「う、うん」
何やら奇妙な恐さを感じたエクサは、取り敢えず頷いた。
しかしながら、
……はっきり言って、自信無いな。
幼い頃から〈AMF〉のシミュレーション一筋だったので、球技の類はしたことが無かったのだ。
それでも頼まれたのだから、やるしかない。
正面を見る。中年の男は横に退いていた。
その奥に針金を曲げて形成された小さな穴がある。小さな、小さな穴だ。
エクサは瞬時に気が付いた。目を細めて確認するが、やはり事実は変わらない。答えを出したのはアインスだった。それも尖り声で。
「ボールより、穴のが小さいではないかっ!」
正鵠を射る指摘と同時、中年の男はバッと身を翻す。奥の布を腕で退かし、隠し扉から遁走した。
「待てぃ! この小悪党がっ!」
アインスはカウンターを乗り越え、男を追い掛ける。ブラスもそれに続く。
刹那の静寂。三人が過ぎ去っても、エクサは困惑していた。対応が解らないのだ。
横のイリアに視線を送る。イリアは俯き、瞑目していた。ワナワナと小刻みに身体を震わせている。
あの、と声を掛けようとした。
その砌、イリア爆発。
クワッと目を見開く。瞳の奥に焔を宿し、全身から炎を吹き出した。
「それって、詐欺じゃないッスかーーー!」
「えぇ! 今更っ!?」
爆発してからイリアの行動は迅速を極めた。
露天を吹っ飛ばし、ビルの脇道を猛然と突き進んで行く。
エクサも追従。
脇道を抜けた先は入り組んだ水路となっていた。
幾つもある小さな橋に、その下を流れる川。足場は狭い。ビルの角に沿って、向こう側まで同様の景色が広がっている。
その一角から、あの男が飛び出した。数秒、遅れてアインスとブラス。
距離は五十メートル前後。イリアは走りだす。軽快なステップで足場を渡り、橋を越え、浅瀬の水を弾き飛ばす。
水飛沫の隙間から見えた顔は凜々しい。見慣れない彼女の表情だ。
動きも、またそうだ。
寸分の澱みもなく、超絶とした速さで目標に接近していく。
エクサは内心で彼女の評価を変えた。実は運動に関しては鈍いのだと思っていたのだ。
しかし、どうだろう。間違いなく自分よりも優れた運動神経の持ち主である。
追い付けない。本気で走ってはいるが、差が縮まらない。それどころか、徐々に離される。
アインスたちと差を詰め始めた。目標は二十メートル先。
水路から飛び出し、大通りを横抜けし、舞台は普通の路地へと移る。
その近く。
高層ビルの乱立から規模の縮小を余儀なくされた、小さな公園がある。
内装の設備は質素で、ガタがきている物が殆どだ。
その中のベンチに一人の少女が座っていた。
美麗な細面。腰まである黒髪。黒い瞳の外枠は、一片の油断もない目付きをしている。
シュナ・アスリードだ。
彼女が娯楽街に居るのは非常に稀少なことである。
更に珍しいことに、鼻歌まじりの上機嫌。手元には、棒がある。
否、棒ではない。それはシュナの身の丈よりも長大な槍だった。
シュナは先端のカバーを外し、白銀の刄を剥き出しにする。
刃先の面積は広く、反り返っている。普通の槍とは違い、横刃も鋭利な造りだ。シュナはそれを天に掲げて眺める。そして思う。
素晴らしい。この形と刄の輝き。
惚けた吐息すら漏れだす。それは薙刀と呼ばれる刀剣の一つ。これは彼の有名な業物のレプリカである。
資料が僅かしか残っていなかった為、現在では貴重な一品となっている。
それをこの街にある、刃物専門の骨董品屋で発見したのだ。
つい破顔してしまう。
刄を眼前に近付け、指を這わせて愛でる。
また甘い吐息を漏らす。そして見つめ合う。
思わず口付けをしたくなるが、さすがにそれは堪えた。頬摺りはしてしまったが。
傍から見れば、かなり危ない女だ。美少女の刃物マニアより恐いものは、凡そこの世には存在しないだろう。
しかし、今のシュナに人目を憚る思考は働かない。
まさに夢見心地――だったが、そんな意識を一蹴する槍声が飛んだ。
「待てー! この詐欺師、ドロボー、カッパライーっ!」
どこかで聞いた声。
しかし悦な感情が、メモリーを鈍らせる。
それでも内容は理解した。薙刀を試すのに持って来いの犯罪者。
シュナの瞳に、いけない殺意の光が過る。口元からは笑み。薙刀の錆にしてやる。
路地を疾走する影は五つ。逃げる中年の男を先頭に、アインス、ブラスの順で追跡する。大きな川を挟んだ対岸から追うのは、イリアとエクサ。
路地が一直線のため、男は道に従い走る。エクサたちは平行に走り、接近の機会を試みている構図だ。
「観念しろー!」
イリアが対岸の男に向かって叫ぶ。あれだけ速く走っているというのに、大した体力である。
三十メートルほど進むと、対岸の地形が変化したのに気付く。
木で造られた橋だ。橋というよりは、立て掛けた板のような粗末なもの。
ガコン、と音が響く。板は撓み曲がるも、強度はあった。
渡り切ると、男は板を蹴飛ばして川に沈めた。これでアインスたちは追跡が不可能となる。
路地も先の方は曲がり角となっている。
逃亡されてしまう。
しかしこちらにも、男を捕獲するのに絶好の好機となった。
眼前では、頑丈な造りした橋が対岸まで掛かっていたのだ。
曲がる寸前だというのに、イリアはスピードを落とさない。橋の入り口を跨ぐようにし、着地した足の向きを垂直に。
地面を強く蹴った。
前への反動を物ともせず、移動方向を変化させた。
その動きに消耗した時間はない。
普通は動作の停止から再始動までのロス・タイムの存在は必須となる。だがイリアの全身の筋肉のバネと卓越ボディーバランスが、それを可能にした。
更に加速。数歩で橋を渡る。
男は角を曲がる動作に焦り、足を滑らせた。
これは追い付く。イリアの足の速さは、あの男の比ではない。
男にも、その程度の事は解るはずだ。そして次に判断で行う動きは一つ。
落ちていた鉄パイプを拾い、イリアに襲い掛かった。両手で振り回す。デタラメな使い方だが、牽制にはなった。
イリアは足を止め、跼す。頭を狙った鉄パイプが空を切る。
「わわわ……うあ、わっ……」
右に転がる。
直後に地面が打撃音。
立ち上がり、身を左に逸らして避ける。頭上に迫る攻撃をバックステップで躱す。
「お、女の子になんてことするのよー!」
「うるさい! 俺に近寄るな!」
イリアの抗議を、男は怒鳴り声で強引に一蹴。
橋を渡ったエクサは、制止した状況を見るなり加速した。
「イリア! 下がって!」
エクサは険を一面に表した相好で、声を張り上げた。……危険だよ、女の子には。
相手は暴力で不利な状況で収めようとしている。武器は刃物ではないが、大人が使用すれば殺傷力は充分にある。
だから、自分が行く。
エクサとて危険だが、イリアには任せられない。任せてはいけない。
男なんだよ! 俺は!
相手まで、あと五メートル。覚悟を決める余裕もない距離だ。
だが、迷わない。
エクサは咆哮を上げた。
「うおおおおおおっ!」
戦法は単純。身を弾丸として扱う、体当たり。
正直、格好よくはないが、威力はある。しかも己を分析した上での方法だ。
体格で不利だし、喧嘩も慣れてない。
しかし今のエクサには全身の加速がある。
これなら避けられない限り『前に立つ相手を倒す』ことができる。
尚且つ、捨て身な状態の相手ほど対処に困る。これはAT戦でもだ。
肉薄。突撃の姿勢を崩さない。
男は堪らず背後を向いて逃走する体勢を作った。
その時――
男の身体が吹き飛ばされた。真横からの、凄まじい衝撃によって。
金網に背中を激突させ、ぐったりと寄り掛ったまま完全に沈黙した。
衝撃を放った正体は穂先にカバーを装着した槍だった。持ち主はシュナだ。
彼女は誇らしげな表情をしている。
違う。送っている。
槍に対して、褒め讃え、また威力を実感できた充実感に浸る様子。
男の逃走劇は終わった。
全てが敢然とまでに平穏に向いつつある――筈だが、悲劇は起きた。
エクサは止まらない。加速力で向う先は、今や男を弾き出したシュナへ。
「避けて! シュナ!」
「なにっ!?」
結果、間に合わなかった。激突。足元が掬われ、視界が真下に落下。
エクサの顔は『緩衝素材』の上に落ちる。瞬時に意識を収集したエクサは上体を支える。
この場だけ見れば、エクサがシュナを押し倒している状態である。
眼前にはシュナの顔。
彼女は目を開けるなり、鋭く眉を立てた。
エクサは苦笑で、
「あ、はは……、ごめん」
シュナはエクサを突き飛ばす。
立ち上がり、槍のカバーを外し鋭利な刃を曝け出す。それ以上に怖気の立つ、冷たく先鋭な眼差し。
「エクサ・ミューロウ……。この破廉恥、男! 斬ぃーーーーーっる!」
「ひえぇぇぇえぇえぇ!」
メラメラとしたドス黒い殺気を背負い、シュナは槍を振り上げる。
エクサは目に涙を浮かべながら逃走。悲鳴は路地の隅々にまで谺した。