【第7話 勝者と敗者の同調・その2】
〈AMF〉会場。
その入り口は人々の出入りが激しく、運営の忙しさを示す。
仕事と自然観賞の両方を終えて帰ってきたイリアは、溜息を吐いた。
アイドルが人目のある場所で溜息とは、どうかと思う。しかし今のイリアには許容して欲しい心境だった。最近は遠出の仕事が多く、現場は現場で食事を摂る暇すらない。
新曲の収録。打ち合せ。サイン会、等など。
帰りに気分転換での自然観賞がなければ、激昂しているところである。
イリアは通りの手摺りに両腕を乗せ、景色を眺める。天気は快晴。今、雲が来ても行く道に困らない程の青で埋まっている。眼下には街が整然と並ぶ。
その見事な風景に、いつものように心を落ち着かせていく。
そして思う。
もっと自由な時間が欲しいな。
大体、アイドルとして歌うのは好きだけど、テレビ出演とかはしなくていい。したいとも思わない。マネージャーだけで勝手に決めてさ。少しはあたしのことも考えてよ。
気分転換するなら、エクサ君と一緒が良かった。それならどこかに出掛けなくても、会場内での生活だけで充分に楽しい。それにエクサ君も直接会話した方がいいに決まってる。メールでよりも、面白いことを言ってくれる。
メール苦手みたいだし……。
また溜息を吐き捨てる。それから両腕を頭上にやり、伸長運動。終えると熟練した笑顔。
「いつまでも陰気は駄目ッス」
空いた時間は遊ぼう。この頃、流行の男と。
イリアにしか意味の通らない思考。しかし本人は陰気を祓った。
身体を一捻りで反対側に向き直る。
突進モードを敢行。さあ、いざ行かん。
だが、その矢先、イリアはすぐ正面にあった物体と衝突した。
「へぶっ」
鼻っ柱から当り、変な声を上げる。
前の物体は柔らかく、鼻の頭には微熱を感じる。頬には、何か大きな球体に挟まれるような感覚。
間違いないのは、人だと言うことだ。それも女性。
イリアは早急に抜け出ると頭を垂れた。
「ごめんなさい。その……怪我とかは……、うげっ!」
憂色を含んで上げた顔は、一瞬で渋面となる。
ぶつかった相手はリノンだった。彼女はイリアの言葉に少し眉間を寄せる。
「うげっ、とは嫌ーな反応ね。今日も相変わらず生意気な小娘の、イ・リ・ア・ちゃ・ん」
語尾を強調して言う。
対するイリアは足を肩幅に広げ、両手を腰の付近に構える。
一歩を踏み込み、
「そっちこそ、相変わらず濃い化粧が似合う偏屈な、お・ば・さ・んのリノン」
「おば……、言ったわね。この、まな板娘!」
「ま、まままままま、まな板娘っ!? アイドルに対して、何たる侮辱ッスかーっ!」
自分の胸を両手で庇いながら身を捩る。
しかし目線はリノンから外さない。まな板は酷い、との抗議の表情をする。
リノンは、事実よ、とでも言いたげな笑み。言葉にしなくても雄弁だ。
両者の視線が衝突し、火花が散る。それは両者以外には視認できないものである。
広い世の中。多種な性格を持った人間。その中では、誰でも気の合わない人間は必ず存在する。
そう。イリアとリノンは犬猿の仲なのだ。
理由は特にない。あるとするならば、この様に些細な言い合いの末といったところ。もしくは、二人の体型の違いか。
それはさておき。低レベルな言い争いは、まだ続く。
「大体、彼氏いない歴、十五年だから身体が貧相なのよ。お分り?」
「一度ならず二度までも、身体的な欠点をバカにするなんてぇ。……この色情魔っ!」
「ななな、なんですって!? それがアイドルの言うこと!?」
「こっちは純愛派ッスよ! 不潔な人とは違うんだからね!」
言い切ると、イリアはリノンの脇を抜け、入り口に向かって走りだした。途中で振り返ると、歯を剥き出して『いーーーだっ』と挑発する。
リノンは右手を目の下に乗せて軽く下に引き、舌を出し『あっかんべー』と、もはや子供の対応。
往来の人々から視線が注がれる。だが二人は気にせず、鼻を鳴らし憤激しているだけだった。
その頃、ランカーたちの控え室では。
「……そこでや。うちがビシッと言うたんよ。『ハリセンは一朝一夕で扱えるものやあらへん』ってな」
「…………」
蘭が横にいる無口少女のアイネと歓談していた。否、一方的に話し掛けていた。音は二つ。独特の明るい口調と、PCのキーボードの打音。
「その後もウチは、ツッコミ道の極意を叩きこんだんや。火の球でのノック練習や、強化ギブス。挙句に鉄のハリセンで鉄の頭を打った」
一息。
「そして遂に完成したんや。鉄球のような勢いで迫るボケを弾き返す、最強のツッコミが。名付けて『鉄ハリセンツッコミ』やっ!」
渾身の叫びが部屋を埋め尽くす。
しかしアイネは無表情で『滑稽な話の詰め合せ』を受け流す。
反応は微妙。こちらを一瞥しては、またPCの画面を目を移す。その行為を繰り返した。
蘭の心は大ダメージを負った。そして思う。
……どないなツボしてるんや?
本日の日程が終了したことで、蘭は睡眠をとる予定だった。だがギフトとグルマンが早々に部屋から退出した為、残りの人数が少なくなってしまった。
普段なら気にする事はないが、残りのメンバーが問題。蘭が出ていくことによって、セルとアイネの二人になる。
セルは気まずいのだろう。蘭さんも行かれるのしまうのですか、と二回言った後、泣きそうな声を漏らした。正確には淡々と口調の中の機微が、そう思わせる。蘭はセルを見捨てることが出来なかったのだ。
そのセルは現在、買い出しに出掛けている。蘭に対する、セルなりの感謝の気持ちかもしれない。
それから部屋が、深閑な空気に満ちる。蘭は性分から、そんな空気が嫌だった。だから動いた。
例えアイネしか居なくとも、場を明るく盛り上げると決めた。
その意気や良し。しかし結果は蘭の惨敗に終わった。蘭はまた思う。
……なんでや。こないに聞くからにアホな話を連発しとるのに……。
なんで、つっこまんのやっ!
内心で静かに爆発した悲痛の叫びは、アイネには届かない。半ば恨めしい視線となってきた蘭が、他の動作を視認した。
ドアが開く動き。隙間から覗いた機械の身体が中に入ってくる。
セルだ。
そのセルは入るや否や、繊細かつ機敏な身のこなしでテーブルに荷物を置いた。
「お持ちしました。特急、特急」
後半部を削ぐと、へつらう言い方に聞えてくる。身を竦め気味に品物を並べる仕草は、パシリの体と類似する。
「蘭さんは、炭酸飲料水の『ごっつボケるで』で間違いありませんね?」
「おおきにー」
蘭は愛想の好い笑顔を全面に。
次にセルはアイネを方に身体を向け、
「アイネさんの方は、これで間違いありませんね?」
と言って、スナック菓子の袋を差し出す。
アイネは抑揚ゼロの瞳でセルを注視、唇を僅かに震わし音を作る。
「何もいらないと言った」
「ええ。ですから、スナック菓子の『何もいらない』と云う商品名を購入しました。偉い、偉い!」
見れば空気を含んだ袋のパッケージの表面に、証言の通りの字が記載されていた。その字の下には、『これさえあれば、もう何も入らない』とまで書かれている。
アイネはその商品をジッと見つめ、そして背後に投げ捨てた。
両腕はキーボードにセットされ、穏やかだった打ち方が豹変。荒々しい音を立て、文字を打ち込む。
「ああああっ! アイネ様! ワタシは正常です! どうか、ご慈悲をーーーっ!」
セルの頭を抱えて苦悶しているように振り回す。
「言語認識力に問題はありません! 発音等も正常です! そ、そんな……」
セルは狂気の声を張り上げる。おそらく搭載している電脳から内容を盗み見しているのだろう。
「送信遮断のプロテクト展開」
セルの言葉に、アイネは数ミリほど口の端を吊り上げた。そして打つ速度を更に上げる。
対して、ぶつぶつと高速で喋るセル。
蘭は呆気に取られ、ただ傍観する他は無し。
セルは苦悶のポーズを維持したまま、機械に似合わない短い悲鳴を出す。
「ダミーを使用して、裏から!? 突破される! 待ってください、アイネさん。勘弁、かんべ……あ」
気の抜けた声調を最後に、力なく地面に突っ伏した。どうやら勝敗が決まったようだ。
蘭は異常にキレのある炭酸を燕下した。どこか満足感が漂うアイネを横目に。
統一性の強い造りをした、ランカー達の私室と繋ぐ共通廊下。
華やかさは無い。ただ白亜が広がり、奥行のある通路となっている。壁は熱を貰うと内側が透明となる仕組みである。
その廊下の隅。一人の壮年の男が身を縮ませていた。廃人になる寸前のブラスである。
体育座りの膝の上。視点が合わず虚ろに宙を泳がす。多少、現実に戻ってきたブラスは、改めて溜息を吐く。もう一回。続けてもう一回。
本当にダメな奴だ。
ブラスには、そう罵ってやるしかできなかった。新型を大破させてしまった自分が、つくづく情けないのだ。
そんなブラスの身体に、微かな影が重なった。
眼前に見えるのは、一人の男。肩口で切り揃えた色素の薄い金髪。目を完全に隠すマスクと、ピシッとした生地の宇宙服で身を包んでいる。
アインス・ライデンシャフトだ。
彼は腕を組んで黙然としていたが、やがてブラスに手を差し伸べた。ブラスも反射的にその手を握る。
数瞬してから身体を引く力が伝わってくる。
どうやら、立てと言いたいらしい。
ブラスは彼の意図が全く分からないが、とりあえず立ち上がる。
「喝ーーーっ!」
その瞬間、いきなり頬に拳を叩き込まれた。一歩を後退りながらも衝撃に耐える。それから何事かと、アインスを見る。
「ATを破壊されたからといって、いつまでも間抜けな面をするんじゃない!」
アインスの怒声が、ブラスの耳を突く。
ブラスは頬を押さえて視線を足元に落とし、
「ほっといてく――ぐはぁ!」
言い終わる直前、再びアインスのパンチが炸裂。皮膚を打つ音が響く。
吹き飛び、尻餅を着くブラス。躊躇なく殴ったアインスはそれを指差し、
「それがどうした? 真のAT乗りなら狼狽えるな! ATが無ければ、己の身で戦えば良いだけのこと!」
ブラスは、無茶言うな、と思いながらも静聴。
「本当の強さはATにあらず! 自身が秘める熱き魂こそ、その場の敵を退ける武器となる! 故にその武器が折れねば、敗北とは言えない!」
ブラスの瞳に生気が戻り始める。今、アインスの熱き魂を感じているのだ。
「心を燃やせ! 魂を奮わせろ! 脳の叫びに耳を傾けろ! さすれば首と胴が分断されようが、決して死なん!」
今度は目を見開くブラス。……そうだ。熱き心さえあれば、例え首が無くとも死にはしない。その通りじゃないか。
心が弾け、フル稼働した。立ち上がってアインスと固く握手を交わす。
「ありがとう! どうにも言ってることは支離滅裂な気もするが、お陰で蘇ったよ。そう……、不死鳥の如く!」
「ならば、ともに行くぞ。運命ツーが待っている」
運命ツーとはエクサのことだが、当人は待ってなどいない。
しかし今の二人には関係ない。全てはバーニング・ハートの羅針盤が示す方角へ。
ブラスとアインスは、一片の迷いも無しにエクサの部屋へと向った。