【第7話 勝者と敗者の同調】
荘厳なまでに、緊張感を詰め切ったような空気が漂う部屋。
中央には大机があり、周りには現在では稀覯な骨董品が並んでいる。
ここは社長室。新生アースの〈AMF〉を取り仕切る最高責任者の部屋だ。
その場所にリノンが居た。髪型は、黒と白銀が混じった髪を後頭部で纏め、髪留めを刺した状態だ。
今は大机の左斜め前に予備の机を展開し、所在なげに座っている。実際に暇なのだ。
彼女は大衆への体は〈AMF〉専門のニュースを取り扱ったブロードキャスターということになっている。しかし裏では、レークスの秘書を務めている。正確には『務めさせられている』のだが。
その上司に充たる人物――レークス・エーデルシュタインは窓の外を眺めていた。
だが、そこで突然の一息。口元を僅かに綻ばせ、肩から力を抜く。そして軽く拍手をすると、席に着いた。長身痩躯。東洋系の肌色に黒の短髪。比類なき異種の光が籠もった瞳。黒い高級スーツのオプションも付き、怜悧な印象をより強める。
レークスは肩越しにリモコンを窓に向け、そこから眺望できる風景を遮る。
「ニュースの仕事はどうかね? 何か不満は?」
いきなりの質問にリノンは身を強ばらせたが、すぐさま冷静な面持ちを作り、
「いえ、これといって……」
「それは何よりだ。君は人気者だからね。よりよい環境で、これからも仕事をして欲しいと思っている」
耳朶に入ってきた台詞を、リノンは胸襟のゴミ捨て場に投棄した。
……白々しいにも、程がある。
こいつの言葉は虚偽に近い。言葉だけではなく、自分を含めた環境もだ。
第一に、意味のない役職。情報処理や会計、その他諸々の雑務は〈アルメ〉が全て行なっている。
では、秘書は何をする? 頭が良く見える眼鏡でも掛けて、社長の肩でも揉むのであろうか?
次に、ニュース番組。
運営について。
〈AMF〉専門の内容を取り扱うとは件の説明通り。しかし番組が成り立っているにも関わらず、この番組は業界内では存在しないことになっている。更には、プロデューサー等の責任者もいない。
いったい、誰がどのような経緯で作った番組なのか?原稿について。
あれは番組スタッフが用意したのではなく、レークスから手渡されたもの。
文面に譎詐は無い。だが時折、都合の悪い内容がカットされている場合がある。まるでレークス自身が原稿であるかのような振る舞いだ。
スタッフについて。
これは特におかしい。カメラマン以外の人間の配役が頻繁に代わるのだ。
普通は一つのチームで放映を行なっていく業界としては、不自然なこと極まりない。
そして、これは心肝に封印した思考。何気なくスタッフに紛れる、あのカメラマンは危険だ。
彼だけは絶対に代わらないし、口には出さないが雰囲気で分かる。
自分達を監視している。
以上のことから、一つの事実が判明する。
だが、答えは出せない。決して出してはいけない。
リノンは、もう何年も黙過してきた。
一言でも指摘すれば、自分は消える。この社会から消え去るだろう。
レークスには容易なことだ。たった一人くらい、虚心平気で実行する。だから、やり易いように自分の近くに置いている。
全ては、狂愛している〈AMF〉の為に。
リノンは緊から生まれた息を、悟られないように吐き出す。
しかし、こんな状況でも悪いことばかりではない。プラス面もある。無ければ、やってらない。
内容はどうあれ、給料が非常に良い。
さすがにトップのプロランカークラスには適わないが、中盤クラスより少し劣る程度は貰っている。
恐怖や憤りのストレスを克服すれば、君もお金持ち。人間ってとことん銭に弱いなぁー、と思いリノンは苦笑。
すると、机のパソコンを注視していたレークスが、
「それにしても、私の秘書もあのキャスターのように明るい笑顔をすれば、仕事にも活気が出そうなものではないかね?」
「追加の料金としてワンスマイル、一万ルースでどうでしょう?」
「なるほど。私の秘書が笑顔を見せないという伝説は、皆がそれを恐れた上で成り立っていたのか。驚きの事実だな」
そう言いつつ、懐に手を伸ばすレークス。
リノンはその行動を一瞥すると、席を立ち上がり、扉の方向に進む。
「気分が優れないので、外の風に当たってきます」
「それは残念だ。たった今、なけなしの一万ルースを使おうとしたのだが……」
レークスの主張に、リノンは憤懣しそうになるが何とか制した。
それから、その場で踵を返して微笑する。
「初回サービスです」
レークスは顎に手を当て、うーん、と唸りながら天井を仰ぐ。
「サービス商法は、実に有効だ。私はまた一万ルース消費の誘惑に駆られたよ」
リノンは無言で扉に向き直り、扉を開いて歩を前に。そのまま振り返らずに嚮往した。
奥歯で唇を噛み締め、必死に怒りを抑えて。
与し易い相手だ。
レークスはそう思い、静寂と書かれた空気に、消しゴム代わりの含み笑いをする。
己への嫌悪か、気付いても何もできないことへの憤りか。どちらにしろ、あの程度で露骨に感情を出すなど愚かしいことだ。
パソコンの画面に目をやると、先程の戦闘の記録がグラフとなって表示されている。
戦闘直後のグラフが青。終盤にかけてが赤。二色の六角系が端にある名称に向かって伸びている。斜め上には、そのデータの機体名。紫羽側にはあまり変化が見られない。全体的に上昇しているが、これは全てのランカーたちに見られる傾向。
問題はエクサ。
試合直後の攻撃面と機動面は並のランカー以下。しかし中盤からは、紫羽をも抜き去る勢いで上昇していた。特に終盤に於いての猛攻からは、驚異的な攻撃性と機動性が記録されている。トップレベルのランカーすら、秀逸するほどの。
だが、不安定だ。それに、ここまで能力に差があるとは考えにくい。おそらく、中盤辺りのグラフがエクサの実力。
だとしたら、序盤のは?
攻撃性が機動が鈍くなるのは葛藤の類か。そう、深い悩み。迷い。あるいは恐怖。
画面から目を離し、組んだ指を鼻に被せた状態にする。
一応は払拭したらしいが、再発の可能性がある。何しろ不安定なのだ。
もしも今回のように戦闘の中で悩み事など持ち込むなら、彼は手痛いダメージを負うかもしれない。それはプロランカーを続けていれば当たり前ではあるが、今はまだ早い。
彼には存分に活躍して貰わねばな。
――それは、何の為?
脳裏を過った自己からの質問に、沈思黙考。
――戦友のため?
二度目に押し寄せてきた質問に、レークスは口角は歪ませた。
違うな。全ては〈AMF〉のために。
一人の少年が宙を舞った。下方にはショウと数人のメカニックが手を高らかに掲げている。
歓声。喚声。雄叫び。
腕の中心に沈むと、また飛ばされる。
エクサにとって胴上げなど人生で初めての体験だった。力なく宙を浮く様は、ATの機能停止時に似ている。ショウたちのテンションを見ていると、天井まで投げられそうと多少は懸念。
「まさか、こんなに早く勝つとは思わなかったぜー!」
ショウはまるで、鬼の首や武士のちょんまげを取ったような喜びよう。
「お前がファーストステージで一勝しかできなくて落ち込んでた所を慰める、ってのが初期のプランだったけど、その心配は無さそうだなー、おいー!」
凄い言われようだ。
「ははっ、さすがはショウさんが整備しただけはあるな。ぶっちゃけ、俺たちのお陰だけど」
「よっ、世界一のメカニック。そのゴーグル、似合ってないぞー」
「あんたが大将。この、オタク小僧」
他のメカニックたちも嬉々する場面で、ドサクサ混じりに言いたいことを口走る。
エクサの身体は、落ちてはまた打ち上げられる。
ショウは哄笑し、顔に笑みを残したまま、
「そうか、そうか。お前ら今度、情報と一緒に売り払ってやる」
『うおっ、闇商人だー!』
メカニックたちは同時に叫び、拡散して逃走。ショウも、その後を追い掛ける。誰がエクサを支えるのか。無論、誰も考えてなどいない。
再び落下を始めたエクサが地面の異常事態に気付き、声を上げる。
「ちょっ……えぇっ!?」
当然の如く、硬い地面に落下。腰を強打し、のたうち回る。
俯せの姿勢で、腰を両手で押さえながら停止した。
するとショウたちが実に気まずそうに歩み寄ってくる。
「す、すまん、エクサ。大丈夫か?」
「……なんとか、ね」
ショウはエクサの身体を丁寧に起こし、腕を自分の肩に回す。
「きょ、今日はゆっくり休め。そうしろ、な? ……お前たちは破損したパーツを準備してくれ」
肩を借りて歩き始めた背後から、珍しく精悍な語調の返事が聞こえる。これ以上は逆らえない領域なのだろう。
ATが駐在する円筒系の筐体の左下。直通エレベーターへの通路に、ぎこちない歩を刻む。
エクサはつと、その頭上を仰ぐ。
電磁ロックされた〈デザートカロル〉の頭部は、微妙に俯いている。その様子はエクサたちの行動を羨ましがっているように思えた。エクサは一笑。そして左手の親指をグッと立てた。
〈デザートカロル〉とも、この身体から溢れる嬉しさを分かち合うために。
居住区や格納庫から、控え室への間を繋ぐリビングフロア。その一角にあるソファーに一人の少年が座っていた。
狼のような型をした紫色の髪。やや鋭角の双眸は、右が赤で左が青。体格は標準だが、その物腰はしっかりとしている。
赤青紫羽だ。
現在は暗鬱な様子が漂っている。
……ああ、これでファイトマネーと給料がまた減ったな。もっと稼がないと。
連戦連敗中のボクサーのような思考。
紫羽はエクサに負けたことでは、落ち込んではいなかった。だが、一敗することでの給料の増減が激しい。〈AMF〉では基本的に三つの要素から給料が決まる。
一つはファイトマネー。
これは個人の一戦ごとでの勝敗で振り分けられ、試合が行われた後日に送金される。敗北しても貰えるが、その金額の差が大きいため、富を目当てにしている者とっては痛手だ。
二つ目は歩合制での給料。こちらは個人の最終的な戦績で、ワンステージ終了後に纏めて送金される仕組み。ワンシーズン無敗の人物なら、莫大な金が手に入る。
最後は危険手当て。
精神障害の危険が伴うため、それに見合った保険や仮想の慰謝料のようなもの。これについては全員に該当するので、例外なく送金。つまり紫羽はこの一敗により、一勝分のファイトマネーと給料を失ったのだ。
なんともシビアな業界である。
頭を抱え自分の失態に猛省していると、二人の男が同じソファーに腰掛けた。紫羽を挟む形で。
一人は藍色の髪に黄色の瞳。一見するだけで、綿菓子のような軽さが看取できる。〈AMF〉の問題児、ギフト・シュライクだ。
反対側には、浅黒い肌に立派な髭面の中年。恰幅は良いが、腹部はただのビール腹だろう。〈AMF〉の大酒飲み、グルマン・リカーだ。
「いやー、残念だったな紫羽」
励ましの類の割りには投げ遣りな口調。ギフトは図々しく肩に手を回し、
「それじゃあ、今夜は残念会と行こうじゃねえか。エクサも誘って、パァーと酒でも飲んでよ」
「エクサを誘ったら祝勝会だろっ! あと未成年に酒を勧めるな。ついで俺は、この後バイトだ。はい、残念」
捲くし立てた紫羽の肩に、もう一人の腕が乗る。
「かてぇこと言うなよな。バイトだってんなら、一緒にいくか?」
「酔っ払いには分からないよう、遠回しに言ってやろう。断固、拒否する! 飲みにくるな!」
酒臭いグルマンを不快に感じつつ、きっぱりと意志を告げる紫羽。
理由は先日の騒動。酒を飲みに来た二人が起こした惨状を思い出される。
酩酊し、他の客と揉めて暴れて殴り合って、止めに入った紫羽にまで乱闘モード。
例によって表沙汰にはならなかった。しかし紫羽の堅剛な決意のみが、その時に確立された。
あの二人はブラックリストだ、と。
そんなことがあったにも関わらず、二人は反省すらしていない様子。
「いいじゃんかよ、紫羽。同僚の好で、前の失態は水に流して素直に稼がせて貰え」
「分かったよ、ギフト。同僚の好だ。〈ラファル〉を使ってでも入店を拒否してやる」
数瞬の沈黙。
その後に、やおらギフトとグルマンは立ち上がる。
「しゃあねえな。いつもの場所に行くか、グルマン」
「おうよ」
諦めた二人は背中を向けて歩き始める。すでにグルマンは方は千鳥足で。
そんな二人を見る度に、やはり紫羽はこう思う。
程々にしろよ。この不良ども。