【第5話 戦士たちの日常・その4】
「もー、ぷりぷりッス」
「ごめん、ごめん」
仮想空間から出てきたエクサとイリアは、バカップルごっごを継続中。
イリアは不機嫌さを言葉で表す、奇行をしている。
エクサは謝りながら後に続く。もとはと言えば、イリアの悪戯が火種なので、その様子は軽い。
数歩、進むと『ぷりぷり』だったイリアが振り向く。上スマイルで。
「お互い様ってことで、手を打って上げる。でも、あれは二人の秘密だからね?」
「あれって?」
真面目に聞き返すエクサに、イリアは右手を電話に例えるジェスチャーをした。
「えー、どなたかエクサ君にデリカシーのデリバリーを頼みまーす」
エクサは微苦笑で以て、勝手に注文された品を受け取った。
そうこうしている内に、次に案内する場所に到着したようで、イリアに合わせて歩を止める。
「ここがプロランカーの皆がよく集まる場所だよ」
灰色の壁と扉の風景が続く中、そこだけは一際、目立っていた。
扉は中央で割った両開き式。その扉の上には電子文字盤で、プロランカー専用ミーティングルーム、という文章が右から流れ左に切れていく。しかも無駄に飾り気がある。
この場所こそ、エクサが初めて会場にやって来た時の目的地だった。
左右の間違いで、本当に人生を左右し掛けた。今更ながら、皮肉にもならない事態であった。
エクサが、甦った慄然を心の奥底で支えさせた。まるで魚の小骨が喉に刺さったのような感覚だ。
吟味したくもないカルシウムを味わっていたエクサは、やっと気付いた。
つっぽりとしているイリアに。
伏し目がちで、落ち着きなく上体を左右に振って待ちの体勢だ。
どうやら、長く考え込んでいたようだ。
「待たせてごめん。考え事してて……。注意してくれれば良かったのに」
言いながら首筋に手を当て、人差し指で軽く掻く動作。
イリアは神妙な面持ちで、前方に掌を出し頭を振った。
「男の子には自分の世界があるから、邪魔しないで待つようにしてるの。昔から」
「それって両親の教え?」
エクサの質問に、イリアの表情が陰りを見せた。ほんの一瞬。直視していなかったら、見逃してしまっていた。
これは、まずい質問か? エクサにしてみれば、何気ない疑問だったのだが。
しかし今のイリアは、何割かは輝きが減ったが笑顔。
「これは、あたしの持論ッス。イリアちゃん自叙伝、第二章十七節!」
どこか間違っている気はするが、エクサは意味のない笑みだけに止めた。
彼女の語尾の『〜ッス』は、テンションが高い時に使われていた。だけど、他の使い方の存在も確認してしまう。無理に笑って誤魔化す時に。
エクサは二種の内の後者を封印するように接しようと、真摯に決意した。
「そろそろ入ろっか?」
「そうだね」
イリアがドアを開く。
室内には全員が座れる広さを持つテーブル。それ以外には特に見受けるものがない簡素な部屋。
「エクサさんにイリアさん。これは奇遇ですね」
室内にはセルヴォランが居た。
『淡々としてるが陽気』と矛盾な表現も了承される口調でお出迎え。
「おっす、セルセル! また会ったッスねー」
「はい。お久しぶりです」
「え? さっき会ったでしょ?」
「なんと!? 貴女が綺麗になり過ぎてワタシの思考回路がショートしてしまったようです」
「や〜ん。そんなお世辞文句、どこで覚えたッスかー?」
お前だ、お前だ――とツッコム人間は生憎いなかった。居ようがないが。
完全に置いてきぼりのエクサ。
セルは顔のセンサー部でイリアの全身をしげしげと見つめる。
「早速ラッキーカラーですね。これで恋愛運も、うなぎのぼり」
使用法を間違っているが、そこは気にしない。
「事前に調べて――」
「あー、わー、あわあわあわあわあわあわー!」
次々と暴露しようとするセルを、イリアのよく分からない叫びが間断した。
「あわ?」
エクサは怪訝顔。
イリアは『あわあわ』と数回だけ声にした後、セルをビシッと指差した。
「そう。実はセルセルには泡を出すマジック機能が備わってるッス」
「へー、凄いや」
何でも驚くエクサ。
尊敬に近い眼差しで、見せてもらっていい、とセルに頼む。その横で冷や汗を流す、イリアを余所に。
セルは沈黙を数秒だけ継続させると、やがてセンサー部に強い光を走らせた。
「取って置きだったのですが……どうやら情報が漏洩していたようですね。仕方がありません。お見せします」
いそいそと右腕の肘から下を外す。肘から突き出たパイプからシャボン玉が、ふわふわふわ。
エクサは惜しみない拍手を送った。
「うわー、本当に出来たんだ……」
イリアは呟き、その和やかな様子を、どよんとした目付きで眺めた。
その頃。ブラス・タウはプロランカー専用の格納庫に来ていた。
勤続して早、八年。ブラスは、他の作業員より少しばかりARの操縦が上手いだけで、今の地位を確立していた。
その自分が、まさかプロランカーに抜擢されるとは夢にも思っていなかった。一日が過ぎても、今だに夢見心地だ。
実は大掛りなドッキリではないのか? いざ初戦を迎えた瞬間、どこからかカメラマンが登場するオチではないか?
そんな、いらぬ憶測すら頭を飛び交った。
しかし冷静に思考すれば、ドッキリをけしかけても、そこまでのメリットがない。自分は一介の作業員。メディア絡みで騙す程の人物ではないのだ。
おまけに口にはしないがレークスは大の報道屋、嫌い。利潤の無い人間には、些末な情報たりとも提示しない。〈AMF〉を多く取り扱う雑誌編集者の類には、かなり好意的だが。
それは、さておき。
ブラスの目の前には、既に機体が届いていた。
欧米の甲胄に酷似した、曲線のフォルムを描く胴体。。胸部には複雑な出っ張りを見せる。手足は太く逞しい。頭部は丸く、すっきりとした形で、目のセンサー部はくっていると形だ。
この機体は〈フラウジル〉である。全身のシルエットだけは。
普通の〈フラウジル〉と違うのは、色。所々に銀色のメッキのようなものが貼られている。
この機体はレークスが秘密裏に開発していた指揮官用のAT、〈フラウジル・カスタム〉。〈フラウジル〉の群れの中で、箔を付けるのが主な目的らしい。
メッキには対実弾、対ビーム加工がなされている。見えない場所の違いは、出力や装甲も強化されている点。加えて現在はブラス監修の許、AT用の重装備が付けられている。
重装甲、高火力に纏め上げた機体だ。
これにも理由がある。他の連中と対等になったとはいえ、ブラスの腕で機動力を用いた戦闘形態では、不利になるのは必至。ならば耐久力に優れ、命中すれば数発で仕留められるであろう、火力重視の武器を選択するのが自明の理。
これが一番まともな戦術と言える。
「よーし、右肩にはグレネード、左肩にはミサイルランチャーを装備させてくれ」
「まだやるのかよ。明日でいいだろ?」
「そーだ、そーだ。」
指示を出すブラスに、不満の声が漏れる。続いて、ブーイング。
ブラスの顔が怒りに引きつる。小皺が更に顔年齢を上げた。
「やかましい! さっさとやるんだ。大体、プロランカーのATを整備できるなんて名誉じゃないか。うん、うん」
自己満足するブラス。
急遽、人手が必要になった為、メカニック班のメンバーはブラスの同僚が担当となった。
他の〈フラウジル〉に乗っていた連中と、開会式に遅刻した奴の計四人。
「整備してやってんだから、一勝ぐらいしろよ?」
「おいおい、評価が低くないか? 五勝は狙ってたんだが……」
『無理、無理』
満場一致で否定。
ブラスは青筋を立て、心無い連中に向かって、声を張り上げた。
「お前ら! ちょっと集合だ!」
言いながら、自分から近付く。歩みは早く。
「うわっ、キレた! 逃げろー!」
集合とは正反対に散開して逃走する四人。
鬼ごっこが始まった。大の大人が――しかも男同士でする姿は、とてつもなく滑稽だ。
〈AMF〉会場の一角にある訓練場。
衝撃吸収に優れた若草色の板が一面に広がるだけの単純な景色。
ここでは、主に体術や武具の練習などを行なうのを目的とする。プロとして、日夜、心身の修練に励む人間にとっては格好の場所だ。とはいっても、此処に所属している連中の使用頻度は極端に少ない。
床の鮮度が、明け透けに物語っている。
そんな静寂と云う名の客が殆どの中に、シュナがいた。
両手には木製の練習用の槍。すでに額には玉の汗が浮かんでいた。
左足を一歩手前に引き、僅かに身体を斜めにして構える。槍の切っ先に、傾斜を与える。深呼吸して、辺りの空気を包み込む。
目標とする影の想像。
影を敵ATと見立て、自分を〈アルケイン〉とする。影が、動いた。
シュナは地面を蹴って前進。
相手の武器は双手剣。
相手が突き出してきた左手の剣をサイドステップで躱す。そのステップで先に着地した足を軸に回転。
槍で横払い。
しかし右の剣で防がれた。シュナは今度は逆回転し、斜めに薙払う。
金属同士の搏闘。
回転の勢いを乗せ、剣を押し切り、そこから連続回転。右に二連続回転。切り返し、左に一回。また右回転。
竜巻のような連撃に敵は防戦一方。
シュナは回転を止め、右足を踏み込んだ。同時に突き。
汗が前方に舞った。結晶のような煌めきを見せ、地面に落ちる。
(外したか!)
影は槍が通過した横側にいた。背中を向けながら膝を折り、上体を低くして。
一回転すると同時に上半身を持ち上げ、両手の剣を水平にして薙ぐ。
シュナは槍を立てに構えて剣に突き出す。
剣が槍の柄を叩く。
直後に槍を支えに浮き上がり、影の背中を蹴り飛ばした。一撃、二撃と時間差。着地と同時にまた回転。
背後から迫っていた剣を、右足で影の右手を蹴って防ぐ。剣は弾かれ、地面に落ちた。
次に槍。回転終了と共に、首元へ。
これは左の剣で防御。だが予測済み。
槍の切っ先を後ろに下げ、手薄になった右側から柄の方を顔面に叩き込む。
怯んで退いた敵を追撃。
すると影は腰から何かを引き抜き、投げ付けた。
隠し武器か。悪あがきを。戻した剣尖で弾く。
「せやぁっ!」
そして相手の胴体の中心を狙い、槍を進ませた。
槍は敵が軌道に乗せた剣の横腹を粉砕し、勢い死なずに敵を突き刺した。
影が四散する。
「はぁ……、はぁ……。ふぅ……」
乱れた息を限りなく正常に近付け、槍の柄の底で地面を打つ。
槍を地面に置くと、タオルを取りに元の場所に戻った。
(槍のキレの悪さ。踏み込みの甘さ。……六十点だな)
汗を拭いていると、珍しくドアの開く音がした。
同時に、場に相応しくない歓談が。
「聞き忘れてたんだけど、この服、どうッスか? あたしとしては髪の色とちょっちマッチングしてないかなぁ、って思うんだけど……」
「えーと、別に変じゃないと思うよ」
耳に馴染んだイリアの声。そしてもう一つは、最近、覚えさせたエクサ・ミューロウ。
シュナは気になる人物の声を即座にインプットできる訓練を積んでいるのだ。
この場合の『気になる』は、何か事件を起こしそうな危うさがあることからの意味合いだ。彼女は人一倍、前例を痛感しているので余計に過敏だ。
その『目を付けられた』エクサが、イリアの後に続いて訓練場に足を踏み入れる。
「あ、シュナがいる。珍しいね。シーズン中の訓練はシミュレーションだけなのに」
「久々に息抜きよ」
シュナは表情と声を柔らかくして答える。
「やあ。何の訓練をしてたの?」
「馴々しいな。エクサ・ミューロウ。お前に答える義務はない」
エクサに対しては、必要以上に表情と声を硬質化させて答える。
シュナの態度に、たじろぐエクサ。
するとシュナは続けて、
「それにしても、良いご身分だな。あれほど酷い試合内容と醜態を世に曝しておいて、よく平然としているものだ。神経の図太さだけは一流かもしれないな。認めよう」
「シュナ! 言い過ぎだよ!」
あまりにも辛辣な台詞に反応したのはイリアだった。今まで見せたことのない憤慨を語調に織り交ぜ。
「あの、俺は気にしてないから仲良くしようよ」
止めに入るエクサ。
「エクサ君の悪口いわれてるんだよ!? 男の子だったら、ビシッと言い返さなくちゃ!」
イリアの剣幕に押さえ、エクサは尻込みする。
「ふん。他人の仲に気を遣って自分は良い子ちゃんのつもりか? そういうのが奴を見るのが一番イライラする」
イリアが再びシュナに目を向ける。向けたのはそれだけではない。敵意を含んだ形相と共に。
それからエクサを見て、怒気を隠さない口調で話し合いを始める。
一方のシュナは、自分のエクサへの対応に、自ら疑問を抱いていた。
なぜ、こんなにも厳しくするのか?
最初は口ほどにもない男に軽い嫌味の一つでも言って、あとは帰ってやろうと考えていた。だが実際に実行すると、自分でも驚く程にきつい台詞を言ってしまった。
いったいなぜ? あの事を根に持っているのか?
いや、私はそんなにも狭量な人間ではないつもりだ。しかし突っ掛かる理由がなければ、どういうんだ?
この己の中の、違和感。
方寸で何度も疑問を反芻し咀嚼を試みるが、一向に前に進まない。
相手が気に入らない奴でも、行き過ぎた言葉の訂正くらいはできる。しかし、それもイリアに噛み付かれてからは、思うように実行できない。
「私は訓練をしている。用もないのに、わざわざ立ち寄るな」
結局、また……。
すっかり苛烈となった空気が包み込む中、エクサが二の句を継いだ。
「邪魔してごめん。俺がガイドを頼んだから、こうなって……。だからイリアさんは関係ないから、いつも通り仲良くして」
その言葉で、僅かに空気が軽量化された。
イリアはガイド役の時にしていた笑みを取り戻す。
「試合後の気分転換だと思って案内してたんだ。忘れるところだったね」
シュナに目線は送らず、エクサの背中を力強く叩いた。
「では、改めて出発ッスー!」
イリアのテンション最高潮。エクサは背中を擦りながら、微苦笑で部屋を後にした。
部屋に残されたシュナは、珍しくその場に立ち尽くし、呆然としていた。
暫くしてから床に置いてあった槍を手に取る。
踏み込み、鋭い突きを虚空に放つ。
しかし、その突きは先程よりも更に悪い。初めて槍を使ったとき以来の悪さだ。これは酷烈な態度を取ったことに後悔しただけが、理由ではない。
イリアが言っていた。
『気分転換』で案内役を務めていたと。
シュナの当初の目的もそれだ。
だが自分は『訓練』と言った。それに、これが本当の意味で気分転換になるのか?
またもや疑問が走り抜ける。
判らない。辛辣な態度の理由や、自分の息抜きへの方向性。
ただ一つだけ判るのは。
シュナは上手く力の入らない両手で何とか支えている槍を見つめた。
私は、これしか知らない。
◆
「いらっしゃいませー」
赤青紫羽は以前に騒動を起こした喫茶店で、きびきびと働いていた。
オーダーを取り、伝える前に速攻で出された品をテーブルに運ぶ。お客様を笑顔で送迎。細部に渡って拭き掃除。その繰り返し。
「シヴァちゃん、頑張ってくれるのは嬉しいけど、少し休んだら?」
「平気だよ。プロランカーは並みじゃない訓練を受けてるんだからさ」
振り向き様に腕を畳み、力強さを誇示する。それから掃除に戻るため、正面を向いた。
テーブルを拭き終えると、移した視点の先に窓。
シュナが――正確にはシュナにぶっ飛ばされた男が突き破った窓。
透明な硝子から覗かせるは、不規則な速度で歩く人々。行列のできるライバル店。平和な風景だ。
「窓の代金はレークスの奴から、たんまりと貰った?」
「ええ。ボディーガードみたいな連中が来て、置いていったわ。窓の代金より高い口止め料も。あんまり下手に出ると、付け上がられんじゃないかしら?」
女店長から出た軽薄な一言に、紫羽は苦笑した。
「それはないし、やらないとは思うけど、止めとけって忠告しとくよ。怒らせると物理的な口封じをされちまうぜ」
今度は女店長が苦笑する番だった。
苦笑の中には多少の戦慄。紫羽の口調が、ジョークで言っただけのものではないと看取したからだ。
客足が止むと、紫羽はカウンターに近い椅子に腰掛けた。
そして自分のレークスに対する評価の低さの原因を吟味してみた。
――有体に言って、レークスは悪党だ。奴は〈AMF〉に対して、異常なまでの執着を見せている。事実、スキャンダルになりそうなネタは口封じ。マスコミやテレビ局に圧力を掛けたりもする。〈AMF〉の買収に名乗りを上げた会社など、その日から人目に触れることが無くなった。
判りやすい事例でいくと、あれだ。
テロ組織のARが〈AMF〉の会場を奇襲した事件。組織もかなりの数のARを所有し、警察関係の人間も、ほとほと手を焼いていた。
しかし事件が起った数日後に、そのテロ組織は壊滅した。警察が駆け付けた頃には、ARの残骸がそこかしこに散らばり、パイロットは行方不明。パイロット達はその後日にフラリと姿を表し、自首した。それも、ひどく憔悴した状態で。
取り調べでは容疑の大筋は認めるものの、壊滅した理由や自首までの経緯については、誰一人として口を割る者はいなかった。中には、質問するだけで怯えてパニックを引き起こす者も出たくらいだ。
警察は勿論の事、マスコミの人間も〈AMF〉がこの事件に被害者以外で関与している睨んだ。だが、調べようと深くまで踏み込んだ者は、事件と一緒に闇に葬られた。
結局、真相は今だに判明していない。否、判明させることができない。
このような事例を幾つか掘り返していくと、レークスは〈AMF〉の為なら何でもするというのが明白になる。必要なら悪事だろうとやってのけ、正当化する。ある種の盲目的なまでに狂信な宗教集団と同類だ。信じる物への行いは善であり、反抗する者は敵、消去の対象。
レークス・エーデルシュタイン。彼にとって〈AMF〉とは何なのであろうか?紫羽は〈アルメ〉を取出し、時刻を確認する。
丁度、午後の五時を回ったところ。後二時間弱で次のバイトか。
どちらも、これから忙しくなるぞ。
気合いを入れ直すと、早速、客がやってきた。
「げっ!」
紫羽は思わず、店員らしからぬ言葉を口にした。
硝子のドアを通過してきたのは、なんとギフトとグルマンだった。
この二人は、紫羽が〈AMF〉では違反行為であるバイトをしていることを知らない。
油断した。変装もしてない。正体はもろバレだ。これでバレない方がおかしい。
「あれ? 紫羽じゃねえか。何してんだ?」
ゆっくりとカウンター席に腰掛け、ギフトが訊いた。瞬時に答えは出さない。
何か、何かこの場を逃れる妙案があるはずだ。
ありえない希望を見出だすほど、混乱していた。
「まあいいや。おい、グルマン。今夜は飲み明かそうぜ」
「おうよ。とりあえず、この店に置いてある酒の全種類を一通り一本ずつだ」
隣の男、グルマン・リカーは、酔ってもいないのに、いきなり高笑いする。
その豪快な声。はっきりと迷惑だ。
「そうこなくちゃな。今日は紫羽の奢りだそうだから、じゃんじゃん飲むぞ」
「言ってない、言ってない!」
紫羽がきっぱりと否定すると、ギフトはおもむろにズボンのポケットから〈アルメ〉を取り出した。
「えーと、レークスのアドレスは……と」
脅す気だ。奢らないと告知しますよオーラがぷんぷんと。
「通報してみろ。その代わり、前に起きた放火事件は酔っ払ったお前らが犯人だってこともバラすぞ」
「脅す気かよ!」
「お前だって充分に脅す気だろ!?」
どっちもどっちな言い争いを余所に、グルマンは陽気に酒を口に運んだ。
「負け試合の日にゃ、こうして酒を浴びないとな。気分転換だ」
キーワードのように飛び出す単語。
「気分転換ってか、最初から負けるつもりだったろうが……」
紫羽も仕事中にテレビを盗み見していたので、凡その内容を把握していた。
「気にするな。いつもの言い訳ってやつよ。がーっはっはっは!」
暴走飲酒マシーン、グルマンは止まらない。〈AMF〉でも、このぐらいの威勢を見せて欲しいものだ。
「グルマンよぉ。飛ばしすぎると、またスイートルームでお寝んねだぜ」
「甘いぜ、相棒。例え酒に飲まれても、飲み続けるのが男だ。ペース配分なんざ、酒に失礼だぜ」
「なるほど。違いねぇ」
大間違いだ、とツッコミたい紫羽だったが、何とか口の中で止めた。
目的も酒に落ち着いたことだし、これ以上、体力の消費を避けたかったからだ。程々にしろよ。この不良ども。
あれから数時間。
エクサは表情から憔悴が拭えない。
シュナと別れてから、イリアが喧嘩のことで陰鬱になってしまい宥めるのに苦労した。
『やっちゃったよー』と落涙寸前の目で見られた時など、先に泣いてしまおうとさえ考えた。
現在はリビングフロアのソファーの上。
平常心を取り戻しつつあるイリアに、エクサは安堵する。
「ごめんね……。案内とか、ほっぽり出して……」
「いや、気にしてないよ。もう充分なほど案内して貰ったしさ」
出来る限りの柔和な口調と笑みで答えるエクサ。
イリアが頷いたのを確認し、言葉を続ける。
「それにシュナは喧嘩をしたなんて思ってないよ、きっと。ほら、俺が気に入らないだけだし」
そう、イリアとシュナは直接関係はない。自分が嫌われているだけだ。少し心は痛むけど、それより二人には仲良くして欲しい。
啀み合うのは、辛いから。それに誰のであっても、そんな姿は見たくない。
「うん、もう大丈夫」
イリアは立ち上がり、俯けていた顔を前に向けた。
「人類は皆、兄弟! きっと仲直りする日がくるッス」
「えっと……、だからイリアさんは直接関係ないって」
ぶつぶつ囁くエクサに、イリアが何やら不満そうに尖り唇で言った。
「ところでさあ、何でシュナは呼び捨てなのに、あたしは『さん付け』なの? もしや、差別ッスかー!?」
痛い所を突かれた。別に特に意識はしていなかったのだが。
「いや……、その……」
「それとも、もしかしてエクサ君って『とんがり娘』派?」
「と、とんがり娘!?」
新語に辟易し、エクサの腰がソファーに落ちた。腰が抜けたまま、急いで後退。イリアもソファーの上を這って迫る。
傍から見たら奇妙な光景だろう。そっち系統の回路の早い人間なら、間違いなく誤解するだろう。
イリアはずいずいと押し寄せ、
「隠れ、とんがり派を弾圧ッス」
とすでに確定させている。エクサは冷や汗たらたらな状態で、危険回避の策を探した。結果はこれだ。
「が、ガイドの続きを頼める……かな? い、イリア……」
イリアは目を丸くした後、相好を崩した。
「ア、アンコールッス!」
「それは、また今度で」
もう一杯一杯のエクサは半泣きだ。
「えー? ケチー!」
そしてエクサは、後にこう語る。〈アルケイン〉との戦闘時よりも恐怖を感じていた、と……。




