【第5話 戦士たちの日常・その3】
本日、二組目の試合も終了した。
オペレート・ボックスが口を開け、内部からシュナ・アスリードが姿を見せる。濃艶な顔立ちで、腰よりも下方に降りた黒髪。白皙の肌が玉潤を極める。黒い瞳からは気丈な光が籠もっている。
街中なら、視力が著しく低いもの以外は振り返る容貌の彼女。
しかしその表情は、あまり友好的とは言えない。桜色の唇を一文字に引き結び、乱雑な歩調で闊歩する。
「お疲れさま」
前方を塞ぐのは女の影。
ベリーショートの金髪に褐色の肌。シュナには劣るが、美しい部類の相貌。
だが、その容姿に反比例するように格好が野暮ったい。
カーキ色の作業ズボンに濃紺のタンクトップ。上着を腰に巻いている。
タンクトップから覗かせる豊かな胸元にだけは、さすがのシュナも舌を巻く。
「相手があの調子では、肩慣らしにもならない」
「それで不機嫌なのね」
指摘され、シュナは落胆の成分を含んだ溜息を吐く。
「見える?」
「ええ。今なら男は寄り付かないわ」
若干の皮肉混じりなニュアンスだ。
「だったら、マリカもこうするべきよ」
お返しと言わんばかりの口調。
マリカ・イブリークは含み笑いで受けとめる。
「私は大丈夫なの。扱い方を熟知してるから。シュナも私が愛用してる取説(取り扱い説明書)でも読む?」
そう言うと、マリカはズボンのポケットに忍ばせていた本を出した。
タイトルは『男を惑わすフェロモンの使い方100選』と、いかがわしさ全開。シュナは苦笑で答えを選定させた後、
「遠慮しておく」
と念を押して断った。
その言葉を最後にマリカと別れ、私室へ直通のエレベーターに乗った。
一瞬にして馴れ親しんだ自室の風景となる。
エレベーターの脇に設置された円筒型の装置の中に入り、手元のパネルを操作する。
すると身に纏っていたシャツとジーンズが光の粒に還った。
この装置は衣服を収納したり、脱着を円滑に行うことができるのだ。初期の段階には無い設備だが、ファイトマネーを少し貯めれば容易に購入できる。
飾り気のない白の下着姿になったシュナは、浴室に足を進めた。スライドするドアを抜け、中に。
長細い通路の先に、開けた空間がある。中央が半円形の硝子に囲まれている。そこがシャワールームだ。ブラとショーツを手前の脱衣所に乱雑に投げ置き、硝子の内側に入る。
お決まりのボタン操作。
数瞬して、四方から加減の良いお湯が吹き出し、シュナの身体に大量の水気を与える。目を閉じ、艶やかな黒髪にも受け入れる。
除菌と芳香の性質を併せ持つ水分なので、シャンプーなどは必要ない。
シュナは充足からくる溜息を吐いた。
有体に言って、オペレート・ボックスの中にいるのは楽ではない。湿度が高くジメジメしているため、まるでサバンナの密林のど真ん中にいる気分になる。自然に発刊していく気持ち悪さがシュナには堪え難い。試合後のシャワーは彼女の日課なのだ。
全ての部位に一通り浴びると、今度は丁寧な仕草で洗う。
まずは左腕に右手を滑らすようにして擦る。その腕は、柔らかさの中に普通の女性とは違う筋肉の動きがある。それは確かに細いのだが、弱々しさを感じさせない。よく鍛えられている。両肩を抱くようにしてから、脇や腰や腹部と、撫でるくらいの力加減で動かす。細長い綺麗な指と、それを支える幹で形成されたボディー・スポンジを。
やがて身体のラインでも起伏の激しい、極めて軟質な部位に手を添えた。
蒸気と体温で曇っていく硝子。シュナの吐息が水音と共に流れる。
重くなった髪を両手で持ち上げ軽く振った。煌びやかな水滴が舞い散り、シャワーのお湯にぶつかり弾ける。
ボタンを押し、シャワーを止める。そして、すぐに乾燥モードに入る。
数十秒の間、くぐもった音が耳を支配し、終に沈黙。いや、清々しい静けさ。
シュナは下着を引っ掴み、ドアの浴室から出る。
白を基調としたクローゼットの横にあるバッグに放り込む。中身をよく見ると、数枚の先客が。
「く、訓練で忙しかったからな」
誰にするわけでもない、言い訳を独白。
壁一面に広がった窓ガラス下半分には、立ち並ぶ灰色の波。
上半分には蛇の道。
雲の細疵から覗かせる青空が、画面一杯に繋がっている。
着替えの終わったシュナは、光のベッドを出し、俯せの状態で倒れこんだ。
手を伸ばし、ベッドの強度を弱にする。体重の掛かった部分は中にめり込み、光の粒が波形の歪みを生み出す。
いつものシュナならATのシミュレーション訓練に没頭するところだが、今日は気が乗らない。
なぜなら試合の内容に不満があったからだ。
結果自体はシュナの勝利。しかもATは無傷。完勝だ。
だが、その内容は対戦相手の事実上の無条件降伏。不戦勝ではないが、五分間だけ適当に逃げ回ってギブアップと、消極的すぎるもの。シュナの一番嫌いな方法だ。
(グルマンの奴め! そんなことでは引退も近いな!)
内心で毒突き、浅黒いボサボサ頭の髭面にパンチをくれてやった。
埋もれていた顔を起こし、ベッドの強度を戻す。降りると同時に光のベッドを消した。
「気分転換でもするか」
珍しく独り言が多いが、それも最後となった。
ドアが閉まる機械音が、室内に静寂が始まる合図をもたらした。
「これで待ってればいいの……?」
怪訝顔でエクサが訊く。
イリアに最初に案内されたのは、仮想空間で色々な景色が堪能できるという装置がある場所。
この施設には多々ある円柱型の筐体。その天井に輪がある。
エクサはその輪を掴んで、ぶら下がっていた。
「そ、そうッスね〜。もうすぐ……見えてくるよ」
イリアの口調は僅かに震え、頬の辺りの筋肉がピクピクと痙攣している。
「あと、どのくらい?」
「ほら、何となく見えてきたでしょ? どこまでも続く、あの大草原が……」
イリアに言われ、首だけ動かし辺りを見回すエクサ。そう言われてみれば、〈AMF〉の通路などの風景が薄くなり、緑一色になってきたような……。
揺れる草の音。吹く風。青空に疎らな雲。遥か向うに山のシルエット。
これが『仮想空間』なのか!
エクサは感動から自然と瞑っていた瞼を開いた。
装置の入り口付近に目をやる。
これは始めに気になっていたが、あのボタンは何だろう?
視線を正面にやると、従業員の人がこちらを見て、クスクスと笑っている。少年が指差し、ケラケラ。イリアに至っては腹を抱えて蹲っていた。
そこで初めてエクサは騙されたことに気が付いた。
急いで輪から手を放し、真っ赤に顔を染めイリアに詰め寄った。
「このイタズラはあんまりだよぉ」
目線を落し、縮こまった態度で言う。
そんな騙され方をする人間も珍しい。田舎出身の人種は重宝するべきだろう。
「ぷっ、ごめん。本当はそこのボタンを押すだけだよ」
聞くや否や、とにかく『穴があったら入りたい』心境だったエクサは、仮想空間に飛ぶ。
一瞬にして景色が変化を見せた。
皮肉にも、エクサが思い込みで見た景色と似ていた。微風が身体を擦り抜け、草原を駆けて空に昇る。前方には山が青のキャンパスに骨格を刻み、その下を流れる川は異色の絨毯と化している。
目と鼻が自然を全身に取り込んでいく。
「ごめんね? エクサ君。許してほしいッス〜」
イリアも転送されてきた。エクサは爽やかな気分に気持ちを漂わせ、一笑する。
「最初に言った通り、良い場所だね。俺、凄く気に入ったよ。ありがとう」
抑揚を盛った温和な口調。控えめな笑顔だったイリアが、パッと華やかに。
「喜んで貰えてガイド冥利に尽きるッス。あっ、あとね――」
言葉を切って、手元にあるコマのような丸い機械をいじりだした。
すると山が消えた。影も形もなく。
エクサが目を見開いていると、イリアは地面を機械を向けボタンを押した。
今度は立っている場所以外の草原が川となる。正確には海に近い。
「――こんなこともできるよ。どう?」
「いや、凄いよ……」
驚きが強く、その言葉より後を封じ込める。
イリアは自慢げな笑顔のまま、再び手元の機械を操作した。
景色が元に戻る。
その後、山の伸び縮みや岩石に出現などをやってみせた。
「エクサ君もやってみる?」
機械を手渡されたエクサは、その全容を注視した。
「変化させる対象に前のセンサー部分を向けて、親指で操作するんだよ。人差し指のスライドレバーは物体の指定。中指は色ね」
イリアは手元を指差して説明。
エクサが説明通りに実行すると、遠くの川に橋が架かった。
「そうそう。上手いよ」
手慣れたエクサはS字型の池を作ったり、山の中央だけを切り取ったりして遊んだ。目を輝かせ、子供のように。
イリアもエクサの横顔を覗きながら、はしゃぐ。
「楽しかったー。また時々、ここに来よう」
「その時は遠慮なく誘ってね? 仕事なんて放り出して付き合うッスよ」
「え……、それはさすがにまずいんじゃ……」
「いーの」
目が本気だと悟り、少しだけ戦慄する。
アイドルの仕事放棄。暇なのを確認して誘おうとエクサは心に誓った。
「あっ!」
突如、エクサが声を上げた。今、自らが操作している地面の起伏を見据えて。
「どうしたの?」
「い、いや、ちょっと面白いことを思いついたんだ」
イタズラッコ特有の笑みを使う。
「えー、なになにっ!」
早速、興味津々のイリア。その様子にエクサの瞳が閃燿する。
エクサはイリアから一歩離れ、手元の機械を山に向けた。
イリアの目も向う。落ち着きなく足踏みして待ちきれないと主張する。
エクサは口の端を吊り上げ、イタズラッコから、似合わない悪役系に変える。
山に向けていた機械を、イリアの足元へ。
スイッチ・オン!
「へ? うわわわ……」
いきなり地面が盛り上がり、不意を突かれたイリアは足を掬われる。
バランスを崩し、思いっきり尻餅をつく。
「ふぎゃ! いてて……って……ひゃあっ!」
すぐにスカート緊急閉鎖。ヘタリと座り込み、朱色の頬を膨らませて上目遣いに迫力なく睨む。
エクサは口元を押さえながら肩を笑わせ、指を空へ。
「お揃いだね」
仕返し完了。
「むぅ〜! そういう使い方は禁止ッスー!」
追うイリアに、逃げるエクサ。二つの影は、暫く草原で不恰好なダンスを踊り続けた。
シュナの私服はスカート系だと妄想した方に告ぐ。私は決して謝りません(笑)