【第5話 戦士たちの日常】
エクサは頭上にある灰色のボタンを押した。
ぷしゅっ、と空気が抜けるような音がするのと同時に、オペレート・ボックスの屋根を開く。
外から冷気が伝わり、エクサの肌に軽く触れた。
筐体の周りではメカニックたちの姿が確認できる。
「すげー、試合だったぜ」
「ルーキーだから心配してたけど、やるもんだな」
「次は勝ってくれよ」
誰もがエクサの奮闘を賛美し、興奮さめ遣らぬ様子。笑顔で、語って、戯れ合って。
しかし、その中にエクサの探していた顔がない。ショウだ。
オペレート・ボックスから出ると、まず目に付いたのが〈デザートカロル〉の姿。
発進前とは打って変わり、装甲はくたびれ果てている。両腕を失った所為か覇気も感じられない。
元の場所に収納されているが、周りに緑色のバリアが張られている。電磁特有の音が鳴り、バリアの表面は波線を描く。
下方に視線を移す。〈デザートカロル〉を眺める人影があった。
強引に通信を切ってからは、初めて見るショウの姿。その背中は幾分かうらぶれている様子だ。
手元の機械で何かを調べ、時折、ため息。
深く肩が落ちる度に、エクサは居たたまれない心気になる。
だからショウが振り向くと、心臓に過剰刺激が加わる。
「どうした? 次の試合なら四日後だぞ。……それとも、暴れ足りねえか?」
ニカッと一笑。
まるで先程のやり取りを忘れてしまったかのようだ。反対にそれがエクサには辛かった。距離を置かれている感じがして。
深々と頭を下げ、
「ごめん! 俺が間違ってた。やっぱりギブアップしておけ――」
言い終わる前に、頭と首に違和感を覚えたエクサは口を閉じた。
頭を垂れた状態から、ショウの腕と足元が確認できる。
そんな一瞬の情報を契機に、頭を押される感覚に襲われた。
「いたたたたたっ! え? へ? え?」
頓狂、乱舞。
ショウはエクサに、憎しみブレンドのヘッドロックとグリグリ攻撃を敢行していた。
グリグリ攻撃とは、指の間接で頭を磨り潰すことだ。これがまた痛い。
「うら、うら、うらっ! くぬ、くぬっ! 良く聞けよ。俺は後になって自分の行動を否定する奴は大嫌いだ」
「でも……いてっ! 頭の形が変わっちゃうって」
「言い訳するな。ついでに変えてやる」
小学生並みの会話が続いた後、ショウはエクサを解放した。
頭を擦るエクサ。
「良いか? 戦ってるのはお前自身だ。お前の判断に文句のあるやつはいねーよ。俺は戦闘は素人に近いしな」
確かに、こと戦いに関してはエクサに一日の長がある。
ショウはATでの戦闘を行なったことがない。行ないたくても無理なのだから。
「ただし、無理はするなよ。遊びでやってる訳じゃないからな」
重要なことは、真剣な面持ち告げてくる。
ただ心配していたのだ。
温存とか、勝敗とかなどとは別の心配。プロランカーが最も、気を付けなくてはいけないこと。
それはESL使用しての機体の大破時に起こる、精神障害。
全てのATには特別なコア部が存在し、特殊なシステム制御により発動する。ATの性能を引き出し、戦闘用として実働させることができる。
だがその代償として、件で『精神障害』と説明したような危険を伴う。
精神障害といっても、ピンからキリまで。
軽度の軽い脳震盪に近いものから、重度のもので全身不随(植物人間)になるケースもある。
エンターテイメントと云うには、多少、語弊が交じっているのかもしれない。
だがコア部には強固な守りが施してあるので、滅多なことでは重度まではいかないのだが。
そうは言っても、油断や安心はできない。
だからプロが存在する。裏返すと、それが理由の一つ――
エクサは笑顔で対抗する。ショウが不安の二文字を取り除けるように。
「分かってるさ! 俺は大丈夫! なんたって、トップを目指すから」
何の根拠もなく声を張る。ショウは思わず失笑し、
「ったく、どこから来るんだよ。その妙な自信は……」
半ば呆れて言う様に、エクサはただ手を前に出した。答えとばかりにショウはその手を掴んだ。
握手した状態から、お互い肘を曲げ、グッと内側に引き、意思を通わせた。
「俺たちは整備の日に備えて今から道具を準備するから、お前は遊ぶなり、休むなりしてな」
「ああ、ありがとう」
エクサは踵を返し、専用エレベーターに向って歩きだした。
背後のショウの声と、メカニックたちの疎らな返事に送られて。
機体に衝撃が走った。
パイロット席に警報が鳴り響く。
敵機である青い軽装の機体が両肩のレーザーで射撃。荒涼な大地を駆け抜け、突き出た岩を盾に狡猾な動作で迫りながら。
「いったい、どないなっとるんや?」
相手の強さに、アララギ・蘭は動揺を隠しきれない。自機である赤い重装の機体から青白い発光が跳ねる。かなり深手を負っている。現在、対戦している相手は赤青紫羽だ。
機体を岩場に隠し、小休止。深く息を吐き額の汗を拭う。
蘭は明らかに苦戦を強いられていた。そして彼女自身は焦っている。
あの紫羽がここまでやるとは。
実際、これまで対紫羽戦には無敗を誇っていたのだ。その紫羽に苦戦。しかも敗北の可能性が出てきた。焦るのも無理はなかった。
「根性や!」
自分を奮い立たせるために叫ぶ。
岩から飛び出し、ありったけのミサイルを発射した。ミサイルは、無防備にも空中に動きを止めていた紫羽機に接近。
仕留めた――と最初は思えた。
しかし、ミサイルを命中させたのはダミーだった。
気が付くと、青い機体はすぐ背後。サーベルの光が一閃。
『YOU LOSE』
無情な言葉。
画面に映った燃える機体を見て、蘭は肩を落した。
「なんでやー。このゲームなら、うちのが強かったのに。うぁー、悔しい!」
「はっはっはっ。どうしたのかね? 敗者の蘭君」
筐体の裏側から紫羽が歩み寄ってくる。
それなりに整った顔。紫色で狼を連想させる髪型。右が赤、左が青と色違いの瞳。
背丈と体型は、年齢相応の基準値を守っている。大き過ぎず、小さ過ぎずだ。
今は得意満面の笑み。脂さがり、祭りだ。
筐体に突っ伏す惨めな蘭を、大仰に見下す。
蘭は顔を上げ、紫羽を指差す。よほど悔しいのか、目には少し水気が。
「もう一回や! 次は勝つ!」
「何度やっても結果は同じだぜ。もうお前は俺には勝てない」
紫羽の勝者オーラは挑戦者の意気込みを軽く断った。蘭は頭の上で両手を合わせ、腰を低くする。
「頼むわ。泣きの一回」
「しょうがねえなー」
紫羽は自分の席に戻ろうとしたが、ふと視線を落すと足を止める。
視線の先には腕時計。
「わりぃ、バイトがあるからまた今度な」
蘭は紫羽とは長い付き合いなので、アルバイトのことを知り黙認している数少ない人間の内の一人。
「いつも大変やな。身体には気をつけなあかんで? プロは身体が資本やで」
「分かってるよ」
紫羽が急ぎ足で部屋を後にする。
寂が返った空間に蘭の嘆息が漏れた。
暫らくしてからゲームの画面を見つめ、操縦レバーに手を掛ける。
「とにかく徹夜で特訓や!次は負かしたる。見てろやー!」
ゴゴゴッと効果音がしそうな炎を背景に、操縦レバーを動かし始める。
紫羽に言ったことも忘れ、体力の浪費に専念する姿は、実にイタい。
〈AMF〉会場、正面玄関。
エクサとギフトの試合が終わり、運営は一時、休憩していた。
その時間を要領よく利用し、〈AMF〉のファンはこの場所に来るのだ。
なぜかというと。
「ハイハイ。皆様、列を崩さないで下さい」
列というよりは蛇の道。
緩やかに曲がる列の最前。〈AMF〉のグッズを販売する店がある。
その近くでセルヴォランが機械音の混じった声で注意する。
観客は生のセルに興味津々。
写真撮影やサインを要求するものが後を絶たない。
膨大な数のファンサービスをこなしていく。
「おーい、セルセル!」
最後に一組のカップルにサインした所で、背後から溌剌とした声がした。
右側を長くして切り揃えられた、オレンジ色のショートヘアー。印象強い大きな目。青み掛かった黒い瞳。筋の通った鼻に艶やかな玉唇。
そして胸を除けば均整が良く取れた体付き。
戦うアイドルことイリアである。
「こんにちは。イリアさん。昨日の十八時四十分ぶりです」
そこまで細かく言うセル。しかしイリアは少し不満そうな顔つきで、
「違う、違う。そこは『久しぶり』って言うんだよ」
「なぜですか?」
「久しぶりって言っておいて相手に否定させてから、『綺麗になり過ぎてボクのメモリーがショートしてしまったよ』と決めるのが女性への礼儀ッス!」
今日も順調に意味不明のイリア。ついでに言うと、セルの一人称は『ワタシ』だ。
「なるほど。記憶しました。学習、学習」
「がくしゅー、がくしゅー♪」
記憶容量を無駄に消費させたイリアは満足げに頷く。続けて、
「ところでエクサ君はどこに居るか分かる?」
セルは問われてすぐ電脳の内部回線で通路などの監視カメラの記録を探った。許可なしは普通に犯罪だ。
「試合が終わってからは外に出ていないようです。おそらく自室でしょう」
それを聞いたイリアは、日の出よりも美しい輝きの笑顔。
「さんきゅー」
「いえいえ。どういたしまして」
そして急発進――した直後に急ブレーキ。
「ごめん。あとさ、今日のラッキーカラー教えてほしいッス」
「お安い御用です。今日はピンクと白と出ています」
事無しびに答える。
だが実は、セルに占い機能が搭載されているなど、イリア以外は知らないだろう。あのレークスさえも。
イリアは自分の格好を凝視する。今日は私服には見えない青いドレス。
『ドキドキ☆早朝のアイドル』と云う怪しげなタイトルの番組に出た為だ。
一瞬の沈黙の後、イリアはテンション爆発。
「よーし、着替えてから出撃ッス! いざ難攻不落のエクサ城へ!」
騒がしさだけを残し去っていった。
台風の余力が辺りに充満する中、一人の少女がセルの前に立った。
アイネ・ミリアルデだ。
感情の殺された幼顔で見つめ、ぼそりと呟くような声で言った。
「お疲れさま。あとは作業員がやるからいいと、レークスが」
「そうですか。……それとお久しぶりです」
「さっき会った」
「なんと!? 貴女がまた一段と綺麗になり過ぎ、ワタシのメモリーがショートしてしまったようです」
「…………」
さすがのアイネも、僅かに訝る視線に切り替わる。
その後は作業員が来るまで、延々と沈黙した。