【第3話 夢の一歩・その2】
惨劇の後。
九死に一生を得たメカニックたちは、銘々に違う行動で喜びを伝えていた。
泣いて故郷の家族に電話する者。遠距離恋愛中の恋人の写真を拝む者。
負傷者は無し。正に奇跡としか言い様がない。
ショウはエクサをがなり立て、戦闘以外でのATの操縦法をみっちりと伝授した。プロのエクサにだ。
「よし。そのまま元の場所に立たせろ」
ショウが筐体の座席の後ろから指示を送る。
ESLは異常なく作動し、現在は〈デザートカロル〉を転送後と同じ姿に戻す作業をしている最中だ。
「もう大丈夫。感覚も鋭くなってきたし」
〈デザートカロル〉は転送用器材の突出した部分に手を掛け立ち上がる。
ATはESL特化の機体なので、それを発動しなければ能力の一割も引き出せない。例えるなら寝起きの身体と同じだ。
〈フラウジル〉などのARはESL無しを基本に調整された機体なので八割方の性能は発揮される。
『寝呆け眼』でなくなった〈デザートカロル〉を元通りにし終えると、エクサはオペレート・ボックスの電源を切った。
ショウは安堵の溜息を盛大に吐き、メカニックたちに告げる。
「新装備を左肩部に付けたら休憩にする。張り切って作業に取り掛かれ」
『へーい』
疎らな返事を返されると、ショウはオペレート・ボックスの近くにあるコンピューターをいじり始めた。
取り残されたエクサは次の指示を仰ごうとショウに話し掛ける。
「あの、俺は何をすればいいかな?」
「何って……、そんなの知るかよ。最初だからESLの正常起動だけで調整は充分だし。プロランカー様は試合に備えて集中したり、リラックスしたり、体調を整えたりしてろ。他のランカーと交友を深めるのもいいと思うぜ」
空中に表示された難解な電子文字から目を離さずに、ショウは言った。
何やら事務的な感じがする。
しかしエクサは気にする事無くショウの意見に頷く。そして格納庫を後にした。
エクサが暇を潰すために訪れた場所は、プロランカー専用区画のリビングフロアだった。
中央には、外がガラス張りになっている噴水らしき物体がある。中の水が多彩な色に変化し、見る者の心を掴む。
周りはこれといって目立つものはない。壁ぎわにソファーと、自動販売機。そして眠る女性。
眠る女性?
エクサはその問題がある方向を見た。妙齢の女性が身体を丸めて爆睡している。容貌はと言うと。
シャープな顔立ち。青色のショートヘアーに艶やかな唇。全身を白でコーディネイトされた格好は、まるで天使を連想させる。
「何でこんな場所で?」
目の前まで近づいたエクサは首を傾げる。
「とりあえず起そう。風邪を引いたら大変だし」
中腰になり、その女性の方を軽く揺する。
反応は無い。
もう少し強く揺すったが、やはり何の反応も伺えなかった。
当惑するエクサ。周りに誰かいないか確認しようと、横を向いた。
「うわぁっ!」
驚いたエクサは大声を上げた。何に驚いたか。答えはすぐ真横。
いつの間にか、一人の少女が隣に立っていたのだ。
長い銀白色の髪。ワインレッドの瞳。幼いが端正な顔立ちだ。側頭部には両側とも青いリボンを着けている。
少女は透明の壁でも見るように、エクサを瞳に映す。唇を結び、寝てはいないが無反応。
暫くそうされ、視線に堪えきれなくなったエクサの方から口を開く。
「えーと、新人のエクサ・ミューロウです。よろしく」
相手が子供でも敬語を使う。
自己紹介をしても、少女は凝視を続けた。やがて瞳の奥が一瞬だけ動きを見せると同時に少女は呟いた。
「アイネ・ミリアルデ……」
他に雑音がしたら、まず聞こえない音量。
更に眠っている女性を指差し、
「ランシェ・レケンス」
親切にも名前を教えてくれた。
エクサはこれを好機と感知し、明るい語調をアイネに向けた。
「この人のこと起せますか?」
「……できる。敬語はいらない」
アイネは苦戦しながらも、ランシェの上体を起こす。そして、無表情で往復ビンタ。
「ちょ……何を……、えぇっ!?」
パチンッ、パチンッ、パチンッ、パチンッ、パチンッ、パチンッ……!
ランシェが目を覚ました。――荒っ!!
エクサは身を強ばらせる。いくら何でも強引すぎるというか、無遠慮すぎるというか……。
とにかくこんな起こし方の後は騒動になりそうだ。
そう考えたエクサは最悪の事態の一歩前を固唾を飲んで見守った。
どうか悪いことが起きませんように、と自分でも無謀と分かっている願掛けして。
しかし、エクサの予想に反して女性はポケーッとした口調で一言。
「試合?」
「今日、出番ない。あの人、起こせと」
アイネはエクサを指差した。確かに頼んだのはエクサだが。
エクサはビクッと身体を震わせ、『気を付け』の姿勢を取った。
ランシェは瞼に隠れていた紫色の瞳からくる視線がエクサを刺す。音もなくエクサに近寄り、脱力オーラ全開で迫る。
エクサが何かを諦念しかけた時、右手に冷たい感触を覚えた。
見るとランシェが両手で包むように握っていた。彼女は微笑み、
「起こしてくれて、ありがとう」
と心地よい感覚に引き込まれそうな、玉音。表情も、朝方の森林に射す木漏れ日を擬人化したような感じになっている。
エクサもこれには心臓の鼓動を高ぶらせた。
だが、それからすぐにトロンと半目になるランシェ。上を指差されたので、エクサは誘導に従い天を仰ぐ。豪華に装飾された天蓋の中心に、マンホールほどの大きさのガラス窓があった。そこから暖気を帯びた自然の光が射し込んでいる。
「暖かくて、気持ち良かったから」
掌で口元を押さえ生欠伸。
「自室で寝る」
踵を返し、ノロノロとした仕草で歩きだす。
(大丈夫かな……)
その後ろ姿に不安そうに見送った。
エクサは、形はどうあれ起こしてくれたアイネにお礼をしようと振り向いた。
しかし、そこにはもう誰もいなかった。二人の微かな残り香だけが、リビングに漂っていた。
「おーい、エクサ君」
そこで新たな声。
素朴な短い黒髪。年齢に合致しない老け顔。くじ引きの五等賞あたりが相応しい感じの人だ。
ブラス・タウである。
「ブラスさん。えーと……昨日はすみません」
「いや、いいさ。今もこうして無事に会場に入れているしね」
ブラスは両手を前に出し、数回振ってから涼しげに笑う。
「これからお仕事ですか?」
「そのことで君に会いに来たんだが……」
一瞬だけ表情を沈ませ、どこか今の自分が定まってないような仕草をする。
「作業員をクビになったんだ。ハハハ……」
重苦しい台詞を、明るくあっさりと言った。笑っている場合ではない。
エクサが何かを言いだす前に、ブラスが二の句を継いだ。
「それで新しくプロのランカーになってしまったよ。社長が俺の才能を見込んでのことだ。ESLにも対応しているらしい。そうは言っても超短期契約の研修生みたいなものだけどな。ハハハハ!」
後頭部に手を添えながら、豪快に哄笑。余程、嬉しいのか何歳かは若返ったようにさえ見える。
エクサも強ばり始めた相好を緩め、
「やりましたね。対戦できる日を楽しみにしてます」
「こちらも楽しみにしてるよ。エクサ君や皆を失望させないよう、全力を尽くすつもりだ」
ブラスが乗り移ったように歓心を顕にするエクサは、右手を出し握手を求める。ブラスもすぐさま答え、手を握った。
一応、同期ということになる。そのことも含めてエクサは嬉しかったのだ。
「コレはお二人ともお揃いで……。ラッキー、ラッキー」
友情が誕生したところで、横から声が割り込んできた。
そちらを向いたエクサは、目を丸くした。そのあと驚きと期待と当惑とが混じった、何とも複雑な顔になり、ついに口を開いた。
「ロボット!?」
全身がグレーの、ずんぐりした人型のボディー。身体の幅は大人の男性の二倍はある。背中には触角のような二本鋭い棒。頭部のセンサーは片目だけ赤く光っている。
ロボットはエクサの言葉に反応し、細部までよく造られた関節を動かし、お辞儀してみせた。
「その通りです。エクサ・ミューロウさん。ワタシはロボットです。名をセルヴォランと申します。どうぞ、愛称でセルとお呼びください」
セルは、ロボットにしては流暢な言葉遣いと愛想の良さが目立った。
丁寧な対応にエクサはひたすら畏まった。
「エクサ君。彼もプロランカーの一人だ」
慣れた様子のブラスが説明を加える。
ロボットがプロランカーなど初見ならエクサ以外でも驚く。エクサは驚きを通り越して感嘆した。
「すごい! ロボットがESLを使えるなんて!」
興奮を隠し切れず、大声を出す。
「ハイ。ワタシは極めては稀少な存在だと、レークス社長も仰られておりました。ワタシ自身も自覚を持ち、今は日々、精進に努めています」
目を輝かせるエクサを見て、セルが続けて、
「ソコまで珍しがって頂き、大変光栄に思います。ホント、ホント」
語尾以外の丁寧な口調は変わらないが、抑揚を乱した音声となった。
照れているのだろうか。
「そろそろ最初の試合開始時間まで三十分を切った頃だろう」
ブラスは時計からエクサへ視点を伸ばして言った。
エクサも〈アルメ〉を取出し、時間を確認する。
確かに。もうこんな時間だったのか。
「じゃあ、俺は行きます。全勝を目指して、頑張ります!」
「ハハ……。大きく出たね」
苦笑するブラス。
「頑張ってください。ワタシも応援します。ファイト、ファイト」
器用に手を振るセル。
エクサは二人に背を向け、走りだした。
明らかに憂色を示したブラスの表情など、視界の隅にも入れずに。