【第3話 夢の一歩】
「ぐっどもーにんぐアサですよ、ぐっどもーにんぐアサですよ、ぐっどもーにんぐアサですよ」
旧式AIのような抑揚のない声が耳朶に触れた。
エクサは身体を半回転させ、仰向けになったまま寝呆け眼を天井に向ける。
真っ白な壁が前後左右どこまでも。
地面が透いて見える光のベッドから起き上がり、睡眠時の頭上に当たる場所にあるボタンを押す。
「ぐっどもーにんぐアサですよ」
間違えた。アラーム再生ボタンだった。
しかしなぜこんなアラームにしたのか? 自分でやっといて、エクサは不思議で仕方なかった。
今度は隣のボタン。
押すと同時に光のベッドが粒子に還り、平たい装置に吸い込まれた。
部屋を見渡す。
大人が三人ほど住んでも楽々と生活できそうなスペースに、妙に存在感のある筐体と光で形成された一本足の丸いテーブル。
それだけだ。住んで一日目の簡素な風景。
エクサは筐体まで歩くと、表面の把手を引いた。
筐体の壁の一部が外れ、台となった。それは電車や飛行機などで見られる、前の座席に付いているテーブル程の大きさだ。
台に触れると、濃い光を放つパソコンのキーボードが現れた。
開いた壁の奥にある液晶画面が点灯すると、エクサはそこに文字を打ち込む。
〔食パン、目玉焼き乗せ。コーヒー牛乳〕
どちらも数量を一と設定する。
機械の中から『チーン』だの『ジューッ』だのと静かな音を立てる。
音が鳴り止むと、中央の口から漏れる香りが鼻腔を擽る。その口から、打ち込んだメニューがトレイに乗って登場。
トレイをテーブルに置き、近くの地面を踏んだ。ブンッ、と機械音が鳴り光の椅子が出てきた。
便利な生活だな。
旧アースの生活と比べ、エクサはそう思った。
例えば、さっきのベッド。必要ないとき以外は消せるから場所を取らない。しかもベッドの大きさ、強度、温度などが簡単に設定できる。ウォーターベッドにだってなる。そして機能も豊富。
次に自動料理機。
何千万個もの料理がインプットされているため料理名をキーボードに打つだけで、後は全自動。どんな手間の掛かる料理も最低でも五分足らずで作れる。
食材には全く新しい万能な材質のものを使っているらしく、その食材一つでどんな料理も可能だとか。
また栄養バランスも良く、カロリーもなく、味も実物と変わらない。更に機械内に侵入した不純物は自動で取り除かれるので衛生面でも完璧。
このパーフェクトな機械は、敬意を込め『おふくろ』と呼ばれている(シヴァ談)。
エクサはビンに入ったコーヒー牛乳を飲み干し、トレイを『おふくろ』の横にある収納口に持っていく。
オプションとして全自動食器洗い機も兼用しているのだ。
エクサはテーブルの上にあるリモコンを取り、壁に向けてボタンを押した。
今まで壁だった場所が全面ガラスとなり、外の景色が一望できるようになった。ミニチュアサイズの街を鳥瞰しながら、欠伸を一つ。それから後は洗顔と歯磨きを済ませ、ボサボサな髪をそれなりにセットした。
服を着替え、〈アルメ〉をズボンのポケットに。
エクサには、鏡の奥の自分がいつもより楽しそうに見えた。
不揃いな金髪。穏やかな目付き。整ってはいるが、なぜか田舎者であろう印象を受ける。
一つ違う点は、茶色の瞳が暗闇でも点灯しそうな程の輝きに満ちている。
――そう。夢が実現した。幼少から瞳に宿した憧れの夢が。今日から〈AMF〉のプロランカーとしての生活が始まる。強敵との白熱したバトルが自分を呼んでいる。すでに今から心臓の鼓動を抑えることができない。
どんな相手でも必ず勝ってみせるさ。
さあ、来い!
エクサは部屋の扉を開いた。
扉の傍を一瞥すると、イリアが届けてくれた荷物があった。部屋に帰ってからは『最先端家庭用機器』の使用法を覚えるので手一杯だったために整理の手が回ってない。
エクサは見なかったことにした。
部屋を出た先は、一定の距離ごとに扉がある広範な作りの廊下。
ここは〈AMF〉の会場から離れた、ランカー専用の生活空間である。『離れた』といっても、距離感のことであり、同じ建物内なのだが。
エクサは真っ先に廊下を駆け抜けようとした自身を制止し、扉の横のパネルに手を触れた。
危ない、危ない。カルチャーギャップ。
身体が白い光の輪に包まれたと同時に、景色が変化する。
着いた先はエレベーターの前だった。
右側はランカー達の部屋。エクサの部屋は曲がり角を通ってくるため見えないが。
左側は目的地不明の通路。広すぎて、とてもじゃないが憶えられないのだ。
エレベーターのドアが開く。
さて、何階だったかな?
天は快晴。どこまでも蒼茫たる空。視界にギリギリ含まれる、ビルの石頭が見え隠れする。
「あー、頭いてぇ……」
ギフト・シュライクは不機嫌そうに唸った。
耳にかぶさるくらいの藍青色の髪。黄色の双眸。長身痩躯の、傍から見たらナイスガイ。
ギフトは『ゴミの山』から這い出て立ち上がると、
「俺は安月給のサラリーマンかっての……」
ゴミを払いながら自分にツッコミを入れた。
どういった経緯でスイートルームだったのか思い出せない。
家に帰れないほど酩酊していたらしい。昨日なら『頭痛が痛い』とか言い出しそうだ。
ギフトは辺りを見回した。グルマンの姿がない。
「あの親父も場所違いのスイートルームでお休みか?」
自嘲気味に言うと、自宅の方角を見た。勿論〈AMF〉の会場である。
目撃者なしがせめてもの救いと考え、歩きだした。
「こないな所で何しとるんや?」
その矢先、知人と遭遇。
切れの長い吊り気味の目。えんじ色の瞳。浅葱色の長い髪をハリセンで結わいている。
アララギ・蘭である。
ギフトは極り悪そうに頭を掻いてから、
「市民がゴミの分別を正しくできているかの確認をな」
顎に指をやり、決めのポーズで格好付ける。
現在のゴミ処理は特殊機械を使ってのエネルギー変換法で行なうため、分別などしなくていいのだ。
「止めろとは言わんけど、飲みすぎには注意せなあかんで」
「っ……! 分かってるなら訊くなよ」
地面を睨み恨みがましく言うと、続けて、
「そういうお前は何してるんだ?」
「うちはCMDの買い出しや」
CMDとはコンパクト・メタル・ドールの略で、金属の部品で組んで作るリアルな模型のことだ。安価で細かく伸縮性があり、塗装作業にも適した特殊金属を使用した、マニア待望の製品。
「エクサはんが乗ってた〈フラウジル〉が数量限定で発売されるんや。逃すわけにはいかんわ」
蘭は〈AMF〉のプロランカーのくせに極度の模型ATマニアなので、売店に出現率が高いらしい。
マニアの行き着く先はATに乗りたいなどの妄言だろうが、蘭は逆だった。
「自分が苦労して手懸けたCMDはなぁ、最高なんやて。一種の愛情が形になる、この素晴らしさ。まさに芸術や」
蘭は遠い目で染々と語る。ギフトは両の腕を組み、呆れ顔でとりあえず頷き肯定する。
「まあ、頑張れよ」
「ギフトはんも今日は試合やろ? んーと、誰とやったかなぁー?」
ギフトは足を進め、正面を蘭を通り過ぎる。そして真面目な相貌で呟いた。
「……とんでもルーキーだよ」
「何か言うたか?」
蘭の問いに、ギフトは背を向けたまま頭を振った。
「あかん! もうこないな時間や! ほな行くわ!」
蘭は超特急で走り去る。
ギフトは目線を空に向け、雲の流れを追った。
一切れの雲が建物に隠れると、ギフトの足が動きだした。
「そんじゃ、手っ取り早く〈AMF〉の厳しさを教えてやるか。覚悟しろよ、ルーキー……」
口の端を上げ微笑む。
しかしそれに似合わない先鋭な光を、瞳の奥から覗かせていた。
「やっと着いた……」
エクサは溜息の混じった声を漏らす。
格納庫への道を正確に暗記していなかった為、また迷子になっていたのだ。
しかも独力で来れたのではない。進んでは質問を繰り返しての、長い道程だった。
〈AMF〉の作業員は大勢いるので、質問の相手には困らない。
ただ、若干の含み笑いはされたが。
田舎暮しが身に染み込んでいるエクサには、ここは余りにも広く複雑だった。
しかし格納庫まで来れば、庭のようなもの。エレベーター式ゲートで下まで行き、〈デザートカロル〉を眺めた。
「ん!?」
エクサは気が付いた。機体が昨日よりも綺麗になっていことに。
清掃をしないまま搬送されたので、所々に埃や汚れがあったはず。しかし今はそれがない。
「よう! エクサ」
一人の少年がエクサの背後から現れた。
切れ長の目に、黒い瞳。チャコールグレーの髪。頭には緑色のヘアバンド、首にはゴーグルを垂らしている。野鏨・ショウ・ディオースである。
「お前の機体、なかなか良いじゃん! 少し古いけど補強もされてるし、なにより姿が気に入ったよ。どうも今時のATは華やか過ぎて性に合わないと思ってたんだ」
ショウは上機嫌な様子で一気に捲くし立てる。
エクサは『?』を頭上に浮かべ、恐る恐る訊いた。
「あの……、何でここに?」
「まあ、気にすんなって。手続きだって済ませたから、これであの『こえー女』も文句はないだろ」
『こえー女』とはシュナのことだろう。それにはエクサも同感だった。
「じゃあ、よろしくお願いします。ショウさん」
多少、強引な気もするが、代わりのメカニックなどいないので仕方がない。
エクサは思考しながら、慇懃に頭を下げた。
「な、何だよ! 俺のことは呼び捨てにしてくれ。これからは相棒なんだしよ」
慌てて言うショウに、エクサは一笑して答えた。
「それじゃあ、ショウ。早速だけど、俺の機体で悪いとこはあるかな?」
エクサの疑問にショウは、待ってました、とばかりに目を輝かせる。
「まずは武器の種類が少ない。もう一つくらい武器が欲しいな。次にブーストのパワーと装甲の強度が弱い」
「どうしたらいい?」
ショウは胸を張って、自信ありげに言葉を発した。
「実はもう、追加装甲と補助ブースターを装備させといた。武器も急いで作ったから、あとは装備するだけだ」
つまり断ったとしても、強制的に装備させるつもりだったらしい。
エクサは一抹の不安を覚えながらも、話を続ける。
「装備したら、午後の試合まで会場を見学しようか?」
エクサにしてみれば、道を覚えたいので最良の提案だった。
だが、ショウは怪訝そうに唸ってみせた。
「おいおい。ランカーってのは試合前には動作の微調整と、機体とのシンクロをテストするんだろ?」
「え? そうなの?」
目が点になるエクサ。
「そうなのって……。大丈夫かよ、お前……」
ショウは溜息を吐いてから、言葉を継いだ。
「そこのオペレート・ボックスに入れ。屋根は開いたままでいいからな」
ショウが近くの筐体を指差す。それは〈フラウジル〉のコックピットと同型のもの。
エクサは滑り込むように飛び乗ると、電源を入れた。内部に薄明かりが灯り、機械の起動音が鳴り響く。
しかしメインカメラに映像が移らない。
代わりに、文字が浮かんでいる。
〔NO DATE. NO LINKAGE.〕
何のことだか、さっぱり分からないエクサは声を上げた。
「ちょっと来てくれ。正常に作動しないんだ」
「ん? 何だって?」
ショウが筐体内部に顔を乗り出し、目を細めて状況を確認する。
それから〈アルメ〉に似た小型情報機と見比べ、納得したように頷いた。
「ライセンスカードはあるよな? カードをここに差し込めば、自機と接続できるらしいぞ」
エクサはズボンのポケットに手を入れる。数秒の間、漁ってから真剣な表情でショウを見る。
「忘れた」
刹那、エクサに踏み付けの嵐が降り注ぐ。筐体から引きずり出され『真顔で言ってんじゃねえ』やれ『主人公っぽくないんだよ』やれ『俺を主人公にしろ』など、後半は好き勝手にぬかしての殺意全開な攻撃を受けた。
「…………誰?」
攻撃が終わると、エクサは周りの人達を見て言った。
「こいつらは手伝いだ。俺一人だと大変だからな」
どこか投げ遣りに答えたショウは、エクサをむりやり起こし、
「さっさと取ってこい」
エクサは道程を脳裏に浮かび、億劫ながらも部屋に戻ろうとした。
「待てよ。どこ行くんだ?」
ショウがエクサを引き止める。
「部屋にあるから、そこまで取りに行かないと」
「そんなことは分かってるよ。だったら直通エレベーターを使え」
「直通エレベーター?」
ショウは〈デザートカロル〉が置いてある場所の脇道を指差した。
エクサは怪訝顔でそこまで歩き、脇道を覗く。
丸みのあるドアの向こうに人間ひとりが入るスペースがあった。
奥まで行って乗り込み、ボタンを押す。例によって景色が変化する。
着いた先は自分の部屋だった。
――そうか、昨日のあの時。
騒動があったのでバイトを中断した紫羽は、エクサの部屋で文明機器の説明をしてくれた。
部屋に初期配置されている機器の説明を終えると、おもむろに『今いる』壁の方角に視線を向けた。
しかし何かを言おうとしたとき、紫羽の〈アルメ〉に通信が入り、それを見た紫羽は急いで部屋を出ていってしまった。
それで見落としていたのだ――
「でも、このエレベーターばかりに頼っていると、それ以外の道が分からなくなるよな……。そう思えば、いい経験だった」
自分に言い聞かせるように独白したエクサは、入り口の近くの荷物を漁った。
中からライセンスカードを取出し、エレベーターに乗った。
景色は再び広闊で殺風景な格納庫。自分の部屋と比べても、そう思える。
よく見れば大きな箱が増えているが、それでも格納庫内スペースのほんの一角。
「なんか朝方から色々と資材が運ばれて来たから、適当に置いてもらった」
エクサの目線に気付いたショウが補足した。
「あ、そうだ。あと〈アルメ〉で『経営について』の項目に目を通しておけだってさ」
自分の掌を、もう片方のグーで底でポンッと叩く古くさい動作で、ショウが付け加える。
エクサは首肯すると、オペレート・ボックスまで走り飛び乗った。それからライセンスカードをメインモニターの横側にある淵に差し込む。
〔type――aerospace trait machine認証〕
〔各部位フル起動。兵器ロック――オール解除〕
〈フラウジル〉と同様の手順で進んでいく。
〔全システム――オールグリーン。エアトレイト型――オリジナル製造ナンバー00077――『デザートカロル』起動〕
放置してあった〈デザートカロル〉の顔面の円形ゴーグルのセンサーが光り、全身で呼吸をし始める。
メインモニターに格納庫の状況が映り出した。
「ATもシュミレーションとは全然違うや……!」
エクサは感奮した。
モニターを通して伝わる臨場感。機体の鼓動。
エクサは記念すべき一歩を踏み出した。
ガンッ!
轟音が響くと同時にメインモニターと地面の距離が近づいていく。
散る人間たち。どれも恐慌とした表情。
ドゴォォォォォォォンッ!地面が揺れる。エクサは振動を感じ取り、初めて事態に気付いた。
――ATこーろんだ。
無意識の内に移動をさせようとした〈デザートカロル〉の爪先が突っ掛かり、転倒したのである。
「あいつらを殺す気かっ!?」
震駭した様子のショウが叫ぶ。
「ご、ごめん!」
パニくったエクサは、〈デザートカロル〉を立ち上がらせるために、『ブースト』を吹かせた。
突風が巻き起こり、人間が綿ゴミのように飛んでいく。
ショウは必死で筐体にしがみ付きながら、力の限り怒声を吐いた。
「電源を切れっ! この、大馬鹿やろぉぉぉぉぉーーーっ!」




