「お姉ちゃんなんだから」と妹に全て奪われる人生だったので、今度は私が全部奪って差し上げます
「ヴァイオラ。あなたはお姉ちゃんなんだから、妹に譲ってあげなさい」
幼い頃から、そう言われて生きてきた。
私のひとつ年下の妹・メリュシアナは昔から、体調を崩しがちな子だった。
メリュシアナはよく「気分が悪いのぉ」と言って泣く。
だけど彼女はとても可愛いので、泣いていると、か弱いお姫様みたいに見える。
だから両親は、いつも私よりメリュシアナを優先していた。
私に与えられたお菓子も人形も、妹が「あれが欲しい」と泣けば、「お姉ちゃんなんだから譲ってあげなさい」と、全部あげることになった。
私は、優しい人になりたかった。
困っている人がいたら、手を差し伸べられる人になりたかった。
だから、妹にも優しくありたい。そう思っていた。
今となっては、そんな日々が懐かしく、愚かしいけれど。
◇ ◇ ◇
私の、10歳の誕生日のときのことだ。
この国で10歳の誕生日は、子どもがそこまで無事に育つことができたお祝いの、特別な日とされている。
だからパーティーのために、ドレスショップでドレスを選んでいいと親に言われた。
私が選んだのは、可愛らしいお姫様のようなもの。
普段は買ってもらえないからこそ、特別な日くらい、憧れの格好をしてみたかったのだ。
「ヴァイオラは背が高いから、違うデザインのほうがいいんじゃない? そのドレスは結構お高いし……」
母が嫌がっているのが伝わってきて、もっとシンプルなドレスにしようと思った。けれどそこで、父が言った。
「あまり貧相だと、我が家の威厳に関わる。特別な日くらい、それでいいんじゃないか」
「そうね……仕方ないけど」
家の体裁のためにも、私の希望したドレスを買ってくれた。
理由はどうあれ、誕生日に自分の好きなドレスを着ていいということが嬉しかった。
そして当日。
憧れのドレスに袖を通し、心を弾ませて開始時間を待っていると……。
「ふえぇぇん!」
メリュシアナが、泣きながら歩いていた。
彼女が着ているドレスは、刃物で刻んだようにボロボロになっている。
「誰かが、私のドレスにこんなことを……! ひどいよぉ……!」
泣きながら目をこするメリュシアナのもとに、母が駆けつける。
「大変。そのままじゃパーティーに参加できないわね、着替えないと。……でも、他のドレスなんて……」
我が家は下級貴族で、あまり裕福ではない。他のドレスは、少し流行遅れのものばかりだ。
「ふぇ……こんなボロボロなドレス、やなの……! メリュもお姉さまみたいに、綺麗なドレスがいい~!」
ぽろぽろと涙を零すメリュシアナ。
それを見て、両親が小さく息を吐いた。
「ヴァイオラ。そのドレス、メリュシアナに譲ってあげなさい」
「え……⁉ 今日は、私の誕生日なのに……」
「だって、メリュシアナはこんなに泣いているじゃない。かわいそうだと思わないの? あなた、お姉ちゃんなのに……」
姉なのに妹に譲らないのは、思いやりがない、と。
罪悪感を植えつけられ、途端に自分が、お姫様ではなく魔女になった気分だった。
「……わかった。私のドレス着ていいよ、メリュ」
「やったぁ!」
メリュシアナは私のドレスに着替えることになったが、問題は私の服だった。
主役がボロボロのドレスなんて着るわけにはいかない。けれど私は背が伸びるのが早く、以前買ったドレスは既にサイズが合わない。
ギリギリまで衣装が決まらず、結局、私はかつてお兄様が着ていた男の子用の礼服を着ることになった。
そのままパーティーが始まり、人々の視線はメリュシアナに集まった。
「わあ、可愛い!」
「素敵ね、よく似合っているわ!」
「うふふ、ありがとう!」
私の誕生日のはずなのに、メリュシアナは私より皆の輪の中心にいた。
私は、主役になれるはずだった日にこんな格好をしているのが恥ずかしくて、壁際に佇んでいた。
だけどメリュシアナは、私の腕を引っ張って皆のもとへ連れてゆく。
「ほら、みんな! お姉さま、かっこいいでしょう?」
「本当だ。はは、そうして並ぶと、お姫様と騎士様みたいだな」
「ええ。お姉さまは、メリュの騎士さまなの~! いつもメリュを守ってくれるのよ!」
「あはは、小さな騎士様。これからも、お姫様を守ってやるんだぞ~」
嬉しいとは思えなかったけれど、笑うしかなかった。
(本当は、私も……騎士様じゃなくて、お姫様がよかった)
だけど華やかなドレスは、私よりメリュシアナのほうがよく似合っていた。
それに、あんなに泣いていた彼女が、今は笑っている。……姉として、よかったと思うべきなのだろう。
そう自分に言い聞かせて笑顔を保ち、メリュシアナと共に参加者に挨拶していると。
初めて会う男の子が、私達のもとへ訪れた。
「はじめまして、ズーク・ナンケザフと申します。ナンケザフ伯爵家の嫡男で、今年で11歳です」
「ヴァイオラ・リースティンと申します。本日はご足労いただきありがとうございます。こんな格好でお恥ずかしいですが……」
「いえ、お似合いですよ。ヴァイオラ様は、そういう格好が好きなんですか?」
「そういうわけでは……ただ、妹のドレスが汚れてしまって……」
そこでメリュシアナが、わっと泣き崩れた。
「そうなのです! メリュのドレス、誰かにズタズタにされてしまったんです……! ひどいでしょう⁉ もう、とっても悲しくて……」
可憐なメリュシアナが宝石のような涙を流すから、周囲は「かわいそうに」「犯人は許せないな」などと言いつつ、メリュシアナを慰める。
そんな中で、ズーク様はふわりと私に微笑んでくれた。
「そっか、妹のためにドレスを譲ってあげたんだ。あなたは、優しい人なんだね」
――とくんと、胸が淡く音を立てた。
妖精のように可愛いメリュシアナと比べ、背ばかり高くて地味な私を見てくれる人なんて、初めてだったから。
それから少し後、私とズーク様は婚約することになった。
親が私達の家柄などを考え、ちょうどいいと判断してのことで、私達の意思によるものではなかったけれど……。私は、優しく笑いかけてくれた彼と婚約できるということが、嬉しかった。
それからしばらくは、希望を持てる月日が流れていった。
妹には相変わらず「具合が悪くて外に出られないから、私のために流行のお菓子を買ってきて」とか「意地悪な人とのお茶会に出席したくないから、代わりに行って」とか、振り回される毎日だったけど……。
ズーク様との婚約が、私に光をくれた。将来、この家を出て立派な伯爵夫人になるために、勉学や礼儀作法などのお稽古に励んだ。
そんな日々が少しずつ変わり出したのは、メリュシアナが14歳になった頃だ。
「お姉様! 私、好きな人ができたの! 応援してくれる?」
「まあ。もちろん、応援するわ」
メリュシアナには婚約者がいなかった。彼女は「心から愛せる人でなければ結婚したくないです!」と言い、両親も彼女の意思を尊重していたのだ。
そんな彼女にとうとう想い人ができたことはよかったと思ったし、言葉通り、応援してあげたいと思っていた。
最初は、上手くいっているようだった。メリュシアナは「彼と劇場に行ったのぉ」とか、「この腕輪、彼に贈ってもらったの!」とニコニコ私に報告してきたし、私もそれを笑顔で聞いていた。
メリュシアナが上機嫌でいてくれるのは、私にとっても助かる。
けれど……彼女は好きな人ができたことで、不機嫌になる日も増えた。
ある日のことだ。夜遅くに、ドンドンと私の部屋のドアが叩かれた。
「お姉様! お姉様!」
私はベッドから起き上がり、ドアを開ける。
メリュシアナは、ぐすんぐすんと泣いていた。
「彼と喧嘩してしまったの……! あの人ったら、ひどいのよ!」
メリュシアナは涙を零しながら、「彼」の酷いところをどんどん挙げていった。
聞いていると、暴言や暴力などの話も飛び出し、私はメリュシアナが心配になって言った。
「ねえ……そんなに酷い人なら、彼と会うのは、もうやめたほうがいいんじゃないかしら」
「えっ? どうしてそんなことを言うの?」
「どうしてって……だってその人、本当に酷いじゃない。最低だわ」
そこで、泣きながら彼を悪く言っていたメリュシアナは、途端に眉を下げて善人の顔をした。
「お姉様ったら、いくらなんでも、そこまで言わなくても……。彼にも、いいところはあるのです! そうそう、この前はこの銀細工の髪飾りを送ってくださってぇ……。いろいろあるけど、やっぱり私のことを愛してくださってるっていうかぁ……」
メリュシアナは、彼との惚気を語る。
そんなに大した喧嘩じゃなかったのかな、と安堵する半面、「本気で心配した私ってなんだったんだろう」と虚しさが襲ってきた。
(……まあ、恋をすると周りが見えなくなるものよね。私にもそういう部分はあるんだろうし、気をつけよう)
けれどそれからも何度も何度も、メリュシアナは似たようなことを繰り返した。
「お姉様! 彼ったらひどいのです……! 私、もうあの人とは一緒にいられませんわ!」
そう言った3日後には、「彼がネックレスを買ってくれたのです~!」と薔薇色の顔で見せにくる。
「この前、もう一緒にはいられないと言っていなかった?」
「まあ、お姉様ったら! あんなのちょっとしたすれ違いですわ! 愛の女神様が私達に試練を与えたのかもしれませんね、うふふ!」
……メリュシアナは毎度「彼に酷いことをされている」と言うけど、おそらく嘘だ。本当に酷いことをされているなら、我慢できるはずがない。彼女はそういう子だ。
メリュシアナは、悲劇のヒロインの立ち位置が好きだ。だから「彼がひどいのぉ」と言っているのだと思う。世の中には、支配的な夫や婚約者によって本当に苦しんでいる人もいるのに、自分が注目されるためだけに嘘をつく彼女には、少し胸がモヤモヤした。
「でもね、お姉様ぁ。私は紅玉のネックレスが欲しかったのに、彼がくれたのは金剛石のもので……。酷いと思いません? 私達、お別れしたほうがいいのかしらぁ……くすん」
「そうね、あなたの望むようにすればいいんじゃないかしら」
「そんな! そんな簡単に切り捨ててしまうなんて、彼がかわいそうでしょう⁉ 彼はあんなに私を愛してくれているのに! お姉様はひどいです!」
こうなるともう、メリュシアナが一方的に語るのを延々と聞くことになる。
私の時間は無限にあるわけではない。勉学、礼儀作法、他の貴族とのお茶会やその準備、お母様の仕事の補佐……。子爵家の長女としてやるべきことは多い。
その合間を縫ってメリュシアナの相手をしているのに、彼女は何度も同じ話を繰り返す。そして、自分が望む言葉以外は許さない。少しでも「不正解」の返答をすれば涙ぐんで「お姉様はひどい」と私を責める。そんなことが、毎日のように続いていた。
「……メリュシアナ。私、ちょっと疲れちゃって……今日はもう、休んでもいいかしら」
「そんな……」
メリュシアナは大袈裟に目を見開き、わっと泣き崩れた。
「お姉様! ごめんなさい! 私のせいですよね! ごめんなさいごめんなさい……!」
大声を聞きつけ、父が駆けつけてきた。
「ヴァイオラ! お前、メリュシアナに何をしたんだ!」
「ふえぇんお父様、私が悪いんです! 私が至らないから、お姉様が怒って……!」
「メリュシアナ、お前はなんて健気なんだ……ヴァイオラ、お前も少しは反省しろ!」
ずっと私に負担をかけているのがメリュシアナであっても、彼女が涙を流すだけで、私は「悪役」にされる。
私はメリュシアナにとって、いい姉でありたいと思っていた。
人に優しくありたいと思っていた。困っている人には、手を差し伸べられる人間でありたいと……。
だけど、人に寄り添おうとするほど、それが「当然」になって、次第に要求の基準が上がっていくんだ。
そう気付いて、少しずつ、私の中でメリュシアナの存在の置きどころが変わってきた。
最後のきっかけになったのは、メリュシアナに婚約の話が上がったことだ。その相手は、彼女の愛する「彼」ではない。
メリュシアナは「彼」と婚約はしていなかったのだ。「私達は愛し合っているけど、まだ婚約者という枠に縛られず、自由な恋人同士でいたいの!」と言って、私にも両親にもその彼のことは紹介してくれなかった。
そしてメリュシアナとの婚約の話が上がったのは、恐ろしいことで有名な辺境伯だった。その辺境伯には過去に何度も様々な令嬢との縁談があったが、皆、泣かされて帰ってきたと噂なのだ。
お茶会でも「あんな辺境伯の妻になったら、事故を装って殺されてしまうかもしれませんわ。恐ろしい」とよく話題になっていた。
「嫌ですわ! 私、そんな人と絶対、結婚したくありません……!」
案の定、メリュシアナはわっと泣き崩れて、私に縋った。
「お姉様、代わりに断ってください! そんな人と会ったら、何をされるかわかりませんもの! 私、本当に怖くて怖くて……! ふえぇん」
……そんな人と私を会わせるのは、心配じゃないのか。
私なら、何をされてもいいとでも思っているのだろうか。
「お姉様は私を理解してくださってるもの! 私を守ってくれますわよね! お姉様は私の騎士様ですもの!」
(……騎士様、か)
もう私は幼い子じゃない。守られるだけのお姫様になりたいとは言わない。
だけどせめて、困ったときは「お互い」助け合える関係でいたい。
私だけが彼女を守らなければならない関係には……疲れた。
「……わかったわ。メリュシアナの代わりに辺境伯とお会いして、婚約はお断りしてくるわね」
◇ ◇ ◇
そして、私が17歳になった頃のこと。
メリュシアナとお茶をしていたら、彼女は上目遣いで私を見て、小首を傾げた。
「ねえ、お姉様ぁ。お姉様は、いつだって私の味方よね?」
「そうね。……私は、メリュシアナのお姉様だもの」
こう言わなければ、メリュシアナは泣き出し、周囲から私が悪者扱いされるのだ。なら他にどう言えというのだろう。
「ふふ、よかった! あのね、今日はお姉様に、私の愛する人を紹介したいと思って」
「まあ、とうとう紹介してくれるのね」
そして、メリュシアナの隣に立ったのは――
「うふふ。彼が、私の好きな人!」
「……ヴァイオラ、そういうことなんだ。僕達は、真実の愛で結ばれてしまって……」
……私の婚約者である、ズークだ。
やっぱり、とは思った。勘づいてはいた。
だけど、こうして目の前でまったく悪びれることのないふたりを見ていると、心が冷えてゆく。
ああ、私って本当に、どういう扱いをしてもいい奴だって思われていたんだな、と。
わかってはいたけど、最悪の答え合わせだ。
「メリュシアナ、あなた……」
私がメリュシアナに一歩近付くと、ズークが彼女を庇うように前に立った。
「メリュシアナに乱暴はやめてくれ! 彼女のお腹には、子どもがいるんだ!」
別に、乱暴しようとしたつもりはない(多少の乱暴くらいしても仕方ない状況だとも思うが)。
ただそれより、彼の言葉に、私は立ちつくしていた。
メリュシアナはズークの背からひょっこりと顔をのぞかせ、笑う。
「そうなの、私、赤ちゃんができたの! 大切な妹と、大好きな人の子どもだもの。お姉様だって祝福してくれるわよね? 私達が家族であることに変わりはないわ!」
――そして私は両親によって、妊娠中のメリュシアナの世話を命じられた。
「ヴァイオラ、メリュシアナのことをよろしくね。あなたはお姉ちゃんなんだから、当然でしょう」
リースティン領はただでさえ小さな領地なのに、父による領地経営が上手くいっておらず、我が家の家計はもはや火の車。父は仕方なく、使用人を解雇したのだ。今は屋敷の家事は全て私が担っている。それに加え、メリュシアナのことも私の仕事だというのだ。
「メリュシアナは伯爵夫人になるんだぞ。それに、伯爵家の跡継ぎは大事だ。くれぐれも丁重に扱うようにな」
長女と婚約していた男が次女を妊娠させるなど、本来はとんでもない醜聞だ。だが両親は怒らなかった。
ナンケザフ家のほうから申し出があり、婚約者を変更する代わりに、リースティン家は結婚の際の持参金を免除ということになったらしい。両親としては、娘が伯爵夫人になれれば姉妹のどちらでも問題はないわけだし、子どもがいるなら婚約破棄されることもない。そのうえ持参金も免除してもらえて、むしろ幸運と思っているのだろう。
私はメリュシアナの食事を作って彼女の部屋まで運び、「気分が悪いのぉ」とベッドから出ない彼女の雑用を、全てこなすことになった。
なお、ズークは彼女の世話をしないのかと尋ねたところ「いや、俺は次期伯爵として忙しいし……君達は姉妹で気心が知れているんだから、ふたりだけのほうがいいだろ?」と言った。笑顔だったけど、その顔には「面倒くさいのは嫌だ」と書いてあった。
そしてメリュシアナは、以前にも増して我儘放題になった。
「ふぇ~ん、お姉様ぁ。身体が辛いのぉ。外に出られなくて、ズーク様にも会えなくて寂しいからぁ、私の代わりに彼に、恋文を届けて~? お返事も貰ってきてね!」
「……急ぎではないんでしょう? 落ち着いたら、自分で行ったらどうかしたら」
「お姉様、ひどい! 私のお腹には赤ちゃんがいるのよ! 今の私は無理できないってわかってるでしょう⁉ なのにそんなことを言うなんて! 私達に死ねっていうの⁉」
とても卑劣な言葉だと思う。それで「ええ、死ね」と言おうものなら、こちらが悪者にされるからだ。言われたが最後、「そうじゃない」と言わなければならない、悪魔の言葉。
それからもメリュシアナは、私に対し横暴にふるまった。
周囲の人々は、「今はメリュシアナに優しくしてあげなさい」と言うだけ。
まるで、子どもを盾に、優しくあることを強要されているような日々だった。
「メリュシアナ。甘いものが食べたいと言うから、クッキーを焼いたわ」
「ええ、クッキー? 生クリームたっぷりのケーキが食べたい気分だったのに!」
「だけど『甘いものが食べたい』と言うだけで、『ケーキが食べたい』とは言わなかったでしょう?」
「甘いものと言えば、普通ケーキでしょう⁉ どうして私の気持ちをわかってくれないの⁉ お姉様、ひどい! 早く作り直して!」
メリュシアナは私の目の前で、焼き立てのクッキーを屑籠に捨て、「ひどい、傷ついた」と泣いている。
「……わかった、作り直すわ。生クリームたっぷりのケーキね」
「もう、最初からそうしてよ! 飲み物は、お砂糖たっぷりの果実水でいいわ!」
私はもう、何も言わない。ただベッドで過ごす彼女に、毎日三食、そしてお菓子を運ぶ。彼女が外に出ずにすむよう、雑用などはなんでも代わりにやる。
それが、今の私の「やるべきこと」だから。
◇ ◇ ◇
それから、十月が過ぎた。
メリュシアナはお腹も出てきているのに、なかなか子どもが生まれる気配がない。
「ねえ、メリュシアナ。ずっとベッドの上で退屈でしょう。今日はあなたに、話し相手を連れてきてあげたわ」
ある日のこと。私は彼女の部屋に、ひとりの男性を入れた。
漆黒の長い髪をひとつに束ねた、美麗かつ精悍な男性。身に纏っているものの上質さといい、高貴な佇まいといい、私達より身分が上の者であることは一目瞭然だ。
メリュシアナは彼の姿を見て、ぱあっと目を輝かせた。
「まあ、どなた!? なんて素敵な男性……!」
「紹介するわ、私の婚約者。ヴェルデハイト辺境伯の、フォルス様」
「……………………え?」
――以前、メリュシアナは私に言った。恐ろしい辺境伯との婚約話を、自分の代わりに断ってきてほしいと。
それをきっかけに出会ったのが、フォルス様。今の私の婚約者だ。
「な……お、お姉様、いつの間に婚約なんて……。そもそも、辺境伯がこんな美形なんて、聞いてな……」
「そうそう。お話しだけじゃなく、今日はちゃんと検査もしようと思って」
私はメリュシアナの言葉を遮り、言う。
もはや彼女の言葉なんて、どうでもいいから。
「メリュシアナの赤ちゃん、なかなか産まれないでしょう? だからね、この方にも来てもらったの」
フォルス様の後ろから、老齢の女性が前に出る。
「彼女はヴェルデハイト領で最も優秀な医師である、イルシャ。医術も魔術も使って、身体のことを検査してくださるのよ」
その言葉を聞いて、メリュシアナの顔が引きつっていた。
そんなことをされたら、「嘘」がバレるからだ。
……馬鹿な子。どうせこれ以上はもう、その嘘をつき続けることはできないでしょうに。
「ではメリュシアナ様、失礼いたします。こちらは、あなたの身体をお調べするための魔導具です」
「ま、待って! きょ、今日は具合が悪いから! そういうのはやめて!」
「あらまあ。具合が悪いのであればなおさら、お調べしたほうがいいではありませんか。大切なお身体に何かあっては大変でしょう?」
イルシャによって、魔道具が使われる。
メリュシアナは淡い光に包まれ、彼女の身体の状態が、誰からも目視できる状態表として宙に浮かぶ。
それによって暴かれた事実、それは……彼女は最初から妊娠していない、ということ。
「メリュシアナ。あなたはずっと、嘘をついていたのよね。私とズークの婚約を破棄させて自分が結婚するためには、子どもができたと言うのが、最も都合がよかったから。それにそう言えば、あなたは私に対して『子どもがいるのに酷いことするなんて最低!』と、私に責められるのを回避することができる。周囲からだって甘やかしてもらえる。……本当に、最低な、嘘」
本当に懐妊したというのなら、それはもちろん尊重されるべきことだ。人の婚約者を略奪したという前提がなければ、だけど。
私が心底メリュシアナに失望しているのは、懐妊によって体調不良などで本当に大変な思いをしている人もいるのに、私利私欲のためだけに嘘をついて自分の欲望を満たしたことである。
そもそも本当にズークと結婚したかったというなら、せめて私に責められるくらいのことはするべきだろう。なのにメリュシアナは、それすら逃れるため嘘をついた。あまつさえ存在しない子どもを盾に、私を召使いのように扱った。
さぞ気分がよかっただろう。私の婚約者を寝取っておいて、その私をこき使うなんて。
……全て、私の掌の上だったことも知らずに。
「でもいいのよ、メリュシアナ。私も、嘘をついていたもの」
「え……?」
「私、あなたの嘘を、早い段階で見破っていたわ。だって、あなたは昔から嘘つきだったから」
思えば、幼い頃から、全部。
メリュシアナはよく「気分が悪いのぉ」と言うが、医師から具体的な病名を言われたことはない。彼女はただ、具合が悪いふりをすれば、嫌なお稽古をサボって寝ていられたり、甘いお菓子を食べさせてもらえたりするから、そう言っていただけだ。
私の誕生日パーティーのときだって。「誰かがメリュのドレスをボロボロにしたの」と泣いていたが、その後犯人探しをしても、全員に確かなアリバイがあり、犯行可能な人物などいなかった。そのまま事件は忘れ去られていったが、本当はメリュシアナによる自作自演なのだろう。……私が自分より目立つのが気に入らないから、やった。それだけのこと。
メリュシアナはいつだって自分に注目を集めるため、平気で嘘をつく。
ただ、懐妊のことを言い出されたときは、本当にその可能性もあるだろうと考え、強く出ることはできなかった。
だから彼女の世話をしている間、彼女が眠っている隙に、さっきの魔道具でメリュシアナの身体を調べたのだ。案の定、メリュシアナは最初から懐妊なんてしていなかった。
私は今までメリュシアナに振り回され、人生を踏みにじられた。
だから、復讐することにした。
まず、ズークに婚約破棄された時点で、フォルス様に手紙を出した。
メリュシアナとフォルス様の縁談を私が断る際、私は彼と意気投合したのだ。彼も家族に振り回されてきた人であり、彼が恐ろしいと言われるのは、自分を守るため隙を見せないようにしているだけだ、と気付いたから。同じ痛みを抱える私達は、同志になれた。
婚約破棄の事情を説明すると、彼は私の復讐を応援すると言ってくれた。
私達は、私の家族には内密に、婚約者となった。この国で婚約は、制度上は、当人同士と神殿の許可さえあれば親は必要ない。ただ、貴族同士の婚姻は家同士の問題でもあるから、皆幼い頃から婚約者が決められているだけだ。
そして、私の計画が始まった。
元の婚約者だったズークを寝取った妹に、私が甲斐甲斐しく尽くすはずがない。
あれこそが、私の復讐。
メリュシアナの食事について全て任されていた私は、毎日三食、塩も砂糖も過剰に使った。それだけじゃなく、午前と午後に軽食の時間も設けた。
更に寝る前には、「よく眠れるように」と、砂糖をたっぷり入れたホットミルクとお菓子を毎日運んだ。
メリュシアナは毎日毎日、砂糖たっぷりのお菓子を好き放題食べ、ベッドでゴロゴロしていた。華奢で可憐だった容姿は、今や見る影もない。
今の彼女は、大きなベッドからはみ出るほどの巨体となってる。彼女のお腹が大きくなっているのは、単なる肥満だ。だけどそれによって両親は、彼女が本当に懐妊していると誤認していただろう。
メリュシアナが変わったのは体重だけではない。虫歯によって黒くなった歯。運動不足で、もはや自分ひとりではまともに歩くこともできない身体。そして今目の前に浮かぶ状態表は、これまでの食生活によって、内臓も深刻なダメージを受けていることを示している。
変化が急激なものであれば、本人も「まずい」と気付いただろう。
だけど毎日少しずつ変わっていくだけなら、気付かないものだ。
たまに様子を見にくる両親は彼女の変化に気付いていたが、両親にとって今やメリュシアナは、伯爵家との大事なパイプだ。下手なことを言って機嫌を損ねるわけにはいかない。だからこそ何も口にしなかった。そして……。
「そうそうメリュシアナ、ずっと会えていなかったのだから、ズーク様に会いたいでしょう? 呼んでおいたわ」
ズークはメリュシアナが懐妊したと嘘をついてから、「夜の営みができない相手と共にいてもやることがない」「自分は具合が悪い人間の世話などしたくない」とばかりに、メリュシアナに一切会いに来なかった。
なお探偵を使った調査によって、その間に不貞していたことが判明している。メリュシアナがずっとベッドにいた間、彼もまた、別の女とベッドにいたのだ。最低同士で、ある意味お似合いである。
「やあメリュシアナ、ひさしぶりだね……って!? ひっ……⁉」
ズークは、変わり果てたメリュシアナの姿を見て震えた。「ひっ……⁉」って。お前が愛した女だろうよ。
「ズーク様。メリュシアナの懐妊は彼女による嘘で、最初から子どもがいなかったことが発覚しましたわ」
「そ、そうか! それはよかった! ではこの結婚はなかったことに!」
「できるわけないでしょう」
メリュシアナは出産準備という名目でずっと実家でゴロゴロしていたが、彼女とズークは既に夫婦である。
「白い結婚なら離縁できるけれど、肉体関係がある以上、正当な理由なく離縁はできないわよ」
もっとも、不貞は正当な離縁の理由だから、このふたりの場合は離縁できるけど。
ただ、ズークの不貞をメリュシアナは知らない。ズークは離縁したいなら、自ら不貞を明かし、多額の慰謝料を払う必要がある。
「そ、そんな! 嫌だぁぁぁ! こんな奴と結婚なんて、僕の人生が台無しじゃないか!」
「な⁉ ズーク様、ひどい! 私と結婚するのが嫌なの⁉」
「当たり前だろう! 僕が好きだったのは、以前の美しい君だ! 一体どうしてしまったんだ、今の君ときたら、まるでゴブリンのようじゃないか!」
「なっ……⁉」
メリュシアナはそこでやっと、自慢の美貌が見る影もなくなっていることに気付いたらしい。唇を噛んでわなわなと震え出す。
「お、お姉様……私を嵌めたのね! ずっと、私が不幸になればいいと思っていたんでしょう!」
「当たり前じゃない。どうして、自分の婚約者を略奪した相手の幸せを願うと思っていたのかしら」
そもそも、おかしいと思わなかったのだろうか。すっかり落ちぶれている我が家が、高価な砂糖をそんなに用意できるはずがない。
私がフォルス様と取引をして、私が保持しているリースティン家とナンケザフ家の情報を提供する代わりに、大量の砂糖を工面してもらったのだ。
その大半はメリュシアナの胃の中に消えていったわけだけど、本人は大変不満そうな様子。
「ひどい! ひどいわ! 私、とても傷ついた! お姉様はひどい! 私をこんな目に遭わせるなんて!」
「でもそれは、あなたが選択したことでしょう」
「え?」
「そもそも、私の婚約者を略奪したり、私を召使いのように扱ったり、私利私欲を満たすための嘘をつき続けたり……あなたがそんなことをしていなければ、こんなことにだってなっていないわよ」
大体、「生クリームたっぷりのケーキが食べたぁい」だの「ベッドから起きるのが億劫だから代わりに用事をすませてきてぇ」など、要求してきたのはメリュシアナである。
私はただ、その要求に従ってあげただけ。
どうせ「身体に悪いわ」なんて止めたところで「ひどい!」と泣かれるのだし。
「メリュシアナ。私の作ったものに文句があるなら、食べなくたってよかったのよ。あなたは嘘をついていただけで本当は妊婦でも病弱でもなかったんだから、自分の食事くらい自分で作ればよかったじゃない。けどあなたは、私に毎日世話をされながら、真実を言うわけでもなく、私に謝罪や感謝を告げるわけでもなく、ただただ私をこき使う日々を享受していたわ。今も、あなたは何ひとつ反省していない。ただ被害者ぶって、私を責めているだけ」
鏡がなくても、自分の目が、ゴミを見るようなものになっていることがわかる。
当然だろう。あんな仕打ちをしておきながら呑気に笑っていたような人間、家族といえど、もはや情なんてない。
なのにメリュシアナは、情に訴えるようにうるうると目を潤ませる。
「お姉様、どうしてひどいことばっかり言うの⁉ 私、すごく悲しいわ! ねえお姉様、私ってかわいそうでしょ⁉」
「それは、そうね。………………かわいそうな子」
私がふっと笑うと、メリュシアナはカッと顔を赤くした。
望み通りの言葉のはずなのに。私の「かわいそう」が甘やかしや同情ではなく、心からの見下しなのだとわかったのだろう。
「さて、私はこれからヴェルデハイト領で、辺境伯夫人と暮らすから。もう会うこともないでしょうね。ああ、ズーク様。今後、メリュシアナの世話はあなたが全部お願いね。あなた達は真実の愛で結ばれた夫婦なんだから。ふたりで支え合ってちょうだい」
「な……! お、おい、ヴァイオラ!」
ズークは顔面を蒼白にして焦っている。それはそうだろう。
今まで全て私にやらせてきたメリュシアナは、ひとりでは何もまともにできない。
使用人だって、こんな我儘な人間には匙を投げるだろう。
私ほどメリュシアナに忍耐強く接することができた人間なんて、他にいないだろうに。
それを雑に扱って、感謝も何もなく、自ら見捨てられるようなことを繰り返して。
……本当に、馬鹿な子。
(ああ、でも。何もかも……思惑通りだわ)
メリュシアナは私に嘘をついた。だから私も、その嘘に乗ってやった。
彼女を甘やかして、甘やかして、私なしでは生きていけないようにして。
手遅れなほど駄目人間にしてから、捨てる。
それが、私の復讐。
私はこの子に、何もかも奪われてきたから。
今度は、私が全部、奪ってあげる。
美貌も、健康も、自立も、未来も……幸福も、全て。
「ヴァイオラ、待ってくれ! 俺が悪かった! メリュシアナとは別れるから、もう一度やり直そう!」
ズーク様が、私に手を伸ばす。
私は静かに微笑みを浮かべ、その手を振り払った。
「ズーク様」
「ヴァ、ヴァイオラ……?」
「婚約していたにもかかわらず妹に手を出して、嘘だったとはいえ妊娠中の妻に自分では一切手を貸さず不貞三昧。あげくに、婚約者の外見が変わったというだけで責任もとらず逃げようとする不誠実な行い……見下げ果てましたわ」
ひゅ、と彼が息を呑む。
もしかしたら彼も、私を「かわいそう」だと思っていたのかもしれない。「まだ僕のことが好きだろうに、捨てられてしまってかわいそう」だと。だからもう一度チャンスを与えてあげよう、と――。
なんて、馬鹿げているのだろう。
あなたは婚約破棄のことで、私を捨てたと思っているのかもしれないけれど。
あなたみたいな相手、こちらから、願い下げなのよ。
「あなたとやり直すなど、絶対にありえません。二度と顔も見たくないですわ。それでは、さようなら」
ズークもメリュシアナも、絶望の崖に落とされたような顔をしていた。
ナンケザフ領は、ズークや彼の親の横暴な行いや重税のせいで荒れており、領民の不満が積もりに積もって、反乱を起こす兆しがあるという情報を得ている。ズークも、そこに嫁ぐことになるメリュシアナも、幸せな未来など望めないだろう。
それは、他の家族も同じ。使用人すらろくに雇えず私にメリュシアナの世話をさせていたほど、リースティン家は没落している。頼みの綱だったナンケザフ家との婚約でも再起は望めず、この先は更に苦しくなる一方だ。
彼らに残されたのは、ただ破滅へと向かう道だけ。
演技ではない本当の涙を流しそうなふたりを残し、私は部屋を出て、扉を閉めた――
◇ ◇ ◇
「フォルス様。お付き合いいただき、ありがとうございました」
転移魔法でヴェルデハイトの屋敷に戻ってきた私は、フォルス様とふたりで話す。
「いや。見事な手腕だった。聞いていて俺も爽快だったさ」
「ふふ。恐ろしい女だ、と幻滅しませんでしたの?」
「まさか。君にはこれから俺の妻として、領地経営の補佐をしてもらうんだ。ヴェルデハイト辺境伯夫人になるには、そのくらいの胆力がなければ務まらない」
周囲からは恐ろしいと言われるフォルス様だが、私と向き合うその顔には、美しい笑みが浮かんでいた。
「俺は君が危機に陥っているなら、助ける。だが、最初から俺の力をアテにして守ってもらおうとするような他力本願の人間を妻にしたいとは思わないからな」
「ええ。私だって、常に悲劇のヒロイン面をして他者に縋るような、妹と同じ存在になるのは御免です」
フォルス様は辺境伯であり、地位も名誉も金銭も、全てをお持ちの御方だ。
だからといって、それに依存して全て助けてもらうのを当然だと受け入れていたら、結局私もメリュシアナと同じになってしまう。
私は誰かの優しさに乗っかって、そのまま押し潰してしまうようなことはしたくない。
フォルス様を愛している。だからこそ、自分の力で立って、自分の足で前に進みたいのだ。
そんな私に、フォルス様は、ふっと微笑みかけてくださる。
「君のそういうところを、好ましく思う。――ヴァイオラ。君と出会えてよかった」
「ええ。私もです、フォルス様」
私達は、互いに敬意をもっているけれど、過度に干渉し合わない。フォルス様がさっき、共に来てくれたけれど、彼自身はほとんど口を開かなかったように。それは私が望んだことだ。砂糖の件など、彼の助力が必要な箇所もあったが、私達は基本的に、自分のことは自分でカタをつけたいと思っている。
(言いたいことは、自分の口で言うわ。守られるだけの存在なんて、見捨てられたらそこで終わりということだもの)
「ヴァイオラ。俺は優しい夫ではないのかもしれない。けれど、君の意思と自由は必ず尊重する。悪しき者達に傷つけられながらも、自ら過去を断ち切ったその芯の強さを、誇りに思っているから」
「ふふ。……それは充分優しいですわ、フォルス様」
私達は自分の足で立ちながら、互いに支え合う。
私が捨てていくものは、身勝手な家族や元婚約者だけじゃない。
そんな奴らに振り回されていた過去の自分のことも、もう、捨てて前に進むんだ――
◇ ◇ ◇
あれから、10年後。
私はヴェルデハイト辺境伯夫人として暮らし、フォルス様との間に子どもがふたり産まれた。
妊娠、出産、育児どれも初めてのことの連続で、大変なことばかりだった。だけどフォルス様は、自分がかつて親に酷い扱いをされてきたからこそ、自分はそうはなりたくないと、私や子ども達にもいつも誠実に、愛情をもって接してくれた。
フォルス様の両親は既に亡くなっているし、私の元家族達も、皆惨めな道を辿ることになった。
メリュシアナは結局ナンケザフ家に嫁いだが、その2年後、ナンケザフ領の領民達は領主一族の横暴な行いに耐えかね、反乱を起こした。その際、ナンケザフ家に仕えていた従者達も反旗を翻し、彼らによって領主一族がそれまで行ってきた領地経営などに関する不正や悪事が流出。国王陛下の裁定もあり、ナンケザフ一族は爵位剥奪のうえ、罪人として投獄された。
当時既に伯爵位を継いでいたズーク、伯爵夫人として悪事に加担していたメリュシアナも、もちろん罪人として捕えられている。今頃、貴族だった頃とは比べ物にならない粗末な食事で日々を過ごし、過酷な囚人労働に苦しんでいるだろう。
私の実家であるリースティン家は、もともと没落していたところに、ナンケザフ家の騒動でとどめをされた。領地経営が立ちいかなくなり、あまりの惨状に見かねた国王陛下が、こちらも爵位を剥奪した。今や私の元家族は平民落ちし、過酷な労働に嘆きながら貧しい生活していると噂で聞いた。
同情心は全く湧かない。人を雑に扱って私利私欲に生きてきた人々が、自業自得で破滅した、それだけのことだ。もう私には関係ない。
今の私には、あんな人達なんかよりずっと大切な、家族がいる。
現在の幸福を噛みしめながら廊下を歩いていると……長女フェリシアが、沈んだ顔で歩いてくるのが見えた。
(どうしたのかしら。今日は刺繍のお稽古のはずだったけど)
「フェリシア、元気がないわね。何かあったの?」
「お母様……」
フェリシアはぎゅっとワンピースの裾を握りしめ、私を見上げる。
「今日、刺繍の先生が、先生の作品であるハンカチをくださると言ったのです。とても綺麗で、素敵な作品で……。でもひとつしかないから、わたしには我慢するようにって……『フェリシア様はお姉様なのだから』と……」
「まあ」
私の子は、長女フェリシアと次女クリスティアの姉妹だ。
自分がされて嫌だったこそ、ふたりには平等に接するようにしている。姉だからという理由で、フェリシアに我慢をさせてしまわないように。逆に、フェリシアにばかり肩入れしてクリスティアのことを蔑ろにしてしまわないように。
ふたりとも私にとって、何より大切な子。それが、心からの本心だから。
刺繍の先生には、後できっちり注意するとして……今は目の前で傷ついているフェリシアのことが、何より優先だ。
「お母様。わたし、クリスティアが喜んでいるのを見て、よかったと思っているんです。だけど、なんだかモヤモヤしてしまって……そんな自分のことが、嫌なのです。わたし、お姉様だから、我慢するべきですよね?」
「いいえ」
はっきりと告げ、フェリシアの頭を撫でる。
「クリスティアに喜んでほしくて、自分は我慢しようと思ったのよね。あなたはとても優しい子だわ。でも、本当に嫌なときは、嫌だと言っていいのよ」
「……でも、わたしはお姉様だから……」
「ええ、あなたはお姉様よ。誰より早く、私とフォルス様のもとへ産まれてきてくれた子。あなたが産まれてきてくれたとき、私達はとても、とても嬉しかったの。だから、いつだってあなたには幸せでいてほしいと思っている。あなたが他の誰かのために自分を犠牲にしてしまうことなんて、私もフォルス様も望んでいないの」
フェリシアは大きな瞳をぱちぱちさせながら、私の言葉を聞いていた。
ゆっくりと、私は言葉を続ける。
「もちろんそれは、クリスティアにだってそうよ。クリスティアは私とフォルス様にとって、二度目の幸福を運んできてくれた子。世界で一番幸せな瞬間というものが、人生の中には何度もあるのだということを、教えてくれた子。クリスティアが産まれてきてくれたときも、本当に嬉しかった。私は絶対、フェリシアのこともクリスティアのことも守ると誓ったの」
「お母様……」
「ねえ、フェリシア。覚えていてね」
ぎゅっと、フェリシアのことを抱きしめる。
姉とか、妹とか、そんなこと関係ない。
ただ私の愛しい娘達がこの先、辛いことや悲しいことを我慢しないでいられるように。
ずっと、この子達が幸せにありますようにと。心からの、祈りを込めて。
「あなたも、クリスティアも。どちらも私にとって世界一大切な、愛しい子なの。……私は、あなた達のことが大好きよ」




