大人のやることじゃないよ
無事にイクスガルドの外へと落ち延びたチェルとカイナは道を外れ、西の森の中で焚火を囲んでいた。
城門での逃走から数時間経った今ではチェルの心も落ち着きを取り戻しており、今は無心で焚火を見つめている。
そんなチェルに向けて、カイナは荷物から携行食を取り出して差し出した。
「夕食だ。明日は日の出と共に出発するから、食べたらすぐに寝ろ」
「……パンは嫌い」
「言っておくが、城に居た頃のように新鮮な野菜や果実しか食べない生活は不可能だぞ。干して乾燥させたものなら一応あるがな」
「パンよりはそっちの方がいい。ちょうだい?」
差し出されたパンを拒否しながら手を差し出すチェル。しかしその手に乗せられたのはやはりパンであった。
「どのみちパンを食わねばならない日が来るんだから、今の内に慣れておくんだ」
「……優しくない」
「厳しさを教えてやるのも優しさだ」
仕方なく渡されたパンに齧りつくチェル。ポソポソとした食感と喉が詰まりそうなほどに水分を奪うパンは、お世辞にも美味しいとは言えなかった。
「いつまで……どこまで逃げないといけないの?」
「もうめげそうか?」
チェルは素直に首を縦に振って見せ、カイナは溜息を吐いた。
「チェルの存在は連盟に所属している国には知れ渡っている。少なくとも、連盟の外までは逃げないと腰を落ち着けることはできないだろうな。道中の村や街には立ち寄りこそするが、亡命は1か月は続く見込みだ」
「僕、他の国の人にも狙われてるの? もう聖剣使えないのに?」
「あの聖剣を扱えていたという過去の事実だけでも要注意人物には間違いない。それに、また聖剣が使えるようになる可能性だってあるだろう。首を撥ねておけるならそれに越したことはないはずだ」
「物騒だね……」
「万全を期すならば連盟の範囲外に出るのは必須だな」
イクスガルドから逃げればいいとばかり考えていたチェルにとって、1か月の亡命は想定外だった。
好物の野菜と果実を食べられないばかりか、不味いパンで飢えをしのがなければならない。柔らかいベッドも無いばかりか、地面の上で毛布にくるまって寝なければならない。
兵士としての訓練も受けてきたカイナは慣れているかもしれないが、チェルはそうではない。王子として不自由どころか満ち足りた生活をしてきた身分からすれば、それは心を折られるのに十分な環境であった。
「飲み水にも限りがある。直近で補給できる場所にも目星はつけているが、あまり無駄に飲みすぎるなよ。節水は意識しておいた方がいい」
「不味いパンを流し込む為に飲むのは無駄?」
「咀嚼が足りていないんだ。よく噛めば、唾液が分泌され少しは食べやすくなるだろう」
「あごが痛くなっちゃうもん……カイナ兄だってさっきからいっぱい水飲んでるじゃん」
「これは酒だ」
カイナがあまりにも自然に言うものだから、チェルは一瞬その発言を流しかけた。
「……え? 何で自分だけそんなの飲んでるの? ずるい」
「ずるいも何も、チェルは酒は飲めないだろう。それに、これもあくまで携行食の一つだ。俺の分のパンをチェルにやる代わりに、俺は酒で腹を膨らませてるんだ」
「美味しくないパンと美味しいお酒のトレードなんて、大人のやることじゃないよ」
「逆だな。酒を嗜む大人にしかできないトレードだ。それに、この酒は美味いもんじゃない。パンが食えるだけありがたいと思うことだ」
「ほんと、優しくない……」
手に持ったパンをちぎり、その欠片を噛み締めるチェル。カイナの言う通りにむぐむぐと口を動かしてはみるものの、あまり効果は実感できなかった。
大きくもないパンを小さくちぎっては少しずつ咀嚼していくチェル。その耳に人が地面を踏みしめて近づいてくる足音が聴こえてきた。




