その身に帯びる聖剣の1本から、カイナの鮮血を垂らしながら
発声も無く、予備動作も無く、指の先を動かす必要すらも無い。8本の聖剣は全てがチェルの意思通りに動き、そこにはタイムラグと呼べるような隙間も存在しない。
クレイモアで弾かれた聖剣は大きく旋回すると、再びカイナに向かって突進してきた。何度弾こうとも、打ち落とそうとも、聖剣は宙を舞いターゲットへと襲い掛かる。チェルの意識が途切れない限り、この攻撃が止むことはない。
しかし、其処に穴がある。聖剣による攻撃はチェルの意思によってのみ行われているというのが、聖剣の弱点でもあった。
チェルは気の抜けた表情でクレイモアを振るうカイナを眺めている。主人にやる気が無いのだから、従者である聖剣の動きも当然単調になる。岩塊を破壊できるほどの威力を持っていても、カイナの腕であれば捌き切ることはできる。
大剣を振るい打ち落とし、大剣を盾のように構え弾き返し、大剣を地面に立て支えにして躱す。まるで鳥のように襲い来る聖剣であっても、1本であればカイナは余裕を持っていなすことができる。
正面から真っ正直に飛んできた聖剣を後方へと弾き飛ばすと、カイナは即座に距離を詰めた。そして勢いのままに跳躍し、無防備に立ち尽くすチェルの頭上へと大剣を振り下ろした。
「……」
チェルは無表情だった。その金髪がなびくほどの衝撃と、修練場に響き渡る剣戟の音を間近に受けながらも、チェルは普段と変わらない様子でカイナのことを見上げている。
カイナによる渾身の振り下ろしはたった1本の聖剣によって防がれてしまった。聖剣が盾のようにカイナとチェルの間に割って入り、大剣による一撃を受け止めていた。
大剣を握る手から全身へとビリビリとした感覚が伝播する。巨大な鉄塊でも相手にしているかのような感触だった。大人一人分の全体重を乗せたカイナの全身全霊の一撃を受けても、聖剣はチェルの眼前で浮いた状態からピクリとも動いていない。
「もう終わり?」
無表情に、無感情に、チェルはカイナに問いかける。そこには侮蔑も憐れみも無く、チェルはただ問うているだけだ。
例えチェルが気を失っていたとしても、その身は聖剣の加護によって自動的に守護されている。チェルの強気な態度と発言は、虚勢ではない純然たる事実なのだと、カイナはこれまでに幾度も理解させられてきた。
「もう少しだ!」
後方から迫る聖剣による刺突を転がって躱すと、聖剣同士がぶつかって甲高い音が響いた。その無思慮な聖剣の使い方には一言物申したかったが、勝たないことにはチェルはカイナの言葉に耳を貸したりはしないだろう。いつの世も、いかなる時も、勝った者が偉いのだから。
「じゃあ、もう少しだけ付き合ってあげるね」
言い終わらぬ内に、今度は2本の聖剣がカイナへと襲い掛かってきた。いくら動きが単調であっても物量が2倍になれば簡単には防ぎきれず、チェルの傍にはまだあと6本残っている。
単純な軍隊とは比較もできない圧倒的な個の力。宙を自在に舞う8本の聖剣を以て、チェルは数々の魔物だけでなく、敵国の人間をも討ち取ってきた。
どんな遠距離武器でも届かないような距離でも、チェルの聖剣ならば届く。敵の攻撃が届かない遥か彼方から聖剣を飛ばしてるだけで死体が積み上がっていく。不意打ちをしようにも、身の回りに1本でも聖剣が残っていれば聖剣は自動で防御する。
チェルが聖剣の加護を得てから、イクスガルドは小国でありながら敗戦知らずの常勝国になった。ただの田舎の弱小国が、この数年で近隣国の中でも随一の武力を誇るまでになってしまった。
「……弱いね、カイナ兄。まだあと6本あるんだよ? もうちょっと頑張ったら?」
2本の聖剣による攻撃をいなせる兵士はこの国には存在しない。チェルが異常なだけで、カイナも十分に実力者ではあった。
しかしチェルの言葉通り、この模擬戦の光景を見れば誰もがイジメだと判断するのであろう。それほどに二人の間には圧倒的な差があった。
「そう言うチェルは、どことなく楽しそうだな」
「楽しいよ? ……というか、面白い? いつもは偉そうで口うるさいカイナ兄が必死に頑張ってるの見てると、滑稽だよね」
その言葉とは裏腹に、チェルの表情にも声にも感情は全く出ていない。ただ、兄であるカイナの目には、確かに楽し気なチェルの姿が映っていた。
兄の威厳など、とっくのとうに無くなっている。チェルが聖剣に選ばれたあの日から、兄としての要素はチェルからの呼び名にしか残っていない。
「そうか……なら、お互いに有益な時間だな」
「? ……やっぱり僕にイジメてもらえて嬉しいの?」
今の状況だけを見れば、他者はそう思うだろう。カイナが口で何と言おうとも、弟相手にマゾヒズムに浸っているのだと受け取られてしまうに違いない。
しかし、無駄ではないはずだった。いつかくるかもしれないその時を考えれば、カイナは今よりも強くならなければならないのだ。
「じゃあ……増やしてあげるね?」
そして、3本目の聖剣が襲いかかってきた。3本の聖剣による包囲は、人間相手の3対1とは全く違う。彼らは地に足を着けておらず、その剣筋は文字通りの縦横無尽であり、カイナでも防ぎきれない。
1本目の聖剣を大剣で弾き返し、2本目による一撃をジャンプで躱し、そして3本目による一撃は身を捩っても躱しきれず、カイナは脇腹を切り裂かれた。
「ぐあぁっ!!」
赤く灼けた鉄を押し付けられたかのような痛みと熱によって、カイナの体勢が崩れる。何とか受け身こそ取ったものの、糸が切れたかのように膝が地面に着き、同時に聖剣による攻撃も止んだ。
5本の聖剣を近くに浮かべながら、チェルがゆっくりとした足取りで近づいてきた。
「カイナ兄、大丈夫? 死なないよね?」
心配しているのか、していないのか。少しだけ困ったような表情をしているものの、感情の籠っていない声ではその真意は伝わってこない。訓練とはいえ、兄の腹を切り裂いてもここまで無感情でいられるとは。
仮にここでカイナが命を落としたとしても、チェルは涙の一粒も流さないに違いない。
「死にはしないだろうが、しばらくは安静にしないとダメだろうな……っ」
割かれた脇腹からの流血が地面に落ちて血溜まりとなっていく。処置ができなければ命も危なかったかもしれないが、この修練場では怪我に対する備えも万全だ。周囲で見守っていた兵士たちも、慌てた様子でカイナの治療の準備をしてくれている。
「ちょうどいいね。カイナ兄弱いんだし、しばらく大人しくしておきなよ」
「……お前は、この後はどうするんだ?」
「んー……寝ようかな。早起きしたせいか、眠くなってきちゃった」
早起きは気持ちいいとカイナに説教していた口から、チェルは大きな欠伸を漏らした。
「そうか……それなら、ちょうどいいな……」
チェルが寝るのなら、その動向を見張っておく必要もない。カイナが医務室で寝ていても、チェルの私刑によって民が殺されることもない。
「ちょうどいいの? ……よくわかんないけど、おやすみカイナ兄。早く治るといいね」
「ああ、おやすみ……」
傷ついた兄への興味も失ったのだろう。チェルは振り返ると修練場から歩き去って行った。その身に帯びる聖剣の1本から、カイナの鮮血を垂らしながら。




