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7・夢の続きは

 昼間に寝てしまったせいか、中々寝付けない。既に、少年は隣でぐっすり眠っていた。

 本の感想は、『展開が予想できてつまらなかった』というものだった。一応、二冊とも衝撃のどんでん返しとして有名な本だったんだけどね……。まぁ、それでも集中はできていたらしい。集中していたからこそ本の展開が予想できたんじゃないかと思う。

 まぁ、それは残念というだけだ。

 眠れないので、わたしはどうするか迷う。何か、本でも読もうかなと思ったが、別にそんな気分でもない。それに、昼寝をしてしまったとはいえ、夜十時は寝るのにはまだ早い。まだ、外でぶらついても補導はされない時間帯である。

 だからといって別に、外に出ようとは思えないのだが……。

 さて、どうしようか――こういう時は、ショート動画でも見て時間を潰せばいいのかもしれないが、そんなことをしていると、余計に眠れなくなりそうだ。睡眠薬があれば眠れそう――そういえば、常盤さんの部屋でも同じようなことを思ったな。

 こういう暇な時間に、何か建設的なことを考えられたらいいのに。しかし実際は、どうでもいいことばかりが頭の中を駆け巡る。

 誰かが殺して、誰かが死んだ。それだけなのに、わたしは考えてしまう――もっといい結末があったんじゃないかと、考えてしまう。

 そしてもう、答えは出ていた。もっといい結末なんてない。

 それが結論だった。

 結果的に、この事件はカノンにとって救済だったんじゃないかとすら思う。ずっと死にたがっていたカノンは、わたしを支えるという夢を見つけて、生きたいと思うようになった――そして、死んだ。他人に殺された。

 それは案外、救いでもある。

 わたしを支えるという夢――これが問題だ。こんな夢を抱えてしまえば、その後の人生に幸せはないだろう。

 せっかく、カノンには幸せになる資格があったのに――それをふいにするというのは、資格のないわたしから見ても愚かなものだ。愚か者になってしまうところだったのだ。

 だから、ここで夢を持ったまま死ねてよかったんじゃないかと思う。夢に夢見る女子高生のまま死ねて、ラッキーだったんじゃないかと思う。

 カノンは幸せだった――そう思うことが、できる。

 それは思い込みで、決めつけのようなものなのかもしれないが――死人に口なし。カノンはもう死んでいるので、尊重する必要はない。

 そもそも、それは事実なんだろうから。事実を述べて、何が悪いんだという話になってくるだろう。

 実際、世界には事実を述べちゃ悪い場面がいくつもあるのだけど――まぁ、それこそ悪い場面である。

 悪いことをするわたしにとっては、あってもなくても同じである。悪いことをする――それは、いいことをするの反対ではない。

 そういえば、反対の対義語って何なんだろうか? 賛成反対とかではない方の意味で。もしかしたら、順対のような言葉があるのかもしれない。そう思ってネットで調べてみたが、普通になかった。

「……うーん」

 さて、暇である。考えることは無限にあるが、そんなものは考えようとしなくても勝手に考えてしまうものなので、暇つぶしにはあまり適さないだろうと思う。だから、どうしようか。

 何かをしたい――でも、何かをする気力がない。外に出る気は起きないし、外に出て一体何をするんだという話だ。夜遊びなんて、小学生の頃からやっている。今更夜に外出しただけでは楽しめない。

 どうせなら、この前のように公然わいせつでもしてみようか。別に、やりたいとは思わないが……。

 やりたいことだけやっていたい。

 飲酒なんて、楽しくもないし……。喫煙は苦しいだけだ。薬物なんてすぐ簡単に調達できるものじゃない。すぐ簡単にできないなら、面倒だからやりたくない。そういうことだ。

 今日は本当に全く悪いことをしていないので、何かしたいという気持ちに襲われる。コンビニで万引きでもするか? でも、しかし……。

 そんなことを考えている内に、いつの間にかわたしは眠っていた。今日は、眠り過ぎだと思う。

 一日中眠りっぱなしだったように思える。まるで、死人のように。

 死人の場合は、一生目を覚ますことはないのだが……。

 でも、こんな状況でもわたしは死にたいと思えない。唯一の悪友が死んでも、わたしはいつも通りに生きている。

 ノリで生きているのではなく、ノリでしか生きていけない。先のことなんて考えられないし、考えても必ず失敗する。未来がなく、過去も薄っぺらい。吹けば消し飛ぶ薄さだ。そしてすぐに忘れる。わたしは、久しぶりに自分の最悪さを思い出した。

 そう、わたしは最低最悪なのだ。

 はっきり言って、生きている価値がない。

 誰にも必要とされていない、誰にも求められていない――そんな人間だ。

 いや、確かに彼はわたしに感謝しているかもしれない。実際、そうされるぐらいのことはしてあげているつもりだ。

 でも少年は、誰でもいいはずなのだ――わたしじゃなくても、いい。

 だから、結局のところ無意味なのだ。偶然わたしがしてあげただけで、わたしよりもいいことをしてあげられる人間はいっぱいいるのだから。

 わたしである必要が、一体どこにあるというのか。

 わたしだけが必要――そんなことはあり得るのか。

 これでも、高校一年生の思春期だ。十代にしかない感性をわたしは持っているし、毎日を子供として生きている。

 だから別に、おかしくはないだろう――自分自身の価値について考えても。

 わたしぐらいの歳になれば、みんな思うはずだ。『わたしだけのわたしが欲しい』、と。わたしだけの唯一無二があれば、十代の少年少女は基本的に救われるのだ。

 特別感、というものだろうか。思春期特有の全能感みたいなのも、恐らくはあるのかもしれない。幼児的万能感、とは少し違うようだけど。

 まぁ、年齢が若いというのは長所でもあり、短所でもある。十代であれば特に顕著だ。

 たとえば、最悪なたとえになるが――身体を売る時。二十五歳と十五歳の身体、どちらが希少か――ということだ。どちらが売れるかで言えば、そりゃ二十五歳なんだろうが。しかし、十五歳の場合得られるのはお金ではない。

 量ではなく、質――つまりは、求められているという特別感。

 希少価値はお金で買えないし、変えられない。

 まぁ、全部が全部そうとは言えないし、そうだとしても、わたしには全く関係のない話である。

 誰かに求められようとは、思わない。

 自分で、自分を求めるだけ――そういう感性も、大人になれば消えてしまうのだろうか。それは少し惜しいなと思う。

 大人になっても、そういうスタンスでいたい。

 そういう人間でありたい。

 じゃなきゃ、つまらない。

 つまらないことは、したくない。

 したくないことは、しない。

 相変わらず将来が心配だと、自分で思う。自分でそう思えている時点で、まぁ大丈夫だろうと思ってしまっているのが更にヤバさを加速させている。

 論外だとすら思う。

 わたしは、何になるんだろう。

 何にならなれるのだろう。

 わたしには、さっぱり分からない。分かる必要すらもないと思う。

 たとえ何になっても、わたしはわたしなのだから――まぁ、何にもなれなかったらそれはちょっとマズい気はするが。

 危機意識が足りないとは、よく言われた。カノンによくそんなことを言われていたような……。

 そしてわたしは毎回、カノンには言われたくないとか、そういうことを言っていた。カノンもその時、同じようなことを思っていたのだろう。

 なお、すぐに目が覚めたので残念ながら数分も寝られなかった。というか、本当に眠れていたのかすら微妙なほどの浅い睡眠だった。疲労による失神のようなものだったのかもしれない。

 話を戻す。要するに、レアであればあるほど自己肯定感は満たされるというような話だ。承認欲求とかは、最たる例かもしれない。

 わたしはみんなとは違う、わたしは普通なんかじゃない――わたしは、目立ってる。

 そんな考えで問題を起こしてしまうような愚か者だって、一定数存在するのは確かなのだ。それこそ、わたしには言われたくだろうが――言われてしまうぐらいの愚か者ってだけだ。

 他人に自信を、そして自身を委ねてはならない。

 わたしはそうまとめて、一旦この話を打ち切った。単純に、飽きてしまったのだ。

 一体どういう流れでこんな話になったのかはもう覚えてもいない。覚えようとすら思っていない――まぁ、それは別に、言わなくてもいいことかもしれない。

 さて、未だに眠れない。くだらないことに時間を費やした気はするが、それは本当に気のせいだったようで、スマホを見ると三分ぐらいしか経っていなかった。

 つまらない時間ほど、ゆっくり進む――欠陥品じゃないのか? 人間って。

 楽しい時間を長くして欲しい。まぁ、そうなったら楽しい時間に飽きてしまうのかもしれないが。でも、つまらない時間を過ごすよりはマシじゃないかと思う。

 意識が段々はっきりしていく。どうして眠ろうとしているのにそんなことになるんだと、文句を言いたい。誰に文句を言えばいいのだろうか……。そりゃもちろん、昼間にぐーすかぐーすか眠ってしまったわたし自身にだろう。

 過去の自分を殴りたい。疲弊していたからって、これは許されないだろう。寝付けない――というのは、かなりきつい。しかも今は、あまり自由に身動きが取れないという状況なのだ。隣で少年が寝ている。

 あまり動くと、彼を起こしてしまうかもしれない。でも、じっとするのも嫌だ。だからと言って、どこかに行く気にはなれない。

 じゃあどうすんだよという話である。何をするか以前に、何がしたいかすら定まっていない。

 わたしは、愚か者だ。

「……ふう」

 一旦、落ち着こう。わたしは彼を起こさないよう慎重に布団から抜け出し、抜き足差し足で玄関に向かった。スマホも忘れずに。靴を履いて、ドアをわたしの身体がギリギリ入るぐらいに開いて、隙間を通る。音を立てないように、慎重に。

 警察はまだ現場で何かをしている――まぁ、未だ容疑者の一人も見つけられていないのだから、それは当然か。正直、もう諦めちゃえばいいのにと思う。どんなミステリが繰り広げられているのかは知らないが、現場を隈なく調べればそれなりの証拠は出るだろう。どうして出ないんだ?

 それとも、現場はカノンの部屋じゃない――いや、それはないか。第一発見者のわたしは、きちんとその現場を見ているのだから。

 血が染みて、血が飛び散って、血が散乱していて、血の水たまりになっていた――あの凄惨な現場を、この目で見ているのだから。

 だからその可能性は、わたしが否定する。

 でも、それだとおかしいじゃないか。何か、凶器に工夫をしてカノンを殺したということか? お腹にナイフが突き刺さっているのは見えたが――それは、死後に突き刺されたのかもしれない。いや、でも傷から血は出てたし……。

 そもそもわたしは警察でもなければ探偵でもない。ただの一般人が、そんなことを考えても意味なんかない。カノンの死に、若干の責任を感じてはいるが、その責任は背負うほどのものじゃない。

 だから、気にしない方がいい――そう思う。パトカーの中の警察官が、二階から見下ろすわたしに気付いて手を振ってきた。わたしはにこやかな笑顔を作りながら手を振り返した。そして、すぐにぼうっとするを再開する。

 警察にも、階級やら上やら下やらがあるのだろうが、彼はどうなんだろう。ミステリを読んでいるくせに、警察については全然詳しくないのだ。警部補とか警視とか言われても、さっぱり意味が分からない。警察庁とかキャリアとか、もう専門用語だろう。

 ま、分からないくせに調べもしないわたしが馬鹿なだけではある。

 もしかしたら、学校で習うのかもしれないし……。何なら、もう習っている可能性すらある。習っていたとしても、わたしは授業を聞かない主義なので特に変わりはないのだが。

 それはともかくとして――何かがおかしい、という予感はしている。この前感じた嫌な予感というものだ。

 はっきりとは分からないが、何もかもが変なのだ。

 もしかしたら、わたしは何かとんでもない間違いをしているのではないか。酷い過ちを犯しているのではないか――そう考えてしまう。いや、それはいつものことなのかもしれないが。間違わなかったことなんてないし、酷い過ちしか犯したことがない。

 そう、酷い過ちだ――少年の件もそうだ。

 全てが、一本の線で繋がっている。

 複数の問題は、そのどれもが同一であり、1つに収束するのではないか。

 もしそうだとしたら、そんな気持ちの悪いことはないだろう。

 まぁ、恐らくわたしが悪いのだろう。

 そう結論付けたところで、ふとスマホの通知音が鳴った。確認すると、波久礼さんからメールが来ていた。

『明日は暇かい?』

 夜遅くに非常識だなと思ったが、そういえばまだ二十三時にもなっていなかったと気付く。なら、常識がないとは言えないだろう。

 そもそもこのアパートの住人の中では、波久礼さんはわりと常識人タイプだったと思う。わたしやカノンより、そして常盤さんより――は分からないけど。

「暇ですよ、と……」

 わたしはそう返事をして、スマホをしまう。

 若者のスマホ依存症が問題になっている昨今において、わたしはかなり珍しいタイプだと思う。スマホはそこまで使わないタイプなのだ。基本的に連絡か、暇つぶしの時にしか見ない――まぁ、それはみんなも同じか。

 ただ、わたしがスマホを使うのは、一日の中でもたったの二時間ほどだ。そう考えれば、わたしの希少さが分かるだろう。

 その希少さに何の価値もないということは置いておいて――正直、スマホを使うよりも人と話している方が楽しいんじゃないかと思う。だから、わたしはカノンとずっと一緒に居たわけで。カノンもその点においてはわたしと同意見だったらしい。

 そして今は、彼が居る。今日は、あんまり話していない気がするけど……。まぁ、毎日楽しく過ごすなんてことは不可能だからね。

「……」

 スマートフォン――今の時代、スマホという存在は手放せないものになってきている。恐らく、普通の人間ならもうスマホがないと生きていけないレベルにまで普及しているだろう。家具とおんなじだ。冷蔵庫がないのと同レベルかもしれない。

 便利だとは思う。わたしは基本的に電子で漫画を読むタイプなので、スマホで漫画が読めるというのはかなり助かっている。小説の場合は、紙じゃないと読み切れないのだが、逆に漫画は紙だと読み切れない。

 まぁ、絵は実物よりもスマホで見る方がいいってのと同じ理屈だろう。そんなことを言うと詳しい人から怒られそうだが、安心して欲しい。中学の頃のわたしの美術の成績は1である。

 というか、オール1だった。そんなわたしがどうして高校に入れたのかと言えば、それは定員割れだったからである。もちろん、合格基準点は突破している。多分……。

 しかし、そのせっかく入れた高校で卒業することをわたしはもうほぼほぼ諦めているので、たとえわたしの入学にどんな間違いがあったとしても、学校側からすれば特に変わりはないのだろう。

 多分、進級すらも危うい。

 カノンが居るなら、まだモチベーションはあったんだけど。

「……あれ?」

 ここで、嫌なことに気付いてしまった。

 いや、気付いたというか、最初から分かっていたことだ。分かっていても、違和感を持たなかっただけ。それをおかしいと思わなかっただけなのだが――それは。

「わたしの意思、カノンに依存し過ぎでしょ」

 あまりにも左右され過ぎている。わたしの行動の基準が、カノンに乗っ取られている。

 由々しき事態だ――が、それについて心配する必要はないだろう。カノンはもう死んでいるのだから、もう何もできないはずだ。

 ああ、確かに中途半端だ。他人に影響されないとかなんとか、散々言っていたわたしが、こうも簡単に動かされているのだから。はっきりと矛盾している。

「死んだ方がいいんじゃないの?」

 その呟きは自問だった。もし誰かに聞かれていたら、心配されてしまいそうな類の独り言である。

 しかし、たとえ死んだ方がよくっても、わたしは死んだりしない。死は怖いのだ。

 単純なる恐怖心――それだけが、唯一わたしと『生きる』を繋ぎ止める細糸だった。

 人間は、恐怖には逆らえない。それでも逆らおうとしたのがカノンで、それは結局失敗したのだが、それなのに死んでしまった。失敗したまま死んでしまった――殺されてしまった。

 もしかしたら、案外悔しがっているのかもしれない。そう考えると、なんだか少し面白くなった。

 わたしは笑った。

「あはっ」

 二十二時、外で笑う一人の女――不審過ぎる。まぁ、外とは言ってもアパートの敷地内なので、セーフだろう。警察も居るには居るが、誰もわたしの方を見ようとはしない。話しかけてもこなかった。

 ……嫌われてたりー。

「え、本当に嫌われてたりする?」

 頭の中でふざけようと思ったが、心はそれを許してくれなかった。どうやら、わたしはかなりショックを受けているようだ。

 いや、嫌われていたら手なんか振らないだろうとも思ったが、しかしそんなのいくらでも理由付けできる。え、だから、本当かもしれないって……?

「……」

 まぁ、別にいいか。わたしは切り替えることにした。

 わたしは別に、全人類に好かれようだなんて思っていない。好かれたいとも思っていない。バビロンに中指を立てるようなタイプでもないので、彼らがわたしを嫌っているのなら、そっと彼らの前から姿を消すのみだ。

 わたしは、潔いタイプなのだ――それは案外、嘘でもない。


 あれから十分ほど経って、わたしは部屋に戻ってきた。いい感じに身体が冷えてきた時、そこでわたしはようやく今の自分の服装に気が付いた――なんと、下着姿だったのだ。まさかの2回目である。

 まさかわたしに手を振った警察が、気付いていないわけもない――下着姿の女の子をスルーするというのは、男の子としてどうなんだという話でもあるが、しかし遠目でも分かるぐらいには、あの警察は男の子と呼べる年齢ではなかった。

 いやしかし、普通に恥ずかしい――羞恥心ぐらいはちゃんとあるのだ。二人で一緒の布団に入ると、少し暑くなるからという理由で下着姿になったわたし(彼はなってくれなかった)だが、それは彼をペットとして見ているからであって、それ以外の人間に対してもこんな振る舞いをするわけではない。

 というか、警察としてアレをスルーするというのはいかがなものか。どうせなら、説教してやろうかなと血迷いかけたわたしだが、僅かに残っていた理性をフル活用しなんとかイライラを収めた。

「痴女じゃん……」

 身体が冷えたので、わたしはそこら辺に脱ぎ捨てたパジャマを着直す。若干涙目になりながら、わたしは黙々と着替えた。

 音を立てないよう慎重に、彼の隣に潜る。そして少しだけ彼の体温を感じてから、ゆっくりと瞼を閉じる――早くしようが遅くしようが、寝付けないことに変わりはないのだが。

 そしてしばらくして、

「……うっそだろおい」

 わたしはそんな声をあげた。少年が寝返りをして、寝そべるわたしの身体に乗り上げたのだ。わたしの頬にぴったりくっついて、離れてくれない。

「うぬぬ……」

 小さい声で、わたしは唸る。こういう時の対処法なんかがあればいいのだが……。押しのけてもいいものなのだろうか。

 普通に邪魔である。ぎゅっとしたい気持ちもあるが、流石にそれは色々とマズい気がするので、なんとか抑えている。

 そんな小競り合いを続けている内に、わたしはいつの間にか眠りについていた。


 朝起きて、隣に彼が居ないことに気付いた。

「……桃花くん?」

 意味のない、わたしの独り言。たとえ、彼がこの部屋に居たとしても――返事はなかっただろう。

 何故なら、少年は耳が聞こえないのだから。

 スマホで現在時刻を確認する。午前七時だった。早起きしちゃったなぁと思いながらも、わたしは起き上がる。二度寝をする気分にはなれなかった。

 洗面所へ向かい、歯を磨く。顔を洗って、ようやく目が覚めた。

 夢を見たような気がする――内容は何も覚えていないけど、確かに見たのだ。

 カノンが居たかもしれないし、居なかったかもしれない――頭の中で色々と整理しながら、わたしは冷蔵庫を確認する。そういえば、買い出しに行っていなかったので、何も入っていない。またコンビニ飯か。美味しいのだが、流石に二日連続となると、飽きる。

 制服に着替えて、髪をセットして、鞄は持たずに、わたしは家を出る。すると同時に、隣人も部屋から出てきた。

「あ、おはよう……」

「おはようございます、常盤さん」

 隣人――常盤ほたるさん。プロの水泳選手で、あとは――この前奢ってくれた人か。

 わたしは改めて感謝を告げた。

「こないだはおおきにどした」

「めっそうな……」

 それはちょっと知らない言葉だったので、愛想笑いで対応した。

 すると、常盤さんはふと気付いたかのように訊いてきた。

「あれ、あの少年は……?」

 わたしは無言で笑ってみせる。それで大体察したのか、常盤さんは少し悲しそうな顔をした。

「出ていったんだね……」

「……」

 わざと言葉にしなかったのに、空気を読んで欲しい――なんて、わたしには絶対に言われたくないだろうが。まぁ、言われても常盤さんは全然気にしないのかもしれない。

 そういう人っぽい――これは偏見だが。

 わたしは、自分に言い聞かせるように、自分を傷付けるように言った。

「まぁ、わたしに失望しちゃったのかもしれません。彼には昔、酷いことをしてしまいましたから。思い出したんじゃないですか、そういうのを。それに、そうじゃなくても、理由はいくらでも思い付きますから」

「心当たりはあるの……?」

「ありません」

 わたしは常盤さんの問いかけに、正直に答えた。そう、心当たりなんてものはない。

 適当なことを言っているだけだ。

 どうして彼が出ていったかなんて、推測すらもできない。

「でも、不満があったんでしょうね。わたし、彼をペット扱いしちゃってましたから」

「トイレとか……?」

「それは自分でさせましたけど、流石に」

 流石にそこまで世話するわけにはいかないだろう。男子中学生を駄目人間にするつもりは毛頭ないし、たとえペットだとしてもトイレは自分でさせる。

「そこまで過保護じゃないですよ。むしろ、放任主義だったかも」

「それはないだろうね……」

 分かったようなことを言われたが、実際常盤さんは本当に分かっているのだろう。わたしのような、ケツの青いガキのことなんて。

「まだ蒙古斑があるの……?」

「比喩に決まっているでしょう!」

 子供扱いとか以前に、普通に馬鹿にされてしまった。確かに常盤さんにはその権利があるのかもしれないが、だからといってそんな権利を子供相手に行使するのは流石に大人気ないだろう。

 まぁ、比喩でもなんでもないのだが。

「……でもまぁ、放任主義ですよ。わたし、彼を縛ったりはしていませんから」

「縛るだけが拘束じゃないよ……」

 常盤さんの言葉には、一定の説得力があった。もちろん説得力ぐらいなら、わたしは余裕で無視できる。

 なのでわたしは、的外れで関係のない言葉で返した。

「彼に拘束されていたのは、わたしなんですけどね」

「……」

 相手にされていないことを察したのか、常盤さんは何も返してこなかった。

 そして、

「……じゃあ、そろそろ仕事だから……」

 そう言って、階段を下りていった。わたしは何かを言おうと思ったが、結局思うだけに留めた。

 何を言おうとしたのかは、わたしにも分からない。

「……ふう」

 やっぱり――大人は、少しだけ怖い。

 踏み込んでくるし、踏み込んできたかと思えば、一歩引いてくる。何も予想できないし、できたところでその予想は間違っていることばかりだ。予想できないし、思い通りにならない――だから、正直言って。

 大人は嫌いだ。

 それに、大人が社会の一欠片である、というイメージがわたしの中にはあるのだ。そして、実際そうであり、大人が社会で社会が大人なのだ。大嫌いな社会が、大人なのだ。

 常盤さんは二十歳を超えているし、波久礼さんは二十歳を超えている――先生も、二十歳を超えているし、警察だってそうだ。

 世の中はこんなにも、大人でできている。

 十八歳で大人になれる世の中で、わたしは中途半端に生きていけるだろうか。

 まぁ、多分、無理だろう。

 わたしはあっさりと諦めることにした。まるで、大人みたいに。

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