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6・遺書

 昔、カノンがこう言った。

「差別が悪いわけではない。悪いのは人間だ」

「……差別という概念を作ったのは人間じゃないの?」

 空気の読めないわたしの問いかけに、カノンは誇らしげに答えた。

「作品に罪はない」

 犯罪を犯した者が作った音楽に、罪はないように――悪い人間が作った概念に、罪はないのだというカノン。

 わたしは言った。

「面白い解釈っていうか、なんつーか……変だね」

「変かな」

「変だよ」

 繰り返すと、カノンは吹き出した。それは、わたしも同じだった。

「あはは、そうか。私は変なのか」

「うん、とっても」

 だからこそ、わたしの友達なんでしょ――わたしがそう言うと、カノンは「違いない」と笑った。

 それは中学二年生の、ちょうど今くらいの季節だった。十一月――その時、静岡では珍しく雪が降っていた。二年後の北海道では、未だに雪が降っていないのに――

「そういえば、聡奈(さとな)先輩にタバコ貰ったよ。吸う?」

 わたしの問いかけに、カノンは迷う素振りを見せる。しかし、それは恐らくただの演技だったのだろう。

「うーん……私はいらないかな」

 カノンはそう言って、首を横に振った。

 ちなみに聡奈先輩というのは、学外での先輩である。淵枝(ふちえだ)聡奈――三個上だったので、当時は高校二年生だったはずだ。今はもう、高校を卒業しているのだろう――もしくは、途中で退学しているのかもしれないが。ゲーセンで出会った、わたし達と同じ『悪いこと』を好む人間だった。

 しかし、わたしと先輩は決定的に違っていた。それは、悪いことをする動機である。

 先輩はただ、かっこつけるために悪いことをしていたのだ。だからこそ、よく自慢したがる。

 自慢をするということは、周りに悪いことをしていると自白しているようなものであり――つまり、自分でバラしているのと同義である。やっていることのスケールがショボかったので、わたしとカノンが引っ越すまでに、捕まるようなことはなかったが。

「……ねぇ、カノン」

 わたしは何となく、興味半分で訊いた。

「聡奈先輩についてどう思う?」

「ダサいね」

 即答だった。そして、わたしも同意見だった。

 わたしは言う。

「犯罪は自慢するべきじゃないからね」

「犯罪をするべきでもないからね」

 カノンの返しに、わたしはまた笑った。

 そういえばあの頃は、よく笑っていた気がする――いつからだろうか。彼女が、あまり笑わなくなったのは。

 確か、高校に入学してから――ここに引っ越してきてからだった気がする。恐らく、わたしのせいだろうと思う。

 わたしが、カノンから笑顔を奪ったのだ。

「結構自慢しいだよね、あのヒト。わたしびっくりしちゃった」

「しかも、やってることはただの万引きだし」

 先輩は、万引きをしたエピソードだけで二十分も自慢話できるような人間である――もはや何らかの才能があるのではないかと思わずにはいられない。物書きには向いていると思った。

「ドンキからピアスを盗んで、警報が鳴って、それでも逃げ延びた――それだけで二十分も話せるもんかな」

 わたしは疑問だった。わたしなら、一文で説明できる――どころか、一文以上では説明できないレベルである。

 ちなみに、答えは単純だった。カノンが言った。

「先輩の自慢話は、当日の起床の様子から始まるからね」

「あー」

 エピソードとは全く関係のない話を混ぜることで、薄い内容を誤魔化す作戦――ということである。

「『それは九月一日のこと。異様な熱気に包まれた二階の寝室で、あたしは目を覚ました。すると、なんだか身体がいつもと違った気がしたのよ――例えるなら、それはアメリカザリガニのような、そんな勇ましさがあったわ――』、みたいな」

「アメリカザリガニの勇ましさってなに?」

 わたしの問いかけに、カノンは肩をすくめた。アメリカザリガニのファンには申し訳ないが、わたしは甲殻類に勇ましさを感じられなかったのだが……。それはカノンも同じだったらしい。

 ちなみに、原文ママである。

「朝起きたところから話しているなら、むしろ二十分は短いのかも?」

「確かにそうだね。もしかしたら、かなり短縮しているのかもしれない」

 わたしの言葉に、カノンが賛成した。どうでもいい話に、わたしは何故こんなにも本気になっているのだろう――

 ふと、カノンが訊いてきた。

「ところで、今日の宿題はやったのかい?」

「ああ、ちょっと難しかったよね」

「やったのか。珍しいね」

 わたしの答えに感心する様子を見せるカノン。しかし、そんな感心をわたしは裏切ることになる。

「うん。やってから燃やした」

「もしかして……マゾヒストだったりする?」

 違うよー、とわたしは笑いながら答えた。でも、本当かどうかはわたしにも分からなかった。

 言い訳。

「なんか、提出物出すのって正しいじゃん」

「正しいに越したことはないよ」

 カノンの言葉に、わたしは反論する。

「正しいはつまんないよ。正義だってそうでしょ」

 正義も、つまらない。だからといって悪が楽しいとは限らないが。そしてそもそも、わたしは別に悪でもないのだが。

 小さいスケールで悪いことをしているだけの、ただの人間だ。

 カノンは言った。

「正も負も善も悪も楽しくはないだろうね。結局、中途半端が一番楽しいんじゃないかな」

 もしかしたらわたしを気遣っていたのかもしれないと、今になって思う。

 でも、当時のわたしはそんなことを考えもしない。なので、

「深いね」

 と薄すぎる返事をした。

「負荷だけに?」

 カノンの返事よりはマシだったかもしれない。

 さて――どうしてこんな唐突に昔のことを思い出し、思い返しているのかと言うと、それはここが夢の中だからだ。

 現在、わたしは寝ているらしい――らしい、というか寝ている。ただ、意識はあるのだ。夢の中に、意識がある。

 明晰夢だろうか。それなら、夢の内容をコントロールできるはずなのだが……、もしかしたら、これは走馬灯だったり? いや、流石にないか。

 わたしは夢の中で、これが夢であることを認識している。それなのに、夢はわたしの意思と全く関係なく進んでいく。

 夢――カノンの言った、将来の夢とは違う。寝ている時にだけ見る夢のことだ。わたしに夢は一切ないが、それでも夢を見ることぐらいはある。

「ミラ――どうするんだい?」

「あーうん、どうしよっかな。別にいいよ」

 会話は勝手に進んでいく。わたしの意思とは関係なく、まるで三人称視点の物語を覗いているかのような気持ちになった。主人公は、わたしなのに。

 わたしの人生における主人公というのは、間違いなくわたし――伏谷深良だろう。ヒロインは、カノンかもしれない。昨日死んでしまったが、ヒロインが死ぬ作品だってある。

 人が死ぬような作品は、実はそこまで好きじゃない。どうしてだろうか。生理的に嫌悪しているのかもしれないし、現実と比べてくだらないと思っているのかもしれない。もしくは、現実の方をくだらないと思っているからこそ――

「よしなによろしく」

「……」

 会話は、まだまだ続いていた。もう、何を話しているのかなんて思い出せない。中学生時代の記憶なんて、いまや三割も思い出せないレベルなのだ。むしろ、三割も思い出せると言った方がいいのかもしれないが……。どちらにせよ、あまり覚えていない。

「……北海道って、随分と急だね」

「雪めっちゃ積もるらしいよ! ねぇ、彼女は見たくないの?」

 わたしがそんなことを言った。一対一の会話で相手を『彼女』と呼ぶわたし――今考えると、あまりにも意味不明なことをしている気がする。しかし、一昨日ぐらいまではずっとそうだったのだ。

 それでも、この時代で聡奈先輩のことは名前で呼んでいるというのは一体どういうことなのだろうか。ただの破綻要素か、マゾ要素か。どちらにせよ、もう、顔も思い出せない先輩だ。考える必要はない。

「……はいはい。分かったよ、ミラ――」

 カノンは気だるげに言った。

「私も、北海道に進学するよ」

 そうか、思い出した――ここは、わたしが我儘を言ったのだ。わたしは北海道に進学するから、カノンも着いてきてねみたいなことをお願いしたのだ。全て思い出した。

 本当に寒気がするほど馬鹿げたお願いである。しかも、カノンはそれを了承してしまった。

 そして、結果は――

「……あ」

 わたしは、唐突に目を覚ました。


「起きたか」

「……桃花くん」

 目が覚めたら、少年の膝の上だった件について。一瞬、ついに中学生に手を出してしまったのかと自分を疑った。

 実際にそんなことはなく(誘拐はしているが)、ハグの最中にわたしが突然寝てしまったというだけのことらしい。どうしてそんなことになるんだと不思議に思ったが、よくよく考えてみれば別に不思議でもなんでもない。

 昨日は色々あり過ぎたのだ――昨日の疲労が今日のわたしに影響を及ぼしても、それはさして不可思議ではない。

「……おはよう」

「ああ、おはよう。大丈夫?」

 彼は心配そうな目で、わたしの顔を見つめる。なんだか気恥ずかしくなってきた。顔を見られるというのは、結構恥ずかしいものなのかもしれない。肌荒れしてたらどうしよう。

 しかしそんなことを考えても仕方ない。わたしは訊いた。

「今、何時?」

「……六時、だ」

 現在時刻は、十八時――いや、寝過ぎだろうとわたしは自分に突っ込んだ。起きないわたしに突っ込むべきなのはトラックなのかもしれなかったが、しかし過ぎたことはもうしょうがないだろう。

 まさか、一日を睡眠で無駄にしてしまうとは――いや、だが。

 少し考えてみたいことが見つかったのだ。

「……わたし、ずっと寝てたの? 桃花くんの膝の上で?」

 起き上がりながら、わたしは彼に確認する。彼はわたしの口の動き諸々を読み取って、頷いた。

 六時間ぐらい寝ていたのか? マジ寝じゃんか……。しかも、コンビニで買ったご飯を食べてすらいない。

「……まずは、ご飯にしよっか」

「ああ」

 俺はミラが寝てる隙に食った――と彼は言った。いや、それは流石に当然のことだった。

 ならわたしの頭なんかを膝の上に乗せてないで、わたしの代わりに買い出しに行ってくれたらよかったのに。もしくは、普通に起こしてくれたらよかったのに――と、そんな文句を言うわけにもいかない。

 とりあえずわたしは、彼が冷蔵庫に入れておいてくれたらしい炙り焼牛カルビ重を冷蔵庫から取り出し、電子レンジにぶち込んだ。

 カルビ重と一緒に買ったメロンソーダも一緒に取り出し、一口頂く。久しぶりに飲むと美味いが、わたしはわりと頻繁に飲んでいるので、『うおーっ! めちゃくちゃ美味しいっ! すげーっ!』みたいにはならなかった。頻繁に飲んでいなくても、そんなふうにはならなかっただろうが。

「……うーん」

 彼に背を向けながら、わたしは独り言を呟く。彼に伝わらないよう呟いたのは、ただ単に電子レンジの位置の問題である。

「遺書――読んでみよっかな」

 それに少年にわたしの独り言の内容が伝わったところで、理解することはできないだろう。

 遺書。

 カノンはこれまでに、遺書を230回書いている。自殺を図る前に、必ず書いているのだ――どんな意味があるのかについては知らない。中身を読んだことは、一度もないからだ。

 死者のプライベートを侵害するようで気後れする――というような精神性をわたしは持ち合わせていないので、カルビ重を食べたらすぐに遺書を読もう。わたしはそう決めた。

 そう――カノンの遺書は、わたしが全て保有しているのだった。

 死のうとする直前に預けられるので、恐らく『私が死んでから見てくれ』という意味なんだろうけど、しかしカノンの自殺はいつも失敗に終わるので、残念ながら今まで読む機会はなかった。

 でも、カノンはもう死んだのだ――これまで死に損ねた分も、読んで大丈夫だろう。

 読んで、読んだら――遺書を捨てよう。

 燃やして、完膚なきまでに消してしまおう。

 そうすることでやっとわたしは、カノンを忘れられるような気がする。

 二日三日で忘れていいようなことじゃないとも思うが、しかしわたしは忘れたいのだ。一日でも早く忘れて、元通りの人生を歩みたい。

 これは、喪失感なのか――悲壮感なのか――どちらにせよ、ネガティブな感情であることに変わりはない。

 忘れなければならないのだ。今すぐでなくても、いずれ。カノンのことは大好きだが、カノンに支配されたいというわけではない。

 縛られても構わないが、縛られない方がいい――そんな感じ。どこかが破綻しているかもしれないが、カノンなら分かってくれるだろう。

 加熱が終わり、電子レンジからカルビ重を取り出す。容器がとても熱かったが、手は離さなかった。手を離したらそれはもうえらいことになっていただろう。

「……いただきます」

 床に座って、壁を背もたれにして、わたしはカルビ重を食べ始める。すると、少年がわたしの隣にやってきた。

「……一口いる?」

「……」

 とアイコンタクトと身振り手振りでそう訊いてみたが、彼は首を横に振った。どうやら、肉が食べたかったわけではないらしい。

 しかし、どうしたものか……。わたしは大食いどころか小食である。買った時はかなり自信満々だったのだが、冷静になって考えてみると、かなり多い気がしてきた。

 三口ぐらいで満足してしまった――ちょっと絶望的だ。

「……桃花くん」

 ご飯を食べるわたしの顔をガン見する彼をガン見し返しながら、わたしは言った。

「残り食べて」

「……了解」

 それは明らかに命令だった。命令に従われるのは嫌だと思うが、命令に従わないのはもっと嫌である。ペットに芸を仕込むのと同じ感覚で、わたしは彼を使っていた。

 というのは流石に冗談ということにして……、少年がカルビ重を食べている横で、わたしは考える。

 カノンのことではなく、桃花くんのことである。

 どうするべきか、そろそろ(ではなく初めから)真剣に考えなければならないだろう。

 彼の父親のこともそうだし、いつまで彼をここに置いてあげられるかもそうだし、彼をこのまま帰してもいいのかというのもそうだ。

 そういえば、今のわたしはかなりの問題を抱えている――少年はもちろんのこと、カノンの死についてだって。真昼間に六時間以上寝てしまうのも無理はないだろう。わたしは少し、疲れているのだ……。

 もしくは、昨日吸ったタバコのせいだろうか? タバコを吸うと体力がなくなるという噂を聞いたことがあったようななかったような。まぁ、わたしが疲れていることに関してはどうでもいいや。

 問題も、先延ばしにしておこう。明日明後日のわたしが、今日という日を後悔できるように。

「ごちそうさまでした」

 隣からそんな声が聞こえた。完食したのだろう。よく食べて、よく育てばいい。

 わたしはそんな彼に声をかけた。

「……桃花くん」

「なんだ?」

「うーん……、本でも読む?」

「え?」


 遺書を読むという作業はなるべく一人で行いたい。そのため、同室にいるであろう彼には、わたし以外の何かに集中して欲しいのだ。簡単に言えば、暇つぶしをして欲しい――ということ。

 しかし、わたしは彼の趣味嗜好を知らない。どんなものに集中できるのか、さっぱり分からないのだ――だからとりあえず、わたしは集中する用としてはかなりスタンダードな手段である読書というものを、彼に勧めた。

 わたしの部屋の本棚には、フィクションの小説作品しかない。純文学だろうが大衆小説だろうが何だろうが、ノンフィクションやエッセイ等は絶対に買わないと決めている。間違えて買ってしまったことは何度かあるが……。間違えたものはカノンに押し付けたので、おかげでカノンの部屋にはノンフィクション小説とエッセイしかない。

 どうして創作以外がダメなのかと言えば、わたしにとって本は現実逃避の手段だからである。スマホがなくても、本さえあれば現実から目を背けられる――だからこそ、わたしは本というものを重宝しているのだ。ちなみに、漫画の場合は全て電子で読んでいる。

 まぁ、要するに、わざわざ逃避先で現実を見る必要はないということだ。いや、もちろん必要はあるのだが……。

 流石にそのぐらいは分かっている。

 現実を完全に捨てたいわけではないのだ。

 ただ、読書は基本的に娯楽である。漫画であれ小説であれ、純文学であれ大衆小説であれ、ライトノベルであれ何であれ――それらは基本、娯楽のためにある。資料として使う人間だって居るだろうし、それ以外の用途だってあるはずだ。しかし、それでもメインは娯楽なのだ――そんな娯楽を享受するために、現実という概念が著しく邪魔であるというだけ。

 別に何も、我儘を言っているつもりはない。

 まぁ、そんなことはどうでもいいのだ。わたしの読書観なんて、毎分毎に変化するのだから。

 今重要なのは、彼がわたしの勧めた読書を気に入ってくれるかどうか――気に入らなくとも、それに集中してくれるかどうか。

「……」

 とりあえず、わたしは一番ストーリーが難解でなく、かつ文章も読みやすいという国語の教科書に載っていそうな小説を少年に貸してあげた。彼は、きちんと読んでくれるのだろうか――彼の頭脳であれば、活字本が読めないということはないだろう。

「……」

 十分が経過した今のところ、彼が退屈している様子はない。なんだかとても物珍しそうに読んでいるので、もしかしたら今まで本というものを読んだことがなかったのかもしれない――そう考えたが、桃花くんだって流石に国語の授業ぐらいは受けたことがあるんじゃないか?

 それとも、家で読むのとは少し違うのかもしれない。

 まぁ、どうでもいいが。

 彼が集中してくれているというのであれば、話は早い――わたしは押し入れの奥から、カノンの遺書を取り出した。

 遺書は便箋に手書きで書かれている。それらの便箋は異常なほど丁寧に箱の中に詰め込まれていた。わたしにしてはかなり整理されているという印象である――確か、最近開けたのは一昨日かその前ぐらいだったっけ。

 その頃は、大事にしていたのかもしれない――今はもう、これを大事にする必要はない。

 箱の中の便箋は、いくつかのグループに分けて重ねられている。それらが大きくずれないように、隙間を作らずに入ってあったのだ。

「……」

 丁寧に整理された遺書を見て、わたしはあることを思い出した。

「ミラ。これは私が死んだ後に見てくれ――絶対だよ。私が生きている内に見ちゃ、絶対にいけないからね」

 このカノンとの約束がなかったら、わたしはとっくに遺書を燃やし尽くしていただろう――わたしはそう思った。カノンは死んでいるので、約束はもう無効になっているはずだ。

「……カノン」

 わたしは呟いて、そして一枚の便箋を手に取った。

 日付、十一月十日。230回目の自殺失敗に成功した日だ――本気で死ぬ気なんていうのは、なかったようだけど。

 遺書には、こう書かれていた。

『ミラがこの手紙を読んでいる頃には、私はもう死んでいることだろう』

 それは正解だった。そして……、

『しかし、それでは矛盾が生じる。だって、私には――自殺を成功させる気なんて、もうないのだから』

 わたしの推測は当たっていた。やはり、カノンはもう自殺志願者じゃなかった。遠い昔に、死にたいと願うことをやめていたのだ。

 そして代わりに、夢ができたという――その夢を追う行為こそが、まさに自殺みたいなものだった。

『だったら、私は自殺ではなく、何らかの事故事件によって死んだのか――殺されたのか。ミラが約束を破っていないと仮定するのであれば、その2つの選択肢しかないだろう。まさか、病気ならそれは唐突過ぎる』

 病気は、唐突なものではないのか――わたしは疑問に思ったが、遺書に突っ込むのは流石に野暮な気がしたので、何も言わなかった。

 分かりづらい方のために説明すると、遺書で性癖を発表すれば、その性癖は笑いものにはできなくなる――みたいな意味である。要するに、わたしの言っていることに何の意味もないということだ。

『車に撥ねられてしまったのかもしれないし、酷い人間に殺されてしまったのかもしれない――私はミラほど自分の命を大事にはしていないので、いつも命を投げ出そうとしてしまう。毎日、地球が早く終わらないかと願っているような人間の気持ちが、ミラに分かるかな?』

 おっと、馬鹿にしているわけじゃないんだよ――と、遺書に書いていた。まだ、続きはある。

『話が逸れてしまったので、本題に戻そう。要するに、私は死んでいるのだ――たとえミラが約束を破っただけなのであれば、ミラはこのまま引き返した方がいいのかもしれない。これは、親切心で言っているんだ』

 カノンの言葉から親切という単語が聞ける(読める?)とは、妙に感慨深い何かを感じてしまう。その何かとは、大方勘違いと誤解に満ち溢れただけの曖昧な何かなのだろうが。

『さて、ミラ――まずは、ありがとうと言いたい。あなたに、感謝を伝えたい』

 感謝――カノンが、わたしに感謝?

 ふざけているのかとすら思えてしまった。少なくとも、かなり重い愛情であることは間違いないようだった。それが情愛だったのか、友愛だったのか親愛だったのか、はたまた家族愛だったのか――わたしには、全く分からない。

『ありがとう。勘のいいミラなら、どうせ100回目の自殺辺りからはもう既に、私に死ぬ気がないということを見抜いていたんだよね』

 何だそのエピソードは。初耳である。

『それでも、ミラは付き合ってくれていたけど――それよりも』

 カノンの遺書は、まだ続く。

『そうなる前から、ミラが私の自殺に付き合ってくれていた理由は、分からないままなんだよね』

 分からないのは当然のことである。だって、特に意味なんてなかったのだから――小学校が同じで、家が近くて、同じ委員会で、少し相性がよかったというだけの話だ。

『普通に考えて、自殺ばかりする私に近付いてくる輩なんて、ろくなやつじゃないよ。そりゃあ、ミラが私の自殺を面白がっていたということぐらいは、察していたけどさ』

「……」

 それについては、少し申し訳ない気持ちになった。

『だけど、ミラはずっと付き添ってくれた――一緒に居てくれた。私は、ミラが居たから生きようと思えた』

 一人だったから、死にたかった――それなのに、一人じゃなかったから、死にたいとは思わなくなったということだろうか。そこら辺の解釈は、かなり難しいところである。

「一人だったのに、一人じゃなかった」

 わたしはそんなことを呟きながら、文字を目で追うようにした。

『だから、ミラ――あなたは、私の命の恩人だ』

 命の恩人――せっかく救ってあげた命は、もうなくなってしまったようだが。そんなことで、感傷的になるわたしでもない。

「……」

『私は、ミラを大事にしている。頼りに思っている。好いているし、愛している。ミラに伝えたかったのは、それだけだ。死ぬつもりではないので、永遠に苦しみ続けるかもしれないが、とりあえず、いってきます』

 そこで、遺書は終わっていた――家族への想いや、感情をもう少し聞きたかったのだが、遺書がそれだけならば仕方ないだろう。

 続いて、二枚目の遺書。十一月五日――しかし、この遺書は一枚目と全く同じ内容でしかなかった。つまり、ただのコピーとは、一体どういうことなのだろうか――だって、遺書だぞ?

 本気で死ぬつもりではなかったとして、それでも遺書は遺書だし、そこには紛うことなき本音しか描かれていないからだろう。

 でなきゃ、遺書を書く意味がない。自分を偽る遺書だなんて、無意味でしかないじゃないか。

 三枚目、十一月一日――冷静に考えて、四日おきに自殺未遂を起こすというのは中々のトラブルメーカーといった感じである。一度も警察沙汰になったことがないのは奇跡でしかない。

 内容は一枚目二枚目と同様。

 そして四枚目、五枚目、六枚目――三十枚目までは全く同じだった。

 変化があったのは、三十一枚目の遺書からである。今年の三月二日の遺書だ。

『ミラがこの手紙を読んでいる頃には、私はもう死んでいるだろう』

 出だしは今までのと全く一緒。しかし、ここからが違った。

『私が自殺に成功したら、ミラにやって欲しいことがあるんだ』

「……」

 そうか、これは99回目の自殺未遂――その直前に書いた遺書なのか。だから、本当に死ぬつもりだった頃の遺書なのだろう。

 もしかしたら何か、新しいことが書いてあるかもしれない。わたしは続きを読む。

『まずは、私の家族について。母親も父親も、私が死んだらそれなりに動揺するだろうから……』

 そういえば、カノンには両親がいるんだったか。最後に会ったのはもう何ヵ月も前なので、顔すら覚えていない。

 恐らく、こちらに来てはいるんだろうが……、彼らはわたしのことがあまり好きではなかっただろうし、娘が死んでようやく関わらなくて済むとでも思っているのかもしれない。葬式には呼ばれないだろう。

『両親には、こう伝えてほしい。「カノンは幸せじゃなかった」、「ずっと死にたいと思っていた」、「あなた達の教育は完全に失敗していた」、「次は頑張ってね」――恨み事みたいだね。頼んだよ、ミラ』

 ……そんなことを頼まれても。

 恨み事を伝えて恨まれるのはわたしの方だ。

『まぁ、無理にとは言わない。嫌ならやらなくてもいいし、嫌々やってくれるというのであれば是非お願いしたい』

 恐らくわたしは、嫌々それを行うだろう。今はともかく、昔のわたしが彼女の頼みを無下にするとは思えない。

『私にとって、死は救済だった。死ねば、面倒なことを考えなくてもよくなる。代わりに、面倒じゃないことも考えられなくなるけど――でもそれは、別にどうでもいい。そんなデメリットのことだって、面倒事だ』

 わたしから見ても、この時のカノンは捻くれていると思う。中学三年生の頃の、外咲奏音。まぁ、まだ一年も経っていないのだが。

『最後に、私はミラに感謝している。愛してるとすら言えるかもしれない――だからこそ、言いたい。ミラ、お願いだから――』

 お願いだから、悪いことはやめてくれ。

 遺書の最後には、そんなことが書かれていた。

 あまりにも身勝手だなと、勝手に思った。悪いこと――ミラはやっぱり、悪いことが好きじゃなかったのだろうか。

 三十一枚目、三十二枚目――そして二百三十枚目。一時間ぐらいかけて、わたしはそれらを読み終えた。三十枚目からは、また殆ど同じような内容だった。

 感想は、特にない。なんだか、期待外れだなという印象である。

 別に、遺書で愉快な気持ちになろうと思っていたわけではないのだが――普通につまらない。

 カノンの遺書は、どこかつまらなかった。死にたい動機も書いていないし(想像はつく)、感動できるようなことも書いてないし、ただただ面白くない文章、といったような。

 面白味がないのだ。いや、遺書に面白味があったらそれは本当に面白いのかもしれないが。

 ま、時間を無駄にした。彼に本を読ませておく必要も、なかったかもしれない。そんな彼はもう、二冊目に突入しているようだが。

 ハマってくれたのであれば何よりだ。あとで感想を聞かせてもらおう。

 わたしはそんなことを思いながら、カノンの遺書を全てゴミ袋に捨てた。

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