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5・脳内会議

 カノンが死んで、わたしは悲しんでいるのか?

 カノンを殺されて、わたしは怒っているのか?

 カノンを酷い目に遭わせた犯人を、わたしは憎んでいるのか?

 その問いに答えを出せるのは、わたししか居ない。にも拘らず、わたしはきちんとした答えを未だ有していない。自分のことは、自分しかよく知らないはずだ。

 長い髪を洗いながら、わたしは色々なことを考えていた。しかし、その全てが結局のところ同じ結論に至る。

 カノンは――カノンが――カノンに――カノンを――

 わたしは結局、カノンのことしか考えていない。でも、もしかしたら、わたしはカノンのことをあまり大事には思っていないのかもしれなかった。それも、カノンが死んだ今となってはもうどうでもいいことなのだが。

 どうでもいいことなのに。

 どうしてわたしはそんなことを真剣に考えているのだろう――わたしは不思議に思った。

 自分のことは自分がよく知っているはずなのに、自分自身のことがよく分からない気持ちになった。実際、分からなかった。

 シャワーを浴びる。熱いとは思わないぐらいの、丁度いい温度だった。ずっとこのままで居たいとすら思えた。だからといって、このままで居られるわけもない。

 何も考えたくないのに、シャワーを浴びている最中はどうしようもなく何かを考えてしまう。カノンのことや、カノンのことや、カノンのことなど。きちんと彼のことも考えなければならないのに……。

 わたしは、カノンの死をあまり重く捉えていないはずだったんだけど……。わたしは困惑する。

 ここ最近は、ずっと戸惑っている気がする。まだ、カノンが死んでから一日も経っていないのだということに気付き、わたしは少し驚いた。正直、あまりにも実感がない。

 死を受け入れているのに、死を拒んでいるわけでもないのに、まるでそれが自然のような――今までカノンと一緒に居ることが、わたしにとっての自然だったから、これも仕方のないことなのかもしれないが。

 結局それも、自分で考えるしかない――考えても答えが出ないのであれば、考える必要はない。

 無意味だ。

 何もかもが、無意味なのだ。

 わたしが死のうがカノンが死のうが、わたしが殺そうがカノンが殺そうが、この社会は何一つ変わりやしない。

 だから、たとえわたしが黙っていようと――

 それは、きっと――

「おい」

 少年のそんな声とともに、目の前のカーテンがばっと開かれた。

「……え?」

 丁度カーテンの方を向いてシャワーを浴びていたので、その声の正体はすぐに分かった。

 彼――和城桃花くんだった。

「遅い。一時間経ってる……」

 恐らく、先程の意趣返しのようなことがしたかったのだろうと推測する。そういうところは普通の男子中学生っぽいんだなと思いながらも、もしかしたらわたしの裸を見るためにわたしの真似をしたんじゃないかと疑ってしまう。

 しかし、わたしの裸を見て、少年は顔色一つ変えなかった。動揺もせず、彼は「俺より、遅い……」と頬を膨らませていた。

「……ごめんね」

 もしかしたら、先程のことをかなり根に持っていたのかもしれない。よくよく考えれば、わたしは着替えもバスタオルも浴室の外――というか布団の上にぼんと置いてあった。だから、わたしがお風呂から上がれば少年は必ずわたしの裸を見ることができるわけで、要するにわざわざこんなことをする必要はないということだ。

 普通に疑ってしまった。わたしにとっての彼がペットであるように、彼にとってのわたしはただの飼い主か保護者なのだろう。

「桃花くん」

「?」

「着替え持ってきてくれない?」

 シャワーを止めて、わたしはそんなことを言った。更によくよく考えたら、裸の状態で――つまり風呂上がりの状態で浴室の外に出たら、その辺がびちゃびちゃになってしまうだろう。その後片付けをするのはわたしだ。あまりにも考え足らず過ぎる。思わず自虐してしまいそうだった。

「……うん」

 彼はわたしのお願いを素直に聞いてくれた。命令として受け取られていたら少し困るので、お願いを聞いてくれたのだと思いたい。

 わたしは、少年に色々と貸し過ぎている気がする。やったことと言えば、味噌汁を振舞ったぐらいだが。

「……なんで懐かれてんだろ」

 不自然極まりない。今まで、甘えられる人間が居なかったということなのだろうが、それでも異常な気がする。

 一応、わたしは彼を監禁したり、耳を引き千切ったりしたわけで……。そんな人間にちょっと優しくされたからって、一体誰が懐くんだ? わたしはここ数時間、ずっと違和感を抱いていた。

 チョロいという次元ではない。ストックホルム症候群と言われた方がまだ納得できる。

 ……どちらにせよ、わたしは男子中学生のことはよく知らないのだ。年齢も性別も、生まれ育った環境も全く違う。出身も別だし、似ている部分なんてないだろう。

 遊びや道楽で悪いことをするわたしと、生きるために悪いことをする――せざるを得ない少年。どちらも、悪いことに変わりはないのだが、しかし客観的に見た時、同情の余地があるのは明らかに彼の方だ。

 数秒もかからず、彼は着替えとバスタオルを持ってきてくれた。バスタオルを受け取り、彼を浴室から追い出してから服を着る。

 パジャマというかルームウェアというか、どっちだか分からないようなスウェットのセットアップ。わたしが着ると、なんだか地味に見えてきた。

 鏡を見ながら、わたしはそんなふうに思った。

「……」

 服に着られている、という印象が強い。別に、ファッションセンスが際立っているとかそういう意味ではなく、単純な雰囲気の問題だと思う。顔は、やっぱり老けてないと思うのだが……。

 一応、肌の手入れもちゃんとしているし、ヘアケアを怠ったことはないと断言はできないが、なるべく怠らないようにしている。ムダ毛処理もしているし、日焼け対策もしている。お洒落は足元からと言うのなら、ちゃんと靴もよさげなものを履いている。今は、全然関係ないけど。

 何がおかしいのか、さっぱり分からない。いつもカノンに頼りっぱなしだった弊害かもしれなかった。ファッションとか、あんまりよく分からない。

 雰囲気がダメ――それだけなのだ。

 これはただの自己評価だが、わたしの顔はそこまで悪くないと思う。恐らく老けているというわけでもないだろうし、クラスの中であればそこそこ上位を狙えるぐらいではあるのだ。可愛いと思う。もちろん、わたしはわたしの顔が好きではない。

 やっぱり、わたしに私服は似合っていないようだ――と、どうでもいいことを考えながら。

 わたしはカノンについて、考えることをやめていた。


 髪を乾かした後、わたしは敷いていた布団に仰向けで寝っ転がった。

「あー、疲れた!」

「お疲れ」

 伝えるつもりのなかった独り言だったのに、少年はそれを読み取って、無難な返事をしてくれた。大分懐いてきたというか、打ち解けてきたというか……。

 布団の真ん中に寝転がりながら、わたしは彼に言った。

「どっちがいい?」

「?」

 何が? と言わんばかりの表情。言葉足らずだったのはわたしの方なので、文句は言わない。わたしはもう一度、詳しく言った。

「右左どっち?」

「……ああ、右隣か左隣かってこと?」

 少年の頭が良くて助かった。わたしが訊いているのは、そういうことである。

 要するに、右左どっちで眠りたいかということである。わたしの右で寝るか、左で寝るか――マジでどうでもいい二択である。布団は一枚しかないので、わたしと彼は一緒の布団で眠るしかないのだ。

 三人で寝るわけではないので、わたしと彼が左右どの位置で寝ようとあまり変わらない。意味のない選択肢だったかもしれない。

 だが、彼は答えた。

「じゃあ、左――えっと、俺から見て、左で」

 わたしは彼に足を向けて仰向けに寝転がっている。つまり、彼から見た左はわたしからすると右である。わたしが左に寄ると、少年は何故か慎重になりながら、布団に入ってきた。わたしと同じように仰向けになって寝そべった。

 ここでわたしは気付く。電気を消し忘れていた――わたしは明るくても眠れる便利な身体をしているので特に問題はない。だが、少年はどうだろう。もしダメなら、わたしが起き上がって電気を消してあげよう。そう思ったが、彼は何も言わずに布団から起き上がり、歩いて電気のスイッチを消した。

「……」

 もしわたしが暗闇だと眠れない系の女子だったらどうするつもりなんだと叱ってやりたい気持ちになるが、叱るのは嫌いなのでわたしは何も言わなかった。

 彼はまた、さっきと同じようにしてわたしの右隣に戻ってきた。そして、

「おやすみなさい」

 と言った。わたしも、

「……うん、おやすみなさい」

 と返して、そのまま目を瞑った。

 考えることをやめていた脳が、勝手にまた動き始める。カノンについて、考え始める。

 本当にあんな結末でよかったのか。

 あの別れ方で、よかったのか。

 もっと何か、わたしにできることがあったのではないか。

 考えずにはいられない。これは後悔であり、罪悪感であり、そして未練だった。

 いつまでも未練がましく、わたしは。

 いつまでも――とは言っても、カノンが死んでからはまだ一日も経過していないんだっけか。なんだか、時の流れが遅く感じてしまう。

 カノンが死んでから、つまらないということなのかもしれない――楽しい時間はすぐに過ぎるのに、つまらない時間はいつまでも続く。

 つまらない時間は、続いて欲しくない。さっさとカノンのことなんて忘れてしまいたい――そんなことをふと考えてしまった。

 わたしは思った。わたしは最低だ。

「……」

 わたしの意識が、中々寝付いてくれない。隣では、可愛らしい寝息が聞こえる。そんな寝息すらも、今のわたしにとってはノイズでしかなかった。わたしはさっさと眠りたいのだ。

 今日は疲れ過ぎた。朝は死体を発見して、警察署で話を聞かれた。学校に行って、先生と話した。カノンのことを少し知った。そして、彼と再会した。悪いことをする人と、悪い人の再会である。彼に味噌汁を作ってあげて、彼を甘やかして、常盤さんに誤解されて、常盤さんの誤解を解いた。常盤さんがご飯に連れて行ってもらって、お金も出してもらった。今はこうやって眠っている。

 あまりにも非日常だった。一日がこんなに忙しかったのは、生まれて初めてかもしれない。そう思った。

 明日からは学校に行かなければならない――が、そんなことはもうどうでもいいと思う。明日、わたしは休んだっていいのだ。

 もう、学校なんて行かなくていい。一生ここでダラダラしていたい。

 桃花くんの父親を殺すという件についても、やっぱりどうでもいいのかもしれない。悪いことなんて、もうどうでもいいのかもしれない。

 わたしはただ、孤独が嫌だっただけなのかもしれない――そう思ったが、それは違うと思った。それだと破綻する。

 悪いことは、悪いことだ。わたしのアイデンティティのようなものなので、そう簡単に失うわけにはいかない。ある程度時間が経ったら、少年を悪いことに付き合わせるというのもアリかもしれない――そんな馬鹿げた妄想をした。

 そうやって、寝ようとしたのだ。

 しかしどうやら、わたしの脳はかなりのマゾらしい。本当に眠れない。

「……んー」

 隣で寝ている彼に気遣い、わたしは控えめに声を発する。もし今大声を出したら、少年どころか隣人である常盤さんもびっくりするだろうなとか考えてみる。だが、そういえば常盤さんはまだ外出中であることに気付いた。

 そういえば、まだ帰ってきていないのか。いや、わたしがお風呂に入っている途中で帰ってきたのであれば、わたしが気付かないのも無理はないのかもしれないが――このアパートの壁はとんでもなく薄いので、誰がいつ帰宅したとかは簡単に分かってしまうのだった。わたしは耳がいい方なので、余計にそう感じる。

 一歩間違えれば犯罪に使えそうで、なんだかワクワクしてきた。ワクワクすると、余計に眠れなくなるのだが……。

 しっかし、本当に……。

「……」

 わたしは水でも飲もうかと思って起き上がろうとする――しかし、そんなわたしの動きに合わせて、少年が突然覆いかぶさってきた。

「うぇ?」

「……」

 彼は、眠っている――なら、それは寝返りか。本当にびっくりした。わたしはすぐ、彼を元の位置に戻した。ゆっくり、慎重に。

 そしてわたしは、こっそりと布団を出る。冷蔵庫が置いてある部屋の角に、抜き足差し足忍び足で到着。音を立てないように、ゆっくりと冷蔵庫を開ける――飲みかけの缶チューハイ(お風呂に入る前に飲んでたやつだ)や、麦茶の新品ペットボトルなどがあった。その中で、わたしが選んだのはヤクルトだった。小さくて、飲みやすい。パチンコの景品でお馴染みのやつ。

 十秒かからずヤクルトを飲み干し、いつもの癖で向かいの角にあるごみ箱にヤクルトの空を投げ捨てた。そして投げてからしまった、と自分の行いを後悔した。ヤクルトの空は綺麗な線を描――かずに、簡単にゴミ箱に吸い込まれた。かこん、という起きるには十分過ぎるほどの大きな音を立てながら。

 わたしは硬直する――そのまま一分が経ち、わたしは一息ついた。彼がこの音で起きるなんてことはなかった。人の睡眠を妨害するほど、わたしも終わってはいない。

 ゆっくりと慎重に元の位置に戻り、わたしはまた目を瞑る。現在時刻は、分からない。

「……カノン」

 意味もなく、わたしはそう呟いた。名前呼びの練習をする意味なんてもうないのに。

「……」

 わたしは中途半端にカノンを引き摺っている。ああ、だるい。

 気持ち悪くなってきた。どうしてわたしがこんな気持ちにならなきゃいけないんだろう。

 わたしとカノンは、やはり出会うべきじゃなかったのかもしれない。彼女にとっても、わたしにとっても。失って悲しいと思っているわけでもないのに、まるで胸糞悪い映画を見た後のような気分になる。

 映画と言えば、登場人物に共感する――という楽しみ方があるそうだ。映画に限らず、漫画でもアニメでも、小説でもそういうのがあるらしい。カノンがそんなことを言っていた気がする。

 わたしにはよく分からない。漫画も小説もアニメも映画もドラマもわたしは結構な頻度で見ている。しかし、登場人物に共感できたことは今のところ一度もない。でも、一般的にはそういう楽しみ方をするそうだ。

 創作物のキャラクター達はみんな、芯を持っているのだろう。破綻も矛盾もなく、中途半端なんてあり得ない――それこそが、何もかも中途半端なわたしが、彼ら彼女らに共感できない理由のかもしれない。

 それとも、ただ単に共感性が無いだけなのかもしれないが。現実の人間に感情移入できないわたしが、フィクションのキャラクターに感情移入できないというのは、特段おかしいことでもないだろう。

 わたしの感情はわたしの感情でしかない。誰かに動かされることはあっても、誰かと同一化するようなことなんてあってはならない。

 そんな、芯の通ったことを考えてはみるが――どうせ、そんなのは時と場合によるものなのだ。

 感動映画を見ても、泣かないでいられるかどうかは分からない。泣くということは、つまり感情移入をしてしまっているということなのだから。今のところ、誰かが作ったコンテンツで泣いたことはない。でも、これからどうなるかは分からない。

 だから結局のところ、わたしの芯はブレブレなのだ。それだから中途半端なのだ。

 とんだ戯者だ。

「はっきりしなきゃ……」

 誰にも聞こえないような声で、わたしはそう呟いた。

 そろそろ、はっきりしなければならない。


「おい、おはよう」

「……おはよ」

 いつの間にか眠っていたらしく、朝になって彼が起こしてくれた。スマホで時間を確認する。現在時刻は、午前十時だった。

 明らかな遅刻だった。わたしは彼に宣言する。

「……桃花くん」

「?」

「学校を休みます」

「うん」

 あれ、もっと喜んでくれるかと思ったのに――というのは冗談だが。わたしは正直、結構喜んでいた。

 学校を休めることにではない。彼が居てくれたことに、である。

 朝起きて、まさかまだ居てくれているとは思わなかったのだ。一晩で冷静になり、わたしが寝ている隙に出ていってしまうかもしれないとすら思っていた。絶対にないとは言い切れないだろう。

「出てかないよ」

 わたしの心の声を口から読み取って、彼はそう言い切った。それなら、いいのだが……。

 やはり、心配である。ペットに逃げられたら、流石のわたしでも少しはショックを受けてしまうだろうから。

 心配が役に立ったことなんて人生で一度もないわたしだが、それでも心配になってしまう。不安で胸がいっぱいである。

「とりあえず」

 わたしは言った。

「朝ご飯にしよっか」

 そう言って、わたしは立ち上がり朝ご飯の準備をしに向かう。彼が歯磨きをしている内に、用意を終わらせようと思ったのだ。しかし冷蔵庫を開けた瞬間、わたしは思わずため息をついた。

 これは、わたしのミスである――忘れていた。

 冷蔵庫の中に入っていたのは、昨日の飲みかけのストゼロ缶、お酒、麦茶の新品ペットボトル、ヤクルト、オレンジジュース、マヨネーズ、ケチャップ、スライスチーズ、バター、マーガリン――それだけだ。

 食べ物が、一切入っていなかったのである。

「……うーわ」

 買い出しに行こうと思っていたのに、忘れていた。直後にカノンの死体を見つけてしまったからである。だからといってカノンのせいにするつもりは全くないが。

 文句を言うつもりもないが――しかし、愚痴りたい気持ちにはなった。

 寝起きで買い出しに行くというのは、気が乗らないどころの話ではない――はっきり言って無謀である。せめて、腹に何かを入れてから外に出たいと思った。お菓子だったらあるはずだけど……。

 いや、朝ご飯がお菓子というのも相当キツいだろう。ぶっちゃけありえな~い。

 ふざけている場合ではないのだが。いや、外食って選択肢もあるにはあるのだが……。しかし、十時に開いている店ってどこだよという話になってくるだろう。探せばあるのだろうが、探す気にはなれない。

 となると、コンビニで朝ご飯を買うというのが最も賢い選択肢に思える。往復六分なので、外出時間は十五分程度。寝起きに優しく、かなりいいアイディアのように思える。いや、実際それはいいアイディアだった。

 しかしここで、ある問題が浮上する――それは、一体誰が買いに行くか、ということである。

 別に、わたしが買いに行ってもいいのだが……。しかし、わたしはあまりにも少年に貸し過ぎている気がする。彼は確かに年下で、しかもペットだが、それでも中学生である。少しぐらいは働かせるべきじゃないのかと思い始めたのだ。

「どうしようかな」

 ベストは、一緒に行くという選択肢なのかもしれない――面倒くさいが、それは恐らく彼も同じだろう。面倒を共有すれば、いいパートナーになれるんじゃないかという気もしなくはない。彼とパートナーになるつもりなんて、別にないのだが。

 そもそも、ずっと一緒にいるわけでもないのに。

「……」

 とりあえず、わたしも歯を磨かなければ。ゆすいだだけでは気持ちが悪い。それに、さっさと顔も洗いたいのだ。

 そういえば洗顔フォームの場所を教えていなかったと新たな不手際に気付いたが、見れば分かるだろうとまた何もしなかった。カップルが破局するのって、案外こういう不手際がきっかけだったりするんだって。

 わたしは男の子と付き合ったことが一度もないので、そういうのはよく分からなかった。女の子ともない。誰かと恋人関係になったことなんて、一度もないのだ。告白されたことすらない。

 そう考えると、わたしは結構ブスな方なのかもしれない……。

「……わたし、もしかしてマジでブスなのかな……。そうだとしたらちょっとショックなんだけど、え、クラスの子とはまだ一度もお喋りしてないから、どうしよ、あ、とき、常盤さんに訊けば、分かるかな。いや、でも常盤さん気ィ遣いそうだしなぁ。うーん。波久礼さんは、お世辞の塊みたいな人だし。だったら――」

「一人で何ブツブツ喋ってんの?」

 後ろから声が聞こえた。振り向くと、歯磨き(とその他諸々)を済ませた少年が怪訝そうな顔でそこに立っていた。

 恐らく、わたしの顔以外の動きからわたしが一人で何かをブツブツ喋っているということを読み取ったのだろう。

 わたしは訊いた。

「わたし、可愛い!?」

「怖い」


 情緒不安定になってしまった。

 冷静でなくとも普段から平静っていうキャラクターだったはずなのに、普通に取り乱してしまった。もしかしたら、キャラクターすらも中途半端なのかもしれなかった。

 彼は「怖い」と真顔で答えてくれたが、もしかしたら照れ隠しだったのかもしれない。だが照れ隠しだったところで、わたしがブスじゃないという証明にはならないのだ――絶望しながら洗面所に向かい、鏡を見る。

 そこには、わりかし可愛い女の子の顔が映っていた。わたしは機嫌と自信を取り戻した。

 これは容姿以外で自慢できるところがないと、こういう人間になってしまうという警告である。わたしという存在を反面教師にして、少年には是非立派に育って欲しいと心の底から願った。

「普通に取り乱してるようにしか見えなかった……」

 コンビニまでを隣り合わせで歩くわたしと少年。彼はそう言って、わたしに呆れ顔を向けていた。

 もしかしたら、舐められているのかもしれない――だから、わたしは言い返すことにした。

「桃花くんは失礼だね。モテないよ?」

「いや、モテるモテない以前に俺、イジメられてるから」

 微妙な雰囲気になってしまった。言い返さなければよかった……。もしかしたら、彼はわざとこんな空気を作ったのかもしれない。だとしたら、あまりにも天才的過ぎる。

 わたしはなんとか、慰めのような言葉を彼にかけてあげる。

「……イジメとか、くだらないなぁ」

 慰め――冷静に考えたが、こんな慰めの言葉があるわけないだろう。わたしは自分の慰め下手さに戦慄した。歳が3つ以上は離れているはずなのに、全然お姉さんとして活躍できていない。

 わたしは、姉に向いていない。わたしはそう実感し、下手なフォローをカバーすることにした。

「いや、イジメられる側にも原因があるかもしれないよね」

 カバーに失敗した。言葉を選ぶ――というか、もう勝手に出てきているような気がする。わたしはそんな思想を持ち合わせているわけではない。イジメるとかイジメられるとか、そんなものに理由や原因なんてない。必要なのはきっかけだけだが、そんなのはいくらでも代替可能なものでしかない。

 だから、どちらが悪いかではなく――ひたすらに悪いだけ。人がいれば、必ず起こる悪いことだ。

 だがしかし、この会話をイジメにするわけにはいかない。わたしは素直に謝ることにした。

「……ごめん、わたしフォローもカバーも苦手です」

「いや、謝る必要は……」

「ごめんね、桃花くん」

 彼が何かを言う前に、わたしは彼の頭を撫でる。昨日の夜洗ったから、昨日よりも触り心地が断然いい感じである。思ったよりもツヤツヤの髪だった。髪質が恵まれているのだろう。

「……」

 わたしが撫でると、彼は言葉を止めた。今のところ、彼を黙らせる唯一の方法である。

 昨日は撫でてもあまり反応らしい反応をしてくれなかったが、どうして今になってそんな反応をしてくれるのか、少し気になるところではあるが……。

 頬にキスをしてあげてから、わたしは手を離す。名残惜しそうにしながらも、彼は言った。

「……何買うんだよ?」

 元通りに戻ってくれたので、助かった。いや、もしかしたら元から元通りだったのかもしれないが。

 わたしは彼の質問に答える。

「桃花くんのは桃花くんが決めていいよ。ただ、昨日みたいに噓はついちゃダメ」

 昨日みたいな噓――味噌汁一杯で満足したとか、そういうくだらない嘘をつくなということだ。わたしはそれを意図的に強調した。

 わたしの答えを聞いて、彼は頷いた。頷いただけだったが、恐らく了承してくれたのだろう。くれなきゃ困る。

 コンビニに到着し、各々が行動を始める。

「……うーん、どうしよっかな」

 そんなことを呟きながら、わたしは別のことを考える。

 わたし達の住むボロアパートには、昨日からずっと警察が居た。カノンの部屋をずっと調べているのである。とはいえ、あまり捜査状況は芳しくないようだった。

 警察が居ると、わたしも表立って悪いことができないし、彼を誘拐する時も細心の注意を払わなければならなかった。わたしの部屋に居ることがバレたらマズいかもしれない――そう思いながらも、わたしは警察にそこまで警戒心を抱いていなかった。

 今まで、警察に話を聞かれたこと自体は何度もあった。事件の容疑者として疑われることすらあったし、実際に捕まることさえあった。だが、今までわたしは一度も罰を受けていない――というか、みんなわたしに甘いのだ。

 甘くしてくれる、というか、恐らく警察というのはそんなもんなんだろうなという感じはする。結局、未成年で、しかも華の女子高生であるわたしには甘々なのだ。それはたとえ学校の先生だろうと、美容師だろうと、歯科医だろうと変わらないだろう。わたし、可愛いし。

 もしくは、罰するという形ですらわたしという存在に関わりたくない――ということなのかもしれない。そうだとしたら、わたしはショックである。警察が好きなわけではないが、ヒップホップのようにファックバビロンを歌うほど嫌っているというわけではないのだ。

 わたしの攻撃の矛先は、他人ではなく自分に向くのだ。

 まぁ、そういうわけで、わたしはあまり自由に動けない。犯人を見つけようが見つけまいがどうでもいいから、早く帰ってくれというのがわたしの本音である。警察に直接お願いするわけにもいかないので、早く帰ってくれることを祈るしかないのだが。

「……」

 そんなことを考えながら、わたしは目に付いた弁当を手に取り、飲み物コーナーへと向かう。平日の昼間からお酒を飲む高校生は流石にマズいので、お酒ではなくメロンソーダを買うことにした。個人的には、缶の方が好きだ。

 彼も今日の朝ご飯を選び終えたようなので、わたし達はそのままレジに向かう。会計をしてくれたのは、わたしの知っている店員さんだった。知り合いというわけではないが、一方的に知っている。

 無事に会計を終えて、わたしはきちんと「ありがとうございました」と礼を言ってから少年を連れて店を出る。彼には、是非ともわたしの真似をして欲しい。

「店員さんにお礼を忘れずに!」

「……あ、うん」

 彼は、かなり意外そうにしていた。わたしが店員にお礼を言うようなタイプだとは思っていなかったらしい。実際、店員さんにお礼を言ったのは今日が人生で初めてだったので、彼のイメージは正しい。

 見栄を張って、いい子ぶっているだけである。

 カッコ悪い。

 ちなみに、少年が選んだのはハンバーグ弁当だった。男子中学生っぽくて非常に微笑ましいと思う。朝ご飯には少し向いていない気もするが……。しかし、朝ご飯に向いてない度で言えばわたしの炙り焼牛カルビ重よりはマシだろう。朝から肉はちょっと。

 とはいえ、今の時刻は午前十一時なので、もうとっくに朝ではない。わたし達(正確にはわたし)の起きる時間が遅かっただけだ。

「桃花くん。買い出し、ついてきてくれる?」

「うん」

「ありがとね」

 そんな会話を交わしながら、徒歩三分でわたし達はアパートに帰宅する――すると、アパートの前で誰かと誰かが話していた。

 近付くと、それは常盤さんと波久礼さんだった。わたしはすぐに挨拶をする。

「おはようございます」

「あ、おはよう……」

「ミラさん。おはよう」

 おはようにしては少し遅い時間な気もするが、二人ともおはようで返してくれた。

「何の話してるんですか?」

「……」

 わたしが訊くと、常盤さんは少し気まずそうにしていた。波久礼さんも、なんだかぎこちないというか。わたしは一瞬戸惑ったが、すぐに思い至った。

「事件の話ですか」

「……うん」

 ここで、常盤さんが三点リーダーなしで頷いた。

「カノンちゃんが殺された事件の話。ご愁傷様――って言えばいいのかな」

「……そうですか」

 常盤さんが少し悲しそうな顔をしていて、わたしは少し反応に困った。この中で一番カノンと仲のよかったのはわたしなのに。

 どうして常盤さんが悲しむのだろうか?

「残念だったね。カノンさん……」

 波久礼さんは特に悲しそうにしていなかったが、口ではそんなことを言った。恐らく、本心ではないのだろう。

 わたしはまだ、自分の本心がよく分かっていない。

「まぁ、死んでしまって悲しいですよね」

 だから、こういう意味の分からない返し方をしてしまう。

「……」

「……」

 空気が変な感じになってしまった。非常に居心地が悪い。わたしは退散することにした。

「では、また」

「あ、うん……」

「またね、ミラさん」

 二人とも、彼には一切触れなかった。

 階段を上がって、部屋の前に到着。そしてそこで、わたしはあることに気付いた。

 そういえば、鍵をかけるのを忘れていた――わたしはつくづく学ばない女だ。また、空き巣にあったらどうするつもりなのだろう。近くに警察が居るとはいえ……。

「あーあ、なんか疲れちゃった」

 独り言を呟く。まだ、起きたばかりなのに、もう疲れてしまった。早く眠りたいとすら思う。

 部屋に入ってから、彼はいきなり声を発した。

「……なぁ」

 それは恐らく、独り言ではないのだろう。わたしは少年の方に向き直り、「どうしたの?」と訊いた。

「さっき、色々と話してたの、ちょっと盗み見してたんだけど……」

 会話を盗み見するという言い方は少しおかしい気がする――が、そんなことは非常にどうでもいいことだった。彼は言った。

「人が死んだのか?」

「……言ってなかったっけ」

 彼は、外に停まっているあのパトカー達を何だと思っていたのだろうか。不思議には思わなかったのか。

 どうやら、わたしは彼に教えていなかったようだ。

「俺は聞いてない」

「……確かに、教えた記憶がないかも……。知りたかった?」

 この返しは、結構性格悪かったかもしれない――わたしは内心で反省した。あくまでも、内心だけである。どうせ、反省なんてすぐに忘れてしまうだろうが。

 まぁ、別に教える必要はないと思ったが。

「死んだ『カノン』って人、ミラは仲良かったのか?」

 彼もナチュラルに名前呼びをしてくる人だったのか――わたしは驚愕する。名前呼びって、そんなにハードルが低いものなのか、と。本来、わたしが驚くべきはあの短い微妙な会話の中でそのことを当てて見せた、彼の頭脳なのだが。

 もちろん、その程度のことはわたしにすらできることだろう。だが、できるとやったは別である。実際にやってくれたことが凄いのであって、できること自体は大して凄くもない。

 その才能に敬意を表して、わたしは素直に答えてあげることにした。

「……うん。仲良しだったよ」

 仲良しだったんだ――と、わたしは笑いながら言った。彼女との、楽しい思い出を振り返りながら。

 すると、少年はわたしを気遣うように訊いてきた。

「……辛い?」

 ……そう訊いてくる時点で気遣いができているとは言えないのかもしれないが、それでも気遣いは気遣いである。わたしはありがたく受け取ることにした。

「辛くはないかな」

 そう言ってから、

「でも、ありがとう」

 わたしは少年の頭を撫でる。しかし、さっきと違って少年は特に何も反応しなかった。

 代わりに――

「……」

 彼は、わたしにハグをした。

「……え」

「お母さんが昔、よくやってくれたんだ」

 彼は優しい声でそんなことを言った。いや、そんなことを知りたいわけではないのだが――

「……桃花、くん」

 彼からわたしの顔は見えないので、この状況で意思疎通はできない。別に、する必要もなかったし、むしろそちらの方がありがたい気もした。

 母――桃花くんのお母さん。

 乱暴な父親の下に息子を置いて逃げた母親が、いい親だとは思えないが――しかし。

 少なくとも、その教育は間違っていないようだった。年上で保護者とはいえ、いきなり女の子を抱きしめるのはどうかと思うが。

「……あはは」

 わたしは笑う。

 そして、彼の背中にそっと手を回した。

 どうして、

 どうしてわたしの周りには、優しい人ばかりが集まるのだろう。

 わたしのような人間の近くに集まったって、嫌な思いをするだけだと言うのに。

 実際、そうだっただろう。

 わたしが彼の両耳を引き千切ったのは、罰でもなければ理由もなかった。ただ単に、そうしようと思ったからしただけで――耳が聞こえないなら、あってもなくても同じだと思ったから。

 思ったから――そうしなきゃいけなかった。

 それだけだ。

 目的もなく、人を傷付けただけ。

 カノンだって、そうだ。

 故意的ではないが、わたしはカノンを傷付けていた。

 嫌な思いをさせてしまった。

 彼女は、悪いことなんて望んでいなかったのに。

 それなのにカノンは、嫌がるどころか、むしろ――わたしを支えようとすらした。

 そんな、無謀なことをしたがった。

 恐らくは、わたしに悪いことをやめさせたかったのだろう。

 それが、わたしのためになると信じていた。

 それが無意味であることには、気付かずに――そう信じていた。

 でも、わたしは知っている。

 たとえ悪いことをしようが悪いことをしまいが、わたしは何も変わらないということを。

 悪いことがアイデンティティなだけで、それ以外ではない――それだけでしかない。

 わたしは多分、わたしが思うよりも悪くはないのだろう。悪いことをしているだけで、悪い人間ではない。

 その辺も、中途半端なだけ――そういうことなのか。

「……あは、は」

 涙を流すこともなく、わたしは肩を揺らして笑った。

 センチメンタルな気分になったりはしない。彼の優しさにときめいたりはしない。救われた気にもならない。ハグなんて、わたしの救済にはならないのだ。

 わたしは死にたくない。だから――死にたいと、そう思った。

 初めて、自殺志願者の気持ちが理解できた。

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