ep9:姉弟/夫婦/君臣.
月が変わって蛇眼陽暦101年長の月。たまに涼しい風が混ざるようになって来た時節。離宮にあるワタシの部屋に殿下がやってきた。
「養父さんから聞いたんだけど、養姉ちゃんと結婚するって本当ですか?」
「まだ、伴乃子爵から話が来た段階だがね。ワタシの家も子爵だから子爵同士で知らない仲でもないからどうかなって?
殿下の養父である綿平殿は貴族になったばかりでその辺の伝がないですから」
薄い雑誌をゆっくりとめくりながら、殿下に現状を説明した。
「お受けになるんですか?」
「殿下はどうですか? 養姉殿は良い嫁になると思いますが、ワタシはそこまで良い夫になると思えないのですが?」
「貴族の結婚は平民以上に諸々の制約が絡むことを知識としては知っています。そのあたりの兼ね合いもあるのだと養父さんが選び、養姉も反対してないのなら卿はいい相手なのでしょう」
「こちらとしても貴族の家の正室が欲しい時期なんだ。当主である義兄や今の正室からも言われているし」
派閥を運用したり、他の貴族との付き合いだったりで今のままでもできるが、結婚するメリットもあるんだよな。
「ん?」
「ん?」
おや、何か食い違いがあったか。
「ちょっと柾彦卿、アンタ正室が居たんですか? それなのに養姉ちゃんと結婚する気だったんですか? 今の正室さんどうするつもりですか」
「ああ、今の正室は豪族の家の出の昔馴染みでね。利平屋潰した後に結婚した。問題なければ養姉上とするつもりだった。第二夫人になるな本人も納得している事だ」
「問題しかありませんよ。え? 貴族社会ってこんなのアリなんですか?」
「慣例上はアリだな。現正室はワタシの昔馴染みで士分出身だ。派閥をまとめるためにそれなりの格ある正室にするのはままある事、正室本人や養姉上、当主などが納得しているなら問題ない」
「え? え? ええ!?」
一呼吸置いて少しだけ落ち着いた殿下が続ける。
「他所の家ならともかく、半生を姉弟として過ごしてきた相手の事ならそうですかって納得できないよ」
「まあそうでしょうね。やはり取りやめにしましょう」
「卿は養姉ちゃんの事嫌いなのか?」
思わぬ言葉、面倒臭い事になって来たかもしれない。殿下はどう言った方向が希望なのか? 恐らく現時点で自らも分かっておられない。
「はじめに殿下はどのような形が理想なのですか?
今の正室も側室も妾も愛人も全て精算すれば満足?
養姉の恵穂様については店にちょくちょく来てましたのでまあ、仲は悪くないですし好ましいと思ってますが」
「そう言われるとわからない。けど僕は養姉ちゃんに幸せになって欲しい。その辺の事は不安材料なんだ」
「わかりました。一度我が屋敷へご来訪を、その上で殿下が答えをお決めください。殿下が祝福されるならワタシも万難排して成しましょう」
後日、郊外にある葛原邸に殿下をお招きした。
「円国風の古い館とその何倍もある洋風の増築された館……」
「平貴族ならともかく、政争やら派閥やらやると色々入り用になるのですよ」
扉をくぐり玄関広間(エントランスホール
)へ出ると殿下が立ち止まる。
「この絵は?」
「お気づきになられましたか、見ての通り殿下です」
階段の踊り場に飾って置いた6畳サイズの文弘厩克彦親王肖像画にお気づきになられた。特注した中々の品なので殿下も呆然と見入っておられる。
ごゆっくりと見ていただきたい思いもあるが、歓迎の準備をしたのだ。そろそろご鑑賞を切り上げさせていただく。
「殿下、急かすようで悪いですが家の者も殿下歓待のために待ちわびております。御茶料理の冷めぬうちにこちらに」
「ああ、うん。卿の趣味かな……これ」
「ええ特注いたしました」
ワタシの姉婿であり当主である崇麿、正室である柚梨詩、家宰の末盧灯一郎以下家中総出で出迎える。感情乏しくほぼ宙を見ているワタシの姉には離れにいてもらう。
「崇麿卿、灯一卿とは何度かお会いしてますね。初めまして奥方様。文弘厩克彦親王ですお招きに感謝」
殿下とワタシの一族は互いに名乗り合い。まずは作法の定石を踏みながら相手を知り、ゆるやかに距離を詰めていく。
形式に則った会話が続き、和気藹々とした空気の中で進むその様は、まるで一幕の劇か儀式のようであった。
殿下が妻柚梨詩と話したいとの事なので別室に移ってもらった。
「さてと、ではこちらも行きましょう」
末慮に案内されて殿下達が入った隣の部屋へ、声や様子が覗ける仕掛け部屋にやって来た。
「あなたも聞いておくべきだ」
それだけ言うと末慮が一歩下がる。隣では殿下と柚梨詩の会話が続いている。
「本当によろしいのですか」
「まあ、私だって思うところが無いわけでもありませんよ。
けど惚れた弱みと言いますか……。目指すものがあるなら進んで欲しい。天地の狭間ほど離れても同じ想いは懐けますし時や距離で流離するような繋がりでもありません」
柚梨詩が表情や声色は務めて固くしているがノロケである。
「柚梨詩さんはどうして柾彦卿を好きになったんですか?」
「もう少しお話しさせてくださいね。彼は気持ちが乗りすぎると空回りする性質なんですよ。
他の娘には巧みな詩を送るのに私に送るそれはあまり上手くないのね、不覚にも可愛いと思ってしまいました。
後は単純に顔や声の好みや腐れ縁なんかもあって複合的な理由になります」
「柚梨詩さん、お二人の間に養姉を挟む事になるのは本当にいいの!?」
「私の方からは特には、彼への感情は母性に近いものがあり、夫と妻というよりライフパートナーと言う感覚。あの子にはちゃんとした色恋の1つもして欲しい」
いたたまれない。なんでワタシが嫁の惚気を聞かされなければいけないのか。末慮に視線を送りもう許してくれと訴える。
「……船遊びの準備がしておりますこちらへ」
アイツも、末盧も居づらかったのか許してくれたようだ。戻ってきた殿下と一緒に庭に出て浮かべた船で風情を楽しむ。風に当たっていると殿下が私の隣まで来た。
「奥方から話を聞きましたし養姉ちゃんが言ってました。「女の子で居られる時間も永遠じゃ無いから」って……誰も不幸じゃないし皆んな納得しているのに僕だけ未だに納得できない」
少しだけ鋭さが鈍った日差しが水面を照らす。
「天地の狭間には納得ができない理解できないことも多いそれで考えたり動いたり……どうです答えは出そうですか殿下。答えは出せそうですか殿下」
「…………」
「臣が義兄では、姉婿では嫌ですか?」
未だ暑い風の中で少し意地悪な質問をしてみた。
「卿に聞く。僕と僕の養姉とどちらが大切だ?」
「殿下です」
断言。迷うそぶりは見せない、ワタシなりの誠意だ。
「卿という奴は……。卿のこと夫としてはどうかと思う部分もあるが臣下としては信をおいている。養姉ちゃんを大切にしてくれ僕が一因でこうなったのだから不幸にしたら許さない」
「御意に。しかし、困りました。殿下に斬られる為に恵穂様を泣かせるのは心苦しい」
冗談めかしていうワタシに殿下の顔は「自分らはとんだ君臣だな」という表情が浮かぶ。堪能した後、ワタシは彼に膝をついた。
何はともあれ一波乱あったが結局今回の件は予定調和に終わった。
「殿下、殿下も婚姻については他人事ではありませんよ。ワタシの方でも探っておきますからね」
「ええ、僕にはまだ早いよ」
苦笑しながら「意趣返しか?」と表情で物語り我が君は否定する。夏の気配が遠ざかり彼岸も過ぎた空高い日のことであった。




