box1:資料1(後世人物評+蛇眼陽暦年表).
:人物列伝
葛原柾彦 蛇眼陽暦78〜134年
魂前葛原氏の傍系に産まれ、母は不明産褥死。
帝立学秀苑時代、後の正室となる伴乃恵穂とその父綿平を暴動から助ける。
利平屋との決闘裁判で巨万の富を得て綿平が養子にしていた克彦親王の皇籍復帰を助けた。その後親王の相談役顧問として資金援助や人物紹介で活躍する。半年戦争では一軍を率い、摂政時代には引き継いだ天津柱プロジェクトを軌道に乗せる。
摂政である克彦親王に暇を乞うた後、過酒により邸の四阿で亡くなった。
末盧灯一郎 蛇眼陽暦77〜135年
鎮西を祖とする末盧氏の産まれ、柾彦が空栗に師事していた頃に出会い意気投合。彼から最も信頼され執事を務める。
柾彦から「末盧に任せておけば抜かりあるまい」との評。
私兵を始めとする人材の収集や方々への連絡役などを行った。また剣を得意とし数種類の流派を会得していたとされる。柾彦の一周忌の後、彼を追うように亡くなった。
加狩乱弾 蛇眼陽暦75〜158年
末盧灯一郎の従兄弟、宮廷警察として裏純川の離宮の警備責任者をしていたが克彦親王が離宮の主となると親王の下に付く。柾彦と共に親王の皇籍復帰の為に働いていた縁もあったため、古くから克彦派であると見られている。
半年戦争では将として一軍や別働隊などを率いる事もあった。戦後は宮廷警察に復帰、取り調べで冤罪を生産する警察の体質を弾劾し実行犯の刑事を処分し体質改善を行う。
牛隅重二郎 蛇眼陽暦64〜129年
腕の神経障害からの悪筆だった為に官吏の道を断念、市井で私塾をしていた時、克彦親王や笹田六門などを教える。
「ヒントを与えて答えまでの道筋をつけてあげればいい」
「大勢の人間が考え、世の中を良くしていくんだ」
など彼の語録から教育者としての思想が伺える。
後に克彦親王の軍の幕僚長を務めた。機略大局では柾彦に及ばないが幕僚を取りまとめ、安定した献策をすることおいて柾彦以上と評される。戦後は良く人と交流し度々推挙した。
橋科山左衛門 蛇眼陽暦75〜107年
郷士の出身。帝都府での一揆の際その武勇と粘り強い説得で功績があったとされる。克彦親王の下で武芸師範を務めた。文弘の兵で名を上げれば橋科は必ず上がると評された。107年反乱軍の残等を匿い引き渡しを拒否、自身も反乱を起こし討ち死した。
半年戦争期、東北の戦禍を抑えた事から彼の地では死後も慕われている。後の恩赦で罪は許されるが官位は与えられなかった。
過城季節 蛇眼陽暦80〜107年
帝都で駄菓子屋を営んでいたマロウドとされる。不逞な異界人や外国人や主義者の横行から自警団鉄冑蓮を創立する。瞬く間に全国に拡大し自警網を広げた。その頃に克彦親王の親衛隊と協定を結び知遇を得る。
半年戦争が始まると他の民間組織や私兵を糾合しレジスタンスを結成。帝都解放後、恩赦による侵略者や売国奴の減刑に不満を持ち降伏者を虐殺。出頭後の現場見聞の帰りに純田川で亡くなった。外理術の過剰使用による副作用とされる。
過城贈礼 蛇眼陽暦78〜150年
マロウドとされる。転生障害によって長時間の睡眠が必要とされた。季節の姉。前任者からマロウド組合を受け継ぎ、マロウド達の会社を統合し転財閥を作り上げる。
大変な文通家で手紙を通して多くの人と交流があった。
また克彦親王への支援、協力を惜しまなかったとされる。半年戦争後は、妹季節が亡くなった事もあってマロウド組合も転財閥も人に譲り、桜の木のある別荘で使用人に介護されながら静かに過ごした。
安能新 蛇眼陽暦32〜132年
問州出身、実家は裕福だったらしい。軍閥連合政権時代末期の混乱の中、統盟帝の近代化路線に合流する。その後、選挙に出馬し当選。以後議会にて政治家として実力を発揮する。
四相において長老役とされる事が多い。
半年戦争時は諸国を周って支持や支援や義勇軍を集め、戦後は度々宰相に就任して復興や経済政策を担った。瑞々しい肉や果物を好んだとされる。100歳の誕生日に静かに息を引き取った。
園生豊恵 蛇眼陽暦??〜???
異界出身マロウド。博覧強記の才媛でありエネエ工社を立ち上げ、同社は後の名ゴレーム「業来槌」を開発。後に転財閥へ加わった。
土嚢の勧めで政治家になると革命派の追放や戦争時の軍需計画に能力を発揮。
技術革新や官僚操作の理解が深く重宝された。
摂政克彦の下で情勢盤石になると政治家を引退して世界を遊び回ったがいつしか姿を消す。天然な所があり度々奇行が記録される。
近羽公定 蛇眼陽暦56〜141年
貴族出身。儀礼や宮廷交渉に長け、有意な人材を後援する事に熱心であった。橋科を文弘厩親衛隊の武芸師範に推薦したのも彼である。
戦前戦中戦後と克彦親王と朝廷のパイプ役を務め、内地に転移させた敵城塞に殴り込み同然に交渉に突入して敵を投降させた事もある。
葛原柾彦の権勢が強まると彼に対抗する形で政敵を演じ不満を抑えた。彼の家は近衛羽林、皇帝の親衛隊から発した家であり家伝近羽辰拳を得意とする。
土嚢轍 蛇眼陽暦60〜148年
平民出身。選挙運動時に伴乃子爵の店に立ち寄った事から既知となり叙爵した子爵を助ける。民生や利益誘導を得意としクリーンとは言えなかったが民衆に人気があった。
安能、園生、近羽、土嚢は半年戦争後の閣僚にほぼ名を連ね度々宰相を歴任した。
その事から四相と称されたが彼が1番宰相歴が長かったとされる。
晩年愛人との旅行中に亡くなった。腹上死。
徳大羅久々 蛇眼陽暦67〜132年
かつての軍閥連合政権の盟主であった徳大羅公爵家の当主。半年戦争が始まると近羽公定に要請されて宰相に就任。国内を回って方々に戦争協力を取り付ける。カメロドの地で和平条約が成立すると「終わったな余は恩賞を貰い帰って英気を養う」と近羽を後任指名して隠居。
半年戦争中色々なところに顔を出した為か顔を覚えられており、本人自身その後も色々なところに顔を出したので「宰相かよ」との文言が当時の記録に多く見られる。
ゴルフ、絵、囲碁、乗馬、武術、映画と才気縦横多趣味で様々な分野で活躍した。
翔円帝 蛇眼陽暦84〜177年
盤条帝の皇太子。激しやすい所もあるが聡明であったとされ104年から健康状態に優れなかった盤条帝を摂政として支える。106年に帝都震災が起こり、北方人民連邦が侵略を開始する。その中で父盤条帝が行方知れず、旧都に逃げ延びた翔円帝は即位。半年戦争が始まる。
107年に帝都を奪還し盤条帝も保護すると盤条帝を復位させ再び摂政として補佐した。カメロド条約で和平が成立すると盤条帝から譲位し再び即位、克彦親王を摂政に指名し、以後大円帝国は安定と繁栄の時代を迎える。172年に皇太子に譲位した。
盤条帝 蛇眼陽暦62〜112年
統盟帝の皇太子にして翔円帝と克彦親王の父。幼年期に神隠しに会い異郷の妖精との間に克彦親王をもうけるが、帰還した際の記憶が喪失しており再開するまで忘れていた。
病弱であったが、統盟帝の近代化政策を元老らの力を借りながら継続。104年から皇太子を摂政として補佐を受けながら政務をとるが106年帝都震災、北方人民連邦からの侵略の中、皇帝として帝都に残ることを決断。帝都地下のレジスタンスに匿われながら帝都での自身の健在を示し続けた。107年に帝国軍と合流、半年戦争の終結後に翔円帝に帝位を譲る。
ウリエル・トウハチェフ 蛇眼陽暦76〜156
ルブル貴族家の産まれたとされる。幼年学校を主席卒業、士官学校を卒業した後近衛に入隊。西洋大戦ではわずかな期間で6個の勲章を獲得するもマルク軍の捕虜になる。脱出後、革命が起きて北方人民連邦が成立していたのでこれに従う。皇国時代の正規軍事教育を受けていた為に重用され将軍に任命される。
干渉戦争では外理術を応用した縦深戦術で連合軍を各個撃破し北の軍神との勇名が轟き、元帥へ昇進。半年戦争では箱関城塞群攻略に苦戦し、克彦親王との会戦で捕虜になるなど精細に欠けたが軍を維持し円国からの撤退に成功している。連邦崩壊後の第11共和国の大統領になるが新大陸に亡命しそこで教授として軍事学の研究をした。
バグロ・ワイバラジャーツ 蛇眼陽暦???〜???
出生不明、旧ルブル貴族だという説もあるが確証に乏しい。最古の記録はマドカルブル戦争の頃、当時少佐であった鷹司率いる部隊が調査している遺跡への襲撃。以後各地に出没し、ルブル皇国から北方人民連邦へ政権が移り変わっても破壊工作や謀略活動を続けた半年戦争の帝都奪還戦を最後に消息を断つ。
遺跡の技術を利用した人工天子の開発製造に関わっていた。裏主席を陰で操っていたなどの陰謀論が実しやかに語られている。
モイタリア・バルカ・シェケルブルク 蛇眼陽暦88〜180年
西洋大陸シェケルブルク王国の王女。王位継承権を持つ才色兼備の王女であったが、幼い頃に妖精郷へ迷い込み因子流入によって王位継承権を喪失する。
円国への留学中に克彦親王と出会い婚約、半年戦争中に結婚。諸国を巡り円国の立場を訴えた。
顔立ちは整っていたが表情が乏しく厳正な性格だった為怖がられる事もあったという。
政略的な要素が強い結婚であった。だが、克彦親王と仲のいい臣下に嫉妬したり、克彦親王の髪を櫛で漉いている姿が見られたり克彦親王は彼女亡き後再婚しなかったために少なくとも冷え切った政略婚ではなかったと考えられている。
伴乃綿平 蛇眼陽暦61〜136年
帝都府の平民。下町で洋食屋を営んでいたが拾った克彦親王が妻に似ていた事から遠縁なのではと思い養育する。
その後、克彦親王が皇子だと判明し皇籍へ復帰すると子爵位を与えられる。子爵になった後も克彦親王の離宮へ料理人として仕えて腕を振るう。
半年戦争後、他の貴族が反乱軍に協力した罪で没収された領地を与えられる。料理を振る舞い、度々帝都から様子を見に行くなど民心の慰撫に務めた。妻方の甥である領地が安定すると和津平に爵位を譲って隠居した。平民時代から付き合いがあった人々とは爵位を得た後も交流は続いていたらしい。
伴乃和津平 蛇眼陽暦85〜151年
二代目伴乃子爵。田舎で羊飼いをしていたが叔母夫婦が爵位を賜り貴族になると帝都に呼ばれた。克彦親王とは平民時代にお盆や正月に何度かあっていたらしい。
背は克彦親王より高かったが本人と似ていた事から親衛隊に入り影武者を度々務めて半年戦争にも従軍した。
戦後は一級文官資格を習得。綿平から受け継いだ領地に農場や牧場、別荘などを誘致して領地は田舎だが住みよく財政が豊かだったとされる。
葛原恵穂 蛇眼陽暦86〜194年
旧姓は伴乃、伴乃子爵の実娘、克彦親王の養姉。彼女が幼い頃、平民だった伴乃子爵が都合の悪くなった料理人の代理として学秀苑の学食を任された際、生徒に「平民向けの料理が食えるか」と罵られ、食器や鍋をひっくり返される事件が起きた。いわゆる学食征伐である。
こっそり着いてきていた恵穂はそれに立ち会ってしまい、その後学食征伐は機嫌が悪かった後の夫柾彦が呪いを乱射して鎮圧。これが彼との馴れ初めであった。
平民時代は看板娘として、嫁入り後は葛原夫人として太陽のように明るかったと伝えられている。娘2人に恵まれた。
葛原柚梨詩 蛇眼陽暦76〜158
旧姓は夏森。豪族、郷士あたりの出身と伝えられているが定かではない。
柾彦の内縁の妻であったが恵穂との婚約に賛成して第二夫人となる。恵穂を良く補佐した事。
後に、義姉婿の崇麿から子爵位を継ぐことになる柚梨詩と柾彦の息子に対し、柾彦は「このままぬくぬくしては凡息殿――」と述べ、水風呂に投げ込んだ。恵穂、末盧と共に柾彦を邸から追い出し、柾彦が近づくと自ら鏃のない矢を放つ。柾彦は半年間、克彦親王の所に転がり込んで戻らなかった事などが伝えられている。柾彦の事を「お前様、マーくん」などと呼んでいたので夫婦仲は悪くなかったようだ。
空栗秀章 蛇眼陽暦35〜115年
外理演算機、電気演算機の権威。教え子に克彦親王、柾彦、末盧などがいる。私塾を経営する傍ら輸入、改良、自作したコンピュータを用いた解析研究を行っていた。一時学閥の煽りで治事から追放されるが葛原家の力添えで甲辛国際学園の教授となる。
蛇眼黒点の原因がダークフィフスである事の証明や転鼎の両財閥で複合コンピュータの開発などを行う。
最大の功績はダークフィフス変換装置兼機動エレベーター兼外理式大演算機である天津柱の開発である。安定、高速、低損失な発展が可能となり、遠い未来、天津柱による技術加速によって宇宙縮小を乗り越える要因となった。
鷹司巧 蛇眼陽暦35〜???
鷹司家の傍系貴族の出身。若い頃は攘夷活動に明け暮れ、統盟帝の近代化政策が始まると西洋に留学して外理学を学ぶ。マドカルブル戦争では外理将校として調査戦闘で活躍。予備役編入後は甲辛国際学園で後進を育成し、半年戦争が始まると軍に復帰、克彦親王の副将や北海島へ転移城塞にて乗り込み後方撹乱するなどの活躍を見せた。最終階級は大将。
戦後「神のお告げがあった」と異界に旅立ちその後も時折目撃情報があり。201年、異界観測記録に“鷹司巧”と同名の署名が確認される。
暦ヶ丘舎人 蛇眼陽暦30〜120
実家は荘園管理人だったと伝わる。幼い頃の葛原柾彦への治療、カウンセリングを行った。医師、考古学者。
診療所経営の傍ら暦ヶ丘古墳への調査を続けており、度々論文を発表する。スワンプワールドー下層暦ヶ丘古墳の時代の人々の宇宙観ーなどが有名。
医師としては死人を生き返らせたという伝説がある程の治療巧者だったようで、蛇眼陽暦100年頃から半年戦争間彼が従軍した文弘厩親衛隊に1人の戦死者、病死者も出していない。
レディン・イーミャ・ストー・アジン 蛇眼陽暦88〜110年
出生不明。若年でありながら北方人民連邦の高官を務めた。110年の連邦解体戦争にて戦死。時折生存説が囁かれている。以下本文は真偽不明の噂や推測などをまとめたものである。
マドカルブル戦争の時代、テールの地にある遺跡から、ルブル皇国は外理技術を獲得した。その技術を用いて作られた特殊な人造生命が、レディンであるとする説がある。一説には怪人バグロ・ワイバラジャーツも製造に関わったとされる。レディンは革命によって奪われて北方人民連邦で運用された。連邦の急速な発展にはレディンの持つ何らかのチカラが関係していたらしい。
遠智谷治盛 蛇眼陽暦68〜149年
異界の争いに敗れて流れ着いた一族の末裔だと伝えられている。マドカルブル戦争で死傷者を出さずに小隊の任務を遂行し、カスティーナ・サン・ド・アン出兵では少数の殿部隊で追撃を止め多くの味方を逃した後に撤退に成功している。
その後予備役へ左遷されるが文弘厩親衛隊を指導し、半年戦争では函関を防衛し大円帝国の命数を紡いだ。
守勢に定評があるが戦場で兵を率いる事全般を得意とし、連邦解体戦争では誘導牽制を用いた邀撃戦術や各個撃破などを披露。逆に大本営などで戦争指導する能力は並程度だったと言われている。
最終階級は元帥。軍引退後は孤島を購入してそこで家族と共に暮らした。
葛原造彦 蛇眼陽暦91〜163年
自称葛原氏本流。なお本流の葛原氏は戦国期に断絶している。決闘裁判で金回りが良くなった傍流葛原氏に金の催促に来たら文弘厩親衛隊に入る事になった。
気位が高く下の者を見下す悪癖があるが、反面面倒見が良く、ノブレスオブリージュには労を厭わない。不条理と思った事には直ぐ噛み付く事から狂犬との評もある。
半年戦争後は親衛隊が解散すると実家を継ぐ。貴族院議員として貴族、財閥、官僚、学者、新聞など噛みつきまくり不思議と平民から人気があった。映画や漫画、ゲームなどのパトロンもしている。
笹田六門 蛇眼陽暦89〜209年
帝都府下町の平民、縁日で迷子になっていた平民時代の克彦親王を助けた事から友人となり、親王が皇籍に戻ると親衛隊に入り、親衛隊解散後も彼の護衛として付き従った。
造彦との決闘を皮切りに良く倒した相手を連れてきて親衛隊の戦力にする事から喧嘩屋と呼ばれ、狂犬と並び評された。本人曰く「自分からはそんなに喧嘩は売っていない、よく絡まれて迷惑している。半分くらいは反則勝ちや無効試合」
第一回文弘厩記念優勝騎手。文弘衛士顛末録の作者。「悪い最後まで付き合えそうにない」と克彦に告げたのが最後の言葉とされている。
文弘厩克彦 蛇眼陽暦90〜216年
盤条帝の皇子。市井で育ち11の頃に柾彦の調査によって皇族と判明し皇籍に復帰。物語のような皇族復帰譚、可愛らしい容姿と手厚いファンサービスで朝野共に人気があった。
半年戦争では帝都撤退戦、群州会戦、帝都強襲戦、交告城塞籠城戦、北部前線、交告城塞開放戦、帝都奪還戦、最北進軍戦など30余りの戦いで勝利する。旗本と元に敵中に攻め込み司令部や指揮官を無力化する戦いを得意とした。
同時に大本営会議廟算堂のメンバーとして戦争指導にも当たる。
戦後は摂政として東円の復興防衛、翔円帝の帝都期間、天津柱プロジェクトなどを行い100年勤め上げた。乱世半年治世百年と評される。臣籍降下して御伴乃の姓を下賜された。
:蛇眼陽暦年表
1年:19世紀の初頭。太陽に縦長の蛇の目のような黒点が観測され、寒冷化が起こり、各地で食糧不足や人口減少が起こる。いつしか人々はその黒点を蛇眼黒点と呼び、今を蛇眼陽暦と呼んだ。
3年:ポンド・ドールにて寒冷化への対策の一環として魔術や気功など様々な超常技術を比較、組み合わせ、併用し外理学が誕生。以降外理学の応用で寒冷化の被害が緩やかになり始める。
12年:外理学の広がりや発展で寒冷化による人口減少が止まる。以後ポンド・ドールを筆頭に列強は自国の維持が為のリソース獲得の為に更に帝国主義政策を強める。
36年:大円帝国にポンド・ドール新大陸の艦隊ブラックフリートが来航。寒冷化で弱っていた徳大羅軍閥連合政権が揺れる。
37年:大円帝国開国
51年:統盟帝に軍閥連合政権から政権が返還され、新政府の下で近代化政策が開始される。
87年:新政府大円帝国は大陸の権益によりルブル皇国と衝突、マドカルブル戦争が勃発。
88年:大円帝国とルブル皇国との間で和平が成立。マドカルブル戦争が終結。
97年:クローネ=フォリント帝国の皇太子家族が暗殺された事で西洋大戦が勃発。
100年:革命により ルブル皇国滅亡、北方人民連邦が誕生。西洋大戦は急遽和平が成立し中断。列強連合によるカスティーナ・サン・ド・アン出兵(干渉戦争)が起こるがウリエル将軍に撃退される。
101年:市井で克彦親王が発見されて保護される。
106年:帝都で大震災が起き、クーデターが発生。それに乗じて北方人民連邦がクーデター政権を支持する形で侵攻し半年戦争が起こる。
107年:侵攻した北方人民連邦が叩き出され、ポンド・ドール、カメロトの地で和平が成立。半年戦争が終結。克彦親王が摂政になる。
110年:北方人民連邦が自壊を始め、列強各国が事態収束のために派兵。連邦解体戦争。以後国際社会で大円帝国が主導権を持つようになる。
112年:空栗教授が蛇眼黒点の原因をダークフィフスによるものだと証明。ダークフィフスへの対処とその副産物利用の為の天津柱プロジェクトが始動。空栗教授が青写真を描くが途中で逝去し、引き継いだ葛原柾彦によってプロジェクトは進められる。
120年:天津柱が完成。
125年:天津柱の運用が軌道に乗る。125年以降天津柱体制の下で国際秩序が安定期に入る。
216年:この頃から星系がダークフィフス帯を抜け始めて蛇眼黒点の活動低下が報告される。
241年:完全に蛇眼黒点が消滅した事が証明される。
250年:国際会議にて蛇眼陽暦の終了が決議されこの年で蛇眼陽暦は終わりを迎える。
裏設定として本年表以外の部分は異世界の歴史小説いわば一説、一解釈というスタンスをとっています。三国志演義とか大河ドラマくらいの確度かな?




