ep last:ーエピローグーワタシ戦奇/渡し戦奇/和多志戦奇.
ーーエピローグーー
ーーー後世 観 110年より216年よりーーー
蛇眼陽暦110年。翔円帝が旧都を中心とした西円と海外県を統治し、摂政文弘厩克彦親王が帝都を中心に東円の統括、復興、防衛を行う二頭体制は良好に機能していた。大円帝国は急速に国力を伸ばしていく。
その一因として半年戦争ではあまり損害がなく死人が少なかった事があげられる。ある専門家チームによる試算が実数の十倍を超えたなどという話も語られる程だ。
「兄さんおかえりなさい」
「酷い目あった」
「とりあえず何から直す?」
第一に戦時の大円帝国が臣民の保護や部隊の保全を重視していた事、戦時に度々玉砕よりも撤退からの再編成を求める訓令が出ている。
第二にこの時期の北方人民連邦軍の規律が高く、略奪や暴行などの件数が少数であった事。
第三にお互いの軍の間にある種牧歌的な戦争が繰り広げられていた事、指揮官が武芸を競ったり、杯を交わしたり、詩を吟じあったエピソードなどが多く語られている。
一方で先の半年戦争で火花を散らした北方人民連邦は先の戦争での動員や総力戦体制の反動により、機能不全を起こしていた。
各地で戦後後遺症による労働力不足や人心の低下による統制の崩壊、大量の物資を消費して事による経済不順が表面化。
「配給が減った」
「うわああ、首切り皇子が首切り皇子が来る」
「中央にかつてのように取り締まる力はない。多少の役得はね」
列強諸国では北方人民連邦に対する第二次出兵の機運が高まる。弱肉強食の帝国主義時代の常であり革命思想への脅威を潰すためである。
第二次対北方人民連邦出兵。通称『連邦解体戦争』の流れが出来上がりつつあった。
その流れに対して大円帝国国家戦略会議枢密院は是とする。大義名分として半年戦争の報復を列強諸国に提出。
大円帝国にしても近隣の不安定化抑止、他の列強の暴走への静止、摂政文弘厩と対となり運命力的な確率補正を抑止する裏主席レディンの確保もしくは無力化。さまざまな思惑の下で連邦解体戦争への参加を決定する。
摂政文弘厩を中心とした交渉で連合軍の主導権を握った。
「遠智谷中将を大将に昇格し、北方人民連邦派遣軍の司令官に任じる。目的としては隣接地域の安定化。第二に亡命者や戦争責任者の引き渡し」
「御意に」
皇帝摂政双方の署名脱印の下。大円帝国は隣接地域の混乱を収めて亡命していた旧ルブル皇国の皇女を元首に沿岸地域を独立させた。
連邦解体戦争の決着は直ぐにつく。戦端が開かれると同時に連邦という組織は雪崩れのように崩壊、かつて精強を誇った北方人民連邦が幻の如くであった。
主席ゾローチンが病死し現在進行形で連邦が崩壊中と報告を聞いていた摂政文弘厩は報告官にこう訪ねたとされる。
「レディン裏主席に対して何かわかる事はあるか?」
「戦死いたしました。不確定情報ですがミサイルが突き刺さり爆散したと伝えられております」
「ご苦労。因縁があった。敵対もした。彼の魂が輪廻を巡り還ついてこの地で良い人生が送られるよう。和多志はこれからも政を執ろう」
摂政文弘厩はそう言うと次の報告を聞く。蛇眼陽暦110年、神の月の事であったとされる。
連合軍を主導したことでポンド・ドールは大円帝国に列強筆頭の座を事実上譲り、翌111年に復興が一段落ついた帝都に翔円帝が帰還、もはや時代は半年戦争後ではなかった。
蛇眼陽暦132年、摂政府顧問葛原朝臣柾彦が摂政克彦へ柾彦自らの処を乞うたとされる。
「提示された事情や要因も功績などの減重要素の重要性を上回るものではない。無罪」
葛原柾彦という男は101年に市井で保護し皇籍に復帰させその後は相談役や幕僚、摂政府顧問として常に克彦親王の第一臣であり続けた。
近年ではダークフィフス変換装置兼機動エレベーター兼外理式大演算機である天津柱プロジェクトを主導し軌道に乗せた能吏でもある。摂政克彦は宣告し続ける。
「前にもこんな事があったな。確か半年戦争後に親衛隊を解散させた後。
「自害を命じて下さい」だ、「お手打ちにしてください」だと解散させた親衛隊の一部隊員が言ってきた。
君らはアレかね和多志に殺されたい欲求でもあるのかね」
「懐かしいですな最北端への強行軍。命令ボイコットを提案した複数人の親衛隊員がいたので連帯責任として親衛隊を解散させる。
その後再就職先を斡旋して回った。殺されたいか殺されたくないか言えばアリ寄りです」
「気持ち悪いよ、柾彦卿。和多志は卿によって大変な目にもあったが億の臣民から和多志を見つけて和多志に帝国を救う役割をくれた事、今日まで支え続けてくれた事に感謝している。
卿のことが好きだ。これは和多志の判断だ卿の理想の皇子様は大人になったと祝福してくれ柾彦卿」
「解釈違いでファンとして残念でなりません。ですが、臣としてそれ以上に喜ばしく思います」
「ともあれ、和多志は卿を許そう。卿が卿自身のこれまでの所業を許せないので有れば自分で裁くなり償うなりする事だ」
その日、葛原朝臣柾彦は摂政府を後にした。その後の彼はかつてのような冷徹さは鳴りを潜め、早くも耄碌の気配が漂う。屋敷の四阿で茶や酒を飲んでいる事が増えた。
「もうじき、倅に凡息殿に子ができる。ワタシの孫と言う事になるな」
長年連れ添った執事に彼は語る。末盧灯一郎、老執事は黙って頷く。
「なぁ、ワタシのような者が孫の顔を見るのは
なんか違うと思うのだ」
「違いない」
末盧がそれだけ返すと2人は杯を当てて飲み干す。葛原柾彦自宅の四阿で死す。蛇眼陽暦134年、享年56の事で死因は過酒であった。
葛原柾彦に対して正式に記録されていることは少ない。
・決闘裁判で巨万の富を得た事
・市井の克彦親王を保護し皇籍に復帰させ相談役として後見した事
・天津柱プロジェクトで主導的な立場であった事
・134年に屋敷の四阿で死去した事
後世の風聞のほとんどは野史や創作の類であった。正気を疑うエピソードは豊富である。
蛇眼陽暦207年。摂政文弘厩克彦は摂政としての最後の職務を行う。摂政として勤労100年の伏目として象徴的な職務。現皇帝への最後のご講義である。
「互いに強硬姿勢の時は意外に戦端は開かれにくい、緊張緩和を行う時ほど心してくだされ。バランスが崩れて戦端が開かれる事がございます。
古来より多くの国が民の不満を見誤り乱が起きました、まだ爆発しないと考えて。繊細な草木や小動物の如く細心を……」
半年戦争を戦った戦友達はすでにこの世になく、翔円帝から数えて数代、彼は摂政を続けている。大円帝国は列強筆頭としての地位を不動としいつの日か語った理想を実現していた。
半年戦争で名を馳せ今武名親王と称された少年将帥は今では古の名摂政。武智宿禰、馬宿厩と並び称されている。
「次は皇帝大権についての解説です。末文の『皇帝は国内の何処にでも立ち入れ、いかなる物事についても物問える』
覚えておいてくだされ陛下。皇帝が皇帝である限り、大円が大円である限りこれだけで全て出来る。以前ある人に教わりました。『貴族の本質的な力はコネと箔で後は余技』君主にとってもそれは変わりません」
そう最後に今生の皇帝に伝えると刻限を伝えに来る侍従の足音が聞こえて来た。摂政は宮廷作法に則った辞礼を行い最後の奉公を終えた。
克彦親王は臣籍降下し御伴乃の姓を賜り、克彦の後3代を経て爵位を返還し姿勢に下ったとされる。
蛇眼陽暦216年、早朝の散歩の途中に御伴乃克彦は久しぶりに異界に誘われた。何処か懐かしい気分でそのまま歩いていると跳鞠妖精が飛んできた。
そちらを見れば童が投げた物。瞬間飛んでくる無遠慮な捜査術式。身体中を撫で回されるような感覚を覚えた。
「!!ッ うわ出た キモッ」
何十年振りか素の反応が飛び出る。その童に覚えがあった。それ以上に誰よりも知っている。
自分と出会う前の第一臣。死去してから久しく会っていなかった相談役。時間の概念が特殊な異界ならではの現象。
童の手を引いて異界の出口まで送ってやる。一方は既知であり、もう一方は初対面。かつての摂政は未来の臣にあまり不躾な事をしてはいけないと心ばかり諭した。
だが多分改善しないだろうなと異界の出口でその小さな背中を見送った。自分はこの先にはいけない。克彦はそのまま歩き続けてもといた場所への出口で異界を抜ける。太陽が顔を出す所であった。
「おや?」
産まれた時から見慣れている蛇眼黒点、普段よりも少し小さいのに気づく。随分と昔に空栗教授により蛇眼黒点や怪現象は宇宙空間のダークフィフスエネルギー地帯に星系が突入した事による物だと証明されている。
目の前の現象はダークフィフスエネルギー地帯を抜けつつある証左であった。その日から蛇眼黒点は徐々に縮小していき蛇眼陽暦は250年をもって終了する。
ただその場に克彦の姿はなかった。この年、蛇眼陽暦216年に彼、克彦は死去したと史書では記されている。
ーーー ーWーわたしー戦奇 完 ーーー
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(2026.2.1)




