第九話 暗躍
凱旋した一団が、城塞都市の堀に架けられた大きな跳ね橋を渡り、各部隊の点呼のために都市の入口で隊列を作って待機していた頃。
イヴァノビッチ子爵は、その一団から外れてヴィルヘルム辺境伯のもとへ馬を走らせていた。
「化物…。」
帝国の前衛部隊と二人の戦いの一部始終を見ていたイヴァノビッチは、その戦いぶりを見た思いを口から漏らす。
たった二人の傭兵が、二千の部隊をほぼ殲滅する。
それは、あまりにも常軌を逸していた。
それまで、賢者の言葉を偽りだと決めつけ、完全に侮っていただけにその事実は衝撃的だった。
「一刻も早く辺境伯にお知らせせねば…。」
馬上で、息を切らしながら手綱を握り城塞都市の城を中心に造られた街の中を走り抜けていた。
イヴァノビッチがようやく城の門前に辿り着くと、
警備の兵士はその狼狽ぶりに声をかけた。
「宰相閣下!いかがされたのですか?!」
息を切らしながら馬から降りると門の前に駆け寄って、荒々しく兵士に怒鳴りつける。
「辺境伯様はどちらだ?!」
「おそらくは執務室にて執務中かと…。」
「わかった!…この後、王女殿下と騎士達がここに来たら私の命で一番大きな応接室を用意してあることを伝え、なるべくゆっくりと案内しておけ!」
「はっ!」
兵士は、気を吐くように返事をすると他の兵士達の元へ走りイヴァノビッチの命令を伝えた。
それを目に止める事なく、イヴァノビッチは城の中に入ると執務室へと足早に向かう。
「一体、なんとお伝えすればよいか…」
一旦はそのように呟いて、隠さねばならないことがないか思案したが、次の瞬間にはすべてを話すことに決めた。
あまりのことに、自分が抱えきれる話ではないと判断したからだ。
そして、執務室の前で警護する兵士を前にすると息を整えることなく慌てた様子で申し出る。
「急ぎ、辺境伯様にお伝えしたいお話がある!入室の許可を貰いたい!」
「かしこまりました!」
兵士は、すぐにドアの向こうに消えるとものの数秒で姿を現した。
「すぐに入るようにとのことです。」
イヴァノビッチは、頷くと兵士が重厚な扉を押し開けたのを見て執務室の中に体を滑らせた。
「何事だ子爵?!兵が驚いているぞ?!」
かつては武勇で名を馳せ、辺境の守護を任されたシャルガン=ルイズ=ヴィルヘルム辺境伯は、長い安寧の時間の中を、武人ではなく一貴族として怠惰に過ごした結果、見事に弛んだ腹を揺すって声を上げた。
「申し訳ございません。火急にお伝えしなければならぬことが起きましたので、急ぎ帰参しこちらに参った次第でございます。まずは、お人払いを…。」
シャルガンはその言葉でその内容を察した。
現在、王国は二つの公爵家を含めた三大貴族を中心に勢力図を作っている。
その中で王族とは血縁のない侯爵家でありながら、最も強大な軍事力を持つグランディア侯爵の派閥にシャルガンは入っていた。
それ故に、今回のアリステルの入城は侯爵の心証を悪くしかねないものであり、シャルガンにとっては迷惑この上ないことであった。
シャルガン自身が、王女であるアリステルが出陣する際に同行しなかったのは、王家への牽制と侯爵に対する忠誠でもあった。
そして、アリステルが側付にしている賢者のあまりに荒唐無稽な話。
シャルガンはその話を一蹴し、自分はセレバスに引き篭もることに決めてイヴァノビッチを送り出したのである。
…だが、真実はもう少し複雑な状況にあった。
それは王国の重席を担う侯爵が、敵国ダルキア帝国と内通しその窓口をシャルガンが務めていたのである…。
執務室に入ってからも、額に汗を浮かべ狼狽し続けるイヴァノビッチを見下した視線で睨めつけると鷹揚に言った。
「子爵。一体、何事が起きたのか?」
「…はい。例の賢者が申しておりました傭兵達のことでございます。」
イヴァノビッチは、執務の助手をしていた二人の文官が退出したのを確認してから、奥にある豪奢な造りの机越しに座るシャルガンに言った。
「そうか。それでは、あの戦場で何が起きたのか包み隠さずすべて申せ。」
「かしこまりました。…それでは…」
シャルガンの許しを得て、イヴァノビッチは目にしたすべてのことを余すことなく語った。
「…それが私めの見たすべてでございます。」
「フム…。」
シャルガンは、話が終わった後も怯えているような自分の腹心の姿を見て押し黙っていた。
そして、何かを思考しながら椅子から立ちイヴァノビッチに近づく。
今回の帝国の侵攻に対し、侯爵は周辺の貴族に圧力をかけたため、アリステルは敵の軍勢の半分にも満たない手勢で出陣せざるを得なかった。
そして、賢者の騙る傭兵達が現れたとしても、帝国軍はアリステルの騎士団もろとも打ち破り、セレバスに入城するという予定だった。
シャルガン自身は、そのまま帝国に降りセレバスを王国侵攻の橋頭堡として侯爵の蜂起を待つ。
それが、シャルガンや侯爵、そして帝国のシナリオだったのだ。
しかし、それはたった二人の異世界の傭兵達に頓挫させられる。
「…そうであったか。その者達はそれほどの力を有しておったか。」
「はい。…私から見ても、あれは戦などではありませんでした。何度も我が目を疑ったほどです。」
シャルガンは、自分の腹心の言葉を疑うことなく受け止めた。
「わかった。それでは侯爵様にはなんと申し上げるべきだと思う?」
「恐れながら、そのままをお伝えして今後に備える事を進言なさるべきかと思われます。…あれほどの力、たとえ王族であっても持て余すに相違ありません。」
実務に長けたイヴァノビッチらしい返事に、シャルガンは僅かに苛立ちを覚える。
「子爵の言うことはもっともかもしれぬ。だが、持て余すほどの力を得た王族が、侯爵様にどのような態度に出るかなど思いもつかぬ。今となっては引くことも出来ぬしな。」
「なればこそです。お言葉ではございますが、侯爵様に今後の判断を委ねるのが得策かと存じます。また、今回の戦は小競り合い程度とはいえ、帝国は侯爵様に詰問することは明白です。一刻も早くお伝えするべきと愚考します。」
いつものように饒舌になった子爵の姿を見て、シャルガンは口元を緩める。
「わかった。そのようにしよう。…しかし子爵よ。そう怯えずとも良い。」
「い、いえ、私は怯えてなど…」
「良い。そなたはそれ程の物を見てきたのであろう?それでは無理のないことだ。…しかし、どれだけ戦働きに秀でていようと、相手は下賤な傭兵風情。そのような者達も飼いならす事ができなければ、周りの貴族共にも侮られるというものだ。」
「はっ…それは…たしかに…」
「所詮は只の傭兵、我等が王女よりも遇すれば、こちらの味方に引き入れられる事も容易なこと。…案ずることはない。その手の者の扱いは十分に心得ておる。」
シャルガンは、余裕の笑みを浮かべて二重になった顎を撫でながら言った。
しかし、 イヴァノビッチの顔色は優れなかった。
戦場で見た二人の姿は、シャルガンが言うような只の傭兵には見えなかったからだ。
イヴァノビッチは、何か言葉をかけなければと頭を巡らせたが出てくる言葉はなかった。
すると、執務室の外に控えていた兵士が声をかけて来る。
「辺境伯様!マリー様がお越しです!」
今年十四歳になる三番目の娘のマリーの名を聞いてシャルガンは相好を崩した。
「おお、マリーか!良い良い、中に入れなさい。」
シャルガンは、そう答えてイヴァノビッチに視線を戻す。
「話はここまでとする。子爵は殿下達を歓待し労をねぎらって差し上げろ。そして、その席で傭兵達が何を最も欲するのか調べてくるのだ。金か女か、それとも他の何かなのかしっかり見定めてまいれ。…良いな?此度の事、くれぐれも気取られぬようにだぞ?」
「かしこまりました。」
イヴァノビッチは、恭しく頭を下げて部屋を退出する。
その入れ替わりに、派手なピンクのドレスに身を包んだマリー=リセル=ヴィルヘルムが見事なほどにキレイに巻上げた金髪をフワリと靡かせながら部屋に入って来た。
「あら?これは子爵様!もうお話はよろしいのですか?」
すれ違いざまに、マリーはそう言って屈託のない笑顔を見せる。
イヴァノビッチは、先程までとは打って変わって朗らかな笑顔を浮かべながら頭を下げる。
「はい。私めの話は終わりました。どうぞ、お父上とお話しくださいませ。」
「ありがとう。」
マリーはイヴァノビッチが出て行くのを見送ることなくシャルガンに振り向くと跳ねるように父へと近づいた。
「お父様!先程、アリステル王女殿下が凱旋されて城にご到着なさいました!」
「おお、それをわざわざ伝えに来てくれたのかい?ありがとう。」
シャルガンは、娘を溺愛する父の顔を貼り付けて微笑む。マリーは、気づくことなくニッコリと微笑みで返した。
「それでお父様、私も凱旋の宴に参加させて頂こうとこのドレスを着てみたんですけどいかがですか?」
そう言ってドレスの裾を摘んで見せる。
「とてもよく似合っているよ。それならば殿下もさぞかしお喜びになるだろう。」
シャルガンはそう言いながらも内心、アリステルの事を考えると忌々しく感じていたが、娘の前ではその表情を見せられない。
マリーはそんな気持ちも知らぬまま、花が咲いたような笑顔を浮かべて喜ぶ。
シャルガンは、それを見てつくづく美しく育ってくれたと思っていた。
シャルガンにとってマリーは、いずれ王国が帝国に平定された時、帝国の名家に嫁がせ自分の地位を高めるための道具として考えていた。
それまでは良き父として振る舞うつもりだ。
かつて、王家に忠義を尽く騎士の一人として戦場で剣を振るっていたシャルガンは、頑ななほどに地位と財産に固執する一人の貴族となっていた。
「ありがとうございます、お父様!それでは、私も色々と他の準備がありますのでまいります!後ほど宴でお会いしましょう!」
マリーはそう言うと部屋を出ていこうとした。
しかし、パタッと足を止めて振り返るとシャルガンの背後にある机に近づいてその上にあった小さな箱を手にした。
「ごめんなさい、お父様。この前、お父様を探してこの部屋に入った時にこの化粧入れを忘れてしまったの。…勝手に入ってごめんなさい。」
「そうだったのか。よいよい。引き出しを勝手に開けたりしなければ自由にしてよいのだぞ?」
「ありがとうございます、お父様!それでは先に王女殿下の元へ行ってまいります!」
「うむ。気をつけるのだよ?」
シャルガンの言葉に無邪気な笑顔で返事をするとマリーは箱を抱えて部屋を後にした。
それを見送ったシャルガンは、また陰湿に口元を緩ませると静かに呟いた。
「…我等が大計に立ち塞がるなど…。身の程を弁えぬ蛮族共め…。」
そして、再び机に戻ると侯爵への親書を書くために高級な紙を取り出しペンを走らせるのだった。




