第三十六話 ローディック=セルム=ルドウィック
国軍省にある、バルザックの部屋に向かう廊下を歩きながら、ローディックは窓から見える空を眺めていた。目の前には、それまで自分の尋問を取り仕切っていた大隊長の背中がある。
(断頭台に登る気分というのはこんな感じなのか?)
ローディックは、次第に近づくバルザックの執務室の扉に視線を移しながらそんな事を考えていた。
帰国してから十二日目。
自分の執務室に、ほぼ軟禁状態で閉じ込められ繰り返し尋問をされていたローディックは、バルザックに呼び出されていた。
そして、ようやく部屋の前まで来ると大隊長は、警備する兵士に取り次ぎを依頼する。
兵士は、一旦部屋の中に消えると、すぐに扉を開けて許可が下りたことを告げ、大隊長とローディックの二人を部屋の中に入れた。
部屋には、バルザックの他に見覚えのある二人の将校が控えている。
「ルドウィック将軍をお連れしました!」
大隊長は、気を吐くように慄然とした声でバルザックに告げる。
バルザックが、豪奢な机の向こうで小さく頷くと大隊長は横に避けて、ローディックに前へ進み出るように促した。
「ローディック=セルム=ルドウィック、ご命令により参りました。」
ローディックは、そう言って斜め三十度ほどの礼をすると体を起こしてバルザックの顔を見た。
「よく来た。ルドウィック将軍。…サトラムス渓谷での戦い、ご苦労だった。」
「ハッ。」
ローディックは、返事だけをするとなにも語ることなく直立する。
周囲の者達は、その様子に少なからず動揺してバルザックの顔色を窺った。
すると、大隊長がその様子に口を開く。
「ルドウィック将軍。なにか弁明などはないのですか?」
「ありません。敗軍の将になにが語れましょう。…ご存分にご裁可を。」
ローディックは、バルザックから目を逸らすことなくそう言い切った。
バルザックは、僅かに眉を動かす。
「…貴様、なにがあったのだ?…まるで別人のようだぞ?」
それは、ローディックを知る他の者達にとっても同じ思いだった。
出陣前のローディックは、如何にも文官上がりの様相で、バルザックの前に出れば怯えたように汗をかき、落ち着きのない小心な男であった。
それが、諸将に囲まれバルザックを前にしながらもまったくその気配はない。
それどころか、どこか余裕すら感じるのである。
しかし、それは当のローディックにとっても不思議なことだった。
あれほど恐ろしかったバルザックが、まったく気にならないのである。
「ハッ。正直に申し上げますと、自分でもよく分かっておりません。」
ローディックは、素直にそのままを口にした。
「…死を覚悟したからか?」
バルザックは、そう言って鋭く睨みつける。
その視線に、帝国軍の中で耐えられる者はほとんどいない。
「…分かりません。そうかもしれませんが、それだけではないような気がしております。」
そう言いながら、ローディックの脳裏に仁と耕助の顔が浮かんでくる。
理由は分からないが、二人を思い出すと自分が死なない事を直感的に感じるのだ。…それも確実に。
すると、自分でも気づかないうちに微笑んでいた。
「ルドウィック将軍!大将軍閣下の前です!笑うなど不敬ではありませんか?!」
それを見た大隊長は、鋭い声で指摘した。
しかし、ローディックの顔からは笑みは消えない。
「…失礼。閣下を笑った訳ではございません。…笑ったのは自分の行い、すべてにでございます。」
「…行いだと?」
「はい。…閣下のお顔を拝見し、今まですべてに怯え、事ある事に策を弄してきた自分が滑稽に思えたからでございます。」
その言葉は、バルザック以外の諸将にも突き刺さる。しかし、帝国軍内で地位を得てそれを維持するためには、それは必要なことでもあった。
当然、他の者達は非難の視線をローディックの背中に向けた。
バルザックは、微笑みながら自分を見返すローディックの様子に睨見つけるのを止めると静かに口を開いた。
「ルドウィック将軍。貴様は、今後どうするのだ?」
そこに居合わせた者達は、バルザックの言葉に驚きを隠せず顔を見合わせた。
バルザックは、ローディックの命を奪わないと言ったのである。
ローディックは、それを察したがそこに喜ぶような様子を見せることなく答えた。
「はい。この機会に軍を退役し、田舎で土いじりでもしようかと考えております。」
「…そうか。貴様は独り身であったな?」
「ハッ。妻は、一昨年病により先立っております。」
「では、一人気楽に土いじりか…それは楽しみだな。」
バルザックは、そう言うと僅かに羨ましそうな顔を見せる。
「…ありがとうございます。」
「よい。それでは、もう行って良いぞ。…ルドウィック将軍。今までご苦労だった。…達者で暮らせ。」
「…ありがとうございます。大将軍閣下も、心よりご武運を祈っております。」
ローディックの言葉を聞くと、バルザックは大隊長に視線を送った。
それを大隊長は察して、ローディックに近づく。
「ルドウィック将軍。それでは参りましょう。」
「はい。…それでは失礼致します。」
ローディックは、そう言って入って来た時と同じ礼をして、バルザックの前から離れようとした。
しかし、一旦、足を止めるともう一度、バルザックに顔を向けた。
「…閣下。これだけは申し上げておきます。」
「なんだ?」
「あの、二人の異世界人を決して侮りませんように。…あの二人は我々とは違い過ぎます。」
ローディックは、そう言うとバルザックの瞳をまるで多くの事を語り尽くすように凝視した。
「…それほどか?」
「はい。私の能力では、それ以上にお伝えすることが出来ません。…閣下。あの二人を相手にされる時は、如何なる時においても決して手心など加えませんように。…これを最後の進言とさせて頂きます。」
「相わかった。貴様の進言、心に留めておこう。」
「ありがとうございます。」
ローディックは、そう言うと今度こそバルザックの前から離れ部屋を後にした。
入る時と違い、バルザックの許しを得たローディックは、一人で部屋を出ると再び窓越しの空を眺めると、仁が別れ際に言った予言が当たったことを思い出した。
「…仁…まったくなんて奴だ。」
呟きながら笑みを零して首を振る。
そして、口元の端を上げたまま再び空を見ると語りかけた。
「…これでいいのだろ?…耕助。仁。」
それは、バルザックに対して最後に伝えた言葉の事だった。
バルザックがローディックの進言によってどこまで本気で二人と戦うのかは分からない。
しかし、ローディックが進言したことで、帝国軍は油断なく戦うだろう。
それが、強者を求める仁と耕助の望みであるとローディックは思っていたからだ。
ローディックは、もう一度扉に向かって頭を下げると、元来た方に視線を向けて力強く自分の執務室へと歩き始めた。
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「…よろしかったのですか?閣下。」
大隊長は、ローディックが退室した後に席を立ち、机の後ろにある窓から外の風景を眺めているバルザックの背中に問いかけた。
「よい。」
「しかし、これでは他の諸将にも示しが尽きません。それに…」
「よいと言っている。」
怒気を孕んだバルザックの言葉に大隊長は口を閉ざす。
「…申し訳ありません。」
大隊長は、釈然としない表情のまま謝罪した。
すると、バルザックは振り向いて大隊長を見据えて聞いた。
「…あの変わりようを見て、貴様はどう感じた?」
「…はい。確かに見違えた様に変わったとは思いますが…」
「…惜しいことをしたな。私の視線を笑って返す胆力。今のあ奴が軍に残り、采を振れば大きな功を上げたかもしれん。…だが、それではダメなのだ。」
その言葉に大隊長は訝しげな表情を見せる。
バルザックは、椅子に座ると言葉を続けた。
「貴様は、なぜ私がルドウィックを内政との調整役などという閑職に置いていたか分かるか?」
「はい。当時のルドウィック将軍は、お世辞にも武に優れた方ではなかったからと愚考します。」
「…たしかに、それもある。だが、それ以上にあ奴は人を見る目と感情の機微を読み取るのに卓越していた。…故に、あの小賢しい内政の文官達との中和を役目としていたのだ。」
大隊長は、思うところがあるのか頷く。
「…たしかに…。」
「…それが、あのような胆力を身に着けては、その役目もままならぬであろう。…おそらく、ルドウィックもそれを自覚していた。…だから、自分の役目が終わったことを知っていたのだ。」
「閣下。それは些か買い被り過ぎではないのでしょうか?」
「では、あの立ち振る舞いはどう説明する?…あ奴は、死を覚悟していたわけではないぞ?…まるで自分の命が助かると始めから信じていた…。?!」
バルザックはそこまで言うと、気づいた。
そして、今までまったく硬い表情から崩したことのないバルザックの顔が破顔する。
「…ククク…そうか…あ奴は、始めから自分が殺されないと確実に分かっておったぞ。あのルドウィックがだ。…貴様、それがどれほどの事か分からないのか?」
大隊長は、バルザックの笑った姿を初めて見たことに動揺しつつも、言葉の意味が分からず他の諸将と
顔を見合わせた。
「…これが、あの異世界人共の影響だとすると、この戦い、決して油断は出来ぬぞ?…ルドウィック。そうか。分かったぞ。あ奴は、本当に私の忠臣であった。…貴様の進言、しかと心に刻もう!…それにしても、愉快で仕方がない!ワハハハ…!」
大隊長を含めた他の者達も、依然としてバルザックの意図を読み取れずに合わせるように薄い歪んだ笑みを浮かべた。
バルザックは、一頻り笑うと大隊長を睨めつけるように見ながら口を開いた。
「…その後、王国潜入の進捗はどうなっている?」
「ハッ!…諜報部から十名の候補が上がり、更に五名に絞って潜入を開始する予定になっています!」
「…生温いな。」
「は?」
大隊長は、目を見開く。帝国の諜報部と言えば、その暗躍ぶりを各国が警戒を厳とし、恐れられている存在でもある。
「…『黒曜』を使え。」
「こ、黒曜…ですか?しかし、あの者達は…」
『黒曜』。それは、諜報などではなく完全に謀殺を役目とした暗殺者で構成される部隊の名前である。
黒曜は、元々金で雇われロナルディア全土で活動していた絶死の暗殺者集団であったが、近年、帝国が莫大な資金力で取り込んだばかりであった。
「貴様は、ルドウィックの言葉を聞いていなかったのか?…あの異世界人共には、生半可な戦力はただの消耗に過ぎん。…よいか?必ず殺せ。…殺すのだ。」
バルザックは、そう言うと顔を大隊長に向けた。
大隊長は、そこに見える猛獣のようなバルザックの瞳に体を震わせた。
「か、かしこまりました。必ずあの異世界人共も処理致します…。」
大隊長は、その目を正視出来ずに伏し目がちになりながら答える。
バルザックは、その返事を聞くと椅子を回転させて再び窓の外に目をやると呻くように呟いた。
「…異世界人共。…ここからは我が帝国の力を存分に見せてやるぞ…。もし、この試練すら凌駕するのであれば、今度こそ、私自らが貴様らを仕留めてみせよう…。」
そして、心の奥底で対峙するやも知れぬ二人に対し深甚なる殺意を宿したのであった。




