第十八話 呼び名
翌朝。
仁は、充てがわれた寝室から出ると、メイドが入れてくれた紅茶を飲みながら、応接室から見える外の景色を眺めていた。
おそらく、時間は朝の七時ほど。
昨日、エレノアから聞いた所によるとこの世界も時間の概念は全く同じで、一年は三百六十五日、一日は二十四時間ということだった。
つまり、それもここが地球と表裏であることを裏付ける一つの証拠であると、エレノアは胸を張って語っていた。
「白神様。他にご用はございませんか?」
甲斐甲斐しく世話をしてくれるメイドが、仁の横顔に話しかけてくる。
「いや、特にもうない。ありがとう。」
すると、メイドは落ち着いた様子のまま問いかけてくる。
「白神様は、この城の中庭をご覧になりましたか?」
「?…いや?」
「それでしたら、ぜひご覧になっては如何かと。城主の辺境伯様が奥様のために特別にあしらえたバラ園がございます。ちょうど、この時間が水やりが終わり見ごろとなっていますので、ご案内致しましょうか?」
メイドは、伏し目がちなまま冷静に説明しながらも仁の側に体を寄せてくる。
「ありがとう。ただ、バラには興味がないな。」
「では、南の塔からの景色をご覧になっては如何でしょう?この時間は、山々の緑が映えてとても美しい景色をご堪能頂けると思います。ご案内致しますが?」
メイドは、更に仁に近づきながら説明する。
「いや、それも興味がないな。」
ついにメイドは、仁が掛けている椅子にしなだれるように寄って鼻先まで近づいた。
「それでは、厩舎などは如何でしょう?!あそこには辺境伯様ご自慢の名馬達が…」
そこまでメイドが言った瞬間、ゴンゴン!と扉を叩く音が部屋に響いた。
メイドも仁も、反射的に扉の方へ視線を向ける。
そこには、開いた扉に寄りかかり二人の様子をジト目で見るアリステルが立っていた。
「そ、それでは私は失礼いたします。」
メイドは、慌てて居住まいを正すと応接室から飛び出すように出ていった。
仁は、何事も無かったように正面のカウチに座るアリステルと向き合った。
「見ていたのが私で良かった。カレンだったら泣き出すか、あのメイドを斬り捨てるかどちらかだったろう…。」
「カレンが?なぜなんだ?」
「…まったく。神代殿の言う通りだな。無自覚に色気を振りまいて、相当な数の女を泣かせてきたそうじゃないか?」
アリステルは、肩を竦めながら言う。
だが、仁は気に止める様子もなく答えた。
「そうだな。たしかに俺はタチが悪いかもな。だが、どうしたらいいのか分からないんだ。」
仁は、そう言って憂いのある表情を見せる。
アリステルは、その横顔に呆れながら言った。
「それだよ、それ。そんな表情を見せられたら、大抵の女はやられてしまうんだ。…気をつけた方がいいぞ?」
「………。」
仁は、アリステルの言葉に黙ったまま目を見張る。
「なんだ?私の顔になにか付いてるのか?」
「いや、言っていいのかわからないが…王女様。その話し方は耕助そのままだぜ?」
「??!!」
アリステルは、思わず口に手を当てて驚いた。
仁は、誂うような顔でアリステルの様子を窺う。
「女ってのは、惚れた男の話し方に似てくるっていうからなぁ…。」
アリステルは、仁の言葉に動揺した。
「ば、バカを言うな!私はこれでも第四皇女だぞ?!そんなわけがあるか!」
「関係ないだろ?王女でも盗賊でも女だったら変わらないさ。…気をつけるんだな。俺に言わせれば無自覚に女を泣かせてるのは俺だけじゃないぜ?」
そう言って仁は意地悪そうな笑顔を見せた。
「クッ…。白神殿。お前は意外に性格が悪いようだな?」
そう言ってアリステルは、赤くなった自分の顔を冷まそうと手で顔を扇いだ。
するとその時、耕助が応接室に入って来る。
「お?王女様は意外と朝が早いんだな?」
「なっ、じ、神代殿もずいぶん早いではないか。」
アリステルは、タイミング良く現れた耕助の姿に動揺しながら答える。
「ん?なんかあったのか〜?仁!今度は王女様になにかしたのか?」
耕助は、アリステルの直ぐ側に座りながら探るような目つきで仁とアリステルを交互に見る。
「バカを言うな!白神殿とは今後の話をしていたのだ!」
「それにしちゃ顔が赤いぜ?ま、珍しいことじゃないけどな。…ちょっと、なにか飲み物をもらってくるわ。」
耕助は、そう言って立ち上がると奥の方へ歩いていく。仁は、それを見送った後、顔を赤くしたままのアリステルに向き直った。
「な?あれも無自覚じゃないのか?」
「クッ…黙れ。…白神殿も人が悪いぞ?」
小声のアリステルに、仁は楽しげに微笑むと改まるように言った。
「仁だ。」
「?」
「あんまり、名字で呼ばれるのは慣れてなくてな。今日からは仁と呼んでくれ。」
「わかった。仁殿。」
「いや、殿もいらない。仁でいい。どうも人に呼ばれる時に様とか殿とか好きじゃないんだ。…それにあんたは王族だろ?遠慮なく呼び捨ててくれ。」
すると、アリステルはカウチの背もたれに体を預けながら言った。
「それならば、カレンにもそう呼ばさせてやってくれ。…きっと喜ぶぞ?」
「分かった。あんたから伝えておいてくれよ。」
「嫌だね。」
その返事に、仁はまた目を丸くする。
「ククク…その言い方。耕助そのままだな。」
「?!仁!あまり王族をからかうでないぞ!…呼び方の件はお前から伝えてくれ。これは依頼主からの命令だ。」
「ククク…。わかったよ。」
すると、今度は部屋の入口にカレンが顔を見せる。
「殿下!おはようございます!」
「おお、カレン!おはよう!早速だが、仁…ではなかった、白神殿がお前に話があるそうだ。」
「ええ?!し、白神殿が…なんでしょうか?」
カレンは、俯きながらその場に立ったまま聞く。
「え?ああ、カレン殿。今日から俺のことは仁と呼び捨てにしてくれ。」
「ええ?!そ、それは失礼に当たるのでは?」
「そんな事はない。俺は、名字て呼ばれるのに慣れてなくてな。今、殿下にもお願いしたところだ。」
「い、いや、それは無理です!せめて、仁殿と呼ばせて下さい!」
仁は、アリステルと顔を見合わせる。
「仁。良いではないか。好きに呼ばせてやってはくれないか?」
アリステルはため息を吐きながら仁に頼む。
「分かった。じゃ、そう呼んでくれ。」
そう仁が答えたと同時に、紅茶の入ったカップを出にした耕助が戻ってくる。
「ん?なんの話をしてたんだ?今後のことが決まったのか?」
「いや、今日から白神殿の事を仁殿と呼ぶことになったという話だ。」
なぜかカレンは胸を張って言った。
「お!それいいな!じゃ、俺もこれからは耕助で頼むぜ。名字呼びの上に様とか殿だったからな。…いいだろ?王女様?」
耕助は、無邪気に笑ってアリステルに言った。
すると、当のアリステルは思わず口籠ってしまう。
「あ、ああ分かった…こ、耕助…だな?」
「とうした?なんか変じゃね?」
「変ではない!いつも通りだ!耕助!これでいいだろ?!」
「お、おお…。それじゃ、これからはそれで頼むわ。」
耕助は、アリステルの様子に躊躇いながらソファに座ると紅茶を飲む。
アリステルは、二人の顔を交互に見ると姿勢を改めて話し始めた。
「それで、今後についてだが、二人には王城に行ってもらい国王陛下に謁見してもらいたい。そして、騎士として叙勲を授かり我が紅焔騎士団の一員となってもらう。」
「ええー。なんか重そうだなぁ。」
耕助は、露骨にイヤそうな顔を見せる。
アリステルは、それに微笑むと言葉を続けた。
「安心しろ。一員とはいえ私の私兵として側付になるから、言わば賢者殿と同じような扱いになる。そうなれば、かなり動きも制限されずに好きなように動けるぞ?」
「…気を使わせて悪いな?」
仁は、そう言いながらも悪びた様子もなく笑う。
アリステルは、両手を腰に当ててため息で返事をした。
「それで?王城にはいつ出発するんだ?」
耕助は目を輝かせながらアリステルに聞く。
「騎士団の準備は出来ているからすぐにでも出発しようと思う。だから、今日にもここを発つ。」
「わかった。それじゃ、俺達も準備をしないとな。…耕助。先に言っておくが、観光じゃないぜ?」
「分かってるって!」
「どうだかな。そんな目をして信用しろってのが難しいんだが。」
仁は、そう言うと目を擦りながらようやく応接室に入って来たエレノアに声をかける。
「エレノア。今日にもここを出るらしいんだが、ラグナロクの整備を一緒に頼めるか?」
「…まったく、起きた早々に。分かった。後で見に行くとしよう。」
エレノアは、まだ眠気の取れてない顔で答える。
しかし、周りの者はそのエレノアの姿に目が釘付けになる。
下半身はショーツ一枚で、上半身は胸の頂点がハッキリ見えるほど透けたネグリジェで現れたのだ。
「賢者殿!その出で立ちはどうしたのだ?!淑女たる者、そのように破廉恥な格好は…。」
カレンは、立ち上がって仁と耕助の視線を遮るようにエレノアの前に立つ。
「いいではないですか。な?耕助も嬉しいだろ?」
そう言って、ガン見している耕助にしなだれる。
すると、今度はアリステルが顔を赤くしながら立ち上がって、耕助の目を右手で覆うと視界を塞いだ。
そして、エレノアを引き剥がす。
「耕助!見るでない!…賢者殿も、早く着替えて来てくるんだ!」
「…なんで、殿下が怒るのですかぁ?」
エレノアは、意地悪そうな笑みを浮かべて顔を仄かに染めるアリステルに問う。
「その事はもういい!早く着替えてこい!」
「えー?」
すると、抗議するエレノアの前で腰の剣に手をかけると静かな口調で言った。
「賢者殿。たとえお主でも不敬罪で斬らねはならぬぞ?」
「…分かりました。」
エレノアは、そのアリステルの様子にやり過ぎた自分に反省すると、スゴスゴと寝室へと戻って行った。




