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狼狩りのシロ  作者: 秀一
月影機関
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第七話 「嵐の前の静けさ」

地獄の特別メニューが始まってから、一週間が経過した。

シロとサキとカイの三人は、もはや身体のどこに痛みがない部分を探す方が難しい、という状態にまで疲弊しきっていた。毎日のように繰り返される無茶な連携訓練と、失敗するたびに身体を焼く罰の電流。だが、その甲斐あってか、三人の動きは以前とは比べ物にならないほど滑らかになっていた。まだ口喧嘩は絶えないが、戦闘になれば、互いの次の動きがある程度予測できるまでになっていたのだ。


そんなある朝のことだった。

いつものように殺伐とした雰囲気で食堂に集まった三人の前に、ハヤマが満面の笑みで現れた。


「やあやあ、我が愛しのヒヨコたち!朗報だ!」

彼はそう言うと、三人の顔の前に、ひらひらと数枚の紙幣をかざした。

「本日、君たちには特別休暇を与える!これは命令だ!」


「……休暇?」

「命令?」

「なんで?」

三者三様の、困惑した声が上がる。


「張り詰めすぎた道具ってのは、いざという時にポッキリ折れちまうもんだ。たまには年相応に、くだらないことではしゃいでこい。これも訓練の一環だと思え。さあ、金はやる。さっさと失せろ」

ハヤマはそう言って、紙幣をテーブルに叩きつけると、嵐のように去っていった。


残されたのは、三人の若者と、数枚の諭吉。

最初に口を開いたのはシロだった。

「……時間の無駄だ。俺は自主訓練をする」

「私もだ。休んでいる暇などない」

サキも同意する。


その二人の反応を予測していたかのように、カイが「まあまあ!」と間に入った。その目は、一週間ぶりに、悪戯っ子のようにキラキラと輝いていた。

「せっかくの休みなんだぜ?行こうぜ、すっげえ楽しい場所に!」

「楽しい場所?」

「ああ!」


カイは胸を張って宣言した。

「遊園地に!」


そして現在。

三人は、巨大なテーマパークのゲートの前に立っていた。ジェットコースターから響き渡る絶叫、甘いポップコーンの匂い、家族連れの笑い声。彼らが普段身を置く、血と硝煙の匂いがする世界とは、何もかもが正反対だった。


「……やはり、時間の無駄だった」

シロが、人混みを分析しながら呟く。

「同感だ。こんな場所で、一体なんの訓練になるというんだ」

サキも腕を組んで、不機嫌さを隠そうともしない。


「いいからいいから!まずはアレに乗るぞ!」

カイは、そんな二人の腕を強引に掴むと、園内で最も高く、最も速いと評判のジェットコースターへと引きずっていった。


順番を待つ間、サキは平静を装っていたが、心臓の鼓動が少しずつ速くなるのを感じていた。シロは、これから自分の身に何が起きるのか、その物理法則を淡々と計算しているようだった。


やがて、三人を乗せたコースターが、ガタン、ゴトン、とゆっくりと上昇を始める。


「よーし、ここで勝負だ!」とカイが叫んだ。

「一番デカい声で叫んだやつが勝ち!」

「子供か、お前は」サキが呆れて言う。

「なら、勝負の内容を変えよう」

シロが、珍しく口を挟んだ。

「このコースターの間、誰が一番無表情でいられるか。どうだ?」


その挑戦的な視線に、サキのプライドが火を噴いた。

「……面白い。やってやろうじゃないか」


コースターが頂上に達し、一瞬の静寂が訪れる。眼下に広がる景色。そして――


「「「うわあああああああああああああああああっ!!」」」


最初に絶叫したのはカイだった。嬉しさと恐怖が混じった、最高の叫び声だ。

サキは、唇を固く結び、必死に表情を保とうとしていた。だが、凄まじいGと、天地が逆転する感覚に、顔は歪み、目は見開かれ、無表情とは程遠い、壮絶な形相になっていた。


そして、シロは。

ただ、静かに、前を見据えていた。風で髪が激しく逆立ち、頬の肉が重力に引かれているにも関わらず、その瞳と口元は、微動だにしていなかった。まるで、証明写真を撮られているかのように。


数分後、地上に戻ってきた三人は、出口に設置された記念写真モニターの前にいた。

そこには、満面の笑みで絶叫するカイ、般若のような顔で耐えるサキ、そして、真顔のシロが写っていた。


「……勝負は、俺の勝ちだな」

シロが淡々と言う。

「くっ……!ま、まぐれだ!こんなもの、勝負とは言わん!」

サキは顔を真っ赤にして叫んだ。


その雪辱を果たすべく、サキが次に見つけたのは、ゲームコーナーのパンチングマシンだった。

「シロ!今度はこれで勝負だ!」


「いいだろう」

シロは静かにコインを入れる。彼は深呼吸すると、力を抜いたフォームから、腰の回転を利用し、的確にパッドの中心を撃ち抜いた。無駄のない、美しい一撃。

ピピピ……と電子音が鳴り、表示されたスコアは、かなりの高得点だった。


「へえ、やるじゃないか」

サキは不敵に笑うと、シロを押し退けてマシンの前に立った。

彼女は、技術など気にしなかった。ただ、先程の屈辱、日頃の鬱憤、その全てを、右の拳に込めた。


「はあああああああっ!!」


ゴッッッ!!!


轟音。それは、もはやパンチの音ではなかった。何かが破壊される音だった。

マシンのスコア表示が、ありえない数値を叩き出したかと思うと、火花を散らし、バチバチと音を立てて沈黙した。パッドは陥没し、黒い煙が上がっている。


「……」

「……」


シロとカイは、唖然としてサキを見ていた。

アーケードの店員が、泣きそうな顔で駆け寄ってくる。

サキは、煙の上がる拳を見つめ、満足げにフン、と鼻を鳴らした。

「……どうやら、私の勝ちのようだな」


弁償させられたのは、言うまでもない。


次に三人が足を止めたのは、射的ゲームの前だった。ずらりと並んだ景品と、頼りなさそうなコルク銃。

「子供の遊びだな」とサキが吐き捨てる。

シロも興味を示さない。


だが、カイだけは、そのゲームを真剣な目で見つめていた。

「……ちょっと、やってくる」


彼はそう言うと、店主に金を払い、一丁のコルク銃を受け取った。

その瞬間、カイの雰囲気が変わった。

いつものお調子者の笑顔が消え、射撃場のブースに立った時と同じ、冷静で、集中しきった「狙撃手」の顔になる。


彼は、ゆっくりと息を吸い、そして、吐いた。

パンッ!

乾いた発射音。コルク弾は、美しい放物線を描き、一番端にあった菓子の箱に吸い込まれるように命中した。

パンッ!パンッ!パンッ!

立て続けに放たれる弾丸。一つも外さない。それどころか、彼は、わざと壁に弾を当てて跳弾させ、死角にある景品を落としたり、一つの弾で二つの景品を同時に落としたり、という神業じみた技術を披露し始めた。


シロとサキは、言葉もなくその光景を見ていた。

いつもは、自分たちの後ろで指示を出したり、おどけたりしている男。その彼が、今は、誰よりも頼もしく、そして、恐ろしく見えた。

彼もまた、自分たちと同じ――あるいは、それ以上の「専門家」なのだと、改めて思い知らされた。


数分後、カイは、店にある全ての景品を落としきっていた。店主は青い顔で、一番大きなクマのぬいぐるみをカイに手渡した。


「ほらよ」

カイは、いつもの笑顔に戻ると、その巨大なクマのぬいぐるみを、ぽい、とサキに押し付けた。

「え……わ、私に?」

「おう。さっきのマシンの弁償代、俺も少し出しといたからな。そのお詫びだ」

「……べ、別に、いらん!」

サキは顔を赤くしながらも、その大きなぬいぐるみを、しっかりと抱きしめていた。


その後も、三人はお化け屋敷で絶叫したり(主にカイとサキが)、メリーゴーランドに乗せられて気まずい思いをしたり(主にシロとサキが)、様々なアトラクションを巡った。

最初はぎこちなく、いがみ合ってばかりだった三人の間にも、いつしか、自然な空気が流れ始めていた。


日が暮れ始め、園内が美しいイルミネーションで彩られる頃。

三人は、ベンチに座って、クレープを食べていた。


「……あのジェットコースター、存外、悪くなかった」

サキが、ポツリと呟いた。

「ああ。カイの射撃の腕もな。運だけではない、正確な技術だ」

シロも、素直な感想を口にする。


カイは、その二人の言葉を聞いて、心から嬉しくなった。今日一日、二人を無理やり連れ回した甲斐があった。

自分たちは、まだチームと呼ぶには未熟かもしれない。

でも、確かに、何かが変わり始めていた。


この時間が、ずっと続けばいいのに。

カイが、そんなことを思った、その時だった。


ふと、シロの動きが止まった。

彼は、クレープを食べるのも忘れ、鼻をひくつかせ、ある一点を鋭く見つめていた。その表情から、全ての感情が抜け落ちている。


「シロ?どうしたんだよ」

カイが声をかける。


シロは、ゆっくりと、呟いた。その声は、低く、そして、危険な響きを帯びていた。


「……この匂い……」


甘いキャラメルの匂い、人々の楽しげな喧騒、その全てを突き抜けて、彼の鼻腔に届く、微かな、しかし、決して忘れられない獣の匂い。

それは、彼らが狩るべき対象――“狼人”の匂いだった。


嵐の前の、あまりにも短く、そして、あまりにも穏やかだった静寂は、今、終わりを告げた。

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