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狼狩りのシロ  作者: 秀一
月影機関
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第五話「ラーメンと反省会、そして新たな脅威の足音」

「……いてぇ……」


シロが最初に感じたのは、全身を鈍い痛みが駆け巡る感覚と、自分が地面ではなく、誰かの肩に担がれているという事実だった。揺れが頭に響く。


「お、起きたか、シロ」

隣から聞こえてきたのは、カイの安堵したような声だった。


「……ハヤマ教官は?」

「それが……」


シロが状況を把握しようと顔を上げると、自分を担いでいる張本人――ハヤマがけらけらと笑っているのが見えた。


「よっ。お目覚めかな、お寝坊さん。ちょうど腹が減ったところだ」


ハヤマはそう言うと、まるで荷物を下ろすかのように、シロをその場にストンと落とした。


「ぐっ……!」

全身に再び痛みが走り、シロは呻き声を上げる。


「さて!賭けは賭けだ。お前らの負け。というわけで、俺にラーメンを奢ってもらうぞ!もちろん、一番高いやつな!」


ハヤマは高らかに宣言し、鼻歌混じりに歩き出す。その後ろを、カイが慌てて追いかけ、サキは忌々しげな顔で、しかし逆らわずに続いた。シロは痛む身体をゆっくりと起こし、三人の後を追った。屈辱と、そして心の奥底で燃える、まだ名前のない感情を抱えながら。


彼らが連れてこられたのは、機関の近所にある、昔ながらといった風情のラーメン屋だった。


席に着くなり、ハヤマはメニューを手に取り、わざとらしく大きな声で読み上げた。

「へぇー、味噌、塩、豚骨……おっ?」


彼の指が、メニューの隅にある、ひときわ高価な品を指した。


「【特上和牛ラーメン・時価】……だと?くぅ~、美味そうだなあ。食いてえなあ。でも高えんだろうなあ……」


ハヤマはわざとらしく天を仰ぎ、悲劇のヒーローのように呟く。


「……ああ、そうだった。俺が払うんじゃなかったわ」


その瞬間、彼の表情がパッと明るくなり、店の奥に向かって叫んだ。

「おやっさーん!特上和牛ラーメン、チャーシューマシマシで大盛り一つ!」


「(うっぜぇえええ!マジで殴りてぇ、あのヘラヘラした顔……!)」

サキは内心で毒づきながら、怒りで震える拳をテーブルの下で固く握りしめた。


その殺気を感じ取ったのか、ハヤマがにっこりとした子供のような、それでいて最高に神経を逆撫でする笑顔でサキを見た。


「あれれー?もしかして、俺のこと殴りたいとか思っちゃってる?サキちゃんは怖いなぁ、怖い怖い」


「……別に、そんなこと、思ってません」

サキは顔を引きつらせながら、なんとか言葉を絞り出す。


やがて、ラーメンが運ばれてくる。ハヤマの前には、分厚い和牛がこれでもかと乗った、湯気の立つ巨大な器が置かれた。シロたちの前には、普通の醤油ラーメン。その格差が、今の実力差を物語っているようで、一層腹立たしかった。


ハヤマは幸せそうに麺を啜りながら、ふと、真剣な口調で言った。

「お前ら、刀も銃も、ただの鉄の塊だ。それを持つ人間が、鉄塊以下なら、ただの粗大ゴミにしかならねえ。今のてめえらは、その粗大ゴミ以下だ。覚えとけ」


その言葉には、先程までのふざけた響きはなかった。

三人とも、何も言い返せずに、黙ってラーメンを啜る。


その時だった。ハヤマが、ふと横目でシロを見た。その瞳は、ふざけても、見下してもいない。ただ静かに、何かを確かめるような、凪いだ色をしていた。


「(……こいつが、俺の改良版か……)」


ほんの一瞬、彼の脳裏をよぎった思考。それは、誰にも聞こえない、彼だけの秘密。


だが、シロはその視線に気づいた。鋭い何かが自分に向けられているのを感じ、顔を上げる。

「……なんだ」


ハヤマは、はっと我に返ると、瞬時にいつもの道化の仮面を被り直した。


「うおおおっ!?シロ君、まさか俺に愛の告白かい!?俺ってそんなにイケメンだった!?」


「はぁ!?な、何も言ってないだろう!」

シロの顔が、珍しく困惑と羞恥で赤く染まる。助けを求めるようにカイを見ると、カイはニヤニヤしながら、芝居がかった仕草で言った。


「ああ……シロよ……お前にそんな趣味があったとはな……」

「お前まで何を言ってるんだ!」


ぎゃいぎゃいと騒ぐ男子二人と、それを冷ややかに見つめるサキ。そして、その全てを心底楽しそうに眺めるハヤマ。地獄の訓練の後とは思えない、奇妙で騒々しい反省会は、そうして過ぎていった。


ラーメン屋を出た後、ハヤマは満足げに腹をさすっていた。

「さて、腹も膨れたことだし、次の場所に移動するぞ」

「次は寮ですか?」とカイが尋ねる。

「いいや?お前らの“粗大ゴミ”を、少しはマシな“鉄塊”にしてもらいに行く」


彼らが連れてこられたのは、機関の地下深くに位置する「技術研究部」――通称「技研」だった。

そこは、整理された混沌とでも言うべき場所だった。壁一面の工具、分解された兵器のパーツ、空中には青白いホログラムの設計図がいくつも浮かび、火薬とオゾンの匂いが混じり合っている。


「よぉ、メイ。ガキどものお守りを頼む」

ハヤマが声をかけると、作業台の下から、オイルで汚れたツナギを着た女性がひょっこりと顔を出した。無造作に束ねた髪、大きなゴーグル、そして、何よりもその瞳が、自分の研究対象を前にした子供のようにキラキラと輝いている。


「あ、ハヤマっち。と、そのおもちゃ達?はいはい、こっちに並べてー」


彼女――メイは、三人の装備を慣れた手つきで受け取ると、専門家の顔になった。


「カイ君、君の銃、銃身の掃除が甘い。これじゃあ弾道がコンマ0.1ミリずれる。狼人の眉間を狙って、鼻の穴に当たるレベル」

「うっ……」

「サキちゃん、ナイフのチョイスはいいけど、重心が少し軽い。あなたの踏み込みの強さなら、もう少し重量のあるモデルの方が、一撃の威力が増す」

「……参考にします」


そして、メイはシロの銀の刀を手に取ると、うっとりとした表情を浮かべた。

「……美しい。この純度、この刃紋……私の芸術品だわ」

だが、次の瞬間、彼女の顔が曇る。特殊なライトを刀身に当てながら、彼女は言った。

「でも、乱暴に扱いすぎ。刀身にマイクロクラックが入ってる。ハヤマっちと何したのよ」


「鬼ごっこだ」

「はぁ?あんた、また無茶な……」


メイは呆れたようにハヤマを睨んだ後、ふと何かを思い出したように言った。

「ああ、そうだ。ちょうどいい時に来たわ。最近、ちょっと厄介な報告が上がってきててね」


彼女はコンソールを操作し、一体の狼人の解剖データをホログラムで表示する。


「ここ数件、討伐された個体の、死後の細胞劣化パターンが従来のものと違うの。それに、現場からの報告だと、妙に知能が高い個体や、統率された動きを見せる群れが目撃されてる」


メイの瞳から、先程までの職人の光が消え、研究者の鋭い光に変わる。


「私達は、暫定的にその特殊個体を“アルファ”と呼んでる。問題はね……」


彼女は一つのデータを拡大した。

「アル-ファ個体に対して、君たちが使ってる標準の銀製弾丸の効果が、著しく減衰する可能性があるってこと」


「……どういうことですか?」

シロが、低い声で尋ねた。


「簡単に言えば、硬いってことよ。体毛か、皮膚か、筋肉組織か……何かが変質して、銀の“毒”が浸透しにくくなってるみたい。つまり、今までなら心臓一発で終わってた相手が、そうじゃなくなるかもしれない。もっと多くの弾丸を、もっと正確に、急所に叩き込む必要が出てくる」


技研の空気が、一気に重くなった。

新しい脅威。より強く、より賢い敵。


シロ、カイ、サキは、言葉もなく立ち尽くす。

ついさっきまでラーメン屋で騒いでいたのが、遠い昔のことのようだ。


ハヤマは、その様子を腕を組んで見ていたが、やがて大きくあくびを一つした。


「ま、そういうこった。忙しくなりそうだな、お前ら。死ぬなよ?始末書書くの、面倒だからな」


いつもと変わらない、気の抜けた口調。

だが、その言葉の重みは、今や三人にも痛いほど理解できていた。

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