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ギンガリ  作者: 秀一
月影機関
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第四話 「 地獄の鬼ごっこ、最初の亀裂」

「よーい、ドン!」


ハヤマの間延びした声が、月影機関の中庭に響き渡る。

三階の窓から軽々と飛び降りたシロとサキは、数メートル離れた場所で着地する。シロは衝撃を膝で殺し、音もなく。対照的にサキは、ザッ、と僅かに土を蹴散らして着地し、即座に戦闘態勢に入った。


「……ふざけてる」


サキが吐き捨てる。その視線の先では、ハヤマが準備運動と称して、ラジオ体操のような奇妙な動きをしていた。まるでこれから始まるのが、命のやり取りではなく、ただのピクニックか何かであるかのように。


一方、三百メートルほど離れた訓練棟の屋上では、カイが立ち尽くしていた。


「(ま、マジで歌うのか?校歌を?ここで!?)」


眼下では、これから壮絶な(であろう)鬼ごっこが始まろうとしている。そんな状況で、自分だけが呑気に歌う?馬鹿げている。だが、あのハヤマという男の目は、笑っているようで全く笑っていなかった。彼の言葉に逆らうことが、どれほど愚かなことか。カイの本能が警鐘を鳴らしていた。


「……やるしか、ないか……」


覚悟を決め、カイは深呼吸をした。


その頃、地上ではすでに戦いの火蓋が切って落とされていた。


「はあっ!」


最初に動いたのはサキだった。彼女は一直線にハヤマへと突進する。その速さは、並の隊員では捉えきれないであろう疾さ。彼女が第七部隊でもエース級であったことが窺える。繰り出す手刀は、ハヤマの喉元を正確に狙っていた。


ヒュッ。


しかし、ハヤマはまるでそよ風を避けるかのように、半歩だけ動いてそれをかわす。サキの攻撃は空を切り、彼女は体勢を崩しかけるが、即座に地面を蹴って回し蹴りを放つ。


「おっと」


ハヤマはそれを屈んで避け、サキの足が頭上を通り過ぎていく。一連の動きは流れるようで、無駄がない。だが、当たらない。全く当たる気がしない。


「ちっ!」


サキが距離を取る。その間、シロは動かなかった。ただ、ハヤマの動き、サキの攻撃、その全てを漆黒の瞳に焼き付けていた。彼は分析していた。重心の移動、呼吸のリズム、筋肉の微細な動き。全てをデータとして取り込み、攻略の糸口を探していた。


「おい、そこの白髪!見てないで君も参加しろよ!チーム戦だろ、これ!」


ハヤマが、まるで観客に話しかけるようにシロを煽る。


その言葉に反応したのはサキだった。

「シロ!何をもたもたしてる!援護しろ!」


「……まだだ」


シロは短く答えた。

「あんたの動きは速いが、単調すぎる。読まれている」


「なんですって!?」


サキの眉が吊り上がる。格下、それも今日会ったばかりの同年代の男に、自分の動きを「単調」と断じられたのだ。プライドの高い彼女にとって、それは我慢ならない侮辱だった。


「なら、お前がやってみろ!」


「俺は機会を待っている。無闇に動いて体力を消耗するのは得策じゃない」


「臆病者の言い訳にしか聞こえないな!」


二人の間に、早くも不協和音が響く。そのやり取りすら、ハヤマは面白そうに眺めていた。


「おーおー、仲間割れか?青春だねぇ。だが、俺を前にして痴話喧嘩とは、随分と余裕じゃないか」


次の瞬間、ハヤマの姿が消えた。


「!?」


シロとサキが同時に目を見開く。

気配が、ない。どこだ?


「――上だ、サキ!」


シロが叫ぶ。見上げると、ハヤマが近くの建物の壁を蹴り、太陽を背にして落下してくるところだった。逆光で表情は読めない。


サキは即座に反応し、後方へ跳躍して回避する。

ドンッ!と重い音を立ててハヤマが着地し、地面が僅かに揺れた。


「今の判断は悪くない。だが、遅い」


ハヤマは着地の勢いを殺さず、そのまま滑るようにシロへと迫る。

シロは予測していた。カタナの柄に手をかけ、迎撃の体勢を取る。ハヤマの指先が、シロの喉元に迫る。シロは半身になってそれをかわし、カウンターの斬撃を――


その瞬間、シロの視界の端で、サキが動いたのが見えた。

「(挟み撃ちか!)」

悪くない判断だ。だが、タイミングが早すぎる。


「邪魔だ!」


サキはシロの意図などお構いなしに、ハヤマの背後から蹴りを放つ。

シロの斬撃と、サキの蹴り。二つの攻撃が、ハヤマを挟み込む形になる。


はずだった。


「だから、遅いって言ってるんだ」


ハヤマは呆れたように呟くと、その場に深く沈み込んだ。

シロの刀はサキの脚を、サキの脚はシロの胴を狙う軌道を描き、二人の攻撃はハヤマがいた空間で交錯する。


「しまっ――!」


ガキンッ!という硬い音。

シロは咄嗟に刀の腹でサキの蹴りを受け止めた。衝撃で腕が痺れる。サキもまた、自分の蹴りが防がれたことに驚き、体勢を崩す。


そこは、完全な無防備。


「はい、おしまい」


ハヤマが二人の背後に、いつの間にか回り込んでいた。

トン、と軽い衝撃。

ハヤマの指先が、シロとサキの首筋に、寸分違わず同時に触れていた。


ひんやりとした感触。

それは、もし実戦であれば、頚動脈が断ち切られていたことを意味する。


時が、止まった。

シロもサキも、動けなかった。圧倒的な実力差。まるで、大人が赤子の手をひねるように、彼らは弄ばれたのだ。


「…………」

「…………」


屋上からは、カイの震えるような、しかし確かに聞こえる校歌が流れ始めていた。その呑気なメロディが、二人の惨めさをより一層際立たせる。


サキは屈辱に顔を歪ませ、拳を握りしめる。震える拳を。

シロは、ただ静かに、自分の首筋に触れたハヤマの指の感触と、刀を通して伝わってきたサキの蹴りの重さを反芻していた。


沈黙を破ったのは、ハヤマだった。

彼の声から、先程までのふざけた響きは完全に消え失せていた。


「……これが、今の君たちの実力だ」


その声は、冬の空気のように冷たく、鋭利だった。

シロとサキの背筋を、ぞくりとした悪寒が駆け上る。これが、この男の本気か。いや、本気のほんの一端に過ぎないのだろう。


「サキ」


ハヤマに名前を呼ばれ、サキはびくりと肩を震わせる。


「お前は強い。速いし、技のキレもある。だが、プライドが高すぎる。自分の力を過信し、周りが見えなくなる。単独で戦うならそれでもいいだろう。だが、チームでは、そのプライドは真っ先に捨てるべきゴミだ。それは、仲間を危険に晒す“毒”でしかない」


ぐっ、とサキは息を呑む。反論できない。図星だった。


次に、ハヤマはシロに向き直る。

「シロ」

「……はい」


「お前はよく見ている。冷静で、分析力も高い。だが、それだけだ。見過ぎるせいで、動きが遅れる。最善の一手を待つあまり、目の前の好機を、仲間が作った僅かな隙を、何度も見逃す。お前のその慎重さは、時として“臆病”と同義だ。戦場では、六十点の連携攻撃が、百点の単独攻撃に勝ることがある。それを理解していない」


シロは唇を噛んだ。彼の戦い方の根幹を、根底から否定された気がした。


「今の二人を組ませれば、どうなるか。結果はこれだ。互いの長所を殺し合い、短所を曝け出す。史上最悪のチームの出来上がりだ。お前ら、本気で狼人を狩る気があるのか?それとも、ただの給料泥棒か?」


言葉の一つ一つが、ナイフとなって突き刺さる。


「……もう一度、やらせてください」


最初に口を開いたのは、シロだった。

彼の黒い瞳には、静かだが、燃えるような光が宿っていた。


「……私も、お願いします」


サキも、悔しさを押し殺した声で続けた。


ハヤマは二人を数秒間、無言で見つめた後、ふっと息を吐いて、いつもの怠惰な笑みを浮かべた。


「まあ、そうこなくっちゃな。目が死んでないだけマシか」


彼はパン、と手を叩く。


「よし、第二ラウンドだ。だが、ルールを少し変える。今度は、俺が鬼だ」


「え……?」


「制限時間は、残り五分。その間、俺の攻撃から“生き延びろ”。二人で、な。ああ、もちろん、手加減はしない」


その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ハヤマの姿が再びブレた。

今度のプレッシャーは、先程までとは比較にならない。殺気。本物の、純粋な殺意の波動が、嵐のように二人を打ちのめす。


「くっ……!」


シロは咄嗟にサキを突き飛ばし、自分は後方へ跳ぶ。

直後、二人がさっきまで立っていた地面が、爆ぜた。ハヤマが軽く足を踏み鳴らしただけで、コンクリートが蜘蛛の巣状に砕け散る。


「(……次元が、違う!)」


これが、S級 ……!これが、組織の最高戦力……!


「よそ見するなよ、坊主!」


声は、真横から。

シロは反射的に刀で防御するが、腹部に凄まじい衝撃を受ける。肋骨が軋む音を聞きながら、彼はくの字に折れ曲がり、数メートル先まで吹き飛ばされた。


「シロ!」


サキが叫ぶ。だが、彼女自身も自分のことで手一杯だった。ハヤマの拳打と蹴りの連撃が、雨のように彼女に降り注ぐ。防戦一方。ガードの上からでも、骨に響く衝撃が伝わってくる。


「(速い、速すぎる!見えない!)」


だが、不思議と恐怖はなかった。悔しさと、そして、心のどこかで燃え上がるような興奮があった。これが、本物の戦い。


シロが瓦礫の中から立ち上がる。口の端から血が流れていた。

彼はサキを見た。サキもまた、シロを見た。視線が交錯する。言葉はいらない。


――やるしかない。


シロは地面を蹴った。サキを助けるためではない。ハヤマの注意を引くためだ。

サキもまた、シロの意図を即座に理解した。彼女はハヤマの攻撃を受け流しながら、シロが攻撃できる角度へと、巧みに誘導する。


二人の呼吸が、ほんの少しだけ、合い始める。

シロの斬撃。サキの蹴り。一人が攻撃し、もう一人がフォローする。

それでも、ハヤマには全く届かない。彼はまるで舞を舞うように、最小限の動きで全ての攻撃をいなし、的確なカウンターを叩き込んでくる。


時間は、刻一刻と過ぎていく。

二人の体力は、限界に近づいていた。


「――終わりだ」


ハヤマが呟き、最後の攻撃に出る。

彼はサキの懐に潜り込み、がら空きになった腹部へと掌底を放つ。それは、確実に意識を刈り取る一撃。


サキはそれを目で追うことしかできなかった。

(――終わった)


「サキ、伏せろ!」


シロの叫びが響いた。

理屈では考えなかった。ただ、声に従った。

サキは、全身の力を抜き、その場に崩れ落ちるように伏せた。


ハヤマの掌底が、彼女の髪を数ミリ掠めて通り過ぎる。

そしてその先には、サキを盾にするような形で突っ込んできたシロの、がら空きの背中があった。


「(……馬鹿な奴)」


ハヤマは内心で呟きながら、シロの背中に向けて放った掌底を、寸前で拳に変え、威力を殺して軽く叩いた。


ドンッ。


軽い音とは裏腹に、シロは地面に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。


シーン、と中庭に静寂が戻る。

タイマーの電子音が、無情に終了を告げた。


屋上から聞こえていたカイの校歌も、いつの間にか止んでいる。


サキは、ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返しながら、ゆっくりと立ち上がった。そして、うつ伏せで倒れているシロを見た。

彼が、自分を庇った。あの、単独行動の塊のような男が。


「……タイムアップ。お前らの負けだ」


ハヤマが、いつもの気の抜けた声で言った。

「約束通り、今日の昼飯は奢ってもらうからな。チャーシュー大盛りの特製ラーメンだ」


彼はそう言うと、気絶しているシロをゴミ袋でも運ぶかのように軽々と肩に担ぎ、建物の方へ歩き出した。


サ-キは、ただ呆然と、その光景を見つめていた。

悔しさも、惨めさも、今はどうでもよかった。

ただ、胸の中に、今まで感じたことのない、奇妙な熱い感情が渦巻いていた。

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